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第一幕 第六場 オリンピックホテル レストラン

 午後七時。

 店内中央に四人掛けのテーブル席を三つ並べ、即席のパーティ会場が出来上がっていた。テーブルの上には料理が並べられていたのだが、まず目を引いたのがこの日のメインとなるこんがりと焼けたラムチョップだ。その周りに前菜やスープやワインも置かれている。前菜は瑞々しいモッツァレラチーズとスモークチーズの二種盛り、生サーモンとスモークサーモンの二種盛り、ユリ根とコーンのウォームサラダ、トマトベースの骨付きラムシチューと、その他にもナマコ酢や自家製のイカの塩辛など、酒のさかなも一緒に並んであった。本来はコース料理として出される予定だったが、遠藤の提案でホテルにいる全員で一緒に食事をすることになり、牛久の強引な誘いに犬飼夫妻も抵抗できず、客と従業員が一緒のテーブルで食事をすることになったわけだ。

 厨房に近い席に客室係の猪俣が座り、その隣に健太、洋子、勇作の犬飼ファミリーが並んだ。犬飼の隣に遠藤が座り、その正面に牛久がいて、その隣から優子、馬渡、遥が並んで一周することになる。食事会は犬飼の乾杯の挨拶から始まり、ほろ酔いの牛久が乾杯の音頭を横取りして、グラスが鳴る音が響いた。他の者が食事に夢中になったこともあり、会話の主導権は牛久が握っていた。

「しかしもったいないな。これだけの料理を出せるのに閉館しちゃうなんて。料理だけでも、もう一度来たいって思いますよ」

 犬飼が嬉しそうに礼を述べる。

「ありがとうございます。ただ、六月から十一月くらいに来てもらえたら、もっと旬の食材を堪能できたんですけどね。これは北海道に限りませんが、旅行をする時は特産品の旬の時期を調べてから来てほしいと思ってしまうんです。観光業に従事するホテルマンの性ってヤツでしょうかね。最高の時期を知らずに評価するのはもったいないと思ってしまうんですよ。観光客には、せっかくならトウキビが一番甘い時に食べてほしいと思うじゃないですか? そういうのがたくさんあるんですよね」

 牛久は思い付きを口にする。

「だったら冬場だけホテルを休館して、夏場だけ営業することはできなかったんですか? そういうのも珍しくないでしょう?」

 犬飼が事情を説明する。

「そうですね。せめて近くに国道が走っていれば良かったんですが、テーマパークが不振で当初の計画がとん挫してしまったんです。それが痛かった。父もそれを見越してホテルを建てましたから」

「そうか」

 と牛久は心中を察するも、それでも明るく話す。

「でも大丈夫ですよ。これだけのサービスと料理の腕があれば、どこでだってやっていけます。国賓を招くなんて、そうそうできる経験じゃないし、実績だって充分だ」

「はい」

 と犬飼は笑顔で答えるが、すぐに訂正する。

「ただ正確に言うと国賓ではなく、ミズーリ州の知事なので要人ですね。テーマパークが縁で訪日されたんですけど、それでも文部大臣も一緒に宿泊されたので警備が大変でした。ホテルの中と外にSPがいて、それに対して父も最新の防犯設備で迎えました。とにかく町中が大騒ぎでしたね。振り返ると大袈裟だったと思いますけど、それも含めていい思い出です」

「あの」

 それまで黙っていた遥が犬飼に訊ねる。

「フロントにいなくていいんですか? フロントに人がいないとお客さんが来たときに困ると思うんですけど?」

「もう来ないだろう」

 牛久が犬飼の代わりに答えた。

「こんな大雪だと、地元の人でも遭難しちゃうんじゃないの?」

「あなたに訊いていません」

 遥が一喝した。

 犬飼が気遣う。

「いやぁ、牛久さんのおっしゃる通りで、もうタクシーも走っていないと思うので、この時間に来られるお客様はいないでしょうね。来るつもりなら早めに着くか、諦めるかのどちらかだと思います」

 遥が怖い顔をする。

「もう来ないって言いたいんですか?」

 犬飼が畏まる。

「いえ、事情は知りませんが、状況ははっきりしているので、そのように申し上げただけです」

「なに? 待ち合わせでもしてるの?」

 牛久が遥に尋ねた。

「あなたに関係ないことです」

 遥は牛久の方を見向きもしないで答えた。

 遠藤が遠慮がちに口を開く。

「あの、僕にも関係ないことだと思いますが、待ち合わせの相手が来ないとなると心配でしょう? 連絡が取れないということですよね? それなら心配にならない方がおかしい」

 遠藤の言葉に遥が泣きそうなる。

 遠藤が尋ねる。

「電話やメールはあったんですか?」

 遥が首を振る。

「いえ。その、彼は電話番号を変えたばかりで、こちらから連絡が取れないんです。というより出会ってからずっとそうなんですよ。連絡はいつも彼の方からで、私は電話が掛かってくるのを待つしかないんです。忙しい人なので、それも仕方ないんですけど、いい加減疲れますよね。待ちくたびれるっていう言葉があるじゃないですか? それって本当のことを表した言葉なんだって思いました」

 牛久が首を突き出す。

「おいおい、その男って他に女がいるんじゃないだろうな? 君の話を聞いてると、それ以外に考えられないんだけどな」

 そこで洋子が食事を終えた健太に小さな声で話し掛け、急かすようにレストランの外へ連れ出して行った。

 それを見て牛久が謝る。

「すいません。大人の会話には早すぎたかな?」

「いつも八時に寝かせていますので気になさらず続けて下さい」

 犬飼が妻の行動を説明した。

「女ならいましたよ」

 遥が開けっ広げに説明する。

「知り合った時に女がいて、それで私と付き合うようになってから別れたんです。それって普通のことなんじゃないですか? 別に横取りしたってわけじゃなし、彼が心変わりしたっていうことは、私と出会った時にはもう終わってたんですよ」

「まぁ、そうですね」

 と遠藤が一定の理解を示しつつ、持論を述べる。

「男女の恋愛なんて、そんな簡単に空き家同士が出会えるはずがないですからね。年を重ねるほど、そう思うようになった、と言った方がいいのかな?」

「そんなの個人的な恋愛観の違いじゃないんですか?」

 馬渡が食事をしてから初めて口を開いた。

「もちろん、そうだろう」

 と遠藤は同意しつつ、持論を展開する。

「でもね、三十くらいになると、周りの女性が空き家だらけだった十代の頃とは頭を切り替えないとやってられないんだな。不貞は良くないと分かっていても、人間の生命活動には到底抗うことなんてできないんだ。生存本能みたいなもんだからね。ただ、そんなことを口にする僕も胸のトキメキなんて久しく感じていないのが現実だ」

 馬渡が反論ありきで頭を巡らせる。

「それはきっと遠藤さんが作家だからそう考えるんでしょう? それって、いかにも作家って感じの意見じゃないですか。アウトローぶるっていうのかな? 世の中の常識を知った上で、その道から外れた人をやたらと美談にして持ち上げるんだ。自分はマイノリティに優しいっていうアピールでしょ?」

「馬渡君だっけ?」

 遥は自分が言われたかのような反応を見せる。

「自分が正しいってアピールしてるのは、あなたの方じゃないの? でもね、残念だけど遠藤さんを否定しても自分の価値を高めることにはならないんだよ。口だけなら誰だってできるんだから。部屋に閉じこもっていれば、みんなその部屋の王様になれるもんね」

「なんで俺が閉じこもってるってことになってんの?」

 馬渡は意味が分からないといった感じだ。

「だって恋愛経験とかないんでしょ」

 遥は馬渡を切り捨てた。

 それに対して、馬渡は何も答えられない。

 そこで最年長の猪俣が重い口を開く。

「それなら私も同じかもしれない。生涯独身で、子供を授かることもなかった。経験がないと言えば、そういうことになりますね。貴女の方が私よりうんと経験なさっているでしょう。それで貴女に優越感を抱かせることができるなら、私の存在も捨てたもんじゃない、ということでしょうな」

 気まずく感じたのか、猪俣の言葉に遥が口を閉ざした。

 牛久がうやうやしく尋ねる。

「失礼ですが、猪俣さんはこれまでに片思いが成就することすらなかったんですか? それとも結婚までに至らなかっただけとか、経験がないといっても色々あるじゃないですか?」

 猪俣が微笑む。

「私には墓場まで持っていく話がたくさんありまして、それもその中の一つでございます。貴方が一緒に墓までついて来るというのなら、すべて教えて差し上げましょう」

 その言葉に牛久の顔が引きつるのだった。

「猪俣さんが俺の親父だったらよかったのに」

 呟いたのは馬渡だ。

 その言葉には何も反応しない猪俣だった。

「今日は珍しい日なんですよ」

 犬飼がフォローするつもりで説明する。

「これでも今日の猪俣さんはしゃべってる方なんです。赤ん坊の頃から一緒にいるのに、自分のことを話したのは久し振り、というより記憶にないですからね」

 馬渡が安堵した表情を見せる。

「それはよかった」

 馬渡は得意顔で続ける。

「猪俣さんがいなかったら、また僕一人がみんなから寄ってたかって非難されていた。たとえそれがどんなに正しくても、なぜか僕が話したというだけで否定されちゃうんだ。中身なんて関係ない。少数派とか多数派とかも関係ないんだ。みんな僕が話したという点が気に入らないだけだからね」

 隣に座る優子が穏やかに説明する。

「それはね、馬渡君だけが感じることじゃないのよ。程度の差や、感じている時間に違いはあっても、疎外感や孤独、周囲から非難を受けているような圧迫感は誰しもが経験することだと思うの。だからそれ自体は特別な体験というわけじゃない。でもね、そういった感情を抱いた時に、どう行動するかで個性が表れると思うの。周囲に八つ当たりして攻撃的になる人もいれば、落ち込んで塞ぎ込む人もいる。周りがバカだと思えるほど賢ければいいけど、罪の意識まで感じてしまうと自分まで恨めしく思ってしまう人だっているんだから。どちらが楽かなんて分からないけど、正しいことに反論したからといって、その人が自分を正しいと考えているかは分からないのよ」

 遠藤が何度も頷く。

「そうですね。つくづく他人にアドバイスするもんじゃないって痛感するのは、その、言ってることと、自分の内面に齟齬そごが生じていることを認識しているからなんだろうな。例えば命の大切さを訴える時、『どんなことをしてでもしぶとく生き抜けろ』と言っても、『だったら何をしてもいいのか?』という話になる。命の瀬戸際というのは、こういった極論で語るしかできないので、それが顕著なんですよね。だからこそ『緊急避難』のような法律があるわけでしょう? 生き残るために見殺しにしても罰せられないなんて、理屈は分かっても絶対に正しいとはならないわけですから。ただ、法律が素晴らしいのは、あくまで罰にはならないということであって、正しいかどうかまで踏み込んでいないところですね。余白を残しているというか、これが細かい取り決めまであったら大変ですよ。例えば少しでも助けられる可能性があり、それを放棄すれば罰になるって法律を作ってしまうと、今度はその法律によって本来なら生き残る命まで殺してしまうことになりかねませんからね」

「泳げないなら飛び込むなっていうヤツだね」

 牛久が話を引き継ぐ。

「前にあったよな。泳げない人が溺れてる人を助けに行って、その人まで溺れちゃって、その二人を助けるために泳げる人まで死んじゃったんだ。溺れたのが一人だったら誰も死なずに済んだんじゃないかって話だけど、後からはなんとでも言えるから、思わず飛び込んでしまった人まで責める気にはなれないんだよな」

「じっとしているのがつらい人もいるんでしょう」

 優子が一言だけ付け加えた。

「で、みなさんは何が言いたいんですか? どんどん話がれていくじゃないですか」

 指摘したのは馬渡だ。

「それはすまない」

 遠藤が謝る。

「これは僕がいけなかった。会話に例え話を入れるのが僕の癖なんだ。それで話が脱線していく」

「遠藤さんは作家に向いてないんじゃないですか?」

 馬渡が思ったことを口にした。

「え?」

 遥が大袈裟に驚く。

「話が脱線することと、作家に向いていないって関係あるの? それこそズレてると思うけど。私は好きだな、雑談の多いミステリーとか」

 犬飼が同意する。

「そうそう。そもそもミステリーって、そういうものですよね? 盛大に脱線させて、事件とは関係ないように見せ掛けておいて、実は最後に全部つながっていたって読者に思わせるわけでしょう? だとしたら遠藤さんの癖はミステリー作家の性分って言えるんじゃないですか?」

 遠藤が慌てて否定する。

「いやいや。僕はそんな壮大な企みを描き切ったことはないです。伏線は張りっ放しで、満足に回収できた試しがない。広げた風呂敷も満足に畳めない三流の作家ですよ。そんなことができたら覆面作家なんてしてません。それにしても宇佐美さんと犬飼さんまでミステリーが好きなんですね。これは今夜の趣向にピッタリだ」

「なんですか? その趣向って?」

 遥が興味津々といった感じで尋ねた。

 牛久が代わりに説明する。

「それは馬渡君が言ったんですよ。『今日はミステリーにうってつけの夜』だってね。それで遠藤さんがそれに相応しい遊びを考えてくれたそうですよ」

「楽しみですね」

 そう言って、犬飼はホテルの営業を忘れているかのような笑顔を見せた。

 遠藤が座り直して居ずまいを正す。

「もったいぶるのはやめておきましょう。あまり期待値が高くなるといけませんからね。ガッカリさせないために早速説明しますね。それはみなさんに『犯罪の告白』をしてもらいたいんです。もちろん私も含めてこの場にいる全員です」

 牛久が笑いながら反対する。

「いやいや、流石にそれはないんじゃないか? そんなことを提案されて、『はい、そうですか』と話す人はいないよ」

「ちょっと待ってください」

 遠藤が牛久を制するように説明する。

「『犯罪の告白』といっても別に真実を語る必要はないんです。もちろん正直に語ってもらっても構いませんよ。要は、僕がいつもやっている仕事、そう、ミステリー小説を作ってほしいんです。僕は日常的に作品の中で人を殺していますが、もちろん実際に起こった話ではありません。そんなこと誰でも知っていますよね? つまりそれと同じことをしてほしいんです。即興で語らなければいけないので小説を書くより難しいかもしれません。演劇ではインプロと呼ばれる即興劇で、かなり高度な技術を必要とするので上手くいかないかもしれない。でも演劇ではエチュードと呼ぶアドリブ練習があって、それを子供の教育に利用することもあるので、大人ができないはずはないんです。やってみるだけの価値はあると思いますよ。よく言うでしょう? 『人は人生において誰しも一本の小説は書ける』ってね」

「そりゃ難題だな」

 牛久が頭をかいた。

「話を聞いてるだけじゃダメなんですか?」

 優子が不安げに尋ねた。

「もちろんダメです」

 遠藤がきっぱりと言い切る。

「いくら嘘をついてもいいって言っても、仮にも『犯罪の告白』と銘打めいうってるわけですから、それができない人は、その場にいる資格はありません。それに嘘といっても、まるっきり無い話はできないでしょう? 家族の犯罪だったり、知人友人の犯罪だったりするかもしれません。過去に自分が犯した未遂事件なら尚更だ。聞き逃げだけはさせませんよ。これは全員で共有することに意味があるんですから」

「おもしろいじゃない」

 遥が笑みを浮かべた。

「僕は妻と相談してみないと」

 犬飼の顔つきは不安げだ。

「言った手前、俺たちは断れないだろうな」

 牛久の言葉に洋子が頷く。

「そりゃそうでしょう」

 馬渡も同意した。

 すると突然、猪俣が立ち上がる。

 辺りに椅子が倒れる音が響き渡った。

 全員が猪俣を注視する中、当の猪俣は大雪が降り続く窓の外に目をらしている。

 それに気が付いたのは遠藤だった。

「何か、いる」

 全員が遠藤の言葉にハッとして、身体をビクッとさせた。

 洋子が振り返って、窓の外を見て悲鳴を上げた。

「大きいぞ」

 牛久が身構えた。

「熊か?」

 牛久が誰にともなく訊ねた。

「いや」

 と、それに答えたのは猪俣だった。

 窓の外に現れたのは熊のような大男だった。



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