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「それで、僕はやっぱりセーラー服を着て出向けばいいのかな?」
まだ日が落ちる少し前、銀華さん、俺、弘美ちゃんの3人は、再び猫猫飯店に集合していた。
ちなみに弘美というのは、銀華さんが聞き出した、女生徒の名前である。
そしてなぜか、机の上にはどこから手に入れてきたのか、弘美ちゃんの通う女子高のセーラー服が、大小2人分畳まれて置かれている。
大のほうは、女の子が着るには随分と大きいサイズだ。そう、例えるなら、俺が身に着けられるほどの大きさなのが気になる……。
しかもかなりスカート丈が短いし、一般の女性用にしては、随分と大きいサイズの下着も置いてある。
なぜ俺が、一般的な女性用下着のサイズを知っているのかといえば、決して下着に興味があるわけではない。がさつな銀華さんが、脱衣所や自室に平気で下着を脱ぎ散らかしていくからだ。
それを拾って洗濯し、干して、畳む。それが俺の仕事でもあるからだ。
「いえ。今回の騒動で、夕方近くには生徒どころか教師ですら残っていませんし、変装しなくても、堂々と入っていっても問題ないと思います」
「そうか……」
銀華さんはどこか残念そうな、それでいてホッとしたような複雑な表情だった。
おそらく、セーラー服を着ることへの抵抗ではなく、そのことによって『露出してしまう部分』への懸念だろう。
未だ弘美ちゃんの前では山高帽も取っていないし、猫又であることも伝えていない。
ここに依頼に来る人間は、皆何がしかの怪異現象に怯えて相談に来るわけだし、そこで再び人でないものを目にすることになれば……。
やはり、銀華さんなりに気を使っているのだろう。
不思議の者の存在は一般的になったとはいえ、まだまだ人々は深層意識の部分から、それを認めることができているわけではない。
そう考えれば、室内で山高帽を被り続けるのも、銀華さんなりに考えてのことなのかもしれない。
まあ、単に趣味なだけの気もするが……。
しかし、銀華さんのセーラー服姿か。少しばかり見てみたかった気もするな。
そんなことを考えていると、ふいに銀華さんが口を開いた。
「なんだ、せっかくヒロ君のセーラー服姿が見られると思ったのに。お洒落に気を使って、スカートも短くしたんだよ。ヒロ君はトランクス派だから、そのままだと見えちゃうからね。ちゃんと女の子用のパンツも用意したのさ!」
その言葉を聞いた弘美ちゃんの瞳が、一瞬ではあるがギラリと光ったのを、俺は見逃さなかった。
「で、でも、やっぱり誰かいるかもしれないし、万が一のために女装していったほうがいいかもしれません!」
「いやいや!さっき、誰も校舎には残っていないって言い切りましたよね!?」
おいおい、何で俺の女装に食いついてるんだよ。まさかその美術部の腐った娘って……。
まあ、本人ならば、その時の状況に詳しいのも納得だ。
「そ、それよりも、早いとこ出発しませんか?」
俺は銀華さんを促した。決して、このままではセーラー服を着させられかねないと危惧したからではない……。
とりあえずこの空間から、外に出たかったのだ。
なぜなら、猫猫飯店の中は、異様な匂いに包まれていたからである。
その原因とは……。
「ふふん。吸血鬼退治といえば、やっぱこれでしょ!」
答えは、銀華さんの異様な格好にあった。
首からは何本もの十字架をぶら下げ、肩にかけたバッグからは、金槌や木の杭が覗いている。
そして極めつけは、体中に巻きつけられた大蒜である。これが先ほどから、鼻が曲がるほどの異臭を放っているのだ。
「さっき大急ぎで、ギョーザも食べてきたからね。完璧だよ!」
「さっさと行きましょうか……」
「で、でも、セーラー服……」
名残惜しそうな弘美ちゃんの背中を押して、俺達は猫猫飯店を後にした。
歩くこと20分ほどだろうか。3人は、すれ違う人たちからの好奇の視線を浴びながら、学校へと辿り着いた。
もっとも、人々の視線を独り占めしていたのは、珍妙な格好をした銀華さん一人だけなのだが……。
「う~ん。ちょっと疲れたね。これが3人じゃなかったら、僕の愛車であっという間だったんだけど……」
「いやいや、銀華さんのスクーターは50ccですよね?日本の法律は2人でもアウトですからね!」
「えっ?そうなの!?」
「よくそれで免許が取れましたね。それに、たとえ大丈夫でも、そんな大蒜まみれの人の後ろになんて乗りたくないですよ!」
「ぐっ……、でもこの前、『成田』っちが僕を後ろに乗っけて、コンビニまで連れて行ってくれたよ!」
「あのオヤジ……」
俺達のやり取りに、弘美ちゃんは声を殺して笑っている。いや、笑われているのは銀華さんだけだと思いたい。
まあ、こんなところで漫才をしていても仕方ない。
しかし、中へ入ろうにも、校舎への入り口はどこも鍵がかかっている。
「う~ん。ここは僕の鍵開けスキルで……」
「いや、銀華さん、そんなこと一度もしたことないですよね?」
「ぐっ……。やってみなきゃわかんないじゃないか!」
「いや、絶対無理ですって」
くだらない言い争いをしていると、弘美ちゃんが口を開いた。
「あの、昼間にこっそり、鍵を開けておいた場所があるんです。普段誰も見回りに行かないような場所ですし、荷物で見えないように隠しておきましたから、大丈夫なはずです」
弘美ちゃんのおかげで、程なくして無事に校舎に入り込むことに成功し、この後の行動を相談していた時だった。
「あ、あの……」
弘美ちゃんがもじもじとしながら、銀華さんを廊下の隅に引っ張って行った。
「ん?どうしたんだい?」
俺から離れた場所で、何やら銀華さんに耳打ちをしている。
「あの……、お、おトイ……に……」
「あ、あ~、そうか。さすがにこの状況では緊張もするだろうしね。わかった。一緒に行こうか」
弘美ちゃんから何か耳打ちされた銀華さんは、俺に向き直ると、
「ヒロ君は、ちょっとここで待っててくれないか」
「ちょっと、どこ行くんですか?2人だけじゃ危ないですよ!」
2人だけで歩き出す銀華さんたちに、俺は慌てて駆け寄ろうとするが、振り向きざまに一喝された。
「ヒロ君!!」
「はっ、はい!?」
「デリカシーという言葉を知っているかな?それ以上こちら側に足を踏み入れるのは、野暮というものだよ。それに、心配しなくともまだ日は落ちていないし、吸血鬼の活動時間はもう少し先さ」
そう言い放つと、廊下を校舎の奥へと向かって歩いていった。
「ふむ、さっきの階にもトイレはあったと思うんだけど、なぜこんなに離れた場所に来るんだい?」
「その……、あそこのお手洗いは最近調子が悪くて、修理中になってるんです」
弘美は、まるで初めから決めていたかのごとく、銀華をの手を引いてまっすぐに階段を昇って行く。
そして、その弘美の瞳が、先ほどまでと違い虚ろで、光彩の無いものへと変化していることに、後ろを歩く銀華は気付かなかった。
「そうか。なら仕方ないか」
「あの、ここです。入ってください」
「ここがトイレ?随分と変わった感じだね?」
「この奥にお手洗いがあるんです」
弘美に促されて扉を開けた銀華は、中へと足を踏み入れた。
「ここは……、倉庫じゃないのかい?」
「いえ、その奥にあるんです」
「ふ~ん?こんなとこにトイレって、学校ってのは変わった作りなんだね。あ、でも確かに、これは芳香剤なのかな?随分と甘い香りがするね。うん、悪くない。うちのトイレにも使いたいくら……いの、い……い……か……おり……」
むせ返るような濃密な匂いのする部屋を、奥へと進んで行った銀華は、最後まで感想を言い終わることなく、眠るように床へと倒れて込んでいった……。