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桃花記 ~ たれかれ、花思ふ ~  作者: 一色家家人 何某彼某
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はじめての、そと。【其之三】



 柔らかな春風が吹き抜ける。澄み切った青空と高い位置にある太陽。暖かな日差しは寒い冬の終わりを告げるように心地よく大地に降り注いでいた。

 千鶴たちは城門をくぐり堀を越えて、本城に伸びる大きな通りを抜ける。このあたりは武家屋敷が立ち並んでいて、漆喰壁の向こうには大きな屋敷があった。千鶴はときおり見える武器を持つ衛兵に驚きながらも桃太郎たちについて行った。

 緩やかな坂を西へ下り、もう一度川を渡る。城を挟む川を利用し、古くから灌漑を盛んに行っていた一色は既にたくさんの水路が城下に張り巡らされ、領民を助けていた。

 その橋を渡り、木組みの小さな門をくぐるとそこは商家が集まる区画であった。

「わぁ……」

 道沿いには板葺屋根や茅葺屋根の店が並ぶ。たくさんの人が行き交い、茶屋には呼び込みの声が騒がしいぐらいに聞こえる。馬上からと自分の目の高さから見るのはまるで違う。

 千鶴は頬を紅潮させ、感嘆の息をいた。

「すごく賑やかですね……」

「まぁな。一応、当主政春(おやじ)のお膝元だしな」

 着流し姿の桃太郎は腰から平緒を下げ、朱色の鞘に収まる太刀を佩いている。彼は口元に笑みを浮かべて、町を見渡した。

「こうやって歩くのもオツってもんだよな」

「あなたはいつも出歩いているでしょう……」

 忠治が呆れ顔で相槌を打った。腰に二本差しする彼は武家の男子らしくて、とても凛々しく見えた。

「さて、とっ」

 歩いていると、桃太郎はこちらを振り返り言う。

「どこ行く? だいたいの店はオレは知ってるから案内できるぜ。千鶴の行きたいところに行こう。食べたいものとか欲しいものとかある?」

「え、えっと」

「遠慮なんかするなよ。金はぜんぶオレが持つから気にすんな」

「余計気にします……」

 目移りしてしまう。たくさんの人、物。見ているだけで千鶴は圧倒されてしまい、尻込みしてしまったのだ。

 すると桃太郎は一歩下がった位置に立つ千哉に声を掛けた。

「千哉はどう?」

「どうだっていい。千鶴が楽しければそれでいい」

「そっか……」

 桃太郎は微妙な笑みを浮かべたあと、再び千鶴に向き直った。

「ま、ぶらぶら適当に回るか。……行こ、千鶴」

「はい」

 彼の笑顔に押されて千鶴はすんなりと頷いた。


 ***


 さまざまな暖簾が往来を色づけている。深緑色の暖簾を下げた葉茶屋。筆の絵が描かれた暖簾の筆屋。屋号を染めた暖簾の呉服屋……。

 太陽が西に傾き出した。

「ちょっと美羽。千鶴にはどれが似合うと思う?」

「私が口を出してよろしいのですか?」

「女の子同士なんだからちょうどいいじゃん」

「で、では失礼します」

 複雑そうな顔をするも、美羽の唇は若干緩んでいた。

 桃太郎は反物屋で千鶴に似合いそうな着物を選んでいる最中であった。見たことも無い値段のものを桃太郎が手に取って、千鶴は目を白黒させている。

 忠治と五右衛門は向かいの赤い暖簾の茶屋で談笑をしており、若殿を護衛する気があるのかないのか理解できない。

 そして、千哉は反物屋の入り口で千鶴を眺めている。

 用心棒さながらで店先に佇む彼の立ち姿は絵になった。精悍な横顔と高い上背。険のある顔つきだが、さっきから道行く女子から視線を受けている。が、千哉自身気づいていない。いや、今は周りを気にしている暇はないのだ。

「こ、こんなのいただけません!」

 千鶴の困った悲鳴が聞こえる。店内には目を回す千鶴がいて、桃太郎はいろんな着物を取って美羽に渡していく。美羽はその中から検分し、千鶴に合わせていった。

 千哉は眉間にしわを刻む。楽しむ妹の見守るのが千哉の役目。しかし割って入るのも悪い気がして躊躇っていた。

 これまで、衣服を選ぶことなど滅多に無かったと思う。山中に居を構える『鬼』にとって、物資を得るために人間と関わる鬼もいるが、そんな鬼は定期的にしか里を訪れない。

 今のように、自由に物色することなんてなかった。だから千鶴が困っていても少しでも楽しそうにしているのならそれで良い。千哉は腕を組み、店の柱にもたれた。

「金は持つって言っただろう」

「で、ですけどっ!」

「千哉も可愛い千鶴見たいよなぁー?」

 そう聞かれ、千哉は首を向ける。眉を下げる千鶴は綺麗な紅色の反物を手にして、潤む瞳でこちらを見つめていた。千哉はぱしっと掌で自分の顔を覆い、そして悶える。

「これ以上愛らしくなったら俺は!」

「…………あ、この簪キレイじゃん。美羽、いるー?」

 桃太郎は千哉に返事をせず目の前にある簪を眺めていた。

 しくしくと締めつけるような痛みのする胸を撫でつつ、千哉はふっと一息をく。やはり千鶴は尊い。

「……」

 千哉はふと賑やかな往来を見つめた。

「千哉」

 耳元で名前を呼ばれる。目を下ろすとにこっと微笑む桃太郎がいた。その背後で、簪を飾った美羽が凍りついていたが、どうでもいいだろう。

「なんだ」

「千哉は楽しいかなって思って」

「楽しい……」

 千鶴を見守り、こうして他人と町を練り歩く。それは楽しかったのか。千哉はそのような感情をあまり持ったことがなかった。

「いや、そんな気持ちは無いな」

「そっか……」

 素っ気なく返すと桃太郎は少し残念そうに笑って、手の中で何かを開いて見せた。

「これ、お前にやるよ」

 扇子だった。黒く塗られた扇の面、縁は金に彩られ赤や白の桃の花が描かれている。そういえばさっき扇子屋に寄っていた。桃太郎はパチンと扇子を閉じるとこちらに差し出した。高価そうなそれに千哉は閉口する。

「こんなもの……俺に」

「兄妹揃って言うなよな? 厚意は甘えておくもんだぞ」

「……」

「友情の証。あ、刀とかの方がよかった?」

「わかった……頂戴する」

 受け取るまで引かなそうな笑顔に千哉はため息交じりに扇子を受け取った。くるくると扇子を見回すが、確かに刀剣の方が興味がある。

 嬉しそうに笑う桃太郎はこちらの顔を覗いて茶化すように訊ねた。

「じゃあ、迷惑だった?」

 近い……。無駄に整った顔が目の前に現れて千哉は顔を歪める。半歩下がりながら桃太郎を押しのけてから、ふんと鼻を鳴らして顔を背け、往来を眺めた。

「千鶴が、あんなに笑顔なのは初めて見る」

 言うと桃太郎が笑顔を引っ込めて黙る。千哉の双眸は流れる群衆を映しておらず、もっと遠いところを眺めていた。彼は小さな吐息を漏らして言った。

「こんなに歩いたのも、こんなたくさん人間を見たのも、誰かから物をもらったのも……初めてだ」

 じっと見つめる視線がこそばゆい。千哉は襟首を搔きながらぶっきらぼうに言い捨てた。

「初めてのことばかりで……困ってる」

 すると桃太郎は目を丸くし、そして肩を揺らし始めた。

「ふふっ、ははは……そっか、そっか……」

「な、何が可笑しい?」

「いや、だって……」

 ぽんぽんと肩を叩きながら笑う。即座にその手を払いのけ、桃太郎を睨む。が、彼は笑顔をおさめずに告げた。

「おまえも困るんだな」

「なんだ、悪いか」

「いいんじゃないの、それで」

 不意に吹き抜ける春風。それは桃太郎の亜麻色の髪を靡かせ、陽光が彼の髪をきらきらと輝かせる。笑みを零す表情はごまかしや冷やかしではなく、真剣なものであった。

 千哉はそれを何度も見ている。これは、彼が真っ直ぐと想いを伝えようとしている時だ。

「オレは人が良いかもしれないけど。それでもさ、助けてほしい奴とか困ってる奴とか……そういうの無視できないんだよな。……千哉たちはそんなんじゃないけど、やっぱり、見過ごせない」

 ――あぁ、この男は……。

 千哉は痛感する。

「オレは一色の人間だ、国を治める家として領民を助けるのが当たり前だろ? 千哉も、この国に住んでんだ。だったら、手を伸ばすさ」

 彼の右腕が動く。

 千哉はそれを見ながら呟いた。

「覚悟は、できてるな?」

「愚問だぜ、千哉」

 不敵に笑う。

「オレは、おまえを絶対に見捨てない。誰に反対されようが、誰に罵られようが、どんなことがあっても……オレが決めたから。だから、オレを信じてくれないか? 千哉」

 言葉にすれば易い。

 人間と鬼が手を取る。そんな世が本当に可能なのだろうか。

 千哉はハッと笑う。

「言ったな? 撤回は認めんぞ」

「うるせーよ。おまえこそ覚悟あんのか? 人間オレと仲良くすんのは悪いことだろ?」

「ぬかせ」

 拳をつくり、千哉は桃太郎の胸に押し当てる。軽く咳き込む彼を無視して、千哉は尊大に言い放った。

「お前は人も鬼も守ると言った。ならばその誓いを果たせ、成し遂げてみせろ。俺を……鬼柳を後悔させるな。もし、できないと泣き言を吐くというなら、俺は……」

 腰に佩く刀の柄頭をとんと叩いた。

 桃太郎は一瞬だけ目を丸くして、そして屈託のない綺麗な笑顔を見せた。

「応。約束するさ」


 踏み出したは一歩とても大きい。この一歩がどのように鬼を導くか、誰にもわからない。

 それでも、信じてみたいと思った、ついて行きたいと思った。

 鬼柳千哉は出会ってしまったのだ。

 この美しく、香り豊かな花に。





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