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第三幕 第二場 オリンピックホテル フロント

 午前九時。

 ロビーのソファに腰を落ち着けて、遠藤がデジタルカメラで撮影した写真を確認していた。その隣に座る犬飼は遠藤の反応を窺っている。その二人の様子を見ながら、似鳥は濃いウイスキーを飲むのだった。

「しかし牛久のダンナもアレだよな。前の日に若い兄ちゃんが自殺してんのに、よく半日も経たずに心中しようと思うよな」

 似鳥の言葉に犬飼がツッコミを入れる。

「さっきは不思議じゃないって言ってたじゃないですか」

「言ったか? 『不思議じゃない』とは言ってないだろ」

 遠藤が本音を漏らす。

「自殺するなら遺書を書いてくれると分かりやすいんですけどね」

 似鳥があくびをする。

「最近のヤツはアレなんだろう? パソコンとかケータイがあるから、わざわざ文字なんて書かないっていうじゃないか」

「それは大袈裟ですよ。まだそういう時代でもありませんし」

 犬飼が冷静に反論した。

 遠藤が頭をかく。

「でも仕事によっては、そういう人もいますよね。僕がそうですから。ただ、完全に手書きがなくなる時代が来るとも思えませんけど、書く機会が減っていくのは確実でしょうね」

 似鳥が理解を示す。

「まぁ、汚い字の遺書を残すよりはマシだわな」

「遺書がないけど、心中で間違いないですよね?」

 犬飼が念のため確認した。

「それは間違いないでしょう。遺書があれば明白だけどね」

 遠藤が早々に結論付けた。

 似鳥が唸る。

「ほう。さすがは大先生だ。先生がいれば警察はいらんな」

「そういうわけじゃないですけど」

 遠藤が恐縮しつつ、説明する。

「部屋の中で二人の人間が毒で死んだわけですから、心中以外には考えられませんよね。殺そうと思っても、二人同時に服毒死させるなんて無理なんですから、悩むような問題はなさそうです。お二人に面識のある人が別に存在すれば真っ先に殺人を疑うでしょうけど、幸い我々の中にはいませんからね。そういう意味では、面倒な疑いを持たれない状況というのが、不幸中の幸いと言えるでしょう」

 似鳥が酒をグビッと呷る。

「先生よ、そんな説明じゃ詰めが甘いって突っ込まれるな。俺も刑事ものが好きでよく観てるけど。仮にだよ? 俺が無差別テロで色んな食いもんや飲み物に毒を仕込む毒殺魔だったらどうするよ? ガイシャは誰でもいいんだぜ? それでも呑気に構えてられるのか?」

「似鳥さんが殺したんですか?」

 遠藤が訊ねた。

「殺してねぇよ」

「違いますよね。だったら考えても意味ないじゃないですか」

 遠藤の言葉に犬飼が笑った。

「酒が足りんな」

 と言って、似鳥が遠藤の分の酒を作り始めた。

「飲みませんよ」

 遠藤はきっぱりと断った。

 似鳥は犬飼の分の酒も作る。

「牛久のダンナに乾杯しよう」

 その言葉に遠藤と犬飼は渋々グラスを取るのだった。

 三人は黙って乾杯し、静かに酒を飲む。

「こういう時は、昨日の夜みたいにバカみたいな話をすればいいんだよ」

 似鳥は一気にグラスを空けた。

 今度は犬飼が似鳥の酒を作る。

「じゃあ、また犬飼さんを犯人にしましょうか?」

 遠藤の冗談だ。

「いいね!」

 似鳥は嬉しそうだ。

「しょうがない人たちだな」

 と言いつつ、犬飼もまんざら不愉快というわけではないようだった。

 遠藤が真顔になる。

「ただ、殺人ならば真っ先に疑われるのは犬飼さんでしょうね。現場の写真を見ると、二人はベッドの上で朝食を摂ったようなので、それを用意した人が毒を入れたということになる。まぁ、奥さんや猪俣さんの可能性もありますが、僕や似鳥さんや宇佐美さんは容疑から外れるのは確実ですよ」

 犬飼がすぐに反論する。

「そんなことないんじゃないですか? 用意した朝食はロビーに置かれていて、牛久さんと根津さんが温泉に入っている間、ずっとここに放置されていたわけですから、誰でも毒を入れようと思えば出来たわけですよ」

 遠藤が否定する。

「いやいや。ロビーに置かれた朝食が誰のものか、ホテルの人間以外には分からないんだから、ここはホテル側の人間を疑うべきだろうね」

 犬飼が首を捻る。

「同じことを言って申し訳ないですけど、似鳥さんが言ってたように、やっぱり遠藤さんの話って、どうも説明不足に感じるんですよね。毒殺魔が無差別テロを起こしているだけだったら、どうするんですか? それでも本人に訊ねて終わらせるつもりですか? 遠藤さんの読者はそれでいいかもしれませんが、僕は納得できないですね」

 遠藤が腕を組む。

「動機のないテロリストかぁ。そんなのが犯人だと、さすがに参るね。誰を殺してもOKで、反対に失敗してもいいわけだ。偶然に頼ったトリックを何個か用意して、一つでも成功すれば神業に見えるんだろう? それじゃあ推理小説の読者はお手上げだ」

 犬飼にとって、その説明も不満のようだ。

「そこまで行くと極端ですけど、もっと理詰めで説明してほしいっていう気持ちがあるんですよね。僕は殺人ではなく、事故の可能性は残ってると思ったんですよ。直感なので、上手く説明できませんが」

 それには似鳥が否定する。

「事故はないだろうよ。さすがに事故で二人も死なんだろう。どちらか先に苦しみ始めれば、後の方は気づくわな」

 遠藤が補足する。

「そうですね。心中を結論付けた理由が正にそれで、毒では二人一緒に殺すのは難しいですからね。大人数で一斉に『いただきます』とか『乾杯』をする状況じゃないと、同時に殺すのは難しいですよ。モーニング・コーヒーで乾杯をしたか、スープにも毒が入っていたか、それは調べてみるまで分かりませんが、動機を持つ人の犯行ではないことは確かでしょうね」

 似鳥が遠藤を試す。

「そこで俺が言ってた毒殺魔に話が戻るんだけどな。先生はどう思うよ?」

 遠藤が頭をかく。

「毒殺魔の犯行ならお手上げです。別に一人死のうが、二人死のうが関係ないわけでしょう? もっと言えば二人とも死ななくてもいいわけだ。毒から犯人の身に捜査の手が及ばないなら、警察だってお手上げじゃないですか。動機のない無差別テロじゃ推理小説にはなりませんよ。愉快犯を描いたって、誰もそんなの読みたくないでしょうしね。完全にお手上げです」

 似鳥が豪快に笑う。

「愉快だな。そのセリフが聞きたかった。愉快犯だって、必ずしも捕まるまで犯行を続けるわけじゃないからな。ヒントがない状態で打ち止めにすることだってあるんだ。小説家先生の都合通りにはいかないってわけよ」

 犬飼は遠慮がちに口を挟む。

「いや、あの、僕が言いたいのはそういうことでもないんですよね。事故の可能性というのは、牛久さんたちの方ではなく、馬渡君の方だったんじゃないかと思いまして」

「ああ、なるほど」

 遠藤が空想を巡らせながら話す。

「仮に牛久さんが毒殺魔だとして、同伴の根津さんを殺そうとしていた。でも間違って馬渡君を殺しちゃったわけだ。それで今度は二人きりになって確実に仕留めたんだね。でも余計な罪を犯したわけだから、そのことを悔いて自分も自殺したんだ。と、まぁ、想像だけなら考えられない話ではないね」

 似鳥が首を振る。

「それはどうだろうな? 間違って殺すまでは、自分も助かろうとしてたんだろう? だったら知り合いのいない食事会で毒を盛るなんてことしないだろうよ。仮に成功したとしても、同伴者を殺せば確実に疑われちまうんだぞ? 想像だけでも無理があるって分かるだろ」

 犬飼がニヤッとする。

「遠藤さんはやっぱり詰めが甘いですね」

 遠藤がムキになる。

「君の話に乗ってやったんじゃないか」

「すいません」

 そこは素直に謝る犬飼だった。

 似鳥がグラスを掲げる。

「まぁ、いいや。乾杯しよう。毒殺魔の牛久のダンナに」

「さすがに、それは」

 犬飼が抵抗する。

 遠藤がたしなめる。

「宇佐美さんじゃなくても怒りますよ」

 似鳥が笑う。

「わりぃ、わりぃ」

「しかし、こんなにも簡単に毒って入手できるもんなんですかね?」

 犬飼の言葉に遠藤が説明する。

「たまたま同じ場所で起こったから、そう思えるだけさ。ただ、鑑識の結果次第ではおかしな状況になる可能性もあるんだよね。これも想像だけど、牛久さんたちと馬渡君の毒がまったく一緒なら、使い回したってことになるからね。そうなると、また色んな仮説が立てられるんだ。心中のついでに、気に入らない馬渡君を殺しちゃったとか。心中する前に、馬渡君で毒の効果を試してみたとか。最初から死ぬつもりなら、何だってアリなわけでしょう? 牛久さんと馬渡君は言い争いをしていましたし、試すなら馬渡君が選ばれる可能性は高いんですよ。どうです? さっきは詰めが甘いと笑われましたが、これなら言い返せないでしょう?」

 似鳥が満足する。

「さすが大先生だ。見事な逆転だね。ただ、牛久のダンナに対して、俺より酷いことを言ってるけどな」

 遠藤が反省する。

「それは認めます。でも牛久さんが心中ついでに殺したとしたら、これで毒の心配はいりませんよ。部屋に毒の入った瓶があったわけですからね。無差別テロの毒殺魔なら、そんなところに置いておくわけがないでしょう? これで安心です」

 犬飼が微笑む。

「遠藤さんは本当に詰めが甘いなぁ。確かに毒の入った瓶は牛久さんの部屋にありましたよ。でも毒の瓶が一つとは限らないじゃないですか? ここに毒殺魔が本当にいたら、安心しきった遠藤さんはイチコロでしたね」


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