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ビブラートの上で寝る羽織蝿の皇女とスタッカートで剣を振る螺鈿鬼蜻蜓の皇子

作者: 風連

ブツクサ言いながら、銀黒ぎんぐろあり達が、行進して行く。

まあ、簡単に言えば、引っ越しだ。

女王蟻の決定は、文字通り、国を揺るがすのだ。

デイジーの庭を過ぎると、柔らかなクローバーが現れる。

突然の銀黒蟻に、金紗の小さな蟻が逃げて行く。

銀黒蟻の顎は大きく、行く手をなぎ払いながら、脅しているようだった。

女王蟻が無言で顎をしゃくると、連隊は止まり、そこが今度の巣になるのだ。

赤と灰色の縞模様の石の下が選ばれた。

側にポプラの木がポツンと佇んでいる。

青斑あおぶち飛蝗ばったが、長い脚を手入れしながら、蟻の御一行を葉の上から覗いていた。

やれやれと言った顔で、最後尾の蟻がやっと止まった。

まずは、拙攻が走り、兵隊蟻、親衛隊、大臣達、女王蟻、卵を抱えて運ぶ乳母、その後を働き蟻が歩き、最後は、新米の兵隊達だったのだから、長い長い列だったのだ。

覗き見しているのは、飛蝗ばっただけでは無い。

ポプラに住むあらゆる種類のむし達が、蟻の行進を見ていた。

関係無く、巣穴を出たり入ったり忙しいのは、栗鼠りす達だった。

赤と灰色の縞模様の石の下、蟻の王国が出来上がったのだ。

そのまま、中に入った女王蟻は、もう2度と、死ぬまで巣穴の入り口には、出てこないだろう。

ポプラの長年の落ち葉の中を、水車地虫すいしゃじむしが三匹、ザワザワと音を出しながら、潜って行った。

齧りかけのキノコを残し、何故だか急いでいる。

積木百足つみきむかでにぶつかり、無駄に怒鳴られたが、水車地虫は、どうにかやり過ごし、急ぎの用事を済ませに向かった。

水車地虫が、辿り着いたのは、ポプラの3番目の小さな穴だった。

入り口には黄水晶揚羽きすいしょうあげはがオロオロと待っていた。

その大きなキラキラ光る羽根は持ち主の心のままに右に左に、不安を飛ばしている。

心配で穴を覗くが、彼の大きな羽根では、この穴に潜る事は出来ない。

下を2度3度見て、水車地虫を見つけると、彼の羽根のキラキラがようやく止まった。

「遅い遅い、もうもう、直ぐですよ。」

「急かすな、まずそこを避けろ。」

先頭の水車地虫が黄水晶揚羽に怒鳴り散らし、続いて後ろの2匹が、喘ぎながら狭い穴に飛び込んだ。

「こちらです、お急ぎ下さい。」

待っていた案内役の羽織蝿が、3匹を急かす。

「蟻だ蟻。

何も今、引っ越さなくても良いのに。

巣移りの連隊に出鼻をくじかれたんだ。」

「そうですか、災難でしたね。

こちらです。」

くねる長い廊下を、ちょこまかと羽織蝿はおりばえが水車地虫を産室に連れて走る。

「やっ、間に合った様ですな。」

羽織蝿のすめらぎが、ニコニコと待っていた。

心配性のおきさきの顔がパッと明るくなった。

ゼイゼイ息があがった3匹の水車地虫達は、まあまあと、手を振るのがやっとだった。

羽織蝿達には羽根が無い。

結婚の儀式を終えると、飛ぶ為の羽根を失うのだ。

その後には、飛ぶことの出来ない柔らかな飾り羽が下から現れる。

それがまるで羽織はおりの様に四角い羽根だったのだった。

そこかしこにさなぎが吊り下がっている産室の天井の1番天辺いちばんてっぺんに、ひときわ大きな蛹がぶら下がってる。

水車地虫達は、ようやく背中の荷物を降ろした。

「素敵。

わたくしの時も、デイジーの香りに包まれたのですわ。」

お妃様の羽織蝿がうっとりとデイジーの香りに酔いしれていると、小さな亀裂が蛹に入った。

小さな亀裂の穴から、そっと外を覗いているのがわかる。

陽気な皇が手を振った。

お妃は、まあ、という顔をした。

それから、構ってられないわ、と、ばかりに、蛹に声をかけた。

「いらっしゃい。

貴女も気にいるわよ。

デイジーの花粉はそれはそれは美味しいのよ。

お腹、空いたでしょう。」

幼虫から蛹になる前は、大変身メタモルフォーゼのために、何も食べないのだから、お腹は空き放題になっている。

裂け目を小さな手が、そっと広げた。

柔らかな金色の頭が出てくる。

蛹の外側を伝い、どうにか尻尾まで出ると、後ろ足で逆さまにぶら下がる。

身体より大きな羽根が、少しずつ乾き広がり、若い羽織蝿らしくなっていった。

王たる者、最初に羽化しなけば、示しがつかない。

ゆったりとひと羽ばたきして、皇女ひめみこがデイジーの花粉の上に舞い降りた。

もう、お妃は泣いている。

皇女は久方ぶりの誕生だったのだ。

おめでとうございますの声がそこらに響いた。

手も口も真っ黄色な皇女は、食べるのに夢中だ。

この最初の食事は何人も邪魔出来ない。

水車地虫達も苦労の甲斐があったというものだ。

その後、蛹が次々と割れ、新しい羽織蝿が、次々と生まれてきたのだが、皇女より一回り小さく、飛ぶための羽根は、すぐに落ちてしまうのだった。

外を飛行するのは、皇族おうぞくだけなのだ。

花粉で真っ黄色だが、もちろんもう子供ではない。

さなぎから、かえれば、1人前なのだ。

「御機嫌よう、お父様、お母様。」

それは別れの言葉でもあった。

皇女ひめみこは、次の王国を作らなければいけないのだ。

花粉を拭い、ひとつお辞儀をした後、皇女は柔らかな羽を連れて、外へと走り出した。

残された皇とお妃は、若い羽織蝿達とこの国を守っていくのだ。

「頼んだぞ。」

水車地虫が、頷く。

「羽があるうちは、追うのは無理なので、蜻蛉とんぼが、受け持ってくれましたから、ご安心ください、すめらぎ様。」

泣き止んだお妃も、嬉しそうだ。

「ありがとう、ご苦労ですが、お願いしますね。」

背中の花粉を振り落としながら、水車地虫達は、穴の外に急いだ。

蜻蛉に任せてるといえ、心配は尽きない。

案の定、外には、揚羽も皇女も居なかった。

黄水晶揚羽きすいしょうあげはは、気持ちが優しい分、飛ぶのがゆったりで、チョコマカと飛行する羽織蝿の皇女を、もう見失っていた。

彼女にすれば、今だけの自由飛行なのだから、とどまる事なんて出来ない。

飛びつかれて、デイジーの花畑の真ん中に降りた。

休むのと食事が一緒に出来る。

幼虫だった蛆虫の頃、お母様から聞いていた外の世界だった。

「そうそう、雨に気をつけなくちゃね。」

雨が避けられる場所で寝なくちゃいけなかったのだ。

生まれ変わったばかりで、かなり飛んだので、辺りの景色はすっかり変わっていた。

羽織蝿はおりばえは、蝿そっくりな姿をしているが、どちらかと言うと、白蟻そっくりな生態だったので、この羽根がやがて、落ちてしまうのを教えられていた。

皇女は、グンと、高く空に上がった。

生まれ育ったポプラの樹が、見える。

その反対に、青い屋根の人間の家が見えた。

「あれね、お母様が言ってた屋根は。」

皇女が、そちらに向かっていた頃、黄水晶揚羽と水車地虫が揉めていた。

見失った黄水晶揚羽が悪いのだが、蜻蛉の姿も見ていないと言うから、水車地虫の気の揉めようはしかなく、ついつい言葉が粗くなったのだった。

デイジーの花畑から早咲きの薔薇の園が表れ、レースのカーテンが、彩りを添えている。

はためくカーテンに当たれば、羽織蝿ごときは、弾かれ飛ばされてしまう。

タイミングを見定めて、ツイっと部屋の中に入った。

羽織蝿は蜂やましてや蝿の様に、無駄な羽音は出さない。

フワリとゴブラン織りの1人掛けの椅子の背に舞い降りた。

誰もいないが、油断は出来ない。

安心できる場所を早速探す。

そこはピアノ室で、ラップトップのピアノと沢山の楽譜の入った本棚とオーディオセットが置かれていた。

羽織蝿の皇女が入ったのとは反対側の窓の下に、小さなテーブルに乗って、固い蕾の百合の鉢植えが、あった。

その傍に何故かタンポポが花を広げている。

タンポポの匂いも、羽織蝿の皇女は、大好きだった。

そっと、そちらに舞い降りると、葉の影をさがし、柔らかな草のベットの上でひと伸びをしてから、眠りについたのだった。

夕暮れが来て、ひとの手で窓が閉ざされ、厚いカーテンが引かれた。

いつの間にかタンポポの花は閉じていて、夜のとばりの中、羽織蝿の皇女と共に、眠りについたのだった。

カーテンの隙間から、月明かりが、羽織蝿の皇女とタンポポの眠る部屋に、一筋の明かりを投げかけ出した。

その光と闇の中をゴソゴソ動くものがいる。

ザワザワとした足音に、皇女は眼を覚ました。

触覚の震えは、音の方を指している。

闇の中から、太い脚の蜘蛛がヌッと表れた。

羽織蝿の皇女は怖さでブルブル震えていたが、ジッと耐えた。

やがてその蜘蛛は、ガサゴソさせながら、何処かに消えていってしまったが、余りの怖さで、皇女は寝ることも動くことも出来ないでいた。

長い夜が明けた。

人がその手で窓を開けてくれなくては、ここからは出られはしない。

朝の訪れに花弁を開き始めたタンポポの陰で、身を縮めていると、重いカーテンが開き、窓があけられたのだった。

それでも、ジッと辺りをうかがう。

無駄に飛び出して、昨夜の蜘蛛に逢いたくはないのだ。

カーテンが揺れるたび、薔薇の香りが部屋の中を、ワルツを踊る様に出たり入ったりしている。

意を決して、葉陰から飛び出すと、蜘蛛だ。

朱隈取あかくまどりの大蜘蛛が開け放された窓の直ぐ下にいた。

羽織蝿の皇女は、思わず悲鳴を上げる。

そこに、螺鈿らでん鬼蜻蜓おにやんまの皇子が、銀の羽根をビンビンと鳴らし、剣の切っ先を朱隈取の大蜘蛛に向けながら、素早くレースのカーテンを避け、羽織蝿の皇女と蜘蛛の間に表れた。

今にも、その鋭い剣で刺されそうな大蜘蛛は、慌てたので、壁から転げ落ちて、床の上にだらしなくその毛むくじゃらの脚を広げた。

「待て待て、どうした。

ワシじゃ、御器被ごきかぶり食いのアシダカだぞ。

早まるな、鬼蜻蜓おにやんまの皇子。」

蜘蛛の鼻先で、半回転しながら、鬼蜻蜓の皇子は、剣を引っ込めた。

朱隈取あかくまどりのアシダカ蜘蛛でしたか。

失礼いたしました。

こちらの羽織蝿の皇女様の護衛を言付かりながら、昨夜は見失い、今参上したのです。」

礼儀にのっとって、螺鈿鬼蜻蜓らでんおにやんまの皇子は頭を下げ、剣を収めた。

半泣きの羽織蝿の皇女は、気まずさから、なんとなく、ふくれていた。

「お父様とお母様ね。

ありがとう、心配はいらないわ。

わたくし、もう一人前なんですもの。」

朱隈取のアシダカ蜘蛛がカンラカンラと高笑いをする。

「久方ぶりの皇女様ですな。

お母上より、気が強い。

どれ、ワシは御器被り退治に向かいます。

失礼、お姫様、鬼蜻蜓の皇子。」

アシダカ蜘蛛が、何処かに消えると、羽織蝿の皇女は、急にお腹が空いてきた。

蜻蛉とんぼなんてと、ツンとして、サッと外に出た。

薔薇の上を飛び、デイジーの花粉の上に降りると、朝ごはんを食べた。

その先には、白樺しらかばはんの木が森を作っている。

やがて、羽織蝿の皇子が飛んでくるだろう。

揺れるデイジーの上で、お腹がいっぱいになった羽織蝿はおりばえの皇女は、デイジーの花と共に風に揺すられ、その優しいビブラートの上で眠り、スタッカートで剣を振る螺鈿鬼蜻蜓らでんおにやんまの皇子は、抜け目なく辺りに眼を光らすのだった。

何せ、羽織蝿の皇女は、本当に久方ぶりだったのだから。

心配性の水車地虫ものんびり屋のくせに落ち着きのない黄水晶揚羽も、もう直ぐやって来るだろう。

羽織蝿の皇子の羽音が、白樺の向こうから、竪琴たてごとで子守唄を奏でる様に、優しくそっと微かに聴こえる、昼下がりの花畑であった。


今は、ここまで。

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