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第三幕 第一場 オリンピックホテル 二階廊下

 午前八時。

 牛久と優子の部屋の前には、犬飼、洋子、遠藤、似鳥の四人が集まっていた。

「牛久さん」

 ドアをノックしたのは犬飼だ。

 他の者は部屋の中からのリアクションを待っている。

「牛久さん、犬飼です」

 犬飼はより大きな声で、さらに強くドアを叩いた。

 それでも中からの反応はなかった。

 しばらくすると隣の部屋から遥が出てきて、全員の視線を受けた。

「どうしたんですか?」

 犬飼が困惑した顔で説明する。

「いえ、まだ牛久さんが見つからなくて、それでやっぱり部屋にいるんじゃないかということで来てみたんですが、反応がないんですよね」

「外も捜したんですよね?」

 遥が念を押した。

「はい、もちろん。建物周辺の足跡から、外に出た形跡はありませんでした。雪が胸の辺りまで積もっているので、それは確かです」

 洋子が補足する。

「ホテルの中も隅々まで調べたんですけど、どこにもいませんでした」

「もう、開けちまえよ」

 似鳥は堪え切れないようだ。

 遠藤も同意する。

「こうなると早めに確認した方がいいかもしれませんね」

 その言葉で犬飼が動く。

「じゃあ、開けますよ」

 犬飼がスペア・キーを差し込んだ。

 遠藤が指示を出す。

「ドアを開けたら、呼び掛けて下さい」

 犬飼がゆっくりとドアを開ける。

「牛久さん、いらっしゃいますか? 入りますよ」

「犬飼さん、入って確認してきて下さい」

 この場を仕切っているのは遠藤だった。

 洋子がドアを押さえて、犬飼が部屋の奥へと歩を進める。

「ああ、だめだ。死んでます」

 犬飼が部屋の中から、そう伝えた。

 遠藤は信じられない様子で訊ねる。

「え? 二人ともですか? 脈は?」

「だめです。二人とも、もう死んでます」

 犬飼が大きな声で伝えた。

「本当かよ」

 似鳥が呟きつつ、部屋の中に入ろうとするが、遠藤に止められる。

「犬飼さん」

 遠藤が部屋の中に呼び掛けた。

 その声に、犬飼がドア口まで戻ってくる。

「施錠して、警察が来るのを待ちましょう」

 遠藤の口振りは冷静だが、視線は定まっていなかった。

「なんで死んだんだ?」

 似鳥が訊ねた。

「さぁ」

 犬飼はさっぱり分からない様子だ。

 似鳥がイライラする。

「違うよ。方法だよ」

「ああ、毒ですね。馬渡君と同じだと思います」

 犬飼が説明した。

「二人共っていうことは、心中ですか?」

 今度は遥が訊ねた。

「そういうことになりますね」

 犬飼が沈痛な面持ちで答えた。

 洋子が目で訴えかける。

「あなた」

 見つめられた犬飼に全員の目が向けられる。

 しかし犬飼が何も反応しないため、他の者は夫婦の顔を交互に見返すのだった。

「私が話しましょうか?」

 洋子が夫に訊ねた。

「いや」

 犬飼は許可しなかったが、自分から話そうともしなかった。

「なんです?」

 遠藤が堪え切れずに、夫婦の会話に割って入った。

 似鳥もイライラしながら訊ねる。

「なんだよ? 何か知ってるのか? この状況で隠し事はなしにしようや」

 洋子が否定する。

「そうじゃないんです」

 犬飼が妻を制する。

「俺が説明するよ。本当は昨日の段階でお伝えせねばならなかったんですが、実は救急車も呼んでいませんし、警察にも通報していないんです。というのも、電話が止められているので、掛けたくても掛けられないんですよ」

 似鳥が呆れる。

 遥は驚きのあまり言葉を失くす。

 遠藤は小刻みに頷いていた。

「黙っていて申し訳ありませんでした」

 犬飼が頭を下げた。

「すいませんでした」

 洋子も右にならった。

 似鳥がニヤけ顔で感心する。

「いやぁ、電話まで止められちゃってたか。よくこんな状態で営業を再開したもんだ。逆に恐れ入るよ」

「すいません」

 犬飼が平謝りした。

「待ってください」

 遥が怒りをにじませる。

「じゃあ、昨日のやり取りは何だったんですか? 全部嘘だったっていうことですよね? ホテルへの電話は? 誰が受けたんですか? いや、掛けても繋がらないっていうことじゃないですか。私はここで待ち合わせしているんですよ?」

 犬飼が頭を下げる。

「ホテルへの電話は猪俣の自宅の番号です。それまでの予約も猪俣が自宅で受けたもので、昨日の昼までに、どなたからも電話が掛かってこなかったのは本当ですので、それだけは信じて下さい」

 遥が目に涙を浮かべる。

「今さら信じろと言われても、そんなことが許されるんですか?」

 洋子も謝る。

「ごめんなさい。許されないと思います。もう二か月も前に廃業しているので、今回の営業も本当は違法なんです。天候が悪くなければ、今頃みなさんを何事もなく送り出すことができたんですが、結果的にご迷惑をお掛けしてしまいました」

「そんなことどうでもいいです」

 遥は謝罪を受け入れたくない様子だ。

「私が知りたいのは、昨日電話があったかなかったか、それだけなんですよ」

「昼までになかったって言っただろう」

 似鳥が口を挟んだ。

「その後は?」

 遥は食って掛かる。

「知らねぇよ」

 似鳥が言い捨てた。

 遥が睨みつける。

「だったら黙ってて下さいよ」

 似鳥はうんざりといった感じだ。

「隣でわめかれたら、うるさくて仕方ねぇんだよ。いい加減、現実見ようや。大雪警報が出てるのに昼までに電話がなかったんだ。それで待ち合わせに来ないってことは、ふられちまったってことだろうよ。まぁ、本当にそんな相手がいればの話なんだがな」

 と言って、豪快に笑った。

「それの何が現実なんですか?」

 遥は訊ねたものの、答えを待たずに自室へと戻った。

 他の者はその姿を黙って見送ることしかできなかった。

「しかし困りましたね」

 ぼそりと言って、遠藤が腕を組んだ。

 犬飼が頭を下げる。

「すいません」

 似鳥はあっけらかんとしている。

「何も困ることはないだろう。どっちにしたって道は塞がってるんだ。除雪作業が終わるまでは何もできないんだからな。急病なら担いで町まで行かなきゃならんが、手遅れなら待つしかないんだよ。牛久のダンナが心中した責任までホテルの責任にするつもりか?」

 遠藤が頭を抱える。

「いやしかし三人も死んでるわけですからね。それなのに警察に連絡する手立てがないというのは、こう、なんていうか、居た堪れない感じがして、どうしたらいいんでしょうかね?」

「すいません」

 犬飼の言葉に洋子も頭を下げた。

 似鳥は遠藤にもイライラをぶつける。

「どうするもこうするもないだろうよ。こんな積もった雪の中、犬飼さんを町まで行かせるのか? 遭難しても知らんぞ。そんなことしなくても明日には除雪が終わるだろうし、待てばいいじゃねぇか。それより奥さんよ、ロビーに酒を用意してくれねぇか? 警察が来ないなら飲んでも構わんだろう。何でもいいや、ひとっ走り頼むわ」

 洋子は素直に応じ、階段を下りて行った。

 似鳥は遠藤に向けてニヤッとする。

「珍しく文句が出ないね」

「もう諦めたってことですよ」

 遠藤はもう投げやりだ。

 その姿に似鳥が豪快に笑うのだった。

 犬飼がうなだれる。

「しかし、まさか心中するとは思いませんでした」

 似鳥は平然としている。

「おいおい、牛久のダンナは文字通り前科があるんだぜ? 話が本当なら、これで二回目じゃねぇか。意外でもなんでもないだろうよ」

 犬飼は同意しつつも、首を捻る。

「はい、確かにそうですけど。ただ、根津さんと一緒の様子を見る限り、とても心中するようには見えなかったので」

 似鳥が笑う。

「そう簡単に他人が心中するかどうか分かったら、この世の中に自殺者なんていなくなるんじゃないのか? みんな分からないから、そのまま死んでいくんだろう」

「確かにそうですね」

 犬飼は強引に自分を納得させるのだった。

 遠藤が閃く。

「そうだ。遺書のようなものはありませんでしたか?」

「ああ、すいません。そこまでは確認できませんでした」

「だったら調べた方がいいですね。それもカメラで撮影した方がいいでしょうし」

 遠藤が仕切り始めた。

「はい」

 犬飼が部下のような返事をした。

 似鳥は興味ない様子だ。

「俺はロビーに戻ってる。酒が切れるとイライラしてしょうがねぇや。何か分かったら後で報告してくれな」

 と言って、階段を下りて行った。

 遠藤は返事をせずに自室へカメラを取りに行く。

 犬飼は牛久の部屋を開けて、遠藤が戻って来るのを待っていた。

 すぐにカメラを持って遠藤が部屋から出てくるが、今回も現場検証には参加せず、傍観者を決め込むつもりのようだ。

 犬飼は不満げにカメラを受け取る。

「あれ? また、入らないんですか?」

 遠藤がさらりと答える。

「うん、部外者だからね」

 犬飼が微笑む。

「違法営業なので、僕も関係者じゃないんですけど」

 遠藤が笑う。

「確かにそうだ。でもこれ以上、巻き込まれるのは御免ごめんだね」

「そうですね。それはすみませんでした」

 犬飼が心苦しい表情を浮かべた。

 遠藤は気にした素振りを見せない。

「さぁ、早速始めようか。これで二回目だし、後は犬飼さんに任せますよ」


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