VSマリ
彼女はどこまでも辛気臭い娘だった。
微笑顔なんて一つも見せたことがなかった。
食事を与えてもぶすっとした表情だ。
「お兄さんも、いつか私に殺されるよ」
そんなことを、彼女はしばしば言った。
「殺せるなら殺して欲しいよ」
男は投げやりにそう言い返した。
この娘、顔立ちは良いのにこの性格では恋人は出来まいな、と男は思った。
娘の左腕は、指先から肩までが黒く染まっていた。
それが彼女に与えられた魔力が具現化したものだと、見るものが見ればわかっただろう。
それは呪いとなって、時に心身への痛みを娘に与えるらしく、彼女は一人で苦しんでいる時間が多かった。
また、夜になると一人で泣いていることがしばしばあった。
自らを哀れんでいるのだろうか。それとも、盗賊に襲われて皆殺しにされたという友人や家族達のことでも思い出しているのだろうか。
どうしてこんな娘を拾ってしまったのだろう、と男は思う。
面倒事は避けるのが男の性分だった。それが、自ら面倒事に首を突っ込んでいる。
あるいは、全てを失ったこの娘の姿を、今の自分と被せて見ているのかもしれなかった。
あるいは、くだらない自分の人生の幕を、この娘に下ろしてもらいたいのかもしれなかった。
「殺せるもんなら、殺せ」
男は繰り返し、そう言った。
そう言いつつも、娘の魔力を制御する方法を四苦八苦して調べているのだった。
男は名前をジン、娘は名前をマリと言った。
「懐かしい夢を見た」
食堂で、朝食をとりながらジンが言った。
「へえ、いつの夢ですか」
彼の向かいに座って朝食を食べていたマリは、夢の話などどうでも良かったが、とりあえず訊ねることにした。
「お前が辛気臭いツラしてた時期だよ」
マリは苦笑いを浮かべた。
「ああ、そういう時期もありましたねえ」
「ああ、そういう時期もあったなあ」
「けど、師匠もあの頃は辛気臭かったですよ」
「そうかな?」
「殺せるものなら殺してくれえ……って。まるで自殺志願者みたいだった」
「そんな言い方はしてない」
「じゃあ、殺せるものなら殺して欲しいよ、だったかな。凄い投げやりに」
「あの頃は、お前に殺されるのも悪くはないと思っていたんだ」
ジンは淡々と言う。
「今は?」
「お前に殺されるなんて間抜けな死に方をするなら自刃したほうがマシだね」
「言いますね」
マリは師の言葉にいっそ呆れた。
二人が青い顔をしたハルカゼに呼ばれたのはそんな時のことだった。
二人は食事を中断して、宿所から出た。
ハルカゼが地面に片膝をついて、その人を二人に紹介する。
「ルリ様だ、二人とも膝をついて」
二人も指示されるがままに片方の膝をつく。
目の前にいるのは、ワインレッドのドレスを着た女性だった。
その目は好奇心に輝いている。
その表情の幼さから、顔立ちより幾分も若く見えた。
その背後には、護衛と思しき剣士達が六人いた。一人は、ルリのために日傘を差している。
「そなた達が、王家の剣を持ち帰ったという客員剣士か」
威高々な物言いだった。
しかし、それが自然なことのように思わされる不思議な雰囲気が女性にはあった。
マリから見れば高級そうと言うことしかわからぬドレスと、ついている護衛の数から、偉い人なのだということは見て取れていた。
「今は下級剣士です」
護衛が訂正する。
「ああ、そうだったな。ジンとマリ、と言ったかな」
「はい」
師が淡々と答える。
「男なのにマリとは、不思議な名じゃのう」
女性は楽しげに目を細める。
マリはどきりとした。
女性の目が、なんだか獲物を見つけた蛇のようだと思ってしまったのだ。
「私の生まれた国では、男でも名乗る名前でございまする、る」
マリは気がつくと、不自然な敬語で問いに答えていた。
「左様か。聞けば、ジンなるものは柔の剣に長け、如何なる攻撃もたちどころに避けてみせるという。マリなるものは剛の剣に長け、木の葉のように人を吹き飛ばすという。師弟だと言うのに違った剣を使うものだな」
「恐れながら」
ジンが口を開く。
口調に淀みはなく、平素のそれと代わりがない。
マリは、目の前の人物の地位がわからずに冷や冷やとしているのだが、ジンにはそんな繊細な心の動きはまったくないようだ。
「我々の使っている流派はどちらも同じ。ただ、この馬鹿弟子の馬鹿力が目立つので、傍から見ればそのように見えるのでしょう」
「師匠、その言い方は酷いです」
「なら怪力と言い換えておこう」
ジンは舌でも出しそうな勢いだった。
その姿を見て、マリも少しだけ緊張が解けるのを感じた。
ワインレッドのドレスを着た女性は、滑稽そうに笑った。
「なるほどな。それでは聞いてみるが、そなたらが戦ったらどちらが強い?」
「師匠です」
マリは即答した。
「私はまだまだ未熟者。師匠の剣の冴えには敵いません」
「ほう。師のほうはどう思うかな?」
「こいつに負けるぐらいなら、裸で町を一周したほうがマシだと思っております」
「それは答えになっていないようだが?」
女性は、意地悪く微笑む。
師は、どうしてか余裕で勝てるとは口にしなかった。
「まあ、面白い二人のようだな。次があれば、無粋な護衛などおらぬところで色々と話してみたいものじゃ。是非トーナメントで戦ってくれることを祈っておるぞ。では、邪魔したな」
そう言うだけ言って、女性は護衛を引き連れて満足げに去っていった。
後に残されたのは、ハルカゼとジンとマリだ。
「……今の方は一体?」
マリがハルカゼに問うと、彼はしまったとばかりに苦笑を顔に浮かべた。
「そう言えば言ってなかったね。この国のお姫様だよ」
「えええええっ」
マリが大声を上げる。
「まあ、そんなとこだろうと思ってました」
ジンは淡々としている。
「男勝りな方でな。今回のトーナメントを見たくてやってきたのだろう」
「男勝りと言うか、血の気が多いと言うか」
ジンがぼやくように言う。
ハルカゼがその肩を勢い良く握った。
「ジン君。不敬罪だよ。首が飛ぶよ」
「そうですね。精々言動には気をつけましょう」
聞いている人もいまいに、ジンは素直にハルカゼの言葉に従った。
この町では、もうすぐトーナメント方式の剣術大会が開かれる。
ジンもマリも、既にその出場登録を済ませた後だった。
変化が起こったのは、王家の剣を手に入れた後からだった。
怪我をして帰ってくるサクマ領の剣士が、僅かに増えたのだ。
それも、化け物を相手取った怪我ではなく、人間を相手にした怪我だった。
負けたことを恥と考える剣士が多く、中々露見しなかったのだが、どうやら他領の人間に襲われているらしい。
遺跡の中にはルールがある。
他領の剣士が宝物を見つけても、それを奪ってはならない。同時に同じ宝を見つけた場合は、一対一の決闘を持ってして所有権を決める。
そのルールを破り、サクマ領から宝を奪おうとした面々が存在するということだ。
ソウフウ隊はこの事態を重く見た。
仲間同士の殺し合いとあっては、貴重な兵力の無駄となるし、何より治安維持を任されたソウフウ隊の面目は丸つぶれだ。
そこで、ハルカゼに持ちかけられたのが、剣術大会の話だ。
サクマ領の剣士隊は、基本的に他領に舐められている。
寄せ集めのメンツしかいない弱小剣士隊だと思われているのだ。
その弱小剣士隊が、王家の剣を持ち帰るだなんて大手柄を上げては周囲も面白くもないだろう。
ならば、剣術大会で実力を示してみればどうだろう、という話になった。
サクマ領の剣士隊が大会で活躍すれば、不満も薄れるだろうということだ。さらには、報復を恐れて手を出し辛くなるだろう。
王都から追加の神術師を呼んで万全のバックアップを取る大掛かりな大会になるようだった。
「ハルカゼさんも参加するんですか?」
その話をハルカゼから聞いた時、ジンは訊ねた。
「上級剣士は基本参加しないよ。もし負けでもしたら大恥だからね」
「なるほどね」
そう言えば、レクリエーションにも上級剣士は参加していなかったように思う。
だから早々に棄権なんて手が取れたのだ。
「それでも、カミト領の上級剣士は参加するらしい。いやはや、大した自信だ」
「へえ。偉い人自ら出張ってくるわけだ」
彼は、自分の力を誇示できる自信があるということだろう。
「出来れば、決勝戦まで残って欲しい。二人ともサクマ領なら最高だ」
ハルカゼは、ジンの肩を強く握った。
「君達には期待しているよ、ジン君」
「……俺、参加するなんて言いましたっけ」
「大丈夫、登録なら済ませておいたよ」
逃げ場は何処にもないようだった。
ジンが町を歩いていると、ハクアが裏路地から顔を覗かせているのが見えた。
「あ、ジンさんじゃないですか」
「よう、お嬢さん。探偵にでも鞍替えしたのか」
「違います。クロウに追跡されていないかチェックしてたんです」
「お嬢さんも大変だねえ……」
「ハクアです。なんだか疲れた表情をしていますね」
「上司からは無理を言われ、偉い人の相手をさせられ、なんだか精神的に疲れてね」
「私もクロウの相手で疲れてるから、お仲間ですね。気分転換に、一緒に歩きましょうか」
「なんか噂でも立たなきゃ良いけどな」
「噂?」
「ジンとハクアはデキてる、とか」
「意識しすぎですよ」
ハクアは呆れたように言う。
「そんなことを気にしてたら、人と往来なんて歩けません」
「そりゃそうだ」
二人は町の中を、ゆっくりと歩き始めた。
(やっぱり似てるよな)
ハクアの顔を盗み見て、ジンは思う。
けれども、思い出の中にいる女性は、こんな上品な口調では話さなかった。
そもそも、彼女はジンより年長だったように思う。
ハクアはジンの目から見ると、五歳は年下に見える。
もしもハクアが幼かったら生まれ変わりの可能性でも考えたかもしれないが、この年齢差だとそれもありえない話だった。
いや、そもそもジンはハクアと思い出の中の女性が別人だとわかっている。
わかっているのに、その顔を見ていると戸惑いが心を占めるのだ。
「何を考えているんです? ジンさん」
「いや」
「ずーっと黙り込んじゃって」
「すまんな、ちと考え事をしていた」
「なんだか悩みが多そうですものね、ジンさんは」
そう言って、ハクアは口元に手を当てて苦笑する。
愚痴を言っても仕方がないので、ジンは話題を変えた。
「お嬢さんもトーナメントに出るんだったな」
「ええ」
「怪我しないようにしろよな」
我ながら余計なことを言っている、とジンは思う。
これも、この少女の顔立ちのせいだ。
ハクアは悪戯っぽく微笑む。
「私ね、ジンさんを倒して、お嬢さん呼ばわりを改めさせるんです」
「ハクア様とでも呼ぼうか」
冗談交じりにジンは言う。
「それも微妙ですねえ。クロウと被りますし。ハクア、で良いですよ」
「負けたら考えとくよ」
「よし、頑張って負かしますよー。女だからって人の腕を疑ってきた連中に目に物を見せてやるんです」
ハクアはやる気十分のようだった。
「お嬢さんなら、良いところまで勝ち抜けるさ」
それは、ジンの本心だった。
「それ、上のほうじゃ負けるって言いたげですね」
「世の中には化け物が一杯いるんだよ、お嬢さん」
「……もう指摘するのも飽きたので、呼び名は剣で勝ち取って見せます」
二人は酒場に入った。夜は酒を出すこの店も、この時間帯は普通の食事処だ。
二人とも、飲み物だけを注文する。
「お嬢さんは、なんで遺跡探索に?」
ジンの問いに、ハクアは悪戯っぽく笑った。
「ジンさんこそ、どうして?」
「俺は職がなかったからな。渡りに船さ。お嬢さんはいかにも育ちが良さそうだろう。そんな危険に身を置く必要も、戦いに身を投じる必要も感じないが」
「それは、嘘ですね」
ハクアが、金属製のコップの端を指で弾いた。
澄んだ音が、二人の間に出来た沈黙を引き立たせた。
「貴方達は、私と良く似た匂いがする」
「匂い、ねえ」
ジンはミルクに一口をつける。
「狙いは、聖なる泉なのではありませんか?」
ジンは、この少女を侮っていたのだなと実感するしかなかった。
思い出の中の女性は、もっと鈍感だった。
ハクアと思い出の中の女性が、徐々に乖離していく。
「それとも、魔術書の類かしら」
ジンは、ハクアの口を塞いだ。
「その単語は、町中では口に出さないほうが良い」
ハクアは無言で頷く。
ジンは、ハクアの口から手を離した。
「腹を割って話しませんか、ジンさん」
「どっちから腹を割るかにもよるよな、お嬢さん。肝心なのはタイミングだ」
「そうですね。片方だけの話し損なんてことになりかねない」
沈黙が、二人の間に漂う。
「なら、トーナメントでより順位の低かったほうから腹を割って話すというのはどうでしょう?」
それは、挑戦状だった。
「自信があるようだな」
「組み合わせの運次第もありますからね。運に委ねるという点では公平じゃないでしょうか」
「構わないぜ」
「貴方が負けたら、お嬢さん呼ばわりもやめてもらいますからね」
「……そんなに気に食わない?」
「貴方だって、お坊ちゃんだなんて呼ばれたくないでしょう?」
「……うん、納得した」
素直に認めさせられてしまったジンだった。
「じゃあ、トーナメントで会いましょう。お互い、健闘しましょうね」
「ああ」
挑戦を受けつつも、この少女とは戦いたくないな、と思うジンだった。
やり辛い思いをするのは、目に見えているからだ。
そしてジンは、トーナメントに出場していた。
場所は、町の外の草を刈って作った急ごしらえのリング。
周囲は観衆で溢れており、リングの中央にいるジンにはたくさんの好奇の視線が向けられている。
向かいに立つのは、マリ。
やる気十分で、木刀を握って目を爛々と光らせている。
なんでこうなってしまったのだろう、とジンは思う。
聞き及んだ話によると、理由は色々とある。
まずは、姫がジンとマリの戦いを所望したこと。余計なことをしてくれるものである。
次は、ソウフウ隊が、マリを好き勝手に戦わせては怪我人が続出して神術師の手が足りなくなると考えたらしいこと。マリは前回のレクリエーションで、小さな怪物の異名と共に町の剣士達の好奇心の的となっていた。
そして最後は、そんなソウフウ隊の相談を受けたハルカゼが、ジンは負ける自信がないと言っていたと告げ口してくれたらしいこと。
ジンはハルカゼを呪いたいような気持ちになった。
「なあ、お前、三段解放してるだろう」
ジンは、淡々とマリに問う。
「そんな、反動が酷い真似はしませんよ。精々二段解放です」
やはり解放していやがったかと、ジンは舌打ちしたくなった。
(解放は俺の許しがなければしないはずだったよな?)
そう説教したい気分のジンだったが、それもみっともないのでやめた。
「先生ー、頑張ってー」
「マリー、負けるなよー」
声援が飛ぶ。
町の人々と親しく、前回のレクリエーションで友人も増えたマリは人気者だ。
しかし、ジンの側にも声援がないわけではない。
「ジンー、そんなちびっ子に負けたら恥だぞー」
「ジンー、優しくしてやれよなー」
事情を知らない酒飲み友達が、無責任な言葉をかけてくる。
「ジンさんー、初戦で消えないでくださいましねー」
ハクアは楽しそうだ。
(気楽なもんだ。羨ましい)
二段階解放のマリの相手をする。
それは、猛獣の相手をするにも等しかった。
木刀を握るジンの手に、思わず力が篭った。
「はじめ!」
審判が戦いの開始を告げる声を上げる。
マリの一歩で、ジンとマリの間にあった距離は一瞬で消えた。
木刀が横薙ぎに振るわれる。
それを予測していたジンは辛うじて地面の方向へと受け流す。
相手の動きからその攻撃を予測していなければ、とても綺麗に受け流せないだろう攻撃速度だった。
地面に木刀がめり込む。
ジンの手に痺れが走る。
そのままマリは剣を振り上げた。
ジンは反撃を許されず、後退する。
マリの攻撃の数々を、ジンは捌いて行く。そのたびに腕が痺れ、歯が軋む。
一度でも読みを間違えれば、骨が砕けるだろう攻撃の数々だった。
少しでも受ける角度を間違えれば、木刀を叩きおられるだろう攻撃の数々だった。
一撃を回避するたびに、冷や汗が背筋を流れていく。
ジンが振り下ろしの攻撃を受け流し、突きに転じようとした。
「その動き、読めてますよ」
マリがそう言った気がした。
マリはくるりと体を横に回転させつつ突きを回避し、そのままジンに切りかかった。
「読んでるよ」
ジンは苦々しげに呟いて、その木刀の攻撃を木刀で受け流す。
二人は一旦距離を置いて、見詰め合った。
ジンは渋い顔。マリは笑顔である。
それまで固唾を呑んで見守っていた観客達の中から、思い出したように歓声が上がる。
獣は野生の本能のままに獲物を狩る。
彼らの種の中には人間の身体能力を超えるものがたくさん存在している。
そんな彼らが知性を持ち、技術を学べばどうなるだろう。
そんな可能性を具現化したのが、マリという女性だった。
人は武器を持つことによって、身体能力に優れた他の種をも凌駕した。
ならば身体能力に優れ、なお武器を持つマリは、新たな種とも言えた。
(あー、糞、上達してやがる)
ジンは舌打ちするしかない。
マリの構えには以前よりも隙がない。読みを支える集中力も保てている。腕力は言わずもがなだ。
だが、それでもジンは負けるわけにはいかなかった。
マリはわかっているだろうか。
マリが勝てば、ジンとの人間関係が気まずくなってしまうだろうことに。
そんなこと、マリは気にしていないだろう。
彼女が考えていることは、ジンには手に取るように読めた。
強い自分を見せて、褒めてもらおう。
彼女の思考回路なんてそんなものである。
下手をすれば、脳天を打たれて死んでしまうジンの身からしたらたまったものじゃない。
(下手すりゃ、殺されるんだよな、これ。冗談じゃなく……)
マリに負けるぐらいなら自刃したほうがマシだ。そんな冗談を言った日が遥か遠い昔のことのように思えた。
マリが、飛び掛ってきた。
再び、一瞬で二人の間にあった距離は消える。
木刀と木刀がぶつかる乾いた音がする。
お互いの剣筋は既に熟知している。
ならば、彼女の想定にない手を使う頃合だった。
彼女の振り下ろした木刀をジンはかわす。
そして、次にそれが振り上げられるまでの僅かな刹那で、彼女の膝の裏を足で引っ掛けていた。
マリがバランスを崩す。
そこにジンは剣を振り下ろす。
マリは倒れる勢いのままそれを回避し、地面を滑るようにして水面蹴りを放った。
ジンはそれを、木刀で突こうとして、失敗した。
マリの攻撃速度は、ジンの想定を超えていたのだ。
ジンは辛うじて跳躍して、それをかわす。
跳躍から着地するまでの間、ジンは素早く動けない。
それは彼が作った一瞬の隙だった。
マリは体勢を立て直し、木刀を持つ腕を引いた。
突きに転じるだろうことが、ジンには予測できている。
しかし、ジンは空中に浮かんでいて回避行動に移ることが出来ない。
マリの手によって、突きが放たれた。
その手が、下から襲い掛かってきた木刀によって僅かに角度を変えた。
ジンが木刀を振り上げたのだ。
ジンの肩を、マリの木刀が掠めていく。
ジンの攻撃速度がマリに勝っていたわけではない。
ただ、ジンはマリが突きに転じることを見越していて、予め剣を振り上げていたのだ。
ジンは着地し、マリの喉元に木刀の切っ先を突きつけた。
「そこまで!」
審判が試合の終了を告げる。
マリの生徒や知人達の残念そうな声が会場に響き渡る。
「読み負けました」
マリは苦笑顔で言う。
「最後、蹴りで来るか突きで来るか迷った」
ジンは正直な気持ちを告白していた。
「蹴りで来るほうがいっそお前らしいかと思ったがな」
「確かに、蹴りのほうが迅速に打てました。けど、体勢を立て直した直後じゃ体重の乗っていない蹴りになっちゃうでしょう? それなら、突きで判定勝ちの方が良い。勝負を焦ったのが敗因といった感じですかね」
「違うよ」
ジンは言う。
「お前がまだまだ俺より弱いだけだ」
「ええ。私はまだまだ師匠より弱い。これからも、鍛えてくださいね」
マリはどうしてか、勝つよりも嬉しそうだった。
ジンは胸の中で安堵の息を吐いた。
師匠面をするというのも、中々難しいものだった。
そして、けして口には出さないが、こうも思うのだ。
マリは、微笑んでいるのが一番似合う、と。
娘は服の袖に腕を通す。
その左腕を染めていた黒は、今は手首から肘までの間に縮まっていた。
その代わり、男の左腕を黒は侵食していた。
「これで、呪いは半々だ。俺とお前で半分ずつ受け持った形になる」
男が淡々と言う。
「後は呪い封じの腕輪でもしておけば、呪いの成長も止められるだろう」
それまで陰鬱な感情しか浮かべなかった娘の顔に、戸惑いの色が浮かんだ。
「どうして、そこまでしてくれるの?」
男は、娘から視線を逸らす。
「俺は、魔術の扱いには覚えがある。だから、これぐらいの呪いは制御して、むしろ自らの魔力を増強するのに使えるぐらいだからな」
「けど、貴方も呪いを負った。その呪いは貴方の一生に大きな影響を与えるよ。子供だって奥さんだって作れない。呪いが遺伝してしまうから」
「だから、日常生活には支障が起きない程度には腕輪で封印するんだっつったろ」
「答えになってない。どうして、そこまでしてくれるの?」
「死ぬまでの暇潰しだ」
淡々と、男は答えた。
「とりあえず俺達には呪いを解くって目標が出来た。だから先に勝手にくたばるんじゃねえぞ。剣術も教える。お前には呪いを解く手伝いをしてもらうんだからな」
「死ぬまでの、暇潰し?」
娘は、きょとんとした表情になった。
そして、初めて笑った。
「変な人。そんな理由で、人の呪いを半分背負うなんて」
笑えば可愛いじゃないかと、男は思った。
「……そういや、名前を聞いてなかったな」
娘も、ふと気がついたような表情になる。
そして、いつになく穏やかな表情で、答えた。
「私はマリって言います。よろしくお願いします」
「ジンだ。長い暇潰しになるからな。精々飽きない程度に頑張ろうや」
二人はそう言って、手と手を握った。
微笑んでいる娘は、可愛らしかった。
次回
ハクアの戦い




