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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
14/80

(14) 発熱

玄関のドアがノックされる音を聞き、妃奈は慌ててドアを開けた。

だが、期待した人物ではない事に失望の色を浮かべ、小さく溜め息を吐く。

「食材をお持ちしました。運び込んでも宜しいでしょうか?」

「…ど~ぞ」

小塚は表情を変えずに会釈すると、ビニール袋を下げてキッチンに向かった。

最近、栞は姿を見せない…代わりに、黒澤の秘書だという小塚が食材を運んで来る。

「…そんなに、毎日買って来なくても…一杯入ってんだろ?」

冷蔵庫に食材を入れながら、言葉遣いを(とが)める様に、小塚は無表情でチラリと妃奈の顔を見上げた。

「…一杯ですから、必要ありません」

「…それは、高橋さんがちゃんと食事を摂られていないからではありませんか?」

「そんな事…ありません」

「所長の出張中、(ほとん)ど食材が減っていない様ですが?」

「一々チェックしてんのかよ!?」

再び見詰められた冷たい瞳に、妃奈は降参してテーブルに顔を伏せた。

「…チェック…しているんですか?」

「高橋さん、体調が優れないのですか?」

「……そうですね…折角黒澤が居ないのに、誰かがとても意地悪ですから」

小塚は、リビングのサイドボードから薬箱を取り出すと、体温計を妃奈に差し出した。

「…平気です」

「計って下さい」

妃奈は渋々体温計を脇に挟んだ。

「…オバちゃんは?」

「根津さんの事ですか?休暇で関西に行っていらっしゃいますが?」

「…ふぅん」

この間の会話以来、栞は妃奈の前に姿を現さない…やっぱり嫌われたか…まぁ、当然と言えば当然の結果だし、嫌われる様な内容の話をしたのは妃奈自身なのだからしょうがない…。

ピピッという音を聞き、小塚は体温計を寄越せと手を差し出した。

「37度8分…結構な発熱だと思いますが?」

「別に…大した事ないし」

「往診をお願いしますか?」

「必要ない…薬も要らないから。こんなもん、寝てたら治るし」

「多分、夕方にはもっと熱が上がるでしょう。所長がいらっしゃらない間に何かあっては、私の責任問題になります」

「何もねぇって…それに、医者なんて人種は、ろくでもねぇ奴ばっかだし…」

「そんな事はないと思いますが?何故、信用出来ないと思われるのですか?」

「アンタ等、そればっかだな…」

「どういう意味です?」

「『何故?』『どうして?』って…アタシの話って、そんな意味不明な訳?」

冷蔵庫から取り出した牛乳をマグカップに注いで電子レンジで温めると、小塚はたっぷりの砂糖を入れて妃奈の前に置いた。

「相手の考えや人となりを知るには、質問をするのが一番です」

「じゃあアンタは、何で医者を信用出来んのさ?」

「医者とは、躰の具合の悪い所を見極め、治療し、治癒する為の薬を与える事を生業(なりわい)とした人の事です。いわば、聖職者だからでしょうか?」

「…残念ながらアタシの周りには、人を具合悪くさせる医者の方が多かったんだよ」

「どういう事でしょう?」

目の前に置かれたマグカップに手を伸ばした妃奈は、チラリと小塚を見上げた。

「……コレ、飲んで…いいの?」

「貴女に飲んで頂く為に作ったのです。珈琲も入れますか?」

インスタントの珈琲をカップに少し入れてスプーンで掻き混ぜてやると、妃奈はスンスンと鼻を鳴らしてカップのミルクを飲んだ。

「……アタシに、最初にクスリを打ったのは…本物の医者だったんだ」

「…クスリ……覚醒剤ですか?」

「わかんないけど…そんなヤツ。男に捕まって連れて行かれた場所で、何人かの女の子が居て…『楽しくなる薬だから』って全員に注射された。その内、エロ爺ぃ共が大勢来て…相手させられた」

「…」

「初めて錠剤飲まされた相手は、医学生だって言ってた。パンクの奴等が連れて来て……『治験者に丁度いい』って。それからは、逆らう度に飲まされた」

「ですが、そんな医者ばかりではないでしょう?」

「…そうかな?具合悪くて病院に運ばれても…医者の口から出て来んのは、『何で、そんな生活してるんだ!?』『何で、ちゃんと避妊しなかったんだ!?』って罵倒ばっかだった。好きでホームレスやってる訳じゃねぇし、強姦されてるのに…どうやって避妊なんか出来んのさ!?」

「…」

「挙げ句、サツも…黒澤みたいな弁護士って奴等も、皆同じ言葉を吐くんだ…『君が誘ったんだろう?』『君も同意の上の行為だろう?』ってな…」

「…所長も同じだと仰るんですか?」

「悪徳弁護士なんだろ?」

「は?」

「黒澤は、バックに本物のヤクザ抱えてるって…教えてくれた人が居るんだよ」

「どなたですか?」

「……殺すのか?」

「そんな事はしませんよ。所長のクライアントに大手暴力団が居るというのは、周知の事実です」

「…やっぱり」

「唯、それと黒澤鷲という男個人の資質や評価とは、何も関係がないと思いますが?」

「…そうかな?…ヤクザなんて…人間のクズだ。そんな奴等を…助けてんだろ?」

「彼等も人間ですよ…そう言う、貴女はどうなんです?」

「ハハッ……アタシは、人ですらない……アイツは…アタシの事…ペットにして……飼うんだ…って…」

「高橋さん、休まれた方が良いのではありませんか?」

小塚の言葉に、妃奈はフラフラとダイニンクチェアーから立ち上がり、リビングのソファーの前に座り込んだ。

「相変わらず、ベッドでは休まないのですね?」

「……嫌いなんだよ」

「明日の夜には、所長が帰宅されます。それ迄、付いていましょうか?」

「……忙しい小塚さんに…その様な事は、お願い出来ません…」

「それだけ話せるのなら、ちゃんと喋って頂きたいですね」

「…そりゃ…どーも」

「憎まれ口が叩けるのなら、大丈夫でしょうが…食事を用意しておきましょうか?」

「…要らない…食べたきゃ、自分で作るって」

小塚は妃奈の背中にクッションを置き、ソファーの上にあったブランケットを膝に掛けた。

「所長から渡された携帯は、お持ちですね?」

「…あぁ」

「何かあれば、いつでも連絡して下さい。直ぐに、駆け付けますので」

「…何もねぇし」

「明日の朝に、又参ります。鍵は掛けて帰りますので」

「わかった……なぁ、小塚さん…」

「何でしょうか?」

「…あの景色って……どっかに、本当にある…景色なのか?」

そう言って、妃奈は陽の光に(きら)めくステンドグラスを眺めて言った。

「さぁ…この家には、部屋によって季節の違うステンドグラスが施されていますが…特に、場所は決まっていないのではないでしょうか?」

「…そっか……じゃあ、天国の風景かも…しれない訳だ…」

そう言うと、妃奈はゆっくりと(まぶた)を閉じた。

小塚は、彼女に掛けたブランケットを肩まで引き上げてやると、足音を立てない様に立ち上がった。

「……感謝…してるよ……アンタにもさ…」

部屋を出る小塚の背中に、妃奈は小さく声を掛けた。



夕方になると、この部屋は鮮やかな赤に染められる。

窓から秋の里山を眺めた様な景色…遠くに見える緑色をした針葉樹の山並み、手前に広がる畑には様々な野菜や黄金色の麦が収穫され、湖には鴨の群れが泳いでいる。

その周囲に配された、紅葉する銀杏や楓…全体を埋め尽くす様々な赤…。

リビングの窓に施されたステンドグラスは、『秋』一色に埋め尽くされていた。

妃奈の母親が使っていたという部屋は『春』…咲き乱れる桜と野の花が、隣の納戸に使っている部屋には、荷物で見えないが『冬』のステンドグラスが施されているらしい。

黒澤の寝室には『夏』のステンドグラス…窓から見える広い海と入江に浮かぶヨット、どこまでも続く空に舞うカモメの群れ…。

妃奈の見た事もない景色が、キラキラと輝く硝子で浮かび上がる。

まるで、天国の様な美しい景色…この景色の中では、怖い事も苦しい事も、(だま)し合い傷付け合う事もない、誰もが笑顔で安心して暮らせる世界…。

「…そんな場所……あったら、マジ…天国だし…」

上がり続ける熱に朦朧(もうろう)としながら、妃奈は再び瞳を閉じる。

床に置いた携帯が又震え出したが、妃奈が手に取る事はなかった。



「……っ!?…なっ!?しっかりしろ、妃奈っ!!」

名前を呼ばれ揺さぶられ、意識が覚醒に向かう程に、全身が悪寒にに包まれる。

「目を開けろ、妃奈っ!!俺がわかるか!?」

1週間振りの怒鳴り声と目を射す電球の光に、妃奈は目を閉じたまま眉を寄せて頷いた。

「…待ってろ!今、水飲ませてやるから…」

このまま寝かせて欲しい、放って置いて欲しいのに…クッションを枕にして妃奈を床に寝かせ、黒澤がバタバタと周囲を走り回っている気配がする。

しばらくすると、温かい物が口に押し当てられ、甘い様な苦い様な…何だかよくわからない飲物が、何度も注ぎ込まれた。

「…大丈夫か?お前、電話にもメールにも、何にも返事寄越さないから、どうなってるのか心配してたら、昼間に小塚から連絡があって…」

「……へぇ……き…」

「平気じゃない!!何強がってるんだ!!熱が40度を越えてるんだぞ!?」

黒澤の怒鳴り声の方が、余程躰に悪そうだと思いながらも、(だる)くて言葉に出来ずに妃奈は眉だけを寄せた。

「いいから目を開けろ、妃奈…これが見えるか?」

黒澤が目の前に突き付けたのは、白い小さな箱に青い文字が印刷された薬だ。

「そんな嫌そうな顔するな…未開封の解熱剤だ。ホラ、今開けたばかりだ…わかるな?」

「……い…や…」

「妃奈…大丈夫だ。変な薬じゃない。唯の解熱剤だ、ホラ」

そう言って薬の箱を見せる黒澤の手を、妃奈は力なく払った。

「…妃奈…」

「…ゃ…やだ…」

「頼むから、妃奈ッ!!」

グィッと抱き寄せられ、黒澤の腕の中に抱き込まれた妃奈の頭に、黒澤は頬を擦り寄せる。

朦朧(もうろう)とした頭の中で、妃奈の心臓は飛び上がった。

男に躰は奪われても、妃奈の事を抱き締めてくれた人なんて誰も居なかった。

善吉でさえ、ポンポンと頭を叩いてくれただけだ。

この間のベッドの中で黒澤に抱かれていた時の、あの心地良さが(よみがえ)る…。

「…怖いのはわかる……小塚から、全て話は聞いた。この薬は大丈夫だ…テレビでも宣伝してる、普通に薬局で売ってる解熱剤だ」

「…」

「飲んで、熱を下げてくれ…大丈夫だから…俺は……私は、君を傷付けない…だから、頼むから…」

…この男は…何でこんな事に必死になるんだろう?

身を震わせて自分を抱き締める黒澤という男の勢いに()まれ、妃奈は小さく頷いた。

「……いい子だ、妃奈…」

薬を取り出して妃奈の舌の上に乗せると、黒澤はスポーツドリンクを自分の口に含み、妃奈の唇に押し当てる。

「……んーっ」

口の中に飲み物が流れ込み、ゴクリと嚥下(えんげ)しながら、妃奈は信じられないこの状況に混乱した。

最初に飲み物を飲まされたのと同じ感触…じゃあ、さっきも同じ様に口移しで飲まされていたって言うのか!?

何て事だ…(まま)ならない躰に、妃奈は(ほぞ)を噛んだ。

ところが当の黒澤自身は、当然の行動とばかりの余裕の態度で…そればかりか、妃奈の顔を覗き込んで目尻を下げて笑い掛けて来る。

「ちゃんと飲めたか?」

動揺を隠す様に何度も頷くと、黒澤は嬉しそうに妃奈の頭を撫でながら髪を掻き上げて、彼女の額にキスをした。

そして、妃奈を抱き上げて自室のベッドに運ぶと、驚き震える彼女に言ったのだ。

「今から、君の服を脱がせる」

「……」

「大丈夫…何もしない。躰を拭いて、パジャマに着替えさせるだけだ」

首を振る妃奈の頭を撫でると、黒澤はテキパキとタオルや妃奈のパジャマを用意し、洗面器に湯を汲んで戻って来た。

湯で濡らしたタオルで丁寧に顔と首筋を拭われ、妃奈が気持ち良さにホワンとしていると、耳元で『脱がすぞ』と囁かれて思わず頷いてしまう。

すると黒澤は、驚く程手際良く妃奈を裸にして躰を拭き上げ、パジャマに着替えさせた。

ベタついた躰は気持ち良くなったが、心の中は釈然としない物で一杯だ。

…何なんだ、この状況は…何を(ゆだ)ねてるんだ、アタシは…!?

妃奈は自分の腕を抱いて身を縮めると、ふらつく足を床に着けた。

「妃奈?」

「………トイレ」

「気持ち悪いのか!?」

そう言って、黒澤は慌てて妃奈を抱き上げトイレに運ぶ。

「大丈夫か?背中、擦った方がいいか?」

妃奈は首を振って、トイレのドアを閉めた。

あのままでは、ベッドに寝かさてしまいそうだったから、廊下に出る為に嘘を付いただけだ。

それにしても、今日の黒澤は…本当に何か変だ。

取り敢えず用を足すと、便座の熱が心地良く躰を温める。

今日はこのまま、ここで休もう…ズホンを履いて水を流し、妃奈は便座に自分の足を引き上げて乗せると、膝を抱え込んで顔を埋めた。

「妃奈、大丈夫か?」

「……」

「開けるぞ?」

そうだ…トイレの鍵は、先日黒澤が壊してしまったままだ。

「何やってるんだ?」

「……」

何も答えない妃奈に、黒澤は大きな手を頭に置いた。

「ベッドが怖いか?……それとも、私が怖いか?」

「……」

「少し、向こうで話そう」

そう言って黒澤は妃奈を抱き上げ、再びベッドの上に座らせると、自らもベッドの上に座り、妃奈を抱き寄せて股の間に座らせる。

「栞から、話は聞いた…辛かったな…」

「……」

「気付いてやれず、私は妃奈の一番怖がる事を言って脅してしまったんだな…本当に済まなかった」

「……」

「妃奈…こっちを向いてくれ」

黒澤は、俯いたままの妃奈の頬に手を添えると、優しく上を向かせて目を合わせた。

「妃奈…私が君を引き取ったのは、君を幸せにしたいからだ……君を苦しめる物や、怖がらせ傷付ける物から…君を守りたいから、引き取ったんだ」

何を言っているんだろう、この男は?

幸せにしたいとか、守りたいとか…それじゃあまるで……。

いや…そんな事はあり得ない…弁護士なんだから、人を上手く丸め込む手練手管(てれんてくだ)なんだろう。

それにしても…大人の男が、アタシなんかに非を()びるなんて…。

「……」

何か言わなければ…という思いは、喉の痛みと発熱の(だる)さに掻き消された。

「少しずつでいい…妃奈の思っている事を話して、私に心を開いてくれると嬉しいが…」

話せない代わりに、黒澤の顔をじっと見上げていると、彼は溜め息混じりに微笑んで、妃奈の額にキスをした。

「辛そうだ…今日は、もう寝なさい。横になるのが怖いなら、こうやって抱いて置いてやるから…」

「…」

「甘えていいんだ、妃奈…何か、して欲しい事はあるか?」

「……寒い」

妃奈の掠れた小さな(つぶや)きに、黒澤は彼女を抱き込んで横になると、ふんわりとした布団を掛けた。

「…私は、君を傷付けない……安心して、お休み」

緊張して身を強張らせた妃奈の背中と頭を、黒澤の大きな手が撫でる。

この手は曲者だ…大きくて、長い指は節榑立(ふしくれだ)っていて…温かくてサラサラしている掌が心地良い。

その手に導かれる様に、妃奈は力を抜いて黒澤の懐に潜り込んだ。

「……十分だ」

胸の中で聞こえる暖かい声に、妃奈の意識は蕩けて行った。

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