忠
ショタ桃とショタ犬
――犬養は、代々一色様の付き人である。一色様がこの土地を治め始めたときからの臣下だ。先人がたに恥じぬよう、御館様、そして若様、末代まで付き従い、主家を支えることこそが我ら犬養の……。
そんなことをずっと言い聞かれてきた。
だから自分も犬養の人間として、主を敬愛し、付き添わねばならない。その責務が自分にもあると思っていた。
――そんなにかしこまらなくっていいって。オレもおまえも変わんないじゃん。
「おまえ、犬養ん家の?」
初めて出会ったのは十にも満たない頃。頭上から降ってきた声に、忠治は思わず竹刀を振る手を止めた。振り仰ぐ先は青い空。白い雲と輝く太陽だ。
目を細めて首を捻るとまた声が降ってきた。
「どこ見てんだよ。こっちだよ、こっち」
今度は馬鹿にしたように笑っている。
むっとした忠治は眉根を寄せて、今度こそ声のするほうへ顔を向けた。
城の庭には大きな桃の木がある。今は桃色の花がたくさん咲いており、鮮やかに咲き乱れていた。
声はその中から聞こえた。忠治は木の真下に行き、見上げた。
太い幹を背にし、枝に座っている影がある。自身の身に余る打刀を肩に支えており、大きなあくびを漏らしていた。
「あっ……」
それは知っている人だった。以前、父と一緒に顔を合わせた同い年の少年。薄い茶髪を襟足あたりで束ねて背中に流し、あどけないその顔立ちは整っており、将来は男前になるだろう。
現一色家棟梁、政春の息子――桃太郎だ。
忠治は居ずまいを正して、腰を折る。
相手は主家の息子である。忠治は緊張して頭を下げたまま硬直した。
すると桃太郎は不思議そうな声を上げる。
「何やってんのおまえ?」
「わ、私は……、えっと……」
手にする竹刀を目にして、すかさず答える。
「日々の鍛錬です。武家の男子たる者、まずは身体の鍛錬から。己の身も守れなければ、主を守る資格はないと父が……」
「へー、小っちゃいのによく考えてんだな」
「小っ……」
確かに忠治は同年代の男子に比べて、背が低い。気にしていることに触れられ、忠治は腹が立ち、思わず言い返した。
「ち、小さくありません。あなたと同い年です」
「そうなの?」
「そうですよ、この前挨拶しましたよね?」
「悪い、忘れた」
「なっ……」
ぞんざいに返され絶句した。そして我に返る。今の態度は主家の子息に無礼ではなかったろうか。心なしか桃太郎は冷たい視線をこちらに向けている。忠治は顔から血の気が引いた。
しかし桃太郎はカラカラ笑って手を振った。
「ごめんって。そんな顔すんなよ」
くすくすと笑う彼はすごく楽しそうで、明るい笑顔に忠治は茫然とした。
「今度はちゃんと覚える。名前、教えてくんない?」
「え、あ……。私は犬養忠治と言います」
「忠治ね。やっぱりおっさんのとこのか……」
桃太郎の言う「おっさん」とは忠治の父親のことだろう。そう言えば、父は若殿の教育係と耳にした。
「おっさん、うるさいんだよな。若殿には一色家の未来がどうたらこうたらって……。おっさんの話は眠たすぎる。飽きた」
「飽きた?」
「うん。だから今逃げてんだ」
「は?」
ニッと歯を見せて笑う桃太郎に忠治はぽかんと口を開けた。
父は厳格で勤勉な人だ。主家である一色家のために粉骨している。次代棟梁の世話ならば喜び勇んでやり遂げようとするだろう。
「おまえだったらわかるよな? 息子なんだし」
「え、いや……その……」
確かに忠治も毎日厳しい父にしごかれている。でもそれは自分を思ってのこと、いずれ跡を継ぐ者として教わるのは当然だと思う。父のやり方に不満はないし文句も言えない。だけど桃太郎はふくれっ面のままだ。
「あっ、そうだ」
困っていると、桃太郎はひょいっと木から飛び降りる。軽々と見事に着地すると彼はこちらを見やり、にぃっと愉快に笑う。
「城下に行こうぜ」
「え? でも父上は……?」
「いいじゃんそんなこと。おまえも暇だろ?」
「暇じゃ……稽古が」
「いいから。行こうぜ忠治」
「ちょ、若!」
忠治の言い分は聞き届けてもらえず、桃太郎は忠治の手を引っぱった。
***
「ここの饅頭は美味しいんだぜ。オレのお墨付きだ」
「まあっ。若様にそう申していただけるなんて、ウチもえらく立派なもんですねぇ」
「…………」
桃太郎と茶屋の女将の会話を耳にしながら忠治は深く息を吐いた。
有無も言わさず連行された忠治は疲れた顔で桃太郎を眺める。城下町を歩くだけで、こうも緊張したのは初めてだった。隣に居るのは一色家当主の息子である。いつ何時、何か起こるかわからない。若殿の命が己に掛かっていると思ったら吐き気がした。
忠治は自然と腰に佩く脇差を握る。本差は重たくてまだ佩けていない。一尺半にも満たない脇差一本でも体勢を整えるのに苦労した。ちなみに桃太郎は打刀を紐で引っ掛けて背中に背負って、たまに肩に乗せていた。
そしたら女将がにこにこと笑顔で忠治を目に入れる。
「今日は友達も連れてきたんですか?」
「オレの家来だ」
「まあまあこんな小さいのに、お武家様は大変でいらっしゃいますねぇ」
桃太郎が胸を張って答えると、女将は目を瞬いて忠治を見つめていた。物珍しそうな視線を受けて忠治はむっとしたが、言い返す気力もなかった。
「桃太郎さまだぁっ」
そのとき若い女性が桃太郎に声を掛ける。どうやら店の者らしく、忠治たちより二個ぐらい年上だろう。彼女は甘い声で桃太郎に詰め寄る。それに桃太郎も嬉しそうに、ニヤニヤ笑っていた。
「この前竹鳥に行って来たんだ。おまえに土産」
袖から小さな木箱を取り出す。中から出てきたのは高級そうな簪であった。女性は頬を朱に染めてはにかむ。
「あたしにこんなものを……。ありがとうございます。すごく嬉しい……!」
「こんなのどうってことないって。すごく似合っている」
「やだ、若様ったら……」
桃太郎はその端正な顔立ちを柔らかく緩め、甘くささやく。女性はますます頬を赤らめて、顔をうつむかせた。
「…………」
そのやり取りに忠治は目を剥き、徐々に顔が熱を帯びるのを感じた。正気に戻ったのは二人が別れを告げたとき、女性が店の奥に引っ込んだと同時に忠治は震えた唇を動かした。
「な、何をしてるんですか?」
「ん? おまえ、何で顔赤いの?」
「えっ、赤い?」
「悪いけど、オレそっちの趣味ないから」
「ちっ、違いますよ! 私はっ、今のは何ですかって聞いてるんです!!」
怒鳴ると桃太郎は首を捻りながら答える。
「何ってお土産渡しただけだけど? 悪いことじゃあないだろ」
そしてニカッと笑う。
「女の子には優しく接しないとなっ、人生楽しまなきゃあ損だろ!」
「はあっ?」
火照る頬を両手で押さえて間の抜けた声を上げる。もう理解できないことが多くて、頭が痛かった。そんなこちらの心情など流されて桃太郎は嬉々として喋る。
「そういや美羽って子に会ってないなぁ。その子って今、犬養ん家にいるんだろ?」
「え、そうですけどその子が何か?」
「おまえから見てどう? 可愛い子?」
「……」
忠治は口を歪めた。
もっと堅実な人だと思っていた。初めて会ったとき、政春の隣に座っていた彼は整った顔立ちのおかげもあって、もっと凛としていて真っ直ぐした瞳をしていた。
これが一色家若殿の本性だと知ると絶望しか湧いてこなかった。
「……なんか、わかった気がします」
やがて忠治は硬い声で呟く。質問とは違う回答に桃太郎は片眉を上げた。
「父上がたまに難しいお顔をするのはこういうことだったんですね。私も犬養の人間として父上に教わってきました。一色様に付き従うのが犬養の誇りだって。……でも、なんというか、拍子抜けしました」
乾いた笑みを零して、我が主を見やると彼は冷めた目でこちらを見つめていた。
怒っているのだろうか。従者風情が暴言を吐くのだから怒って当然と思える。だけど今の忠治に後悔はなく、すっきりした気分だった。
そして桃太郎は口を開いた。
「で、なんだ?」
それは怒りでも蔑みでもなく、純粋な疑問だった。穏やかな表情で問いかける。忠治は意味がわからず目を瞬くのみ。その隙に桃太郎はまとめてしまう。
「それで? オレに勝手な妄想押しつけて笑って……それで何なんだよ。忠治」
「え……?」
桃太郎の口は止まらない。その声音に感情はなく淡々としていた。
「人の妄想に付き合ってられない。オレはオレだから。おっさんに何言われた知んねーけど、関係ねーだろ。そんなこと」
「関係、ない?」
「応。だって親父は親父だし忠治は忠治だろ? オレが親父みたいになれるわけないし、だいたい親父はオレにはできないことばっかしてるし。あんなの絶対に無理だもん」
「……」
「だけど親父を真似するだけじゃあ駄目だろ? ……おまえだって、忠治らしさが無い」
「……らしさ?」
「うん」
そこでやっと、桃太郎はさきほど女性に向けたような淡い笑みを浮かべた。
「おまえはどうしたいんだ? 忠治」
「…………」
何がしたい、そう問われた。
考えたこともなかった。自分は父の言う通りに、父のように犬養の人間として生きていくものだと思っていた。無論それに疑問は無い。自分は犬養家の矜持を持って生きていくのだから。
その中で、やり遂げたいこと。父の言いつけや家訓ではなく犬養忠治が、犬養忠治として成すべきこと。
桃太郎は真っ直ぐとこちらを見つめている。それは初めて会ったときと同じ表情。気高く超然的なそれ。
忠治は心が勇み立ち、武者震いがした。
「私は……」
こくりと喉を鳴らす。震える唇を動かした。
「私は、犬養の誇りを持って一色様を守るべく」
「忠治、堅苦しい。やり直し。はいもっかい」
笑って遮られた。
びっくりしたが、なぜだか頬が緩んで、忠治は真っ直ぐと主を見つめ返した。
「私はあなたを守りたいです。ずっと側でお仕えしたい」
今度は、桃太郎は静かにニッと笑う。どうやら及第点のようだ。
「うん、よしっ」
そしてこちらに手を伸ばして頭をくしゃくしゃに乱し始めた。
「わっ、な、何するんですかっ!?」
「いやー、無性に撫でたくなった!」
「やめてくださいっ。ち、縮む!」
「忠治は小さいのにいろいろ考えてんだな」
「小さくないです! いずれあなたも追い越して見せますからねっ!」
鳥の巣のようにぼさぼさになった忠治の頭から桃太郎は手を離す。彼はニマニマと笑顔を称えて言った。
「それで、美羽って子は可愛い?」
「……」
質問に忠治は再び固まり、露骨に顔をしかめた。
「やっぱりちゃんとしてください。あなたは誠実さに欠けます。若殿らしく振舞ってください」
「だからオレはオレだって。これが若殿だっつの」
偉そうに胸を張る我が主に、忠治はため息を吐いてぼそっと呟いた。
「可愛い子ですよ」