筆者あとがき
現場に居合わせない第三者の目から見て異様に映るオリンピックホテルの事件が、殺人事件として扱われず、迷宮入りすることなく早期に解決できたのは、ホテル内に設置された防犯カメラが三十六時間連続で録画されていたからである。設置場所はフロントと玄関とロビーを映せる所に一台と、レストランの入り口と厨房とフロアを見渡せる所に一台と、二階廊下に階段と客室の出入りが確認できる所に一台と、合計で三台設置されてあった。そのカメラで撮影された映像が百八十分のVHSビデオテープに三倍で録画されていたわけである。集音器付きの防犯カメラであったが、九十年代の製品であったため、ノイズを除去して、『二十年前に交わされた会話』をそのまま一字一句違わずに書き起すのに長い歳月を要したのは無理からぬ事と承知していただきたい。事件から二十年経過した現在も、未解決事件かのように都市伝説として語られているが、この作品の発表をもって、そういった類の噂がなくなり、死者が安らかな眠りを得られることを願うばかりである。
以下、取材をして分かった故人の詳細を記していきたい。まずは一人目の馬渡俊作だが、彼は医大生ではなく、医学部を目指す浪人生であった。実家は病院だが、『犯罪の告白』で語った、父親を殺害したという事実はなく、自殺の動機は過度なストレスによる受験ノイローゼであったと考えられる。いつの時代であっても難関大学に入学するのは厳しいが、ゼロ年代後半に全入時代を迎えて、「受験戦争」という言葉が使われなくなったのは事実である。そういう意味で二十世紀末に受験した馬渡は、最後の戦前派だったとも言えるだろう。その馬渡だが、彼自身が病院から薬物を盗み、それを食事の席で自分の飲み物に入れた姿がビデオテープに記憶されていたことから、自殺である事実は疑いようがないと判断されたわけだ。
次に牛久隆雄と根津優子だが、二人は不倫関係にあり、それぞれの自宅から遺書が発見されており、初めから死に場所を求めて、死後に迷惑にならないよう、廃業となるホテルに泊まりに来たということが、その遺書にしたためられていた。共に服毒死だが、これは馬渡が自殺した際に、床に転がった薬物の瓶を優子が拾う姿がビデオテープに記憶されており、毒の成分も一致したため、同一の毒で死んだことが断定できた。また、二階廊下の監視カメラの映像により、遺体が発見されるまで牛久の部屋に入った者は一人もいないことから心中だと結論付けることができたわけである。余談ではあるが、今からおよそ二十年前の一九九七年といえば『失楽園』という不倫をテーマにした作品が流行した年である。映画では役所広司、ドラマでは古谷一行が主演を務めており、牛久が雑談で固有名詞を出していることから作品を観ていた可能性は充分考えられる。だからといって、影響を受けたとは断言できないが、影響を受けなかったとも断言できないわけである。
ちなみに九七年は『名探偵コナン』の劇場版第一作が公開され、『金田一少年の事件簿』のアニメがスタートした年でもある。そして会話に出てきた『刑事コロンボ』のパトリック・マクグーハンについてだが、彼は犯人役として四作に出演しているが、九七年の段階では三作までしかテレビ放映されていなかったことも付記しておこう。
四人目の宇佐美遥だが、彼女が話した『犯罪の告白』は、ほぼ事実であることが分かった。しかしそれが完全に証明できないのは、不倫相手の男にとって遥は、たった一度の浮気相手だったという認識の違いがあったからである。不倫相手の男の妻はストーカー被害を告白していることから、交際していると話した遥の方が単なる思い込みのようにも思えるが、遥が絶命したことで両者の言い分を正すことは不可能といえるだろう。不倫相手の男によると、『ホテルに来なければ死んでやる』と脅されたことから、自殺の動機がなかったわけではないと考えられる。しかし実際に死ぬとは思わなかったというのが男の言い分だった。手首の傷による失血死で、傷はホテルが用意した果物ナイフによるものであることが調べで分かった。部屋にナイフを持ち込んでから、遺体が発見されるまで遥の部屋に入った者がいないことはビデオテープに記憶されていることから、これも自殺と断定することができたわけである。これも余談ではあるが、九七年には雛形あきこ主演の『ストーカー 誘う女』というドラマがヒットしており、ストーカーという名称が定着し、それによる被害が広く認識された時期でもある。だからといって、遥がストーカーだったと断言するつもりはない。
五人目の犬飼洋子は、『犯罪の告白』で友達とその子供を助けてあげられなかったと言っていたが、そのような間柄の友人がいたことは確認できず、いくら探しても見つからなかった。育児ノイローゼに陥っていたのは洋子自身で、すべて自分のことを語っていたのではないかと推察するが、それは筆者の想像にすぎない。ちなみに育児によるストレスそのものは戦後から存在していたものの、「育児ノイローゼ」という言葉が新聞紙上で取り上げられて社会問題化したのは九七年頃だったというのは記事として記録に残っている。その後、「育児不安」という言葉に表現が変化したので用いられなくなったが、症状に違いはない。とはいえ、洋子に育児不安があったかどうかは確認することができなかった。その洋子は空き部屋で首を吊って死んだわけだが、死ぬ前に廊下で夫である勇作とも話しており、洋子が「一人で死にたい」という言葉に対し、勇作が「俺もあとでいく」と返していることから、これが計画的な心中であることが分かった。洋子が死んだ部屋には、夫の勇作以外に出入りしていないこともビデオテープに記憶されているので、これも自殺であると断定することができたわけである。不幸と言えば、洋子の首つり死体をベッドに寝かせるため、勇作が部屋に入った際、息子の健太が母親の姿を見てしまったことが痛ましく思えてならない。それが物騒な言動を繰り返すようになった要因でもあるが、五歳の子供が経験するにはあまりにショッキングな光景である。両親の心中する計画を盗み聞きしていたと思われる節もあり、この事件で唯一の被害者である子供のことを考えると、やるせない気持ちでいっぱいになる。
六人目の似鳥和夫は指名手配中の男で、『犯罪の告白』で語った、仲間を犠牲にして逃亡した強盗犯こそ、似鳥自身であることが、その後の調べで判明した。似鳥に関しては想像するしかなく、金に困って罪を犯し、逃亡生活の末に自殺したことしか分かっていない。指名手配される前は株取引に関わる仕事をしており、折しも九七年は証券会社が相次いで倒産した年でもあるが、その関連性は不明である。死因は猟銃による自殺で、これも遺体が見つかるまで似鳥の部屋に入った者がいないことがビデオテープに記憶されているので、自殺と断定できたわけである。逃亡の為に仲間の頭を撃った男が、その恐怖を語り、最期は自分の脳天を撃ち抜いて死んだわけである。神様という言葉を口にしたことから、それが彼なりの罪滅ぼしだったのかもしれないが、これも筆者の想像にすぎない。
七人目の犬飼勇作はレストランで首を吊って自殺を遂げた。その姿は一挙手一投足ビデオカメラに記憶されており、自殺だと断定することができた。遺体を部屋に運んでベッドに寝かせたのは猪俣だった。そもそもホテルの最後の日に、なぜ防犯カメラの映像が録画されていたかというと、健太を託した猪俣に殺人の容疑が及ばないためである。防犯カメラの前で自殺すれば迷惑が掛からないと思ったのだろう。九七年といえば北海道拓殖銀行が経営破綻した年で、バブル崩壊後の北海道にとって最も厳しい時期だったと記憶している。犬飼夫妻にも巨額の借金があったことから、心中するに充分な動機があったと理解できる。なぜ死に場所をホテルにしたかというと、それには使用人が自殺した動機を考察する方が分かりやすいだろう。
眠っている健太を一階の大浴場に連れて、溺死させてから犬飼の部屋に運んだのは猪俣寛治である。それから自身は牛久の部屋から毒を拝借し、それを飲んで服毒死したというわけだ。一連の行動はすべてビデオテープに記憶されており、遠藤が係わったという痕跡はないので、自殺と断定できたわけである。犬飼夫婦は心中に子供を巻き込まなかったのに、猪俣はわざわざ子供を殺した理由は、本人にしか分からないことではあるが、それはこのホテルの名前に由来していると筆者は考える。九七年といえば映画『タイタニック』が公開された年であり、映画に出てきたシャンパンを飲んでいたことから、猪俣が観た映画が同タイトルであることは間違いない。彼が望んだのは、沈没するタイタニック号と命運を共にした船長のエドワード・スミスのような死に様だったのではなかろうか。筆者のこじつけではあるが、実際に沈んだのはタイタニック号ではなく、姉妹船のオリンピック号だったという都市伝説もある。そちらの真相は定かではないが、犬飼一族がオリンピック号ならぬ、オリンピックホテルと共に滅んだのは、紛れもない事実である。子供を犠牲にした行為は許しがたいが、その場にいて猪俣氏に生きながらえるように説得できたかどうかは自信が持てないのも正直な感想だ。ホテルマンが廃業したホテルと共に死ぬというのは船と一緒に死んだスミス船長と同じく、それこそ彼が語っていた、自然に委ねる死に方だったのかもしれない。
最後に遠藤尚平についてだが、彼は推理作家などではなく、定職に就かずに小説を書いて投稿している作家志望にすぎない男である。『犯罪の告白』で語られた話は創作で、一つも事実と合致している部分はない。十年以上の投稿生活で、一次審査をクリアしたのは一度きりで、それだけを心の拠り所にしている男だった。彼は猪俣から渡されたマスターキーでホテル内を調べ、防犯カメラの映像が録画されていることを知り、ビデオテープの所有権が自分にあることを主張して遺書を書いた。自殺の動機は『クローズド・サークル』という状況で、閉じ込められた全ての登場人物が死ぬには、自分が自殺して完成させなければいけないという理由からだった。傑作を生み出すまでは死ねないと豪語していたが、裏を返せば、傑作を生み出すことができるなら死ねるということだ。常人には理解しがたいが、ミステリー小説が好きならば仕方ない選択だとも言えるだろう。バカだが、ミステリーに命を懸けた、兄貴らしい生き様なのは間違いない。 完
遠藤守 著




