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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(1) 黒澤と小塚

暗く濁った雲が垂れ込めた空から、(みぞれ)混じりの雨が降り注ぐ…。

へたり込んだゴミ集積場から見上げた窓に、ぼんやりとしたシルエットと色とりどりの(またた)きが見えた。

そこには、暖かい家庭の温もりがあるのだろう…白い息が溶けていく暗い空を(うつ)ろに見上げ、男はぼんやりとそんな事を考えていた。

「…そういえば…クリスマスだったんだな…」

去年のクリスマスは、六本木のクラブで豪遊(ごうゆう)していたが、今年は…何でこんな事になってしまったのか…。

時折通り掛かる人影が、ゴミに埋もれるズタボロの男と関わり合いになるのを避ける様に、視線を逸らし足早に通り過ぎる。

「…何、アレ?」

「馬鹿、見んなって!絡まれたらどうすんだよ!?」

コソコソと囁き合う言葉に胸糞(むなくそ)が悪くなる。

「…クソッ!!」

数日前、突然の襲撃と巻き上がる炎に着の身着のままで飛び出し、財布や携帯、上着さえも持ち出せなかったのだ。

それからは、ずっと追っ手から逃げる生活…。

寒さと空腹と、躰と心の痛み…ずっと燃えたぎり渦巻いていた怒りが、冷たい雨がジクジクと躰に染み込むと共に内なる物を腐らせそうとし、もうどうにでもなれという気持ちにさせる…。

…俺に残されたのは…自分自身の命と……コレしかない…。

朦朧(もうろう)とする意識の中、固く握り締めていた(こぶし)が雨に打たれて冷たく痺れ、指の力が抜けて行く。

追っ手かもしれないカツカツという靴の音が近付いて来た時も、男は逃げ出す気力もなく、唯呆然(ただぼうぜん)とゴミに背中を預けていた。

目の前に止まった派手なパンプス…視線を辿って見上げると、安物のヘタレたファーの付いたコートを着た女が、ゴミ袋を片手に瞠目(どうもく)している。

派手な化粧にチープなバッグ…出勤前のホステスがゴミを出そうとしたのだろうが、女は明らかに戸惑いの表情を浮かべていた。

ゴミは捨てたいが、如何(いか)にもヤバそうな男に関わり合いたくはない。

だが、怪我をして泥まみれの男の隣に、ゴミだけを捨てる勇気もない…そんな微妙な表情を浮かべ、女は男を見下ろしていた。

「……行けよ…」

そう男が(つぶや)くと、女はソロソロと男の横にゴミ袋を置き、チラチラと此方(こちら)を窺いながらそのまま立ち去ろうとした。

その時、軽やかな音と共に、女の後を追い掛けて来るパシャパシャという足音が近付いて来て…。

「―――」



「……長、所長?」

微睡(まどろ)みから現実に引き戻され、瞼を閉じたまま足を組み換える。

「お目覚めですか?もうじき到着致します」

「…あぁ」

ゆっくりと(まぶた)を開くと、運転席からバッグミラー越しに後部座席を窺う瞳と目が合った。

「…何だ?」

「お疲れですか?」

「別に…クライアントの所に出向く等、いつもの事だろう?」

「事務所の引越しもありましたし…それに伴って、御自宅の方も…」

「それにしたって、同じ事だ。私が荷物を運んだり、片付けた訳じゃない」

「…はぁ」

「まだ、聞きたい事があるんだろう?」

「……」

「聞け…答えてやる」

クッと笑う男に怪訝(けげん)な表情を浮かべ、ミラー越しに秘書の小塚(こづか)が静かな声で尋ねた。

「何故、あの場所に移転されたのですか?」

「…皆、何か言っているのか?」

「いぇ、そういう訳ではありません。唯…今回に限って、何故あの場所に執着(しゅうちゃく)なさったのか…」

「前の事務所の方が、便利だったのに?」

「…それもありますが…セキュリティ的な面に置いても…」

新宿駅に程近いビルにあった事務所を、わざわざ北新宿の一軒家に移したのだ。

小塚の疑問は最もだが、()えて横柄に答える。

手狭(てぜま)になったからな」

「…」

「…不満か?」

「いいえ」

「別に部屋を借りていた調査部と派遣部も、新しい事務所に移した。新たに警備員を雇い、24時間態勢で警備する様にもしている。何なら、厨房にも料理人を雇い入れるか?」

元はクラシカルなフレンチ・レストランだった建物を、事務所として改装しセキュリティも万全に強化した。

都心部には珍しくゆったりとした敷地で、(つた)で覆われた高い煉瓦(れんが)の壁に囲まれた広い芝生の庭では、以前はガーデンパーティー等も行われていたらしい。

裏手にある土手に(しつら)えた生垣(いけがき)の奥には、元のオーナーシェフが住んでいた2階建ての自宅に、蔵や畑迄あった。

開かれた鉄の門扉を潜り抜け、エントランスの前に静かに車が停まると、運転席の小塚が車を降り後部座席のドアを開ける。

「あれは?」

表の門扉に(たむろ)う作業員に目をやると、小塚がドアを閉めながらチラリと見上げて答える。

「新しい看板の取り付けです。内装、引越し共に全て終了致しましたので、明日からは通常業務が再開致します」

余所者(よそもの)が退散したら…わかってるな?」

「承知致しております」

隈無(くまな)く調べさせろ…手落ちは、許さない」

「畏まりました」

頭を下げる小塚を残し、男は警備員の開けたドアに向かった。



PHOENIX(フェニックス) LAWYERS(ローヤーズ) OFFICE(オフィス)

金色に輝く飾り文字の看板が、鉄の門扉の上のアーチに取り付けられるのを、小塚は眩しそうに見上げていた。

(いか)めしい門柱と建物のエントランスの扉の横には、真新しい真鍮(しんちゅう)のプレートが埋め込まれている。

『フェニックス弁護士事務所』

この数年でメキメキと業績(ぎょうせき)を上げ、新宿で押しも押されもしない地位に迄上り詰めた弁護士事務所だ。

代議士から企業迄様々なクライアントを持つが、中でも一番大きなクライアントが、東日本最大の広域指定暴力団嶋祢会(しまねかい)の3次団体、北新宿を拠点とする森田組(もりたぐみ)…。

当然傘下(さんか)の組や企業、店舗等の顧問弁護(こもんべんご)も多く()()い…『組弁護士集団』と法曹界(ほうそうかい)から冷やかな扱いを受け、仕事柄危険な目に合う事も度々ある。

先程迄小塚が運転する車の後部座席に座っていたのは、その暴力団の顧問弁護士を務め、事務所のトップに座る男、黒澤鷲(くろさわ しゅう)32歳。

就職難に喘いでいた5年前、数人の酔ったチンピラに絡まれ撃退したのを見ていた黒澤が、突然小塚に声を掛けて来た。

「いい腕だな」

「…どうも」

「表情ひとつ変えずに、相手の動きを封じる急所ばかりを(ねら)う…お前、相当場数(ばかず)踏んでるだろう?」

「…」

「そのポーカーフェイスも気に入った。就活中なんだろう?どうだ、私と一緒に仕事をする気はないか?」

上等なダークスーツを着込んだ自分より背の高い偉丈夫(いじょうぶ)が、ニヤリと大きな犬歯を見せて見下ろした。

ヤクザの勧誘(かんゆう)だろうか…自分とそう年も変わらない、ズボンのポケットに手を突っ込んだままの横柄な態度のその男を見上げ、小塚は気のない素振りで答えた。

「…お断りします。どうせ、危ない仕事でしょう?」

「まぁな。だが、合法的な仕事だ。それに稼ぎも良い」

「…名刺を頂けますか?」

「残念だが、まだない」

「まだ?」

「今から立ち上げるんだ…お前、これから時間あるか?」

就活帰りのスーツ姿の自分を見下ろす眼差しが、拒否する事を許さない輝きを放つ。

「…付いて来い」

有無(うむ)を言わせぬ圧倒的な存在感を放つ男に付いて行った先は、北新宿の一等地に建つ雑居ビルの事務所だった。

『森田組』と書かれた金看板(きんかんばん)の受付を無視して事務所の中に入って来た自分達を迎えた面々の顔を見て、小塚は肝が冷たくなった。

黒いスーツを着込んだ如何(いか)にもヤバそうな強面(こわもて)達が、あからさまな敵意浮かべた視線を自分達に向ける。

「…何か御用(ごよう)で?」

「組長は居るか?」

横柄(おうへい)な態度で告げる男に、数人のヤクザが目の前に立ち(ふさ)がった。

そんな剣呑(けんのん)とした空気を物ともせず、男は内ポケットから煙草を出し悠々と火を点けたのだ。

「…そう、いきり立つな…組長に『ハヤブサの息子』が来たと伝えろ」

ヤクザ相手に堂々と渡り合う男は、どう見ても30前だろうに…煙草のフィルターを噛んで紫煙を吐きニヤリと笑うその眼は、猛禽類(もうきんるい)を思わせる鋭さで…周囲の本職のヤクザを(すく)ませた。

「…しばらくお待ち下さい」

事務机の電話で問合せていたヤクザが1人、電話を切ると奥の机に座る黒服の男に報告に行く。

このまま目の前の男に付いて行って良いものか…?

だが、男と別れて勝手な行動を取れば、直ぐに蜂の巣にされるに違いない。

小塚は昔から目付きが鋭く、表情も乏しい為に『アイスマン』と呼ばれていた。

そのせいで絡まれる事も多く、自然喧嘩も強くなったが…素手で大勢のヤクザに喧嘩を売る等、自殺行為も(はなは)だしい。

目の前に立つ男は…そういえば、互いに名前も名乗ってないが…スーツ越しにもわかる見事な体躯(たいく)、スッキリと伸びた背中には、無駄な緊張は微塵(みじん)も感じられない。

多分、いや確実に自分より強いのだ。

やはりここはこの男に付き従い、この場を遣り過ごす方が得策(とくさく)か…そう逡巡(しゅんじゅん)していると、奥の机に居た黒服の男が目の前に来て会釈をした。

「お待たせ致しました。組長が、お会いになるそうです。どうぞ、こちらへ…」

まるで重役秘書の様な対応に、『組長』という言葉はそぐわない…そう思いながら、目の前に立つ偉丈夫(いじょうぶ)と共に廊下の奥へと案内された。

重厚な扉を開けた奥には、ゆったりとしたソファーセットと大きなプレジデントデスク。

その向こう側に立っていた人物が振り返り、少し眉を上げ…穏やかな笑みを浮かべ自分達を迎えた。

「…久し振りだな」

「ご無沙汰致しております」

男は、先程迄とは打って代わり、礼儀正しく頭を下げた。

「…彼は?」

「私の秘書です」

勝手に秘書だと紹介され、小塚は仕方なく腰を折り頭を下げる。

「…小塚と申します」

「森田だ。君も座りたまえ」

「……失礼致します」

そう言って椅子を勧める大企業の社長の様な容貌の森田組長が、ソファーに座るのを待って席に着き、小塚は黙って2人の話を聞いた。

「元気そうだな?」

「えぇ、お陰様で…」

「あれから1年、どうしていたんだ?」

「……葬儀一切を取り仕切って頂いた様で、感謝致します」

質問とは全く違う回答に、小塚はチラリと横目で隣の男を窺った。

「当たり前だ…お前達親子には、それだけの犠牲を()いた」

「2人共、覚悟はしていた筈です」

「何にしても、お前が無事で良かった」

「…本当に、そうお思いですか?」

「…」

「無事でいて欲しいと願ったのは、鷹也(たかや)の方でしょう?」

「…そんな事はない」

眉間に皺を刻んだ森田組長にしばらく視線を投げていた男は、咳払いをして居住(いず)まいを正した。

「堂本組長も、色々大変だった様ですね?」

「…一応の解決は着いた」

「本当ですか?」

「……何が言いたいんだ、黒澤?お前、まさか…」

「森田さん……鷹也(たかや)は…最後迄、穂は摘ままなかったんですよ」

「…黒澤」

「鷹也の…兄の遺志(いし)は、私が引き継ぎます」

テーブルを挟んで対峙(たいじ)する男達の眼差しに、火花が散った。

「事務所を立ち上げようと思います。融資(ゆうし)をお願い出来ますか?」

「わかった…幾らでも出そう。ウチからも数人派遣する」

「ありがとうございます…まぁ、運転手兼弾除(たまよ)けに1人お貸し下さい。小塚は、来春からしか使えませんので…」

突然話を振られ、小塚はどぎまぎとして頭を下げた。

寺嶋(てらしま)には?」

「先程、お会いして来ました。寺嶋組長が、森田組長の元に行く様にと言って下さったんです」

「…兄同様に、ウチの顧問弁護士(こもんべんごし)になるんだな?」

「まだまだ若輩者(じゃくはいもの)ですが…末席(まっせき)に加えさせて頂きます」

「……本当に、兄の遺志を継ぐんだな?」

「えぇ…その為に戻って来たんです。何年掛かっても、洗い(ざら)い調べ上げて…」

「わかった。事務所は?どこに開く?」

「新宿に物件を探そうと思います。取り()えず弁護士がもう1名、調査員と事務員が各々(おのおの)1名、そちらから派遣される運転手が1名、春から小塚が合流し…来春を目処(めど)に立ち上げる予定です」

「名前は?もう決めたのか?」

「えぇ」

「『黒澤弁護士事務所』?」

「いえ…『フェニックス弁護士事務所』にしようと思います」

「成る程…新宿の(はやぶさ)が成長して(たか)になり、更に(わし)になったと思ったら…いきなり不死鳥か」

「何度でも蘇りますよ…目的を果す迄は…」

無事に森田組の事務所を出た所で、小塚は大きく溜め息を吐いた。

「…勘弁して下さいよ…いきなり暴力団事務所なんて…」

「しっかり対応してたじゃないか?」

「寿命が何年縮まったと思ってるんです!?」

「いい面接が出来たと思ってるんだがな?」

そうニヤリと笑われ、とんでもない奴に捕まったと思った。

「弁護士なんですか?」

「そうだ」

「弁護士秘書の仕事なんですね?」

「ボディーガードも含めるがな」

「アンタ、俺より強いでしょう?」

「何故?」

「…わかりますよ、それ位…」

溜め息混じりに降参(こうさん)すると、スッと目の前に手を差し出された。

「改めて、弁護士の黒澤鷲(くろさわ しゅう)だ」

「…小塚卓(こづか すぐる)です」

その手を取った時、小塚の運命は決まってしまったのだ。


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