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第二幕 第九場 オリンピックホテル フロント

 午前七時。

 ロビーで朝食を食べている遠藤の元に、似鳥がやってくる。

「うわぁ、それにしても降ったな」

 似鳥が玄関口から外を見て驚嘆した。

 外は明るくなっていたので室内からでも積雪の量が確認できた。

 遠藤は確認済みの様子だ。

「これ、北海道では過去最高の積雪かもしれませんね。ここら辺で胸まで積もったということは、場所によっては二百センチ以上積もったところもあるんじゃないですかね」

 似鳥が唸る。

「これじゃあ、東北と変わらんな」

「それでも東北は今日の倍以上は降りますからね。山間部だと降った内に入らないかもしれませんよ。それでも、やっぱり温暖化の影響はありそうですけど」

 遠藤が一人で話をまとめた。

 似鳥がレストランのドアへ向かうが、扉を開けることはできなかった。

 遠藤が似鳥の背中に向かって声を掛ける。

「立ち入り禁止にしたので開きませんよ。でも中には犬飼さん達がいると思うので、呼べば来てくれます。そう、言いませんでしたっけ?」

「憶えちゃいねぇよ」

 似鳥は振り返りもせず、ドアを叩いた。

 しばらくして、中から犬飼が出てくる。

「おはようございます」

 犬飼が挨拶をするも、似鳥は挨拶を返さなかった。

「悪いけど、ビールがあったら持ってきてくれねぇか。朝食はいらねぇよ」

「はい。承知しました」

 犬飼は鍵を閉めて厨房へ向かった。

 レストランはガラス張りなので、フロントやロビーからでも中の様子がよく分かる。扉も一部にガラスが使用されているので、外にいる似鳥にも犬飼の行動が丸分かりだった。その行動を見て、似鳥が笑う。

「ビールを取りに行くだけなのに、わざわざ鍵を閉めていったよ」

 遠藤は笑わない。

「立ち入り禁止にするようにお願いしたので、職務に忠実な方なんでしょうね」

「往復するのに一分も掛からないのにか?」

「用心深い方なんでしょう」

 似鳥が退屈そうに呟く。

「神経質なだけだろう」

 犬飼がビールを持ってやってくるが、今度は外から鍵を閉めた。

 遠藤はその様子を見て申し訳なさそうにする。

「なんか面倒なことをお願いしたみたいで、すいませんね。いちいち戸締りするのも大変でしょう?」

 犬飼の表情は穏やかだ。

「当然のことをしているだけですので、気になさらないで下さい」

 似鳥が受け取ったビールを飲んで礼を述べる。

「犬飼さんには感謝してますよ。客の立場で良かった」

 犬飼が心配そうにする。

「朝食は本当にビールだけでいいんですか?」

 似鳥がニカッと笑う。

「二日酔いにはビールが一番だ」

 遠藤が手を合わせる。

「ごちそうさまでした。ビールなんていつでも飲めるのに、ホテルの朝食をいただかないなんて、もったいないな」

「朝一に飲まない方がどうかしてるだろ」

「警察が到着するまでには酒を抜いておいて下さいよ」

 似鳥が外を確認する。

「今日中に来られるのかね?」

 犬飼が首を傾げる。

「そこなんですよね。玄関前だけでも雪かきしようと思ったんですが、これだけ積もると雪を捨てるのも大変ですから、市内はもっと大変でしょうね。幸い、年末休暇に入ったので混乱は避けられたでしょうけど、除雪車が日没前までに来ないようだと、警察の到着も明日以降になるかもしれませんよ」

 遠藤が不安げに尋ねる。

「もう一泊お世話になりそうですけど、構いませんか?」

 犬飼が頷く。

「ええ、もちろん。昨日もお話ししましたが、こうなっては致し方ありません」

 遠藤は言いにくそうに切り出す。

「それはありがたいんですが、実は一泊分のお金しか持ち合わせがないんですよ。下ろせばいいけど、肝心のATMがありませんし。いや、なぜこんなことを言うかというと、馬渡君の財布の中に一泊分の現金しかないのを見て、自分も二泊分の現金を持ってないことに気がついたんですよ。しかも年末ですよね。駅前に戻ってもATMが開いているかどうかも確認してこなかったな」

 犬飼が微笑む。

「心配には及びません。予定通り一泊分の料金だけで結構です。それ以上はいただきませんので、安心しておくつろぎください」

「それはよかった」

 遠藤が安心した。

「いまさら酒代は別って言わないよな?」

 似鳥が不安を口にした。

「それも大丈夫です」

「そいつはありがてぇ」

 似鳥がビールを立ち飲みしながら疑問を口にする。

「しかし、いつの間に財布の中身まで調べたんだよ? まさか盗んだんじゃないよな?」

「いえいえ」

 そこは犬飼が真顔で否定した。

 遠藤が説明する。

「昨日の夜中に馬渡君の部屋を調べたんですよ。僕は部屋に入りませんでしたが、犬飼さんが調べている間、ずっとその様子を見ていたんです。で、結局は遺書のようなものは見つからず、はっきりとした身分証もなかったんですけどね」

 似鳥が顔をしかめる

「あれ? あの兄ちゃん、学生さんって言ってなかったか? それなら学生証くらいは持ち歩くだろう。っていうことは、やっぱりあの兄ちゃんの話は嘘っぱちってことか」

「まぁ、置いてきた可能性もありますけど」

 遠藤はどっちつかずの判断だ。

 犬飼が思い出す。

「ただ、僕が気になったのは財布よりバッグの中身なんですよね。着替えや洗面道具が入っていたんです」

 似鳥が笑う。

「そりゃ、宿泊先に持っていくのは当然だろう」

 犬飼が否定する。

「いえ、普通の宿泊なら常識でしょうけど、馬渡君は結果的に自殺しに泊まりに来たということですよね? だとしたら、そういうのは必要ないんじゃないかと思ったんです」

 お茶を飲みながら遠藤が同意する。

「ああ、なるほどね。確かに一理あるかもしれない。ただし馬渡君は自殺以外に考えられないわけだから、逆説的にだよ、自殺を考える人も着替えは用意するということが分かったわけだ。少なくとも、『自殺する人はこんな行動はしない』なんて言い切れないということさ」

 そこで似鳥がソファに腰を落ち着ける。

「そうそう、『これから死のうとしている人が歯ブラシを持っているのはおかしい』なんて本気で言うヤツがいたら笑っちまうよな」

 遠藤が同意する。

「理解できない人って、とことん理解できないんでしょうね。いや、犬飼さんがそういう人だとは言ってませんよ。だってミステリーの世界ではそういうのが推理の決め手になりますもんね。『刑事コロンボ』でもありますが、『よくぞ目をつけた』って膝を打つのが、まさに犬飼さんの指摘した部分ですよ。とはいえ今回の指摘で自殺を疑うのは無理がありますが、考える分には面白いですね」

 犬飼がガッカリする。

「それは残念です」

 似鳥が笑う。

「おいおい、それだと他殺がよかったみたいな言い方じゃないか。若いネェチャンに聞かれたら、犬飼さんまで軽蔑されるんじゃねぇか?」

 そこで遠藤が階段の方に目を移す。

「そういえば宇佐美さんの姿が見えませんね」

 ソファに座る二人の傍らに立つ犬飼が業務報告するように説明する。

「宇佐美さんでしたら、遠藤さんが来る前に見えて、朝食の代わりにフルーツが欲しいと言って、お部屋の方に持っていかれましたよ。牛久さんと根津さんは朝風呂からお部屋の方に戻られていますし、遠藤さんと似鳥さんが最後でした」

 遠藤が笑う。

「なんだ、てっきり僕が一番だと思ったら、みんな起きていたんですね。まぁ、流石に似鳥さんには負けませんでしたけど」

 似鳥が意地になる。

「いやいや、俺だって一度起きて、レストランが閉まってたから部屋に戻ったんだ。早すぎると思ったけど、中にいたなら呼べばよかったんだな」

「じゃあ、やっぱり僕が最後だったわけですか」

 そう言って、遠藤が眉尻まゆじりをかいた。

 犬飼が確認する。

「どうしますか? もうすでに全員が起きているわけですが、やっぱり一度、全員で打ち合わせしておいた方がいいですよね?」

 前夜に続き、遠藤が対策を練る。

「そうだね。除雪作業が必要といっても、事件は事件だし、警察だって真っ先に駆けつけてくるかもしれないから、話すなら早い方がいいだろうね。八時くらいにみんなでロビーに集まりましょう」

「それなら伝えるのも早い方がよさそうですね。早速行ってきます」

 犬飼はすぐに行動に移した。

 その様子を見て、似鳥が呆れて苦笑する。

「部屋に電話した方が早いだろうに。歩いて行っちゃったよ」

 遠藤が真顔で説明する。

「ああ、違うんですよ。部屋に電話はありますが、使えないんです」

「そうなのか」

 似鳥が驚いた。

 遠藤が小声になる。

「従業員も身内だけですし、三階から最上階までのフロアも使えませんし、エレベーターもダメでしょう? 正直、最後の営業とはいえ、期待外れではありますよね」

「まぁまぁ、そう言うなって」

 そう言って、美味そうにビールを飲んだ。

「似鳥さんは酒があればいいんだもんな」

「大先生だって滅多にできない経験ができたじゃねぇか」

「よしてください。何を参考にしろって言うんですか」

 遠藤の反応は真面目そのものだ。

 似鳥にとってはその様子が愉快だったようだ。

「ハハッ、昨夜のネタじゃダメなのか? ホテルマンの犬飼さんを殺人鬼にして創作すりゃいいじゃねぇかよ。本人も乗り気だったんだからよ」

 遠藤が周囲に人がいないことを確認する。

「あの人も一歩間違うと危なそうですよね。奥さんと子供がいるからマトモに見えるけど、そうじゃなかったら相当ヤバいですよ。もし犬飼さんを主人公に小説を書きたいって言ったら、本人はオカルト好きだから大喜びしそうですけど。でも、それだとキューブリックの『シャイニング』以上の傑作を生みだすのは難しいんですよね」

「いや、でも方向性は悪くないよ。頭のおかしい人間を描くのが一番怖いんだからな。昨日も言ったけど、結局はヒッチコックの『サイコ』みたいな古典的なのがいいんだよ」

 似鳥は評論家のような口振りで分析した。

「昨日そういうのが良いって言ったのは僕ですよ」

 遠藤がすぐにツッコミを入れた。

 似鳥が豪快に笑う。

「だと思った。だって俺、見たことねぇもん」

 遠藤が呆れる。

「そんなことだろうと思いましたよ」

 そこで遥が階段の方から歩いてくる。

「人が死んだっていうのに、よく朝からそんなに笑えますね」

 遥が二人を蔑むように見た。

 似鳥が言い訳する。

「いや、この先生が犬飼さんをサイコ野郎だって言うから」

「そんなこと一言も言ってないじゃないですか」

 遠藤が怖い顔をして訂正した。

 遥は冷たい目で言い放つ。

「遺体のそばで笑い話をするんですから、お二人の方こそサイコですよ」

 似鳥が弁解する。

「ちょっと待ってくれ。俺は酒が入ってるけど、大先生はシラフだからな。そこは一緒にしてほしくないな」

「よくこんな朝から飲めますね」

 遥が神経を疑う目で似鳥を睨んだ。

「参ったな。こりゃ何を言っても逆効果になりそうだ」

 似鳥が降参した。

 遥がソファに腰を下ろす。

「それで話ってなんですか? まさか、もう警察が来たんじゃないですよね?」

 遠藤が説明する。

「いや、まだ来ていないけど、よく考えたら、いつ到着してもおかしくないだろうからさ、その前にみんなで確認しておこうと思って」

「えっ?」

 遥が戸惑う。

「確認って、何をですか? 確認しておくことなんてありましたっけ? 昨日の話だと、警察が来るのは遅れるって言ってましたよね?」

 遠藤が丁寧に説明する。

「うん。犬飼さんはそう言ってたね。でもホテルで自殺があったって報告すれば、警察は飛んでくると思ってさ。だってそうだろう? 自殺かどうかを判断するのは警察の仕事なんだから、警察が通報者の話を鵜呑みにするはずがないんだ。事件性を疑うはずだろうから、雪も止んだし、今頃こちらに向かっていても不思議じゃないよ。だから、その前にみんなで事情聴取について事前に打ち合わせしておいた方がいいと思ってさ」

 似鳥が立ち上がり、入り口に向かって外の様子を見る。

 遥は固まったまま、しばらく何かを考えている様子だ。

 遠藤がリラックスさせようと優しい口調で説明する。

「打ち合わせっていっても、やましいことがあるわけじゃないから、そのまま話せばいいんだけどね」

 しかし遥は反応を示さなかった。

 遠藤が場を取り繕う。

「あとは全員が揃ってから話し合いましょうか」

 そこで犬飼が階段の方から歩いてきたのだが、牛久と優子の姿はなかった。

「牛久さんと根津さんを見掛けませんでしたか?」

 犬飼が頼りない表情で訊ねた。

「部屋にいないんですか?」

 質問返しをしたのは遠藤だ。

 立ったまま犬飼が頷く。

「何度かノックしたんですが、返事がありませんでした。用意した朝食を部屋に持っていかれたので、それで部屋に戻られたと判断したんですけどね」

 似鳥がニヤニヤする。

「昨夜、俺が牛久のダンナを引き止めちまったから、今頃やってんじゃねぇの?」

 遥がにらむ。

「人が死んでるんですよ」

「関係ないだろう」

 似鳥が自己弁護する。

「他人なんだしよ。身内の葬式でもやる奴はやるんだし、それに俺は口にしただけであって、実際にしてんのはダンナの方なんだから、俺に忠告すんのは筋違いだ」

 遥が負けずに言い放つ。

「不謹慎じゃないですか」

「出たよ」

 似鳥が耳の穴をほじりながらまくし立てる。

「俺は世の中で『不謹慎』っていう言葉が一番嫌いなんだ。誰がなんと言おうと、俺は酒を飲むよ。冗談もやめないし、笑うのだって我慢しねぇんだ。何かあった時だけシケたツラするだろう? それが嫌なんだよ。不謹慎だと思うなら、人は毎日死んでるんだから、一生笑わずに生きてくれよ。それぐらい貫いて生きてほしいんだ。カッコイイ言葉を使うなら、一瞬でも気を抜かず、死ぬまで笑わないでカッコつけろってんだ」

 遥はひるまなかった。

「貴方みたいな無作法な人がいるから、初七日や四十九日があるんでしょう? いい年して、若い人にこんなこと言われて恥ずかしくないんですか?」

 似鳥が鼻で笑う。

「口の減らねぇ、ネェチャンだな。そりゃ年上の男は逃げるよ。アンタは調子に乗って失敗するタイプだからな。変われる人間ってのは調子に乗る素質があるってことなんだ。アンタの言葉遣いじゃ、みんな逃げてくよ。アンタの周り、今、誰もいないんじゃないのか?」

 遠藤が立ち上がって、似鳥を制する。

「まぁまぁ、よしましょうよ。こんな意味のない言い争いをしても仕方ないじゃないですか。それより牛久さんたちを捜しましょう。雪も止んだし、東京の人だから、きっと外で雪だるまでも作ってるんじゃないですか?」

「そうですね。ちょっと外の方も見てきます」

 犬飼が調子を合わせた。

 そんな中、遥は立ち上がって、階段の方へ歩いて行くのだった。


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