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桃花記 ~ たれかれ、花思ふ ~  作者: 一色家家人 何某彼某
9/9

瑠璃色



 海賊騒動並び浦島清海の反乱から七日。一色家長子桃太郎の裁断により浦島清海は斬罪、嫡男達海は蟄居を下され、旧浦島領は一色家の直轄地となり、港は一色政春の管理下に置かれた。


 浦島瑠璃は未だに本城に居る。彼女もまた浦島家の血胤として家族と一緒に軟禁の状態にあった。達海のように正式な処分は下されていないが、それでも兄と同じような立場には変わらない。

 瑠璃は与えられた小さな部屋でぼうっと丸枠の障子に頬杖をついて外を眺める。

 端正な顔立ちは物憂げに映り、ややつり目の眼差しは冷ややかである。

 物静かで淑やかな佇まいの少女。初めて顔を合わす者は見惚れるかもしれない。

 しかし彼女を知る者はそうは感じない。

 部屋の中でぱたぱたと落ち着きなく足が跳ねる。着物の裾が揺れ、白いふくらはぎが見え隠れした。不満そうに柳眉をひそめた。

「いつまでいなきゃなんないのよ」

 じろりと無人の廊下を睨む。縁側で遊ぶ雀たちが慌てて飛び去って行った。

 さきほどの寂しげな表情はどこへ行ったか。憤然として肩にかかる綺麗な黒髪を払い、唇を尖らせる。

 さまざまな思惑の中、海賊騒動は終わりを迎えたのだ。

 瑠璃は疲れたように小さく息をいた。

「……」

 父の顔を最後に見たのは海の上だった。政春率いる軍船に、縄を括られ連行される後ろ姿だった。転がるように状況が急変したあのとき、軍船の上で呆けることしかできなかったが、鮮明に覚えている。父の大きな背中、血塗れの手、憔悴しきった横顔――。そして、父が処断されたと聞いたとき、涙は流れなかった。覚悟ができていたから? たぶん違う。

 ただ父のことをよく知らないだけ。

 浦島清海がどんな人生を歩み、どんな想いを抱えて、散っていったのか、彼の何がそうさせたのか。瑠璃はまったく知らないのだ。

 それでも。

 生きてほしいと願ったのは紛れもない本心だ。父や兄がいなくなってしまっては浦島家も港町も救われない。無力な自分にはそれぐらいしかできなかった。政春に直談判をして頭を下げた。恥ずべき行動とは思っていない。自分も役に立ちたかったのだ。

「……落ち込んでても仕方ないよね」

 ややあって、瑠璃は窓から離れた。それから部屋を見渡し障子の向こうを振り返る。

 誰もいない。

 素早く障子を開けて、廊下を確認した。

 やはり誰もいない。

 瑠璃はふふっと勝ち誇った笑みを浮かべて、部屋を抜け出した。

「あれ? 瑠璃さん。どうされたんですか?」

「……」

 なぜ見つかったのか。思えば本城の勝手を知らなかった。だから外に面する廊下を突き進んでいけば、角で千鶴に鉢合わせしたのだ。

 くりっとした丸い瞳をしばたたかせて、こちらを見上げている。

「……」

「おー、瑠璃ー? 何してんの?」

 固まっていると千鶴の背後から声が届く。くせの無い髪を襟足あたりで一本に束ねて、いつものような明るい色をした着物を着ている。縁側に腰かけ、手ぬぐいを首から下げて、側には無骨な木刀と朱色の鞘に収められた太刀が立て掛けられていた。

「なんであんたまで……」

 ひたすらに呻く。

 桃太郎は前髪を掻き上げてこちらを笑う。

「男子たるもの鍛錬はしなきゃな」

 彼は庭先を一瞥した。視線を追いかけると、忠治と千哉が木刀を持って対峙していた。木刀がぶつかる度に乾いた音が響く。千哉が冷たい表情で木刀を片手で扱い、忠治の剣を受けたりいなしたりしている。素人目から見ても忠治は苦戦しているように思えた。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 小さく息をくと、視界の端でひらひらと腕を揺れる。左腕を振る桃太郎を見て、瑠璃はちくりと胸が痛んだ。

 目を逸らしながら訊ねる。

「怪我は、もういいの?」

「ん? ああ、治ったよ」

「そう。……なによりだわ」

 にこにこする彼に素っ気なく答えると、目の前にいた千鶴がずいっと顔を近づけてきた。びっくりして一歩引くが、千鶴は気にしていない様子で小首を傾げた。

「な、何?」

「瑠璃さん……何か悩みごとですか?」

「……はっ?」

 眉をひそめつつ、彼女を見つめる。

 出会ったときから不思議な少女だと思う。勘の鋭いところや他人の気持ちを機敏に捉えるところ、不意に投げかけられる言葉には不思議なぬくもりや安らぎを覚える。それに助けられたのは記憶に新しい。

 彼女の声音や眼差しには霊妙な力でもあるのだろうか。

 困惑していると千鶴は瑠璃の右手を両手で包み込んで、真っ直ぐに訴えた。黒目がちのつぶらな瞳がこちらを見つめる。

「もしよろしかったら……わたしでは何も力になれないかもですが、話だけでも」

「…………」

 確かに悩みはあるが迷子になったなんて言えない。

 しかしそれ以上に。

 ……かわいい。

 守りたくなるほど愛くるしい。

 彼女の兄が盲目的に千鶴を求めるのがなんとなくわかった気がする。唇が上がったように感じたときハッと我に返り、心配そうに唇を引き結ぶ千鶴に、瑠璃はぽろっと口を滑らした。

「別に。悩み事なんてないわ……。海を見たいと思ったのよ」

「海は……厳しいな」

 桃太郎が小さく肩をすくめて言う。

 南北に楕円形に広がる一色領。一色の本城は内陸にあり、浦島の港町までは三日ほど掛かる距離にある。

「小さい丘しかないし、せいぜい城下を見渡せる程度だな」

「瑠璃さんはやっぱり海が好きなんですか?」

「好きか嫌いかって言われたら好きよ。生まれたときからずっと見てるし、永遠に広がる青色は綺麗だと思わない?」

「そうですよねっ」

 すると千鶴がきらきらと目を輝かせる。そう言えば千鶴の出身は一色領の北地だという。この前海を見たのが初めてだったのだ。瑠璃は腰に手を当てて自慢する。

浦島(わたし)の屋敷から見る夕日はとても綺麗よ。青い海も素敵だけど橙色の染まる空と海も美しいわよ」

「わぁっ」

 喜ぶ千鶴に瑠璃はほっと安堵した。そしたら桃太郎が口を挟んできた。

「この前はちゃんと見れなかったもんな、海」

 眉尻を下げて申し訳なさそうに呟くと、すぐに千鶴がぶんぶんと首を振った。

「そんな! 桃太郎様のせいじゃないですっ!」

「あんたは悪くないわ。元はと言えば私が……」

 口にした途端、二人の視線が突き刺さる。批難にも似たそれに瑠璃はたじろいだ。

「な、何よ」

「怪我ぐらいどうってことないよ」

 桃太郎は笑顔を消して真剣な表情で言う。

「戦場に立ってんだから撃たれる覚悟くらい持ってる。瑠璃が気にすることじゃないよ」

「そうです、瑠璃さんは悪くないです。海はいつでも見れますから」

 千鶴もなぐさめてくれる。が、瑠璃の心は晴れない。そっと目を外して立ちすくむ。

「あんたのことはどうでもいいわ。私は……」

 結局、何も成していない。

 事件を引っ掻き回しただけに終わった。これからどうなるかもわからないのに呑気に城に籠もっているのが悔しくて馬鹿らしい。もしかしたら浦島の血が絶えてしまうかもしれないのだ。そのとき自分はどうするか。瑠璃はできたばかりの友人を一瞥し、着物をぎゅっと掴む。

 やはり、私のような女では何もできないのだ。

「違う。これからだ」

 がしがしと頭を掻いて桃太郎は強く言った。怒ったように眉をひそめる彼は立ち上がり、瑠璃と目線を合わせた。外そうとしても桃太郎はしつこく追って来て、ついに肩を掴まれてしまう。桃太郎は真っ直ぐとこちらを見つめて優しく諭す。

「オレ言ったよな? 瑠璃の想いは間違ってないって。町を救いたいってのは立派なことだって。思って、行動して、やり遂げて……それが間違ってたなんてオレは思わない。誰が悪いとか問いただす必要()ーよ」

 くしゃくしゃと髪を撫でられる。いつもなら即座に振り払うがそんな気力は無く、桃太郎の温かい声音に耳を傾けていた。

「これからだって」

「何が……っ」

 さっきから意味のわからないことを言う。

 目頭が熱くなる。唇を噛みしめながら霞んだ視界を上げると、桃太郎は淡い笑みを見せた。

「これから達海が帰ってくるまで、誰が港を守るんだよ」

「それは、あんたが勝手に……」

「馬鹿言うな。港のこと、一番知ってるのはおまえだろ」

「え……?」

「頑張るのはこれからだっつの」

 彼は笑う。

「だから、浦島の家のこととか考えなくていい。達海のことはオレに任せろ。それまで瑠璃が町をなんとかすんだぞ」

「私、役に立てる……?」

「当然。瑠璃にできることだと思うけど……できない?」

 茶化すように言う。腹が立って手を払おうとしたとき千鶴が身を乗り出した。ぐっと拳を握りしめて、息巻く。

「わたしも応援しますっ。瑠璃さんならきっとです!」

「…………」

 本当に、不思議な人たち。

 一国の跡取りが家臣の娘と話し合い、無名の家の女の子が懸命に言葉を尽くしてくれる。

 瑠璃はぐいっと袖で目元を擦り、千鶴に言った。

「あなたの言葉はすごく温かく感じるわ」

「あれ? オレにはなんもないの?」

 桃太郎が不満そうに千鶴と同じように瑠璃へ顔を近づける。美形な顔が覗いて思わず一歩下がる。相変わらず人との距離を知らないし、武家の人間であるのが惜しまれる容貌をしている。ほっぺたがくっついた千鶴が赤面していたのは言うまでもない。

 瑠璃は肩にかかる髪を払い、鼻を鳴らす。

「あんたに言うのは釈然としないわ。それよりも早く千鶴から離れなさい、汚らわしい」

「ひっでーなぁ。オレのこと嫌い?」

 にべも無く告げると桃太郎は腰を上げる。言葉にするほど残念ではなさそうである。相変わらず変な男だ。

 すると桃太郎はニッと笑い、甘い声で告げた。

「オレは、瑠璃のこと好きだよ」

「何言ってんのあんた。死ねば?」

 そして、瑠璃は忌々しく顔を歪めて即答した。

「それは予想外、おっかしいなぁ……」

「頭がおかしいのはあんたでしょ。千鶴、こんな馬鹿ほっといて城を案内してちょうだい」

「え、でも……」

 千鶴は思案顔の桃太郎をちらちらと窺う。そう言えば千鶴は彼に好意を持っている様子。さきほどの瑠璃への言葉は少し気に障っただろうか。いやその前に、こんなちゃらちゃらした男を気に掛けることもない。千鶴ならもっと良い人を探すべき。……むしろ私が紹介する気概でいる。

 瑠璃は千鶴の手を握って諭した。

「駄目よ千鶴。私がもっと良い人紹介してあげるわ。純真は大事だけど時と場合があるでしょ? 今は駄目なの、目を覚ましなさい」

「え? 瑠璃さん?」

「その通りだ」

 困惑した表情をする千鶴を説得していると、背後から声が掛かった。びっくりして振り返ればそこには彼女の兄である千哉が立っていた。男性の中でも、大きな体躯をする彼は威圧感が凄まじい。瑠璃は思わず首を縮めて、握る千鶴の手に力を込めた。

 千哉は不快そうに眉をひそめて桃太郎を睨みながら続ける。

「浦島の娘の言う通りだ、千鶴。兄は心配だ。お前がいつか傷つくように思えて俺は不安でしようがない。いや待て、好いた男など断じて許さん。そのような輩は俺が徹底的に……」

「行きましょ、千鶴」

 やはりこの人も変だ。

 手にする木刀を折る勢いで震える千哉をほうって、千鶴の手を引く。彼女は呑気に目を瞬いてから、兄と桃太郎に挨拶をしていた。

 とんとんと廊下を歩きながら瑠璃は呟く。

「私にできるかしら」

 覚悟はある、迷いもしない。だけど不安は残るものだ。

 すると、繋ぐ手が握り返される。

「大丈夫です、一色のみなさんはすごく優しいですもの」

 千鶴が小首を傾げてにこりと微笑んだ。

 その笑顔に瑠璃は癒された。

「あなたには励まされてばかりね」

 小さく肩をすくめて、視線を前へ向ける。

 ――瑠璃は……できない?

 ――やってやるわよ。

 彼なんかに負けてなるものか。

 彼が驚くようなくらいに早く町を再興させてみせる。文句なんか言わせてやるものか。ぐうの音も出ないくらい驚かせてやりたい。

 それが己の最善であり、浦島家の最善でもある。

 穏やかな海も時には牙を剥く。

 瑠璃は鋭く目を輝かせて、歩を進めた。




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