第三幕 第七場 オリンピックホテル フロント
午後二時。
ロビーのソファで似鳥が白飯をモリモリ食べていた。
その様子を見ている犬飼は気分が悪そうな感じだ。
そこへレストランから遠藤が水を持ってやってくる。
「すいません。ありがとうございます」
犬飼は水を受け取り、一口だけ口に含んだ。
似鳥が口の中の物を味噌汁で胃に流し込む。
「情けないね。死体なら昨日から何度も見ただろうに。なんで今さら気持ち悪くなるかねぇ」
犬飼が顔をしかめる。
「血はダメなんです。手首の切り傷をモロに見てしまいました。あれがいけなかった。思い出しただけでも嘔吐しそうです」
「ひとがメシ食ってるのに、そっちの方が勘弁願いたいね」
遠藤はボソッと呟く。
「それにしても死因の説明を聞きながら食べるって凄い神経ですね」
「先生だって朝飯と昼飯はちゃんと食ったじゃねぇか」
遠藤が答えに窮す。
「そうなんですけど、なんでしょうね。その、宇佐美さんの場合は、なんだかショックで、それまでとは違う受け取り方をしちゃってるんですよね。上手く説明できないけど、すいません」
似鳥が温い茶を飲む。
「もういい加減、やめようぜ、そういうの。上手いこと説明できればそれでいいのか? どうせすぐに忘れるんだろう? だったら深刻ぶる必要はねぇって。どうせ男に逃げられて自殺したんだろう? おたくらはニュースを見て毎日涙を流すのか? 朝昼晩と毎日メシが喉を通らない事件があるじゃねぇか。だったら一生メシを食うなって話だろ。この話、あのネェチャンにもしたっけな」
遠藤はチクッと釘を刺す。
「それだけじゃなくて、もっと酷いことも言いましたけど」
似鳥が反論する。
「おいおい、それをいま言うのはなしじゃねぇか? それじゃあ、まるで俺が自殺の最後の後押しをしたみたいな言い草じゃねぇか。それは勘弁してくれよ。あの程度の言い争いで死なれたんじゃ、人類なんてとっくの昔に滅んでるだろう」
犬飼が真顔で口を挟む。
「宇佐美さんが自殺した本当の理由は分かりませんが、人類滅亡のペースで人が死んでいるのは確かですね。それが、ここだけならいいんですけど」
遠藤も大真面目に語る。
「ああ、なるほどね。世界規模で自分を死に追いやる病が流行しているかもしれないんだ。偶々ここは隔離されているだけで、最後に生き残った者が外の世界に戻ると、そこは人類が滅亡していた世界だったなんてことがあるかもしれないわけだね」
犬飼は冷静に突っ込む。
「SFというより、完全に現実逃避ですね」
似鳥が笑う。
「それは大いに結構だ。考えてもみろよ。四人も立て続けに死んでいるんだ。こんなの現実から離れて考えないと、理解なんか出来っこねぇだろう。なぁ、一体、このホテルに何が起きてるんだよ?」
犬飼は遠藤を意識して喋る。
「本職の人がいるので、僕が出しゃばることじゃないんですが、この際、思い切って現実から離れさせてもらうと、この中に殺人を犯している犯人がいて、それがまだ続いているかもしれないということは考えられませんか?」
似鳥が豪快に笑うが、遠藤は苦笑するしかないといった感じだ。
犬飼はめげずに続ける。
「なぜ殺人が続いているかというと、四人目の宇佐美さんに、これまでの罪を着せなかったからです。こういうのはミステリーでよくあるんですよ。大体ですね、最後のターゲットを殺した後、自殺に見せかけて、罪の告白を記した遺書を用意するんです。そういうもんなんです。そうじゃなきゃいけないんです。じゃないと面白くないんですから」
似鳥がニヤニヤし、遠藤は爪を噛む。
犬飼は興奮しているのか、話が止まらない。
「でも、一方で四人の死で終わる可能性もあるんです。私たちは互いを疑わずに、すべての死を自殺と断定しましたよね? ということは、我々の中にいる犯人は、わざわざ宇佐美さんに罪を着せる必要はなくなったわけで、容疑者が一人もいないのであれば、遺書も不要ということになるんですね。現時点で犯人が目的を達成していたとしたら、もう私たちの手で、その犯人を見つけるのは不可能かもしれない」
似鳥が愉快そうに呟く。
「どっちが探偵さんか分からんな」
遠藤が断言する。
「僕は作家ですから」
犬飼は遠慮せずに喋る。
「それならば続けますが、我々の中に犯人がいて、しかも、まだ殺したいターゲットが残っていた場合はどうなるでしょう? そうです。次はそう簡単に上手くいきませんよ。なんたって今度は互いを疑う状況に一変してしまったんですから。残りの人数も少ないですし、そんな状況で次のターゲットを仕留めるのは至難の業です。ひょっとしたら次に死ぬ人は自殺に偽装することはできないかもしれない。そうなったら殺す予定のなかった人を犯人役として殺してしまうかもしれませんね。そうなると自分は関係ないなんて言ってられなくなるんです」
似鳥が感心する。
「大先生には悪いけど、犬飼さんの方が作家に向いてるんじゃないかね?」
犬飼が謙遜する。
「とんでもないです。こんなのは探偵作法の初歩ですから」
「そのセリフも悪くないね」
似鳥の言葉に、犬飼ははにかむのだった。
遠藤は余裕のある表情で語る。
「すらすら喋ることができるのは立派だけど、昨夜からの出来事を推理小説仕立てにするのは、やっぱり無理があるね。というのも登場人物が子供も併せれば十人だろう? そのうち死んだ四人が全員客側の人間で、生き残ったのが犬飼さん家族と猪俣さんだと、どうしてもバランスが悪く感じるからね。これで僕や似鳥さんまで死んだら、結局は食事に毒を入れたのはホテル側の人間になるじゃないか。だとしたらトリックなんて存在しないわけで、それは推理小説じゃなくて、ホテルマン一家による猟奇殺人を描いたノンフィクション小説みたいになっちゃうんだ。そんな作品なら探偵は必要ないんだ」
似鳥が大笑いする。
「やっぱり最後は犬飼君がサイコ野郎になっちゃうんだな」
犬飼が水を飲む。
「なるほど。登場人物の人間関係が偏り過ぎているわけですね。となると、もし次にホテル側の人間が死んだら、どうなるんですか? 例え話なので、僕でも構わないんですが、それだと一気に謎が深まるんじゃないですかね?」
似鳥は嬉しそうに言う。
「やっと昨夜の続きみたいな話になったな」
「嫌いじゃないですからね」
犬飼も嬉しそうだ。
遠藤は難しい顔をして話す。
「いやぁ、せっかく盛り上がってきたところ申し訳ないんですが、ここにきてホテル側の人間に死なれると困るな。犬飼さんに死なれると、僕が考えている犬飼犯人説が成り立たなくなりますからね」
「そんなこと考えていたんですか?」
遠藤は悪戯が見つかった子供のような顔で話す。
「うん。トリックは置いておいて、話のスジとしては悪くないと思ったんだ。犬飼さんが過去に泊まった客を再び集めて殺していくんだ。動機は備え付けの枕を盗んだからとか、予約をドタキャンしたからとか、そんなくだらない理由で充分なんだ。とにかく読者にココを読ませたいっていうポイントはさ、夜中にホテルマンが部屋まで殺しに来る描写なんだ。ほら、想像しただけでもゾクゾクするだろう?」
似鳥が腕を組んで唸り、犬飼は天井を見上げる。
二人の様子に遠藤は言葉をなくす。
「牛久のダンナが生きてたら、なんて言うかな?」
似鳥が思いを馳せた。
「やっぱり謎はあった方がいいんじゃないですかね?」
推理小説の肝に拘ったのは犬飼だ。
遠藤は何度も頷く。
「そうだったんですね。お二人とも僕の創作に協力してくれていたわけですか。今になってやっと気がつきましたよ」
似鳥はきっぱりと否定する。
「いや、犬飼君は知らんが、俺はただの暇つぶしだよ」
犬飼が真面目に答える。
「僕は案外本気だったりします」
遠藤も真剣だ。
「だったら僕も本気を出さないといけないね。牛久さん好みのミステリーを作るなら、ここはやっぱり犬飼さんを犯人にしたいんだ。『古畑』が好きだったから、『コロンボ』の倒叙ミステリーの形式を踏襲するのが一番だろうね。コロンボの面白さは冒頭の犯人による緻密な犯行準備のシーンも挙げられるから、犬飼さんがこのホテルにトリックのタネを仕込むシーンは外せない。被害者は四人も必要ないけど、場合によっては最後の二人になるまで議論を続けてもいいかもしれないね。つまり残り二人になるまで探偵の目を誤魔化すことができれば犯人の勝ちだ。ただ、コロンボは引っ掛けの名人だから、結局は探偵が勝つんだけど、コロンボで『クローズド・サークル』をやるのは悪くないと思うな」
似鳥は満面の笑みで感想を言う。
「はは、そいつは確かに牛久のダンナが好きそうな話だ」
「やっと調子が出て来たみたいですね。あっ、偉そうにすいません」
犬飼が頭を下げた。
遠藤は気にしない。
「いやいや、犬飼さんは相当ミステリーが好きだろうからね。満足させるには骨が折れるよ。でも秘策がないわけではないんだよ? ここで言ったらつまらなくなってしまうかもしれないけど、作品にするかどうか分からないから言ってしまうと、犬飼さんのような人を楽しませるには叙述トリックが一番なんだ」
犬飼が大笑いする。
「その一言はネタバレですよ」
「それはどういう話だ?」
似鳥が食いついた。
遠藤がゆっくりと丁寧に説明する。
「つまり、これはほんの一例なんですが、昨日からの出来事に叙述トリックを仕掛けるとしたら、十人の登場人物の他に、もう一人いたということを最後まで明かさないように話を進めればいいわけですよ。実は犬飼さんにはそっくりな双子の兄弟がいて、場面ごとに入れ替わっているんです。奥さんも知らないという設定でもいいかもしれませんね。途中で仲違いして、犬飼さんが殺される展開になることも考えられます。そうすれば、ほら、次にホテル側の人間が死ぬという、犬飼さんの最初の要望にも応えることができるでしょう? まぁ、でも、犬飼さんもご存知の通り、探偵小説の作法には双子を禁止していたりもするので、双子以外で考えた方が良さそうですけどね。叙述トリックって、好きな人には堪らないけど、苦手な人は怒ってしまいますから、叙述トリックと双子の組み合わせは無しにしましょう。ただ、叙述トリック自体はやめませんよ。最後の最後に炸裂した時の衝撃は、文字通り世界を一変させるので、究極の奥義といっても過言ではないですからね」
犬飼が恍惚の表情を浮かべる。
「僕の好みにピッタリじゃないですか。遠藤さんの仰る通りですよ。あの、最後にすべてが幻だったと気づいた時の無常観。それこそが、まさに人生じゃないですか。叙述トリックを扱った作品こそ、生と死の答え、そのものなんだ。誰が何と言ったって、人間の本質を描けるのは、叙述トリック以外にはありませんよ」
遠藤が爽やかに笑う。
「ははは、大袈裟だな。好きそうだとは思ったけど、まさかそこまで思い入れが強いとは思わなかったよ。でも、もう一人いるっていうのは、現時点でも充分考えられるから、この状況が我々の知らないところで勝手に叙述トリックの舞台になっている可能性はあるよね」
犬飼が手を叩きながら笑う。
「ははぁ、どこかに潜んでいるってことですか? 確かにありえますけど、十一人目の登場人物がいたとして、それが最後の最後に出てくると、これは探偵小説の作法に反しますよね? アンフェアだって怒られちゃいますよ。ああ、それで遠藤さんは分かりやすく双子を例に出したわけですね。いやぁ、そう考えると、叙述トリックを仕掛けるって、相当難しいですね」
途中から似鳥がつまらなそうな顔をしていたが、二人は気づいていない様子だった。




