続き
遠藤が『犯罪の告白』を促す。
「それでは根津さん、話していただけますか?」
「はい」
優子は緊張した面持ちで答えた。
しばしの間があり、それによって空気が張り詰める。
無言の状態が続いたが、静寂を破る人は誰一人いなかった。
「ごめんなさい。いざ話そうとすると、胸がつかえて」
そこで優子は言葉に詰まった。
泣きそうになるのを見て、牛久は黙って優子の背中をさする。
そこで優子は落ち着きを取り戻そうと大きく息を吸い込むのだった。
残りの蝋燭は六本。
闇が近づきつつある。
そんな中、一転して、優子が明るい表情で語り掛けるのだった。
「話す前に、みなさんに生まれたばかりの赤ん坊を想像してほしいんです。それはそれは小さくて、この世の中にあるどんなものよりも可愛らしい女の子です。私はその子に、自分の名前から一文字取って、優香と名付けました。優香はおっぱいをたくさん飲む子で、そのあまりの飲みっぷりに、『将来、太らなければいいな』って心配しちゃうほどでした。太るかどうかは分からないけど、すくすくと育った優香は目がぱっちりしていたので、美人さんになることだけは確かだと思いました。親バカですかね?
ハイハイするのも早くて、これはちゃんとした言葉を話すのも早いかもしれないって思って、ことあるごとに『マ、マ』って言って聞かせました。だって初めて話す言葉は絶対に『ママ』がいいって思ってたんで、もう洗脳に近いですよね。でもだって、大きくなってケンカした時、娘に言ってやりたいじゃないですか。『あんたはママが好きで好きで仕方なかったんだよ』って。その努力が報われたのか、生後十カ月で『ママ』って言えるようになったんですよ。うちのお母さんからは『それは違う』って言われましたけど、私の耳にははっきりと聞こえたんです。それってやっぱり親バカでしょうかね。
成長した優香はいつもニコニコしていて、おむつのコマーシャルに出ていてもおかしくないほど可愛くて、ベビーカーに乗せて買い物に行くと、年配の方からたくさん声を掛けられるんですよね。髪の毛も切るのがもったいないくらい綺麗で、可愛らしい服なら何だって似合いました。でも、クリクリの目や、ぷにぷにのほっぺや、つやつやの髪より、真っ直ぐ見つめる、その清らかな瞳が私の自慢でした。食べ方も綺麗で、挨拶もしっかりしていて、幼稚園に通う頃にはすっかり、どこに連れて行っても恥ずかしくない子になっていました。
幼稚園の頃の思い出は、なんといっても学芸会でやった『つるの恩返し』の鶴役ですね。白い着物に黒い髪が映えて、それが本当の鶴のように美しくて、飛び立っていく姿には胸が締め付けられました。優香もいつか大人になって、私の元から旅立つ日が来るかもしれない。そんなことを考えただけで、優香と過ごす一分一秒が愛おしく感じるんです。どこにも行ってほしくないけど、女の子ですもんね。嫌でもそういう時がやって来るでしょう? だから女の子はそれまでの時間を何よりも大切にしたいと思うんです。
小学校に上がるタイミングで、何か習い事をさせたいって考えたんですけど、何をさせるかすごく悩みましたね。一番は本人のやりたいことをさせてあげることなんでしょうけど、優香が『ママと一緒に決めたい』って言ってくれたので、私も考えることになったんです。ピアノやバレエだと発表会があるので優香にピッタリだと思ったんですけど、遠回しな言い方で、本人があまり乗り気じゃないと分かったので諦めました。それで『ママは子供の頃、何をしてたの?』と訊かれたので、私は『ソロバンだよ』って答えたら、『優香もママと同じ習い事をしたい』って言い出して、結局ソロバンを習わせることにしたんです。九九を覚えるのも早かったですし、数字のパズルも好きだったので、元々そういうのに興味を持つ子だったんですね。それから小学校四年生の時に学習塾に通わせて、いえ、これは優香が言い出したんです。『私、たくさん勉強して、いい大学に行って、大きな会社に入って、ママを今よりもっと幸せにするからね』って。もう充分すぎるほど幸せなのに、そんなこと言うんですよ? どこか、私が無理してるって思ったんでしょうかね? 子供は見ていないようで見ているって言いますもんね。もう、その言葉だけで、他は何もいらないって思いました。
大人になると時が経つのを早く感じますが、子供の成長を見ていると、本当に実感しますね。頭の中では、まだ幼稚園に通っていた頃の感覚が残っていて、ついつい口うるさくしてしまいます。門限はありませんでしたが、それでも暗くなるまで家に戻らないと、ガミガミと文句を言ってしまうんですよ。でもそれは怒っているんじゃないんです。心配で心配で、不安で仕方ないから、安心させてほしいだけなんですよ。娘は娘で利発な子だから、私のそういう気持ちまで全部分かっているんです。特に目立った反抗期というのはありませんでしたし、娘の方がしっかりしていたりするんですよね。ただ、反抗期もなく、素直に育ってくれましたが、それはそれで不安になるのが親心で、本当はすごく我慢しているんだろうなっていうのが、肌で感じられました。年頃の子供なんですから、たまには周囲に当たり散らしたい時だってあるでしょう? 喧嘩して大声を出したい時や、泣きじゃくって目を腫らしたい時だって、あるに決まってるんです。でも優香は、いつも私に気を遣ってくれました。
中学三年生になった、ある時、男の子から電話がありました。でも相手は『間違えました』と言って切っちゃったんですね。けれども、なぜかピンとくるものがあって、今のは優香に掛かってきた電話だと直感で、そう思っちゃったんです。そんなことを思ってしまった途端、自分でも心の中が整理できなくなってしまいました。私も中学生の時は好きな男の子がいたので、娘の恋愛に関しては何も思いません。心が乱れたのは、そこではなく、そういうことを母親の私に何一つ話してくれないことが引っ掛かってしまったんです。だからといって、私から話を切り出すこともできず、しばらくよそよそしい態度になってしまったことは否めません。でも、優香ではなく、自分の子供の頃を振り返った時、私も母に恋愛を打ち明けたことがないことを思い出して、それで似た者親子だったんだと納得することができたんです。そのうち、いい人ができたら、ちゃんと紹介してくれるだろうし、何も心配する必要がないって思いましたね。
そんな優香を、私は、この手で、殺してしまったんです。生まれていれば、来年には高校生になっていました。十五年前、私は身ごもった子供を堕ろしてしまったんです。堕ろしてしまってからも、ちょうど生まれてきそうな日を誕生日にして、ちゃんと祝ってあげたんですよ。毎日毎日、もし産んでたら、どんな子になっていただろうかって想像して、眠りに就くんです。小学校の入学式があった日には、実際に小学校の校門まで出掛けました。そこで校門の前に立つ子供を想像して、写真を撮ってあげるんです。中学校に入学する年には、指定の制服まで買い揃えてあげました。それを時々、クリーニングに出してあげるんです。
そんな日が、今日まで、一日も欠かさず続いてるんです。私は、堕ろした子に謝りたくて、謝りたくて……」
そこで優子は泣き崩れてしまった。
優子が蝋燭を消さないので、誰も何もできないでいる。
しばらく間があった。
しびれを切らしたのは牛久だった。
「すいません。少し休憩させてもらっていいですか?」
牛久が優子の手を握ってお願いした。
他の者にとっては沈黙が答えだった。
牛久は優子の肩を抱いて、明かりの届かない隅へと移動した。
この空気に耐えられないように、「俺も便所に行きてぇ」と似鳥が要望した。
「私も」
遥も便乗した。
「それでは十時まで休憩しましょう」
遠藤が決定を下した。
それから優子の代わりに蝋燭を吹き消そうとしたが、思い留まるのだった。




