すれ違い
「あれ? あの人もしかして……」
人混みであふれた街中を友達のシュウと共に歩いていると僕はふとそんな思いに駆られた。
「え? なに? どの人?」
頭の中で呟いただけだと思ったが、どうやら僕は口に出していたらしい。
好奇心旺盛の表情を帽子の下から覗かせながらシュウは微笑んでいる。
僕が何と答えるのかを待っているようだ。
シュウは顔をのぞかせたまま悪戯っぽく微笑み続けている。
人混みとはいえ、街中で男同士がわざわざ立ち止まり見つめあってる状況がこれ以上続くのもいかがなものか。
僕は仕方なく事情を説明した。
僕らの立っている向かいの横断歩道にいる女性が昔の知り合いかもしれないということを
話すと、シュウは「なるほど」などと軽い調子で返事をする。
「……もしかして初恋の子?」
シュウはニヤニヤしながら訊ねてきた。
「……」
当たらずといえども遠からずだ。
シュウには知り合いとは言ったものの、彼女とは正直ほとんど話したことはなかった。
今から4年前、僕たちがまだ高校生の頃一度だけ同じクラスになった。
そしてたまたま僕と彼女は文化祭の実行委員になった。だだそれだけだ。
こんな風に言うとそこから何か始まりそうなものだが、実際はなんのドラマもなかったのだからそれだけだと言う言葉がぴったりだ。
好きな人となら話すチャンスだが当時の僕は彼女に対して何の気持ちもなかった。
ただ何回か顔を合わせていくうちに彼女に一つだけ伝えたいことが出来た。
「じゃあ○○くん、また明日ね」
それは委員会が終わり、帰りの身支度をしている教室でのこと。
そのとき何故言ってしまったのか。
教室に差し込む夕陽が綺麗だったからだとか、明日がいよいよ文化祭だから少し気持ちが高揚していたとかいろんな理由が考えられるけど、当時の僕が何を考えていたのかだなんて今の僕は知る由もない。
「〇〇さんは長い黒髪がとても綺麗で似合うね」
「えっ……」
一瞬、その場の空気が固まる。
やってしまったと思った。委員会でしか話さない男子にいきなりそう言われて気持ち悪がられたらどうする? ああ、明日から僕はクラスの女子から変な目で見られることだろう。なんて馬鹿な自分ーー。
弁解しようと口を開こうとした瞬間、先に彼女が口を開いた。
「ありがとう」
そのとき彼女の頬が少しだけ赤くなってる気がしたが、それは夕陽のせいだったのかもしれない。
委員会以外で彼女と言葉を交わしたのはそれだけだった。
思春期真っ只中の僕にとってそれは強烈な思い出になったが、彼女はどうだろうか。
きっと会えばお互いに顔くらいは覚えているだろう。
しかし覚えていたからと言って何を話すのだろう。
それともこう言う場合は特に何を話すわけでもなく、久しぶりに会えたということに何か意味があるのだろうか。
そんなことを考えているうちにもうすぐ信号が青へと変わる。
僕はこういったシチュエーションは人生で初めてだったのでやり方がわからないでいた。
そんなことを考えているとシュウが僕に告白しちゃえよと更に訳のわからないことを言ってきた。
今すぐにでもこいつの頭の中に僕の綺麗な思い出をぶち込んでやりたい気持ちになったが、そんなこと出来るはずもないので適当にあしらうことにする。
いよいよ信号が青に変わる。僕とシュウは横断歩道を歩き出した。
もちろん向かいにいる彼女も。
近づいて気がついたが彼女はあの時とは違い髪を束ねていた。
それでも彼女だとすぐにわかったのは何か特別な理由がありそうだけど僕は特に追求しないことにした。
こんなことをシュウに話したらますます馬鹿なことを提案されそうなので、今度は口に出さないことを固く心に誓った。
僕は彼女をギリギリ視界で捉えられるくらいの状態で少し下を見ながら歩く。
シュウも気を使っているのか、笑いは堪えてはいるが特に話しかける様子もない。
そして、いよいよ僕と彼女がすれ違うその時
彼女の歩みが一瞬止まった。
僕はそれに気づき歩みこそ止めなかったが振り返り彼女を完全に視界の真ん中に捉えた。
その瞬間、彼女は自分の髪の毛を束ねていたシュシュに手をかけ黒髪をたなびかせた。
僕は恥ずかしくなり視線を元の進行方向に戻した。
シュウは彼女の一連の動作を見逃していたらしく横断歩道を渡りきった頃、「何もなかったな」と言って残念がっていた。
僕はそんなシュウに微笑みかけた。
黒髪をたなびかせた彼女と同じように、意味深に。