第二幕 第三場 オリンピックホテル フロント
午前一時。
犬飼がレストランの入り口の鍵を閉めた時、ロビーにはまだ牛久と似鳥の姿があった。猪俣はすでに解放されて二階の自室へと戻っていた。
「よおっ、お二人さん、こっちで一緒に飲まねぇか」
似鳥が遠藤と犬飼を誘った。
「俺からも頼むよ」
懇願したのは牛久だ。
遠藤が呆れる。
「まだ飲むんですか?」
その言葉に似鳥が腹を立てる。
「まだって、何時だと思ってるんだよ。一時を回ったばかりじゃねぇか。あの爺さんと一緒にすんなよ。こっちは夜中に何度も目を覚ますような年寄りじゃねぇんだよ。明日だって、時間通りにチェックアウトしなくていいんだろう? ねぇ、犬飼さんよ」
犬飼は逆なでしないように努めて穏やかに答える。
「はい。おそらくバスの運行も遅れると思うので、どちらかというと、チェックアウトしたくても、できないと思います」
「それは構わねぇよ。むしろ願ったり叶ったりだ。死んだお兄ちゃんには悪いけど、明日も温泉と酒を楽しませてもらうよ」
そう言うと、似鳥は二つのグラスに氷を入れて、ウイスキーを注いだ。
「死んだ兄ちゃんに乾杯しよう」
遠藤と犬飼は差し出されたグラスを拒むことができなかった。
「もう、これで三回目ですけどね」
牛久はうんざりといった感じだ。
それに対して遠藤と犬飼は愛想笑いするしかなかった。
仕方なくソファーに座るが、乾杯の言葉はなく、グラスをぶつけることもしなかった。
四人とも黙って飲んで、それぞれ思い思いにため息をつくのだった。
遠藤がグラスの氷をいじりながら話題を提供する。
「でも、どうなんでしょうね? チェックアウトできたとしても、留まるべきなんじゃないですか? 警察が自殺と判断するまでは変死扱いでしょうし、そうなると事情聴取もされますよね。警察に協力するのは当然ですが、無理やり拘束することはできませんもんね。こういった場合どうすればいいのか、かなり悩みますね」
牛久が同調する。
「確かにそうだ。今日はたまたま大雪だから警察が来られないけど、普通の天候なら、とっくに現場検証が終わって、事情聴取も済んで、明日の朝には何事もなかったかのようにチェックアウトしているだろうさ。まぁ、普通の天候なら、あんな余興は初めからなかっただろうし、それなら馬渡君もあの場で死ぬこともなかっただろうけどね」
犬飼が身を乗り出す。
「そこが難しいところでもあるんですよね。例えばチェックアウトが込み合う朝の忙しい時間に、レストランで今回のような変死が起こった場合、今日のように素早く自殺と判断することができませんよね? そうなるとお客さんにその場に留まるようにお願いしても、チェックアウトを急ぐお客さんまで引き止めることはできないんですよ。それを踏まえると、今日泊まっているみなさんにも、無理に引き止めることはできないんです」
「いや」
と遠藤は即座に否定する。
「それは、むしろ無理にでも引き止めるべきなんじゃないですか? レストランなら食中毒の疑いも考慮しないといけないし、伝染病のことも考えないといけないわけでしょ? そこは無理にでも引き止めないと」
犬飼が反省する。
「そうでしたね。どうも例えがいけませんでした。部屋の中で変死した場合で良かったですね。そのケースだと発見が遅れるので、自ずとチェックアウトのお客さんを引き止めることはできないと考えられます。留まっていれば協力を求めるでしょうけど、あとは宿泊カードを警察に提出することしかできませんね」
牛久がソファーにもたれる。
「まぁそうだろうな。現場に刑事が居合わせたら、警察手帳を見せてさ、『警察です! ホテルから一歩も外へ出ないでください』なんて叫ぶんだよ。そういうのドラマであるだろう? その場に出くわしたら、やっぱり従うしかないんだろうな」
遠藤が思い出す。
「そういえば似鳥さんって元刑事ですよね? だったら、それこそ我々を引き止めるように説得しないといけないんじゃないですか?」
「知らねぇよ」
と似鳥はウイスキーを呷る。
「だって俺、内勤しかしたことねぇもん。そういうのは現場に任せればいいんだよ」
「ちょっと待ってよ」
と牛久が真顔で抗議する。
「さっき自分の告白は本当のことだって言いましたよね? 内勤なら事実じゃないじゃない」
「ああ、あの告白は内勤に移動になった同僚の話だ。俺は捜査二課だから強盗は扱ったことねぇんだ。殺しは専門じゃないから検視の知識もさっぱりで、詳しいのは株くらいだな」
似鳥に悪びれた様子はなかった。
牛久は嫌悪感を隠さなかった。
「言うことがコロコロ変わる人だな。どうせ警察にいたっていうのも嘘なんじゃないの?」
似鳥が豪快に笑う。
「あはははははははっ、それは本当だよ」
犬飼が空になった似鳥のグラスに新しい酒を作る。
遠藤は自分でグラスに氷を足しながら話す。
「ふと、思ったんですけど、警察が来る前に泊り客が全員チェックアウトした場合、犬飼さんたちが警察に事情を説明するわけですよね? 果たして説明を受けたところで、警察はすんなりと自殺と断定してくれるものですかね? 我々はその場にいたから暗闇であっても、彼が自分で毒を飲んだって分かりますよ。だけど第三者がどう判断するかは、いまいち、これといった見通しが持てないんですよね」
牛久が腕を組んで唸る。
「大丈夫でしょ。毒なんて簡単に手に入らないんだし、入手先は限られているわけだから、馬渡君が実家の病院から盗んだっていうのが分かれば、我々が疑われるようなことはないよ」
犬飼が頷く。
「それは馬渡君の告白が真実だった場合に限りますけど、実際に毒で死んでいるわけですから、話したことが全てではないにしろ、大まかな部分は現実に沿っているんでしょうね。予想することしか出来ませんが、おそらく父親を殺したいほど憎んでいたとか、そんなところじゃないでしょうか」
似鳥がニヤニヤする。
「だったらよ。あの兄ちゃんの告白が全部嘘なら、どういうことになるんだ? いや、どう考えても自殺だってのは納得してんだ。でもよ、あの告白は、どうにも嘘臭くてな」
牛久が笑う。
「それは似鳥さんが嘘をついてるから他人の話も嘘だと思うんでしょう。僕は別に、そういうのは感じないな。ああ、いや、あの『犯罪の告白』は元々真実だけを語るものではありませんよ。だから、つまり、馬渡君は事実だけを語ると宣誓して我々を騙したわけではないという意味です。だから告白に嘘を混ぜたとしても、嘘つきということにはならないんですよ。あぁ、なんだか話がややこしくなっているな」
遠藤がグラスに酒を足す。
「例の『犯罪の告白』も自殺を裏付ける決め手になりましたが、一番の理由は馬渡君が一人客だったから事件性を排除できたんですよね。これで牛久さんのように同伴者がいたら、別の一人が殺害したんじゃないかと疑わざるを得ない状況となります。不可能と思える状況でも、何らかのトリックがあったんじゃないかと、僕なんか朝まで考えてしまいそうです。その、不謹慎を承知の上で告白しますが、今回の件を小説にできないかっていうのは、嫌でも考えてしまいますね」
牛久がフォローする。
「職業病ってヤツでしょ。気にすることはないですよ。爺様に塩を入れるヤツよりはマシなのができそうだ」
似鳥は笑ったが、犬飼は笑いを堪えた。
「その話はもういいですよ」
遠藤はあからさまに不機嫌になるのだった。
「悪い、もう止そう」
そう言って、牛久は遠藤のグラスに酒を注いだ。
「あれ?」
と遠藤が思い出す。
「そういえば、馬渡君は以前にもこのホテルに泊まったことがあるって言ってましたよね? 食事を始める前かな? スイートルームがどうこうっていう雑談の時に聞いたな。ということは、奥さんはともかく、犬飼さんと猪俣さんは初対面ではないんじゃないですか?」
犬飼がはっきりと分かるように首を振る。
「馬渡君とはチェックインの時にも話しましたが、一度泊まっただけのお客さんの顔まで覚えきれません。今日のような特別な日なら別ですけど、お客さんが減った時期でも、すべて記憶できるわけじゃありませんからね。猪俣さんなら憶えている可能性もありますが、いや、流石の猪俣さんでも不可能でしょうね」
「ちょっと待って」
と牛久が犬飼を制する。
「いま、『一度泊まっただけの客』って言ったね? どうして馬渡君が一度しか泊まらなかったことを知っているんだい? 記憶がないと言いつつ、しっかり記憶しているじゃないか」
「やめてくださいよ」
と犬飼が弱り顔で続ける。
「それは言葉のあやじゃないですか。何回泊まったか分かりませんけど、分かりやすく説明するために、一見さんのお客さんは憶えられないって言ったんです。もう、牛久さんが刑事だったら大変な目に遭いそうですね」
牛久が笑う。
「いや、こういうのは『コロンボ』や『古畑』でもあるだろう? 言葉尻から犯人に目星をつけるキッカケを掴むんだ。表現の違いが証拠にもなったりするんだよな」
犬飼は納得しない。
「そんなことで犯人にされたら、たまったもんじゃないですね」
「ただね」
と遠藤は神妙な面持ちで語る。
「そうは言うけど、犬飼さんが憶えていなくても、馬渡君はしっかり憶えていたという可能性はあるんだ。物語としては、前に泊まった時に何かを目撃して、それをネタに犬飼さんを脅迫しにきて、油断した馬渡君を犬飼さんが毒で返り討ちにしたというシナリオは充分考えられるわけだね」
犬飼は笑うしかないといった様子だ。
「遠藤さんまでやめてくださいよ」
「そういうのは飽きたな。それに毒で返り討ちというのは無理がある」
と牛久が別のアイデアを練る。
「それだったら痴情のもつれの方が面白いだろうね。犬飼さんの奥さんと馬渡君が繋がっていて、二人で犬飼さんを殺そうとするんだけど、死んだのは馬渡君なんだ。その死は自殺と処理されるんだけど、ここからサスペンスが始まるんだ。奥さんは旦那に気づかれたかどうか分からなくてさ、毎日ビクビクしながら生活しなくちゃいけなくなる。旦那の方は知らんぷりしてるから、実際に旦那が馬渡君を殺したかどうか分からない。それで奥さんは旦那の優しさまで疑うようになるんだよ。最高だろう? 殺害計画を失敗した奥さんに迫る恐怖ね。これが堪らないんだ」
「まぁ、それもよくありそうだけど、悪くないね」
似鳥が評価した。
犬飼が苦笑する。
「名前を勝手に使われたのはあまりいい気分はしませんが、内容は面白いです。サスペンスがベースになるんでしょうけど、サイコ・スリラーの方向に持っていくこともできますよね。真面目な旦那が恐怖を与えるっていうのが正にそれで、観客も最後まで旦那さんが男を殺したか分からない。奥さんに感情移入してしまうと、旦那さんにいつ殺されるか分からないという恐怖を感じることができますね」
遠藤も認める。
「ヒッチコックの作品にありそうな感じで、悪くないどころか、僕もかなり好きなタイプの作品ですよ。幽霊による心霊現象や、暴力描写以外にも恐怖を演出できるんですよね。心理的な不安を煽られるのが一番精神的に堪えたりするので、そういう作品がもっとあればいいんですけど、明るいリビングで観るテレビだと、作り手はかなり苦労するでしょうね。僕は電気を消しますけど、みんながみんなそういう風には観てくれないでしょうし」
牛久が感激して握手を求める。
「おぉ、ジャンルによって部屋を暗くするのは俺だけじゃなかったか。余計なお世話かもしれないけど、ヘッドホンをするだけでも全然違うでしょう? 音楽番組もガラッと印象が変わるもんな。俺も勧められた口だけど、安物でもいいから、あれは試してみる価値はあるよね」
そこで全員がひと息つく。
遠藤はグラスの中の氷を指でかき回しながら口を開く。
「かなり話が逸れてしまいましたが、そろそろ元に戻してもいいですかね?」
「なんの話だっけ?」
牛久が訊ねた。
「ええと」
と遠藤は思い出すように話す。
「そうそう、警察の事情聴取ですよ。警察が到着する前に我々全員がチェックアウトしても、犬飼さんにはきちんと説明できるようにしてもらいたいんです。馬渡君とは全員が初対面で、一緒に食事をしたが、それはあくまでホテルの閉館を共に惜しむためのものであって、特別な関係ではなかったとね。冷たいかもしれませんが、そこはきちんと説明しないと、警察も混乱しますから。こういうのは無機質に答えるのが一番です。無駄な嫌疑をかけられないように、誤解を招く話はしない方が、お互いのためではないでしょうか」
相当酔いが回っているように見える似鳥が身を乗り出す。
「遠藤さんよ、『犯罪の告白』に関してはどうするよ? 訊かれてはまずい話をした奴はいないと思うが、事情聴取で説明するのは面倒じゃないか? まぁ、やばそうなのは俺の隣にいた若いネェチャンくらいだろうけどな」
牛久が他人事のように意見する。
「ああ、包丁で怪我を負わせたんでしたっけ? 身内で処理してなかったことにしたみたいだけど、あれでも傷害事件になるのかな? まぁ、本当の話かどうか分からないですけどね。だって刺し傷を見たら医者が警察に通報するでしょう?」
遠藤が冷静に答える。
「でも馬渡君が父親殺しの告白をしたことは説明しなければなりません。それで彼の実家が病院だということが分かり、毒物は彼が持ち込んだと即座に判断できたわけですから。我々の行動を説明する上で不可欠な要素ですね。ゲーム感覚で『犯罪の告白』をして遊んでいたといえば、呆れられるかもしれませんが、疑われる心配はなくなりますよ。特にミステリー作家の僕が居合わせていて、実際に提案したのも僕ですからね。神経を疑われるのが僕一人なら、隠す必要はないでしょう。といっても、これ以上は四人で決めることではないので、後は明日の朝にでも、みんなで打ち合わせしましょう」




