第三幕 第九場 オリンピックホテル フロント
午後四時。
ロビーのソファ席で遠藤がノートパソコンを開いていた。
しかし、しばらくそこにいるが、執筆している様子はない。
ずっと腕を組んで、画面とにらめっこをしている感じだ。
そこへ、足音を忍ばせて、階段から大男が下りてくる。
その気配に気づいた遠藤が身を震わせた。
それを見て、大男は猟銃を構えながらゲラゲラ笑うのだった。
遠藤は固まったまま、何もすることができないでいる。
口元の筋肉さえも動かない様子だ。
大男が咆哮する。
「ズドン!」
その瞬間、遠藤は生気を失うのだった。
それを見て、大男が再び笑った。
犬飼が大男の後ろから声を掛ける。
「似鳥さん」
似鳥は振り返り呟く。
「そんな怖い顔するなよ」
犬飼が怒りを露わにする。
「やっていい冗談と、ダメな冗談があるでしょう。さっきは見るだけって言ったじゃないですか?」
「悪かったよ。もう大丈夫だ。心配ない」
似鳥が素直に謝った。
犬飼の怒りは収まらない。
「僕じゃなくて、遠藤さんに謝って下さい」
似鳥は遠藤に頭を下げる。
「すまなかった。もう二度としない。悪気はなかったんだ。ただ、驚いた顔が見たかっただけなんだ。本当にすまない」
遠藤は魂が抜かれたように話す。
「そりゃそうでしょう。悪気がないって、あったらシャレになりませんよ。いや、冗談のつもりかもしれませんが、今も怖くて。これ、死ぬまでトラウマになるんじゃないかな」
犬飼が心配そうに見ている。
遠藤は額に滲んだ脂汗を手で拭い、それをじっと見つめる。
似鳥はその様子を見ないように、ソファにドカッと腰を下ろした。
「なんで猟銃を持ってるんですか?」
遠藤の口調には怒りが帯びていた。
似鳥は言い訳をする子供のように説明する。
「いや、猪俣のじいさんが猟銃を持っているって言うから、それでどんなものかと思ってよ」
「なんのために?」
遠藤の口調は荒い。
「いや、護身用に貸してもらえないかと思ってよ」
そこだけ似鳥は強気に出るのだった。
遠藤が首を振る。
「だから、それで、どうして猟銃なんか必要になるんですか? 熊が出没するとでも? 冗談じゃないですよ。そんなバカみたいな理由で、さっき銃口を向けられた時、誤射してたらどうするんですか?」
「だから悪かったよ」
似鳥は面白くないといった感じだ。
遠藤は矛先を犬飼に向ける。
「犬飼さんも犬飼さんだ。どうしてこんな時に、いや、そうじゃないな。そもそも、どうしてよく知りもしない似鳥さんに猟銃なんて手渡したんですか? 正気の沙汰とは思えないな。今すぐ取り上げてくださいよ」
「だから護身用って言っただろう」
そう言って、似鳥が猟銃を両手で抱えるのだった。
遠藤は犬飼に詰問する。
「それで『はい、そうですか』って渡したんですか? そんなホテルマンがいますか? 猟銃が出てくるホテルなんて、世界中でもここだけですよ」
犬飼が頷く。
「いや、僕だって護身用っていうのは初めて聞きましたよ。見るだけって言うから見せたのに。でも、それが間違ってたんですね。どうやら、こうも立て続けに人が亡くなってしまったので、僕も相当神経が参っていたようです。もう、冷静な判断ができなくて、考えるのも億劫なんですよよね。いや、やっぱり間違っています。似鳥さん、猟銃を返してくれませんか」
似鳥が犬飼にお願いする。
「ちょっと待ってくれ。座ってくれないか?」
犬飼は素直に応じて、遠藤の隣に座った。
似鳥は二人に目線を合わせる。
「見るだけって言うのは初めから嘘だった。犬飼君には騙したみたいで申し訳ないと思っている。でも俺は誰かに殺されるのだけは勘弁願いたいんだ。おたくら二人はどう考えているのか知らんが、俺は殺されるくらいなら殺した方がマシだと考える人間だ。毒を盛られたり、手首を切られたりするのは御免なんだ。そんなことをするような奴には、こっちからぶちかますしかない。大丈夫だ。おたくらを殺そうっていうわけじゃないから、それだけは安心しろ」
遠藤は笑うしかないといった感じだ。
「いやいやいやいや、何を言ってるんですか? まるで急に何かに憑りつかれちゃったみたいになってますよ。どう考えても四人は自殺じゃないですか? 理解しがたい状況というのは分かりますが、我々までおかしくなってどうするんですか? 幽霊相手に戦うつもりですか?」
「幽霊かぁ……」
似鳥は得心したようだ。
「そいつだよ。注意しないといけないのはな。ほら、トリックがどうこうって話してたろう? 幽霊みたいな野郎が潜んでいるとも限らねぇんだ。そいつが順番に殺してるかもしれないからな」
遠藤が呆れる。
「どこまで本気か分からないな」
似鳥がニヤッとする。
「まぁ、いいさ。爺様に塩を盛るくらいしかしてこなかった先生には分からない話だ。分からない話は、無理に分かろうとするなってことだわな。俺はこの猟銃を手放さない。だから、今さら説得しようとしても無駄だから、やめとくんだな。それより先生よ、やっぱりアンタ、先生だったんだな。そんな高価なもん持ってるなんて、それを見るまで信じられなかったよ」
「機械はあっても、一行も書けませんけどね」
遠藤は自嘲した。
犬飼はノートパソコンをチラッと見る。
「その前に立ち上げないと書けませんよ」
それに対して、遠藤は笑って誤魔化すことしかできなかった。
「いや、持ってるだけでも大したもんだ」
似鳥は素直に感心するのだった。
遠藤はノートパソコンを閉じて話を続ける。
「話を逸らさないで下さいよ。今は僕のパソコンより、似鳥さんが手にしている猟銃が問題でしょう? 似鳥さんが警察官なのか、元警察官なのか知りませんが、たとえ手帳を見せられたって、他人の銃を手にしていいわけないじゃないですか。詳しくは分かりませんが、似鳥さんは銃刀法違反で、所有者の猪俣さんだって罰せられるはずですよ。まさか、そんなことも知らないなんて言いませんよね? 犯罪は犯罪なんですから、見過ごせるわけないじゃないですか。それにしても、猪俣さんがそんなことをする人だとは思わなかったな」
犬飼が弁護する。
「猪俣さんはまだこのことを知りません。見せるだけなら後で話せばいいと思ったので。まぁ、僕が何をしても怒る人ではないので、話したところでどうなるものでもありませんが、いま返していただけないのであれば、後で猪俣さんに取り上げてもらうようにお願いするだけですけどね」
突然、似鳥がむっくりと立ち上がった。
その挙動に遠藤と犬飼が身体をビクっとさせる。
似鳥が豪快に笑う。
「だから護身用って言っただろう。おたくらを殺すためじゃねぇんだから、そんなに驚きなさんな」
遠藤は見上げて言い放つ。
「僕はそこまであなたを信じることができない」
「だったら俺の気持ちも少しは理解できるってことだな」
似鳥は猟銃を肩に担いで階段の方に向かい、そのまま二階へ上がって行った。
遠藤は去っていく背中を引き止めることができなかった。
二人きりで並んで座っているのが気まずくなったのか、犬飼が立ち上がって遠藤と距離を取った。
「これはまずいですよ」
遠藤が犬飼の方を見ずに呟いた。
犬飼には聞こえているはずだが、反応しなかった。
遠藤は険しい表情で話す。
「四人も亡くなったというのは確かに異常事態ですよ。でも、それで銃刀法違反のような罪を犯していいとはなりません。僕が大目に見るなんて期待しないで下さいね。これは立派な犯罪なんですから、警察に何か訊かれたら、正直に答えるしかありませんよ。それでどういう処分が下されようと、僕の責任ではありませんからね。犬飼さんまで捕まるか分かりませんが、似鳥さんと猪俣さんは確実です。本当は犬飼さんに一番の責任があったとしても、そうなっちゃうんです。そこをどう受け止めるかなんですよ」
犬飼は歩きながら話を聞いていたが、遠藤が話を終えると、その正面に腰を下ろした。
向かい合うことで遠藤の身体に緊張が走ったが、居住まいを崩してリラックスしようとするも、それが却って居心地が悪そうに見えるのだった。
それに対して犬飼は堂々とした態度で話し始める。
「似鳥さんは僕から強引に猟銃を奪ったわけではないんです。見るだけと言われて見せましたが、貸してくれとお願いされたら、素直に貸していたと思うんですよね。こうして冷静になってから、やっぱり貸してもいいと思ってしまうのは、似鳥さんには助かってもらいたいと思うからですよ」
遠藤は何を言っているのか分からないといった様子だ。
犬飼が続ける。
「一つの仮説が閃いた時、分からないと思っていた全ての事柄が一瞬で理解できたんです。たまたま居合わせた宿泊客が四人も立て続けに自殺するなんて、想像の範疇を超えるような出来事なんですが、誰かが全員を殺したと考えれば難しい話ではなくなるんです。そう、犯人は遠藤さん、あなたですね」




