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桃花記 ~ たれかれ、花思ふ ~  作者: 一色家家人 何某彼某
2/9

黎明


 これは遠い昔。乱世の始まり。

 南は海、他方は山に囲まれたこの土地はたくさんの国人衆があった。

 彼らは自分たちの支配地を守るため、武装し、他の国人衆たちと睨み合いを続けていた。飢饉や病害が蔓延すると彼らは食料を巡って争い、小競り合いが多々あった。

 血を流し、互いを憎み合う世。

 そんな荒んだ土地に、中央から一色という武家が派遣された。突然の訪問に国人衆たちは驚く。まさか争う自分たちを制圧に来たのでないかと。しかし数えるほどの従者に、武装もしていない。そして一色という名も聞いたことがなかった。制圧するのならもっと大所帯で名のある人間が率いているだろう。

 もちろん、国人衆たちは警戒する。中央からは何の触れもなかったのにどうして余所者が入ってきたのか、と。

 一色をもてなすのは国人衆の中でも小さな犬養家であった。発言力の無い彼は要するに厄介事を押しつけられた形であった。名も知らない中央の武家などとっとと追い払いたかったのだ。

 犬養は一色を邸宅に招き、料理を振る舞った。魚も野菜も酒も、すべてこの土地で生産された物だ。


 ――美味である。

 ――恐れ入ります。お口に合われたようで……中央の方にそう申していただけるとは感服で御座ります。

 ――すべて、土地の物とはまことか?

 ――はい。ここは豊かで食物に困ることはありません。鉱物もあるという話ですが、山神に祟られると……。

 ――もったいないのぅ。

 ――は?


 そのため息はどういう意味があるのか、犬養はわからなかった。

 一色が目を向ける。なぜだか、犬養はその視線から逃れられなかった。金縛りでもあったように身体が凍りつき、背中に嫌な汗が伝った。

 

 ――ワシはな、貴族のもめ事に巻き込まれてここに流されてきた。

 ――流? え……?

 ――無論、腸が煮えくり返っておる。

 ――…………。

 ――覇を唱えても誰も文句は言わん。

 ――何を……。


 今の世、中央の目は地方にまで行き届いていない。ここより東の方では臣下が領主を誅殺した話まである。

 ここは誰も命令する人はいない。ずっと昔に領主も追い払ってしまったから。それでも争いは続き、国人衆たちは支配地を守るために日々を送っている。


 ――おぬしは今に不満はないのか?


 杯を呷り訊ねる。

 犬養は即座に返せなかった。

 領主を追い払っても争いは絶えなかった。誰も彼も自由に自分の欲望のままに生きている。

 犬養は小さな国衆。小さいゆえ、争いを避けて他の国衆たちと波風立てないように接してきた。

 いつも誰かと誰かが奪い合うのを見ているだけ。

 犬養は徳利を下ろして、目を伏せて呟く。


 ――ならばせめて。ここに住む人々が平和な世を送れるよう、願いたいです。

 ――願うだけでは何もならん。……どうじゃ?


 一色は口の端を吊り上げ、不気味に笑う。


 ――ワシに協力せぬか? ワシがここを治めてやろう。

 ――そんなこと、できるわけない。


 犬養は顔をうつむかせたまま、吐き捨てるように言った。


 ――自らの鬱憤を晴らすためだけに、戦を起こし、民を巻き込むなど……それこそ世が乱れるばかりでしょう。

 ――だったら約束しよう。

 ――え?

 ――ワシはここに強靭な国を創る。小さいながらも他国に引けを取らない、豊かな国にしてやろう。

 ――あなたが? ふざけているのですか。

 ――ワシは真に言うておる。


 一色の目がまた怜悧に輝いた。鷹のような捕食者の目に犬養はまた竦む。


 ――腹立たしいゆえに自分の国を創るんじゃ。御上の勝手にはもう飽きた。おぬしがここの太平を望むなら、協力してやるぞ。


 確かにこのままずっと国人衆同士で争っていれば、この豊かな土地はますます荒れ果て、いずれは大国の領土になり、分割されてしまう。

 一人の、強力な覇者がいればこの土地は安定するのだろうか。

 わからない。そもそもそれだけで平和になるなら、世は乱れない。

 だけど、この流れ者は不遜に不敵に言い切った。


 ――あなたに……できると?

 ――何もせぬ前から否定することはなかろうか。

 ――……私が裏切りかもしれませんよ。

 ――構わん。それはワシに力がなかっただけ。どちらにしろ中央で死んでいた身じゃ、ただ生き長らえたのだ。


 一色は杯を床に置き、どこか遠い目をして言った。


 ――ワシの散り場所はすでに無くなっておる。……余生と思えば面白いだろ。


 そして犬養に向き合う。

 その精悍な表情は後ろを見ていなかった。ただただ真っ直ぐで失敗を恐れず、前を向いていた。それに犬養は息を飲み、ついに口をついた。


 ――……あなたが変えてくれるのですか。

 ――おぬしの答え次第だな。

 ――ここをもっと平和に、豊かに、民が安心して……!

 ――犬養よ。


 遮り、一色は人を食ったような笑みを浮かべた。


 ――約束は果たす。ワシが無能だと思えば斬り捨てよ。


 犬養は目を見開き、歓喜に唇を震わせて頭を下げた。


 ――では今すぐ、懇意にしている者を集めて参ります。猿田と雉野ならわかってくれるはずです。

 ――今からか……? ははっ。げにおぬしは、真っ直ぐで面白き侍よ。


 つんのめりながらも犬養は客間を後にし、一色は笑いながら徳利を傾け、溢れるばかりに杯に酒を流した。




 国を創るには時間が掛かった。

 だが、余所者は約束を果たした。

 争いのない、小さくても国と呼べる国を創った。

 これはずっと昔のおはなし。

 彼らの物語。



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