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 ある日を境に、僕の歩みは止まった。


 体力の消費を最大限抑えながら、井戸にもたれかかり空を見上げる。


 夜も昼も景色は変わらないけれど、天気というものは確かにあるようだ。


 今日は綺麗な青空だった。


 一人で見上げる。


 あの暗闇からすれば、この景色はまさに神の領域に達するであろう。


 せめて、僕の隣にもう一人、もう一人でいいんだ。


 誰か居てくれさえすれば、何もいらなかったのに。


 これまで僕は世界を一周して、次は逆向きに一周してみた。


 何度も何度も繰り返し歩いた。


 この唯一壊れていない井戸をスタート地点として、歩き続けた。


 それでも、いくら回っても何もない、壊れた世界が僕の心にヒビを入れる。


 一周し終わった時の失意を思い出すたびに、この綺麗な青空が黒色に塗りつぶされる。


 結局、僕はどこに行っても……孤独なのだろうか。


 空を見つめるこの目を閉じれば、真っ暗闇の世界に行ける。


 それが嫌だった、だからずっと夢を見続けていたいと思ってた。


 夢を見続ければそれは正夢になるかもしれないと思ってたから。


 でも夢を見るには目を閉じなければならない。目を閉じれば暗闇の世界に行かなくてはならない。


 夢を見るにも、何かを捨てなければならないのだ。


 だから僕は何も出来ないまま、ただ空を見ていた。












 次にしたのは、瓦礫の山を掻き分ける作業だ。


 人が生きた証が、そして地下のようなものががあるかもしれない。


 この砂嵐が吹き荒れる世界なら、もしかしたら地下の方が住みやすいのかもしれない。


 そう思った僕は、「果たしてそうかな?」と疑問が浮かぶより先に、行動に移した。


 悩むな、動け。


 時間はたっぷりある。この思考が止まるまで、僕は希望を捨てはしない。


 人を見た、人はいた、まだこの希望、捨てるには惜しい!


 大切なのは、いたという事実だ。


 僕はこの目で見た、人がいるのを見た。


 だから諦めるな、どんなに人がいないと僕の心が叫んでも、いるかもしれないなら諦めるな、僕は会いたいから目を開けたんだ。


 つまり諦めるということは、目を閉じて、あの暗闇に戻ることを指す。


 絶対に諦めない。


 僕は、人と会って、話がしたいだけなんだ。











 手がボロボロになっても、爪が剥がれても、砂嵐が視界を遮っても。


 僕はひたすら掻き分け続けた。不安と衝動が心を貪る。手の痛みなんて感じなかった。


 永遠に明るい世界、時間の感覚も痛みとともに既になくなったけれど、もう長い間手を酷使し続けてることは分かる。


 未だに、地下に続くようなものは見られない。


 諦めることのほうが僕には辛い。こうして探し続ける方が僕は楽だ。


 何もしないが最も辛い。


 でもこの世界の全てを探しきってしまえば、残るものは確かな絶望感だ。そう考えるとゾッとする。


 やらなければ希望は残る。やりきると絶望が生まれる可能性がある。


 ただやることで生まれるのは可能性。絶対じゃない。


 ならそれを信じて、僕は人を探し続けるまでだ。


 本当に、人と触れ合いたいだけなんだ。











 また長い時間が経った。


 それでも僕はまだ何一つとして、生き物に出会っていない。


 地下も何も見当たらない。


 僕の希望が少しづつ刈り取られて行くのが実感できる。


 そんな怯えた心を、僕は記録として纏めることにした。


 日記、のようなものだ。初めは気分転換のためにしていたことだったが、今では日課となり、心を落ち着かせる一つの役割をも持っている。


 そして何より、日記を書くことで僕がここにいたことの証明にもなる。


 何も残さないで消えたくない。僕は感情のままに日記を書く。


 紙とペンはそこらへんを探せばいくらでもあった。それがあるということはやはり人は居たということに違いはない。


 でも今いるかというと、そうではないかもしれない。


 ……ずっとこの思考の繰り返しだ。自分でも分かっている、最早こんな思考に意味なんてないということに。


 パンクしそうな頭のまま、僕は日記の最後の一行に殴るように綴った。


『どうか、どうか人と合わせてください』


 最後のこの一行、何をグダグダと言おうと全てはここに直結する。


 この一行は、私の心だ、脳であり心臓だ。血であり肉だ。私の全てなんだ。


 だから、書くと心が落ち着く。


 私は立ち上がり、作業に戻った。


 瓦礫の山を歩いて進む、何があっても、諦めることだけはしたくなかった。










「……また、ここまで来てしまった」


 長い長い時間をかけて、遂にまた僕が目覚めた場所まで付いてしまった。つまり、地下も無い。ということがこれで分かってしまったようなものだ。


 この世界には、僕しかいないんだ。


 全ての希望を手探りに進み、たどり着いた先は確かな失意。


 絶望。


 拳銃で胸を撃ち抜かれたような衝撃が襲った。血も出てないし外的損傷もないけれど、激しく痛んだ。


 その叩きつけられた真実に僕は膝をついた。


 照りつける太陽が僕の背を焦がす。吹き荒れる砂塵が僕の肌に突き刺さる。今まで大したことないと思っていたこの環境、心の持ちようが変わったからか、とても辛い。


 でも、諦める方が今の僕には辛いのだ。


 諦めなければならない状況に追い詰められて、それなのに諦めることが出来ない。


 取ることのできない人参を目の前にぶら下げられ、延々と走り続けさせられるロバの気持ちを知ってしまった。


 そんな空っぽな心になりかけた僕に、急激な睡魔が押し寄せてきた。


 これまで暗闇を恐れ睡眠を一回も取らなかったことを思い出す。僕の体も限界に近かった。


 でも、頭ではしっかりと理解していた。


 ここで眠ったら、多分僕は永遠に目覚めない。


 もう僕が活動する意味はなくなっているからだ。


 失意が僕の体を押す。僕に眠れとささやきかける。


 僕の足は着実に目覚めた四角い台座の上に向かっていた。


「ダメだ」と心が叫んでも、地面にフックがなかなか引っかからない。カラカラと音を立てて無意味に滑る。


 押されるがままに僕は歩く。抵抗する気はあってもできなかった。


 そんな不安定な足下を、僕は見ていなかった。僕の足の裏に鋭い痛みが走った。


 ぼうっとしていた僕の頭に電流が走るような痛みだった。僕はすぐに落ちてた瓦礫やガラス片を踏んだのだと理解した。裸足で歩いていたことを後悔した。


「いった……」


 一度しゃがみこんで足裏を確かめる、僕の予想通りガラス片がグッサリと刺さって……?


「……え?」


 血が、出ていなかった。


 滲んですらいなかった。


 痛みはあるのにその象徴が流れてこない、目にした矛盾に僕は冷や汗をかいた。


 嫌な予感が、どくんと胸を叩く。


「そうだ、そう言えば掻き分けてる時に一滴も血が流れてなかったな……」


 自分の体は、血が流れていないのか? そういえば搔き分ける時も血は一切出てこなかった。涙を流したこともない。血も涙もないとはこういう事なのか……? いや血も涙もないのはこの世界だろうが。


 ゴクリと唾を飲み、刺さったガラス片を抜いてみる。


「痛っ!」


 やはり、痛みはちゃんとある。しかし血は流れなかった。


 人の定義なんて知る由もないけれど、血の流れていない人間など、人と呼べるのだろうか。


 いや、そんなことはもはや関係がない、だってこの世界には生き物はもう居ないのだから。


 そして本人である僕は眠りにつき、砂塵にやられるか、干からびるかのどちらかで死ぬのだから。


 後悔はあるけれど、もはや生きてる意味もない。


 これが人の言う自殺なのだろうか。


 生きる意味を見失い、希望を持つことも叶わず、願い儚く燃え尽きた。生きるのが辛くなって、人生を捨てる。


 まさに自殺である。僕は、自分の運命に負けたのだ。









「……ちくしょう」








 悔しかった。


 結局、僕は何も残せないまま、自分で人生という舞台の幕を下ろす事になった。カーテンコールを期待する声なんて無い。讃える価値のない劇場に、意味なんてものも、無いんだ。


 歯軋り、そしてぽたりと、僕の体から一粒の雫が地に落ちた。


 汗か、初めはそう思った。


 だが違うと言うこともすぐに分かった、特定の位置からとめどなくその雫は溢れ出してきたからだ。


 ……これが、涙と言うもの、か。


 悔しくて悔しくて、何も出来なくて、させてくれなくて。理不尽と不幸の渦に飲み込まれた僕の心は、ついに涙を流すまでに至った。


 涙で目が潤っていく。強く握りしめた拳が僕の眠気を妨げる。


 これは、無意識だ。本能が眠ってはいけないと言っているんだ。


 ならばそれに従うのが、生き物の定め。


 涙を拭って、目を見開く。大丈夫、まだ、頑張れる。


 自らを鼓舞し、前を向いた。吹き荒れていた砂塵の痛みはどこかに消えた。


 希望なんてない、目的もない。それでも僕は諦めることだけはしたくなかった。それだけでいい。今の僕にはそれだけで十分だ。


「もう少し……頑張ってみよう」


 僕には何もなく、なかった。だからたった一つでいいんだ、何かを成し遂げたいと強く思った。


 新たな一歩を踏み出した。


「いたぁっ!?」


 ……足を怪我していることを、忘れていました。


 堂々と一歩強く踏み出しすぎたせいで、無意識からの強烈な痛みが襲った。僕は再び踞うずくまる。


 どうも、上手くカッコがつかない自分に少しおかしさを感じた。口元が、少し歪んだ。


 笑えてる。僕はまだ笑えるし転べるし、立ち上がれる。


 何もかもまだ早い。諦めるのもまたまだ早い。


 気持ちを切り替えて、いざ立ち上がろうとした時、僕の視線にふと異質なものが入ってきた。


 まるでそれはパンドラの箱のような、開けてはいけないと釘をさされている玉手箱のような禁忌のイメージ。


「……穴?」


 灯台下暗し、とはこのことを言うのだろうか。


 僕が目覚めたこの台の下を、そういえば一度たりとも見たことはなかった。


 確認しなかったのは確かに僕のミスだが、こんなもの見えなくて当然だ。何故なら僕がこの穴を発見できた訳は転んで、かがんで、支えていた手で押していたから。


 そしてそのまま、ズズ、と音を立ててその台は動いた。動いたのはほんの少しだけ、でも穴気がつくにはそれだけで十分だった。


 玉手箱も、パンドラの箱も、どちらも開けてはならないと言われていたものだが、そのどちらも開けなくては世界が進まない。


 僕も同じだ、希望を持ち続ける以上、この穴を見つけなくても僕は何度も立ち上がり続け、何度も挫けて、それでも前に進み続けていただろう。


 前に進む為に、僕と言う物語を進める為に、神様はこうして「穴」を僕に見つけさせてくれた。


 開けなくては、世界は前に進まない。


 たとえその中身が、僕に災いを与えるものだとしても。最後に残るのは、希望なのだ。


 台を力いっぱい押す。穴の大きさがなんとなくわかるところまで来た。


 人一人が入れるような地下へと続くハシゴがつけられていた。


 逸る高揚を抑えて、僕はゆっくりとその穴の中に入った。



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