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第一幕 第四場 オリンピックホテル レストラン

 午後五時。

 レストラン内にはテーブル席だけで四十席ほどあったが、牛久と優子と馬渡と遠藤の四人は窓際のテーブル席で固まって談笑していた。気さくな牛久が馬渡に声を掛け、それから入店したばかりの遠藤にまで声を掛けたのだった。

「遠藤さんの書いている本っていうのが気になるな」

 牛久は出会ったばかりの劇作家に興味津々といった感じだ。

「それは初対面だろうと、身内だろうと、お教えすることはできません」

 遠藤は断固拒否した。

 優子が懇願こんがんする。

「せめて、どういう作品を書いているのかだけでも教えて下さらない? ほら、ジャンルだけでも」

 遠藤が弱り顔で頭をかく。

「そうですね。それじゃあ『ミステリー』とだけ言っておきましょうか」

 牛久は決めつけるように言う。

「ああ、なるほど。テレビの二時間サスペンスだ。ああいうのをバカにする人がいるから言いたくなかったわけですね」

 優子が大袈裟に嘆く。

「それなら心配いらないのに。私たち大好きなんですよ。二人でよく刑事ものとか、探偵ものとか見ますからね」

 牛久が昔を懐かしむ。

「終わっちゃったけど『古畑任三郎』は大好きだったな」

「この人、録画したものを何度も観るんですよ」

 優子が可愛らしく微笑んだ。

「だったら『コロンボ』もお好きでしょう?」

 遠藤が当然と言わんばかりに訊ねた。

 牛久が否定する。

「いや。何度か観たけど、ほとんど憶えてないな。あっ、ワインのオーナーの話だけは妙に憶えているけど」

「『別れのワイン』ですね」

 遠藤が深くうなずく。

「あれは誰もが認める傑作中の傑作ですよ。犯人に品があり、犯罪に美学があり、滅びのカタルシスまで完璧だ。牛久さんのように記憶が曖昧な方にも印象が残るくらいなんだから、心に残る一本って言って間違いないでしょうね」

 優子が同意する。

「私も憶えています。それとコロンボとシスターのやりとりが面白い作品があったでしょ? コロンボが浮浪者扱いされるやつ」

 遠藤が両手を打ち鳴らす。

「『逆転の構図』だ。犯人の名前はポール・ガレスコ」

「よく憶えてますね」

 優子が感心しきりだ。

「あれも素晴らしい作品です」

 遠藤が得意気に語る。

「シリーズの中でも最高に笑える一本ですよ。『逆転の構図』ほど『刑事コロンボ』のすべてを体現した作品はないんじゃないですかね。シスターとのやりとりはもちろん、教習所の教官の芝居も最高なんだな。それとシリーズの中でも邦題の付け方が、これしかないといった感じで痛快な気分にさせてくれます。おとぼけでヨレヨレの刑事が頭脳犯を追い込むという構図が、まさに逆さまの絵になっているわけですから、これほど『コロンボ』のエッセンスが詰まった作品はないといえるわけです」

 牛久が感嘆する。

「すごいですね。何度も繰り返し観ている『古畑』でも、遠藤さんほど語れるか自信が持てないな。まぁ、語るために観ているわけじゃないんですけどね」

 遠藤が賛同する。

「それでいいんですよ。テレビドラマは楽しんだもの勝ちじゃないですか。僕も『古畑任三郎』は好きですよ。『コロンボ』しか受けつけないというわけじゃないんです。わざわざ比べて一方を叩くなんて、そんなのは人生をつまらなくするだけですからね。『古畑』は田村正和のような上品な役者にコロンボ役をやらせた時点で大成功じゃないですかね。それによって犯人とのやりとりがお洒落というか、軽妙洒脱けいみょうしゃだつになりましたからね。見ていて心地がいいです。ただ残念なのは犯人役の役者に、違う役で再登板させなかったことです。『コロンボ』ならジャック・キャシディなど何度も犯人役を演じています。特に『祝砲の挽歌』で士官学校の校長役を演じたパトリック・マクグーハンはシリーズ最高の演技賞でしたね。三度も犯人役を演じていますが、どれも個性的で同一人物が演じているとは思えないくらい芝居を変えています。最優秀主演賞はもちろんピーター・フォークですが、最優秀助演男優賞は彼で決まりでしょう」

「だったら、最優秀助演女優賞は誰になるの?」

 優子が尋ねた。

「迷いますね。僕もすべての作品を見ているわけじゃないからな」

 そう言って、遠藤は長考に入った。

 牛久が思い出す。

「おばあちゃんが犯人だったやつは憶えているな」

「それですよ」

 遠藤が手を叩き、続ける。

「アビゲイル・ミッチェルを演じたルース・ゴードンだ。『死者のメッセージ』ですね。やっぱり記憶に残るっていうのが正直な感想なんだ。作品としてはシリーズ二作目の『死者の身代金』の方が好きだけど、このミステリー専門の女流作家って役どころが素晴らしいんですよ。作中にコロンボが演説するシーンがありますが、あれは全てのミステリー・ファンに捧げたい言葉ですね。シリーズ一の名ゼリフかもしれません」

 優子が羨ましげに微笑む。

「本当にミステリーが好きなんですね」

「はぁ。といっても好きだけじゃないんですけどね」

 遠藤は複雑な心境を覗かせた。

「お仕事ですもんね」

 優子は一定の理解を示した感じだ。

 牛久は心配そうに尋ねる。

「我々だけで話しているけど、馬渡君は若いといっても、流石さすがに『コロンボ』自体は知らないってことはないよね?」

「はぁ」

 と馬渡は当惑しつつ、答える。

「名前くらいは聞いたことありますけど、観たことは一度もないです。まぁ、うちはテレビそのものを見せてくれない家庭だったので」

 遠藤が同情する。

「医大生だっけ? 家が厳しいなら仕方ないさ。それでも『コロンボ』くらいは見せてあげてほしいけど」

 馬渡は誤解を解くように説明する。

「でも本は読みますよ。『金田一』とか、『コナン』とか、出版されているものは全部読んでいます」

「へぇ」

 と遠藤が大袈裟に感心する。

「それはすごいな。まだ学生なのにね。古いところから手をつけるっていうのも気に入った」

「いやいや」

 と馬渡はニヤッとする。

「『金田一少年』と『名探偵コナン』ですよ。どちらもマンガです。わざと引っ掛けました」

「ハハハ、ミステリー作家が簡単に騙されちゃったよ」

 牛久の言葉に優子も笑った。

「やれやれ」

 遠藤はお手上げといった感じだ。

 牛久が真顔になる。

「僕も騙されたから気にしなくていいですよ。どちらもマンガだもんな。それなら知らなくてもしょうがないでしょう」

「すいません」

 と馬渡は口では謝ったものの、納得できないといった感じで反論する。

「でもマンガだからってバカにされるのは気分が良くないな。牛久さんって東京ですよね? 一度でいいから北海道で『金田一少年』の『雪夜叉伝説殺人事件』を読んでみてほしいな。できれば暖房もない方がいい。静まり返った夜中に読むと、ページをめくる手が震えるほど怖いんですから。遠藤さんだって、どうせまともに読んだことがないんでしょう? 僕は知りませんよ。これから数年後、いや数十年後、ミステリーを救っているのは、この二つの作品かもしれないんですから」

 牛久があっさり同意する。

「確かに馬渡君の言う通りだ。マンガだからってバカにしちゃいけない。俺は読んでないけど、アニメや映画も評判いいもんな」

 遠藤も素直に認める。

「確かにそうなんですよ。あれだけ経済効果を生み出す作品は滅多にありませんからね。そんな作品を悪く言えば罰が当たってしまいます。ただ、一方で横溝正史やコナン・ドイルが忘れられるんじゃないかという不安があるのも理解してほしいというか、金田一耕助やシャーロック・ホームズという人物そのものを知ってほしいという気持ちもあるじゃないですか? 他にも名探偵はたくさんいますけど、その二人ほど魅力的な人間はいませんからね。特に馬渡君のような若い人には伝えていきたいですよね」

 牛久が申し訳なさそうに意見する。

「遠藤さん、それを頼むのは酷ですよ。三十半ばの僕だって横溝やコナン・ドイルは読んだことないんですから」

「私もです」

 優子も申し訳なさそうに手を上げて、自己申告する。

「でも映画やドラマは観ているんですよ。石坂浩二と古谷一行のやつ。私は石坂浩二の方が好きですけどね。まぁ、映画だからっていうのもあるんでしょうけど」

「映画はね」

 と牛久は納得しつつも、否定する。

「でも俺は古谷一行の方が好きだな。五十歳を過ぎても主演作をヒットさせるっていうのが俳優としてすごいところなんだよ」

「でも、それだって映画があったからでしょう?」

 優子は納得しない。

「まぁ、そうなんだけどね」

 渋々納得する牛久だった。

「まぁ、どちらも渥美清よりは似合っているのは間違いないでしょう」

 遠藤が口喧嘩になりそうな二人の間に入った。

「渥美清って誰ですか?」

 馬渡が訊ねた。

 遠藤が説明する。

「『男はつらいよ』の寅さんだよ」

「ああ、寅さんね」

「うん『八つ墓村』で一度だけ金田一耕助を演じているんだ」

 牛久が馬渡をバカにする。

「寅さんは知ってるんだね」

「それくらいは知ってますよ」

 馬渡は腹を立てたのか、一気にまくし立てる。

「物を知らないみたいに言わないでくださいよ。これだからオジサンは嫌なんだよな。テレビや映画なんて知ってたってたいして役に立たないじゃないですか。小説だってマンガと変わりませんよ。僕は専門書も読みますけど、だからってマンガより偉いだなんて思わないな。好きだから読む、それでいいわけでしょう? それに最後の日なんですよ? せっかくこんな日に、見知らぬ者同士が知り合えたというのに、いつまでもテレビや映画の話をしていてはもったいないと思いませんか? 人里離れた山奥で、ホテルの最後を見届ける老若男女、その中にはミステリー作家もいるんです。しかも大雪に見舞われて山を下りられるかどうかも分からない。今日ほどミステリーにうってつけの夜はないじゃないですか? 違いますか?」

 牛久が大きな声で笑った。

「いいですよ。好きなだけ笑って下さい」

 そう言って、馬渡は降参した。


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