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Valentine's Day

作者: 織音りお

 家に帰ると、何やら甘い香りがした。

「おかえりなさい」

 足音に気がついたのだろう、パタパタと妻がかけてきた。そして何も言わずに俺のカバンを受け取ってくれる。

「あぁ、ありがとう。・・・・・・この匂いは何?」

 俺は、玄関まで広がっている甘い匂いを尋ねた。

「ああ、これね」

 妻はふふっと顔をほころばせる。

「由紀がクッキーを焼いているの。明日クラスの子達に配るんだって」

「クッキー?また何で」

「もう、孝ったら」

 妻はむっと顔をしかめた。相変わらずころころと表情が変わるやつだ。

「ごめんごめん。何だっけ」

 俺が下手に出ると、妻は怒りながらも必ず相手をしてくれる。

 妻はため息をつくと教えてくれた。

「明日は、バレンタインデーよ?」


 あ、と時計を確認。

 そうか、今日は2月13日だったけな、と思い出す。会社で書類に日付を打ち込んだのに、明日がバレンタインだなんて1ミリも思い出さなかった。

 言われてみれば、世間はピンク色に染まっていた気もするが。


「孝も昔はドキドキしてたでしょー」

「いつだよ」

「バレンタイン当日に決まってるじゃない」

「・・・・・・知らない」

「まったく。おじさんになったのね」

「俺がおじさんならお前はおばさんだろう」

 そんなやり取りをしながらリビングに入ると、

 ーーおっと。ここは玄関よりも匂いが濃い。

 リビング中に、焼きたてのクッキーの香りが立ち込めている。


「あ、お父さん。おかえりなさい」

 キッチンから、娘の由紀が顔を覗かせた。

「ただいま。由紀、クッキーはうまく焼けたのか」

 匂い的には、だいぶ成功な気もする。

「うん!ほら、みてみて!結構きれいじゃない?」

 由紀がはしゃいだ声をあげて、きれいに並べられたクッキーを指差した。

 金網の上に並べられたクッキーは、星やらハートやら可愛い形をしている。

 確かにうまそうだ。我が娘ながら、なかなかの出来栄え。

「美味しそうだな」

 そう言うと、由紀は嬉しそうに笑った。


 バレンタイン、か。

 リビングのソファに腰掛けながら、俺はぼんやりと考えた。

 学生の頃は、毎年のバレンタインが楽しみだった気もする。

 意中の子から貰えるか、意中のあの子は誰にあげるのか。

 単純に貰ったチョコの数で競ってたこともあったか。


「はい。孝、コーヒー」

「おう」

 なんだかんだと気がきく妻である。

 そういえば・・・・・・。

「わたし、お風呂に入ってくるね」

「おう」

 妻が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、俺は20年前のあの日を思い出していた。





*ー*ー*ー*ー*ー*ー*





「どうしよう、孝。何作ればいいんだろ」

 隣で悩ましげに考え込む由梨を見ながら、俺はため息をついた。

「バレンタイン、そんなに特別な行事かよ」

 二月に入ってから、学校からの帰り道はひたすらこの話題だ。

 いい加減にして欲しい。

「当たり前じゃん!バレンタインは!女の子にとって大切な行事だもん!」

 さっきまでの表情はどこへやら、由梨はぷくっとほおを膨らませてまくしたてた。そのままツンとそっぽを向く。ほっぺたが真っ赤なのは、寒いせいか怒ってるせいか。

 とりあえず俺は面白くない。


 いや、バレンタインが嫌いなわけじゃないんだ。特別な日だって思ってる。むしろ彼女いない、年頃の男勢の一人としては、義理であろうと貰えることが嬉しいのだから。

 それでも、由梨が何を作ろうか悩んでいる姿は面白くない。だって・・・・・・。


「うぅ・・・・・・隼人先輩、何が好きなんだろぉ」

 あぁ、まったく。これだから。

 

 一言目には隼人先輩。二言目にも隼人先輩。

 バスケ部のエースだからって、何がそんなにいいんだって。

 お前、隣で毎日送ってる俺の気持ちも考えろよ。


 ・・・・・・そのチョコ、一番欲しいの誰だと思ってんだ。


 そんな本音は、幼馴染として10年も一緒にいる由梨には、言えるわけがなかった。




***




 バレンタイン当日。

 俺はいつものように、朝から由梨を迎えに行った。

「由梨!孝くん、もう来てるわよ!」

「わかってる!もう行くよ!」

 いつもいつもごめんなさいね、と由梨の母親が頭をさげる。これも日常茶飯事だ。

「今日がバレンタインだからって、昨日の夜からずっとバタバタしてるのよ」

「そう、ですか・・・」

 俺にとっては全然嬉しくない情報だ。朝からちょっと憂鬱な気分になる。

 そうこうしているうちに、由梨が慌てて飛び出してきた。

「おまたせっ!」

「おう」

「じゃあ、ママ、行ってくるね!」

「行ってらっしゃい」

 母親に一礼して、俺は由梨と並んで歩き出した。


「いやー、昨日、遅くまでラッピングしてて」

 由梨は照れくさそうに笑った。

「そうか。・・・チョコ、上手くいったのか?」

 聞いて途端にちょっと後悔。俺、何でこんな話題ふってんだろ。

 そんな俺の気持ちに気がつくはずもなく、由梨は照れくさそうな表情のまま胸を張った。

「もちろん!最高傑作だよ!」

「よかったな」

 あぁ、俺、バカなんじゃねぇの。

 由梨の持っている紙袋から、ピンク色のラッピングが覗いている。

 そんなところに気づいてしまうところも。

「その・・・先輩に渡せるといいな」

「あ、うん!ありがとう!」

「おう」

 由梨が少しだけうつむいて、顔を赤らめた。

 緊張してるんだろうな。

 ーーまあ、どーせその隼人先輩のこと考えてるんだろうけどさ。

 

 どうやら俺のバレンタインは、失恋記念日になるかもしんねぇな。


 そのまま由梨とは言葉を交わすことなく、俺たちはそれぞれの教室に別れていった。




***




 放課後。

 帰り支度をする俺に、クラスメイトの飯田裕樹が話しかけてきた。

「なぁ、孝」

「ん?」

「お前、チョコ、貰えた?」

「あー。まぁ、部活の先輩から何個かと」

「先輩っ⁉︎」

「なんだよ、うっせーな」

 昼休み、一人で廊下を歩いていたら、すれ違った同じ部活の先輩たちに渡された。

 どうやら気に入った後輩に配っているらしく、他の同期には秘密ねとかなんとか念を押されたが。どうやら、俺は一部の先輩に人気なんだとか。

「孝の先輩たちって美人多いじゃんよー。羨ましいわ」

「そんなことないって」

 こっちは、由梨に人気じゃなきゃ何も嬉しくねぇんだよ、と心の中で付け加える。

 これからまた一緒に帰るのだ。きっとチョコを渡したであろう由梨と。

 ・・・・・・なんか、結構辛いな。

「じゃ、俺、そろそろ行くわ」

 カバンを掴んで、立ち上がる。

「おーす。今日も佐々木と帰んの?」

「・・・おう」

「いいなー。どーせ佐々木もくれんだろーなー」

 飯田がわざとらしくため息を吐いた

 ーーお前、俺の気持ちも知らないで。

「・・・んなわけ、あるかよ」

「え?」

「じゃ、また明日な!」

 俺はそう言って、教室を後にした。

 学校中のバレンタインの空気から、早く解放されたかった。


「あっ!孝、遅いよもう!」

 校門に行くと、由梨はすでに待っていた。

「先に帰っちゃったのかと思ったじゃん!」

 由梨がぷく、とほおを膨らませる。

 今、正直一番会いたくない顔だ。

 俺は何もないように装いながら、少しだけ顔を背ける。

「帰るか」

「当たり前じゃん!」

 そうして、俺たちはいつものように歩き出した。


「孝は、チョコ、いくつ貰ったの?」

 興味津々な顔で、由梨が俺の顔を覗き込んできた。

「三つくらい。部活の先輩からな」

 平常心、平常心だぞ、俺。

 心の中は早く家につけと願うばかりだ。

「ふーん・・・・・・」

 由梨は少しだけ口をとがらせた。

 え、俺、なんか変なこと言ったっけ。

「孝、上級生に人気あるもんね」

 由梨は続ける。

「隼人先輩も言ってた。女子バスケ部の先輩も、孝かっこいいって言ってるって」

 なんっでそこで隼人先輩なんだよ⁉︎

「いや、そんなことねーって」

「そんなことあるよ!」

「何ムキになってんだよ」

「ムキになってないもん!」

「はぁ?」

 由梨の言動が分からなくなって、俺もイライラしてくる。

 目の前に、由梨の家の赤い屋根が見えてきた。

 俺はもう、我慢できなかった。

「お前、なんなんだよ!」

 俺の声に、由梨がビクッと固まった。

 そんなの知ったことか。俺は構わずに続ける。

「隼人先輩、隼人先輩、隼人先輩!朝も帰りも、最近そればっかじゃんかよ!俺が先輩に人気あろうが、どうしようが、お前には関係ないだろ!」

 ーー言ってしまった。

 まだ、少しだけ息が荒い。

 由梨は固まったまま、なぜだか悲しそうな顔をしていた。

「・・・ごめん。じゃあな。また、明日」

 俺は由梨に背を向けた。

 言ってしまったことは仕方ない。後悔したところで、もう、戻れない。

 さすがに、関係ないだろは酷かったか。

 でも、俺のメンタルもそろそろ限界だった。


 ーーその瞬間だった。

 後ろから、由梨が抱きついてきた。

「ちょっ、おまっ!」

 待て待て待て!

「関係あるよ!」

 慌てている俺に構わず、由梨は叫んだ。

「孝が先輩に人気あるの、わたしには関係あるもん!」

 だって、と言って由梨はカバンから何かを取り出すとぐいと俺の胸に押し付けた。

「だって、わたしは孝が好きだから!」

「なっ・・・」

 胸に押し付けられたそれは、俺が朝見た、ピンク色の包みだった。中には、ハート形のチョコレートケーキが入っている。

 言葉を失っている俺に、由梨はまくしたてた。

「隼人先輩は、女子みんなの憧れで。確かにかっこいいし、すごい人だけど。別に付き合いたいとかそんなんじゃなくて。今日だって友達と、みんなでチョコ渡そうねって約束してただけなんだよ」

 そうだったのか、とようやく納得する。

「隼人先輩には、普通に受け取って貰った。でも、特別なチョコじゃないの」

 そこまで言うと、由梨は俯いた。そのほおが赤くなっている。


 もしかしたら、もしかするのか。

 俺は、本当に、期待しても。


「孝に、一番、ちゃんとしたチョコ。本命、あげたかったの」

 心なしか声が震えている。


 もしかしたら、なんて思うのはやめにした。

 

「だからっ・・・!よかったら、これ、貰って・・・!」

 そう言って押し付けられたチョコを、俺は由梨の手ごと包み込んだ。

「なっ」

 真っ赤になった耳元に、そっと顔を近づける。

 そして俺は答えた。

 由梨の、全力の、この想いに。


「由梨、さんきゅーな。これ、受け取ったから。大事に食べる」


 顔を上げた由梨は、真っ赤になりながらも、嬉しそうに大きく頷いた。





*ー*ー*ー*ー*ー*ー*





「孝」

 いつの間にか風呂からあがった妻が、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。

「いやだ、何にやにやしてるの」

「にやにやなんてしてない」

「そう?とても幸せそうな顔してたけど」

 そう言うと、妻はふふっと微笑んだ。

 こいつには、もう何でもお見通しだな。

「そろそろ寝るか」

 俺はソファから立ち上がった。

 昔を懐かしんでいたら、どうやら日付を跨いでしまったらしい。

 明日・・・いや、今日も朝から仕事だ。もしかしたら職場でも、チョコレートが配られるかもな。

 そんなことを考えていると、急に妻がはい、と何かを手渡してきた。

「ん?」

「バレンタイン、でしょう。わたしも作ったのよ」

 受け取った手のひらには、ピンク色の箱。

「由紀が作ってるのを見てたら、何だか懐かしくなっちゃって。ここしばらく手作りなんてしてなかったから、たまにはいいかなって思って」

「開けていいか?」

「もちろん」


 妻がにこにこと見守る前で、俺はそっと箱にかけられたリボンを解いた。

 そうして開けた箱の中。


「・・・・・・いつかのバレンタインを思い出すな」


 そこには、懐かしい、ハート形のチョコレートケーキ。


「ありがとな。大事に食べるよ」


 俺の言葉に、今は妻となった由梨が、あの日の笑顔で頷いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] とっても素敵なお話だったと思います。 こんな幼馴染がいたらなあ。 私の学生時代ももっと華やかだったかも・・・。 結婚してからも仲がいいのって、憧れですよね。 いつまでもお幸せにって、応援した…
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