犯人は田中さん
「やはり、犯人は君だったか…田中さん」
私が研究室の電気を付けると、彼女は驚いたようにこちらを振り向き、眩しそうに目を細めた。彼女の手には、金庫にしまってあった筈の極秘資料が握られている。私はできるだけ声を荒げないように、一回り年下の彼女にそっと語りかけた。
「さあ、その資料を置くんだ…それは私が、十年かけて研究してきた大切なものなんだ。これ以上、罪を重ねるのは止めたまえ」
「しょ、所長…どうしてここに…!」
「午後の発表会なら、キャンセルしたよ。最近何だか、金庫の中身が勝手に動いているのがどうしても気になってね…。残念だよ、君が我が研究所に入った本当の目的が、まさか産業スパイだったなんて…」
私は何気なく一つしかないドアの前に立ちふさがり、ジッと彼女を見つめた。
一ヶ月前に彼女を採用した時は未来ある有望な若者だと見込んでいたが…まさかこんなことになるとは。今思えば、道理で出会いが偶然にしては、出来すぎだった訳だ。たまたま私のアパートの隣に引っ越してきて、たまたま同じ研究をしていたなんて…信じた私が馬鹿だったのかもしれない。
「信じてください!所長…私は決して…!」
「私だって、出来れば君を信じたかった…君が『危ないから』と此処の警備を買って出たときも、私は疑わなかったよ」
自分でも予想以上に落胆した声が出てきて、私は驚いた。私はきっと、彼女に期待していたのだ。ほぼ十年間、孤独に一人でこの研究を続けてきた。そんな中出来た、初めての「同志」と呼べる存在。二人で同じ方向を見れることに、私はこの年にして久々に熱いものを感じていた。それから、
若い彼女に対する年不相応の淡い恋心も…。
「…だけどそれも、結局は間違っていた。信じられるのは、最初から自分だけだったんだ」
「所長…お願い…私を信じて…!」
「黙れ!」
「そこまでだ」
私が激昂し叫んだ瞬間、突如背中のドアが開かれた。
「うっ…!?」
気がつくと、私は驚く暇もなく熱いもので胸を貫かれていた。まるで糸が切れたかの如く全身の力が抜け、そのまま床に膝から崩れ落ちる。
「きゃあああっ!?」
「二人とも殺せ。必要なのは資料だけだ…フフフ」
後ろから若い男の声がして、けたたましい発砲音とともに、先ほどまで私に追い詰められていた彼女が鮮血を噴出した。男は倒れこむ彼女から資料を無理やり奪い取ると、そのまま荒々しく音を立て研究室を出て行った。
彼女が撃たれたのだと理解したのは、それから数秒後だった。さらにそれから数秒後、私は自分も何者かに撃たれ、研究資料を奪われたことをようやく理解した。すでに手遅れなほど、床には二人分の赤い海が広がっていた。
「う…うぅ…!」
長年の研究が、こんな形で終わりを迎えることになるなんて。一体誰が。いや、今はそれどころではない。薄れ行く意識の中、私は最後の力を振り絞り机の下まで何とか這いつくばって進んだ。緊急用の装置を作動させ、私はそこで力尽きた。
…そして気がつくと、私は都内の路地裏で目を覚ました。生きている。やはり長年の研究…タイムマシン装置は完成していたのだ。緊急用のプロトタイプとは言え、死に際に時間軸を歪めることで私は何とか一命を取り留めた。私は飛び起き、すぐに近くのコンビニに入り今の日付を確認した。
三月十五日。
…ちょうど転生時間から一ヶ月前の日付を、新聞は示していた。「やったぞ!」周りの客達が不審な目で見るのも気にせず、私はその場で涙ながらにガッツポーズした。
早速、一ヶ月前の自分に報告しなければ。私は小躍りしながらコンビニを出た。
「あっ!?」
「よお、『田中』」
外で待っていた人物を見て、私は驚いてその場に立ち尽くした。
何と、私自身が目の前に立っているのである。男はニヤニヤしながら私に手を振ると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。一ヶ月前の、この時間軸の私だろうか?いや、それにしては若い。まるで十歳か、二十歳くらい若返ったような…。私は目を疑った。
「どうやらお互い、無事転生出来たようだな」
「何だって?」
「私ですよ、所長。気づきませんか。あの時研究室にした、田中です」
『私』はそう言ってお辞儀をしてみせた。その仕草に、私は見覚えがあった。一ヶ月前に助手として雇った、あの女性だ。あの時、あの研究室で、私以外に彼女もまた転生されていたのだ。
「一体どういう…その身体は…!?」
「まだ気づきませんか?ご自分の身体をご覧になってくださいよ」
『私』はそういって、動揺する私に手鏡を広げて見せた。
「な…!?」
鏡に映る自分の表情を見て、私は驚愕した。そこに映っていたのは…驚いた女性の表情、田中助手そのものだったのだ。
「なんだこれは…!?」
「恐らく時間軸を遡る間に、人格が入れ替わってしまったのでしょう。まだまだタイムマシン研究は、解明されていないことが多そうですね」
「バカな…入れ替わりだと…!?」
「おかげで私は、何の因果かこんなに若い所長の肉体まで手に入れてしまった。本当に数奇な運命ですね…フフフ」
『私』の姿をした若い男が、さも可笑しそうに笑った。どういう理屈か分からないが、あの研究室から時間旅行した際、助手と私の体が入れ替わっている。さらに、私の体は数十年分若返っていた。
あまりの衝撃的な結末…それよりも、私は男の笑い方に驚かされた。死の間際…背中から銃で撃たれたときのあの襲撃犯の笑い方そっくりだ。まさか…私はゾッとした。
「こ…これからどうするつもりなんだ?」
「どうするって?もう分かってるんでしょう。一ヶ月前の所長に会って、あの研究を返してもらいます。なんたってあの研究は、『私』のものなんですからねえ、『元』所長の、田中さん?」
「力ずくで、奪う気だな…?」
「どうなんでしょう?未来人ならあるいは、知っているかもね…」
「そんなことさせない…おい、待て!」
『私』は一層大きな声で笑うと、私の静止を無視して路地裏へと消えていった。私は途方に暮れた。改めて、コンビニのガラスに写った今の自分の姿を確認する。
どう見ても、若い女性だ。
まさかタイムマシンに、こんな副作用があったとは。このままの姿で一ヶ月前の私に会いにいったところで、きっと話を信じてくれはしないだろう。僅か一ヶ月前なのに、いきなり知らない世界に一人取り残されたような気分だった。
だが、みすみす自分が殺されるのを黙ってみているわけにも行かない。あの男を…いや、あの女を止めなければ。私は早速自宅の横の空き部屋を借りるため、不動産屋へと走った。
今度こそ、私が私を信じてくれることを願って。