彼女の受難な一日
ラスボス登場。そしてライバルキャラの再登場。
徐々にクライマックスに向けて傾き始めます。
「料理が、できない?」
唖然とした表情で、マリが言う。
「……焼くぐらいならできる」
そう言って、ジンはキャベツの葉を虫のように食べている。
「スープ作りとかは?」
それぐらいはできるだろう、と思いつつマリは問う。
「……焼くぐらいならできる」
ジンは、繰り返し言った。
そして、こう付け加えた。
「保存食を作るのなら得意だぞ」
冒険者として必要な知識しかないのだな、とマリは表情には出さないように呆れた。
「あの……空いてる民家を借りたけど、ここら辺料理屋とかもないですよ」
「そーだなー」
ジンはどうでも良さげに、二枚目のキャベツの葉を食べ始めた。
「……私が料理しても良いでしょうか?」
ジンのキャベツを咀嚼する音が、止まる。
「料理できんの?」
「一応お母さんに習った範囲なら」
「そうならそうと早く言えよなー。青虫になるかと思っちまったぜ」
ジンはキャベツを、テーブルの上に置く。
「じゃあ、周りの家と交渉して食材をお金と交換してもらってきますね」
「おう、頼んだ!」
その日の食事のことは良く覚えている。
彼は美味しい美味しいと繰り返し言って、料理を平らげたのだ。
「あー、良い嫁さんになるよ、お前」
食事を終わって酒を飲みながら、ジンは言う。
「……子供に呪いを残すのは嫌だから、私の家は私の代でお終いですよ」
マリは苦笑交じりに言う。
「解ける解ける。旅をするうち、どーにかなるだろ」
他人事のようにジンは言う。
マリは食器を洗いながら、思う。
なんだか、結婚しているみたいだな、と。
それは、まだジンの言葉に遠慮があった頃の話。
マリがジンを、まだ異性として意識していた頃の話。
「戦争が始まるようですね」
ある昼下がり、酒場でそう言い出したのはイッテツだった。
「その情報なら聞きましたよ。けど、時期も時期だし小競り合いでしょう?」
「それがカミト領とサクマ領の近辺だから話がややこしくなる。この町から下級剣士や上級剣士が消える可能性もあるわけです」
「……それは困るな。フクノ領の独壇場じゃないですか」
「私も戦争に行きますけどね」
師の思いがけぬ言葉にジンは戸惑う。
「戦うならやはり同じく技量を磨いた人間が良い。まあ、大半は農兵でしょうが」
ジンは、師と戦う相手を気の毒に思うしかない
「君は、行かないほうが良いな」
急にそんなことを言い出した師に、ジンは戸惑った。
行く気はなかったが、行くなと言われたらその意図が気になるものだ。
「まあ、元々行く気はないですが。その理由を聞いて良いですか?」
「君は、表情が、穏やかになった」
思い当たる節があって、ジンは小さくなる。
「女でもできましたか?」
「滅相もない」
ただ、死を求めて彷徨っていた人間が、帰る場所を得ただけだ。
それが、無意識のうちに表情にも出ていたのかもしれない。
「死兵って言葉を知っているかな、ジン君」
「ゾンビですかね」
「違うな。やはり魔術師の家系の人は発想がファンタジックだ。死を覚悟した兵のことです。故郷に残したものを思い怯える兵とはわけが違う。死を覚悟してひたすら突き進む。死兵の大軍を相手にすれば、甚大な被害を被るのは間違いないでしょう」
急にそんな話をした師の意図が読めず、ジンは戸惑う。
それを見透かしたように、師は苦笑した。
「ジン君。以前の君は天然の死兵だった。目には常に覚悟が宿り、歩き姿には殺気が漂っていた。必死になれないのに覚悟だけは座っていたのが君のおかしなところだ」
「……だから弟子と違って町娘からもてないんですかねえ」
「そうでしょうね。女性は安心させてくれない男性を好かぬものだ。だが、今の君の表情は酷く穏やかだ。まるで、そこいらにいる町民のようにね」
「……自覚はないんですがね。そんなに変わりましたか」
「別人かと思うほどだ。それが凶と出なければ良いが」
「不吉なことを言ってくれますね」
ジンは、苦笑するしかない。
「そう、その笑顔からして柔らかいんですよ。気味が悪い」
酷い言い草だ、とジンは心の中だけで思う。
「剣の腕は鈍っていないつもりですが」
「しかし、覚悟が鈍るということはある。覚悟が鈍れば、集中力も鈍る。集中力の鈍りは剣の鈍りに繋がる」
ジンは、言い返すことが出来ない。
確かに今は、死地に自ら飛び込み続けていた頃のジンとは違う。それ以前の、ただの町民だったジンに近くなりつつある。
「……ま、逆に安定したと考えることも出来ますがね」
「強くなったか弱くなったか現状維持かは、戦ってみなければわからないところですね」
「だから、私は君が戦地に出ることをお勧めしない。死兵に飲み込まれて間抜けな死に方でもされたら、私の面目が立ちません。当面は様子を見ることです」
「ご忠告、感謝します」
なんで師に急に食事に誘われたか戸惑ったジンだったが、全てを聞いて納得した思いだった。
今のジンの精神状況が、剣の腕にどんな影響を及ぼしているかは未知数なのだ。
「……一般人として生き、一般人として死ぬのなら今の表情のほうがよほど良い。けれども私は、張り詰めた弦のようだった君が好きだった。少々気を抜きすぎてるんじゃないか、とすら思いますね」
「……面目ない」
「強敵を前にすればまた変わるのかな。少し、戦ってみますか?」
「木刀ですか」
「真剣です」
「……遠慮します。ゲッカさんにまた怒られそうだ」
「それは残念。戦地に出る前に、少しピリピリとした戦いをしたかった」
師はまだ、以前のジンのように戦地を求めて彷徨い続けているのだろう。
一生それを繰り返すのかもしれない。
今のジンの目には、それが茨の道を行っているように見えてしまう。
自分は変わったのだな、とジンは思った。
良い仲間と、良い妹に恵まれた。
「結局、俺は最後には町民に戻るのだと思います」
「それだけの腕を持って、ですか」
「ええ。俺には大事な人達がいる。それがわかっただけで、十分なんです」
「……やはり、君と私は違うな。君のような性分に生まれたなら良かったと、私はたまに思うよ」
「たまに、でしょう?」
「ええ、たまに、です。剣の道を歩んでいる自分に、悔いはないつもりです」
それも一つの生き方なのだろう。
それを否定する材料を、ジンは持っていない。
「精々死なないようにね、ジン君。私は剣の道を行くつもりだが、君はそうではないのでしょう?」
不吉なことを言って、師は去って行った。
「……少なくとも、呪いを片付けるまでは死ねませんよ」
ジンは、誰に言うでもなく呟いた。
それから数日のうちに、この町からは大量の剣士が戦地へと旅立った。
少しだけ、町は静かになった。
台所で包丁を使ってキャベツを刻んでいたハクアは、指に小さな痛みを感じた。
見ると、血が溢れてキャベツを汚している。
「あら、大変。早く治療しないと」
シズクが腕まくりをしてやってくる。
ここはシズクの家だ。ハクアはマリと一緒に、シズクに料理を習っている最中だった。
マリは無心に卵の中身をかき混ぜている。
「いえ、大丈夫です。これぐらいの傷なら」
「凄い出血よ。ちょっと見せて」
シズクが強引にハクアの手を取って、傷口を眺める。
その傷口が、みるみる小さくなっていって、最後には消えた。
「これは……」
こうなっては、誤魔化す事もできないだろう。
ハクアは白状することにした。
「私、呪いを受けているんです。傷を受けても、治癒してしまう呪いを」
不老不死、とは言わなかった。不老不死に憧れる人間は多い。それに惹かれた人間によって、ハクアが厄介事に巻き込まれる可能性は少なくない。
「それは凄い術だわ。町規模の魔力が必要なんじゃないかしら」
シズクも神術を学んだ人間である。ことの重大性に気がついたらしい。
本当は不老不死の呪いだから、ハクアには国家規模の魔力が注がれている。
「ねえ、貴女、神術を覚えてみる気はない?」
シズクはハクアの手を握って、目を輝かせて言った。
「神術、ですか」
突然の言葉にハクアは戸惑うしかない。
「貴女の受けている呪い。その呪いの方向性を少し捻じ曲げることが出来れば、他者の治療にも役立つんじゃないかしら」
それは、思ってもみない言葉だった。
ハクアは、血塗れの手でシズクの両手を握っていた。
「教えてください、お願いします!」
ジンは町で子供達と遊んでいた。
マリが文字を教えている子供達の中には、子守を任されている子も複数いる。
その子守役を買って出たのだ。
「ほら、プレゼント」
ジンはシロツメクサで冠を作り、女の子の頭に乗せた。
「ずるい、私も欲しい」
「どうやって作るのー?」
評判は上々だ。
妹や幼馴染の女の子と育ったので、この手のことはジンにもお手の物である。
その時、ジンは自分の手を見て、思わず花を取り落とした。
自分の手が、血で赤く染まっているように見えたのだ。それと同時に、人の腹をかき切った時の感触が色鮮やかに蘇ってきた。
全ては錯覚だ。ジンの手についていたのは、傍に生えていた赤い花なのだから。
しかし、その錯覚は、あれだけ人を殺しておいて今更穏やかに過ごす気なのか、という警告のように思われた。
ジンはかつて、過去から逃げていた。逃げる最中に、沢山の人を切った。相手は山賊だったこともあるし、通り魔だったこともある。躊躇なくジンは、その命を断ってきた。
「どうしたのー?」
「ねえねえ、教えてー」
ジンの周りに子供達がまとわりついてくる。
「しゃーねーなあ。ちゃんと見て覚えろよ?」
言いながら、ジンは花冠を作る準備に移る。
シホにも良く作らされたっけ、とジンは苦笑する。
今は、シホのことを思い出すのも辛くなかった。
ただ、穏やかな気持ちだけがそこにある。
「張り詰めた弦のようだった君が好きだった。少々気を抜きすぎてるんじゃないか、とすら思いますね」
師の言葉が、脳裏に浮かんだ。
(死ぬのかも、しれないな)
そんな思いが、ジンの中に自然と沸いてでた。
今まで命を奪ってきた罰が、今降りかかってきたとしても仕方がない話しだ。
剣の腕が鈍っていたならば、ジンはそう遠からず命を落とすだろう。あの遺跡の魔物程度に遅れを取る気はないが、その後はどうなるかわからない。
退き時かもしれなかった。
「ほら、作り方わかったか?」
ジンはもう一個の花冠を作る。
周囲の子供達は悪戦苦闘しているようだ。
ジンはそれを、微笑んで見つめた。
「師匠がなんか最近怖い」
マリの一言に、ハクアは思わず笑ってしまった。
「怖いって、何か怒られたの?」
「いや、師匠がね。子供達に花冠の作り方教えてたんだよ」
「……それは、怖いね」
酒場で、ハクアとマリは向かい合って酒を飲んでいた。
マリは興奮した表情で、ハクアは少し疲れた表情だ。
「以前のあの人なら子供の相手なんて面倒臭くてやってられるかってどっか行っちゃったはずなのに、今日は自分からついてきてさ。穏やかに微笑んでるの」
「……元は、そういう人だったのかも。今までが、捻くれてただけで」
「私は調子狂っちゃう。元の師匠に戻って欲しい」
「……マリさんも、複雑怪奇な好みをしてますね。嫌味の多い厭世家より、子供に優しい好青年のほうがよほど良いじゃないですか」
「私の知ってる師匠は、大半が嫌味の多い厭世家のほうだったからねえ」
「なるほどね」
マリは師に保護欲をかきたてられていたのではないか、とハクアは思う。
この人は自分がいなくては駄目だ。そう思えるような危うさがジンにはあったのだろう。
しかし、今はそうではなくなった。
それは、戸惑うと言うものだ。
「ハクアはどうだったの? 神術の勉強」
「人体解剖図をずっと見させられて気分が悪い……」
「人体解剖図?」
「神術で治癒するにも、イメージが大事なんだって。正確に治っていく過程を頭の中で思い浮かべないと、思わぬところが癒着したりしちゃうらしいの。だから人体の勉強が神術の第一歩らしいのです」
「何時間ほど勉強してたの?」
「シズクさんは町長の仕事があるから、一時間ついててもらって、実技の練習。残り二時間は一人で暗記。大腿骨の形なんて始めて見ましたよ」
苦笑顔でハクアは言う。
「けど、良いね。治癒の術を使えるなんて。私も神術を使えるなら、使ってみたいよ」
「マリさんは、魔術のほうはからっきしなんでしたっけ」
「うん。だから呪いも上手く制御できていないんだ。できるなら、師匠みたいに炎を出したり出来るようになってたんじゃないかな」
マリは遠くを見つめながら言う。
そしてふと、酒に視線を落とした。
「まあ、才能だからね。仕方がない。私の呪いは後天的なもので、私自身は魔術師でもなんでもないから」
「なるほどねえ」
「頑張ってよ、ハクア」
マリが言う。
「神術師がパーティーに一人いたら、それだけで安定度が段違いだよ。特に、ハクアの魔力の源は無尽蔵だからね」
「善処します。私も、居場所を確保しておかなければなりませんからね」
ハクアは、ジンやマリに敵わない事は痛感している。クロウにも勝てないだろう。そして今、人との斬りあいにも怯えている。
そんな自分にも、周囲に認めてもらえるだけの武器が欲しかった。
「起きろ! 緊急事態じゃ! 迅速に起きるが良い!」
早朝、部屋の扉をノックされて、ジンはベッドからゆっくりと体を起こした。
念のため剣を片手に持って、部屋の扉を半開きにする。
男物の服に身を包んだ女性がいた。どこかで見た顔なのだが、それが誰だかジンには今ひとつ思い出せない。
「えっと、どちら様で」
「ぬしは自分の国の姫の顔すら覚えておらんのか!?」
その呆れたような叫び声で、ジンは慌てて女性を部屋に招きいれた。
そう言えば、剣術大会の時に紹介された姫がこんな顔だった気がする。
「それでも下級剣士の一員か!」
「すいません、最近妹の顔も忘れてて自分で吃驚したぐらいなんで」
「……鳥頭じゃのうお主は。薄情と言うべきか。アテにしたのが間違いかと思い始めたぞ」
そう言って、ルリ姫はベッドに座り込んで、大きな溜息を吐いた。
「どうしたんです、一体。護衛も連れずに」
「ああ、護衛なら撒いてきた」
「……なんで俺のところに?」
「お主はセツナと引き分けた。中々見所があると思ってのう。話してみたいと思っておったのじゃ」
あっけらかんとした口調でルリは言う。
「良く王宮を抜け出せましたねえ」
「今は戦争の準備でごたごたしておるからな。戦地へ向う兵を鼓舞するという名目で城を出ての。あとは兵達や木々を壁にして上手く逃げ果せた」
「で、いつお帰りになられるんですか」
「……ちょっとは歓迎する気持ちはないのかの」
「とりあえず、弟子に言ってソウフウ隊に連絡を入れさせてもらうので」
「駄目じゃ! まだ遊んでおらん!」
「遊ぶって……ただの港町ですよ、ここ」
呆れたように言うしかないジンだった。
「おーい、起きろ」
早朝だと言うのに扉をノックされて、マリは目を擦りながら体を起こした。
緩慢な動作で床におり、ゆっくりと扉に向って歩いて行く。
そしてマリは、開錠して扉を開けた。
扉の前に居たのは、師と見知らぬ女性だった。女性は男物の服を着ているが、髪の毛の長さから女であることを隠してはいない。
「なんですかー? まだ朝じゃないですか」
うんざりした口調でマリは言う。
「町娘の私服一式用意してくれんか」
師の申し出に、マリは戸惑った。
「まだ早朝ですよ。誰が起きているって言うんです」
「お前なら持ってるかと思ったんだよ」
「持ってますけどねえ。その女性の方だと、私の服じゃサイズが合いませんよう。遊ぶなら日が昇りきってからで良いじゃないですか」
「それが、この方にはなんというか時間がなくてだな」
「男装で通せば良いじゃないですか。なんで私が師匠の女遊びの手伝いをせにゃならんのです」
そこまで言って、マリははたと気がついた。
師は女を口説く手間をかけるようなマメな男だっただろうか、と。
どちらかと言うと面倒臭がりだったはずだ。
しかし、最近の師の穏やかな表情を思うと、マリは自分の持っている印象が正しいのか迷ってしまう。
「……彼女さんですか?」
「そう見えるかえ?」
女が、不敵に微笑んで言う。
その微笑顔に、マリは覚えがある気がした。
記憶の中を辿ってみる。
このような喋り方をした女性と一度会った経験はないだろうか。
そしてマリは、その記憶に辿り着いて、慌てて片膝を地面についた。
「姫様。無礼を申し上げました」
「ほら、これじゃ。私の顔ぐらい覚えていて当然であろう」
「……物覚えが悪い性質でしてねえ」
「ぬし、本当にセツナと引き分けたあのジンかえ? 疑わしく思えてきたぞ」
「間違いなく、そのジンですが」
「その割には、雰囲気が穏やかじゃな。人が変わったように見える」
「姫様。女性用の服を揃えるには、人が起きるのを待たねばなりません。もう少し、時間がかかります」
「かまわん」
姫の言葉に、マリは戸惑った。
姫は、口の端を目一杯引き上げて笑った。
「誰でも良いから、起こせ」
憂鬱な気持ちになったマリだった。
「女物の服を、緊急に、ですか」
シズクは目を擦りながら、来訪者を迎え入れた。
「私の服で良ければありますが……」
「それで良いぞ」
姫は満足げに言う。
「それじゃあすぐに用意します」
「ごめんなさい、シズクさん」
マリが両手を合わせて頭を下げる。
「早朝からベルがガラガラ鳴って何事かと思いましたよ……。マリさんだから、怒るに怒れません」
そう言って苦笑すると、シズクは姫を連れて、家の中に引っ込んで行ってしまった。
服の準備をしてくれるのだろう。
ほどなく、町娘の格好に身を包み、髪の毛を頭上でまとめた姫が家の外に出てきた。
「シズクさんは?」
「礼金をたんまり弾んだら目を丸くしておったわ。朝早く起きたかいがあったというものであろう」
愉快げに姫は笑う。
国民の税金がくだらぬことに費やされたようだった。
「で、遊ぶって言ってもやることなんざないですぜ。なんたって早朝だ」
「遺跡に入ってみたい」
「無理です」
姫を危険な遺跡に入れたなんてことが知られれば、ジンの立場はどれだけ怪しくなるかわからない。
「なら、遺跡の前の門までで良い。案内せよ」
「はあ……まあ、それなら」
「ああ、あと。そこの優男」
「はい?」
指名されて、マリは戸惑うような表情になる。
「ぬしの役割はこれで十分だ。ここからは、デートじゃゆえな」
「で、でえと?」
思わず声が裏返ってしまうマリだった。
「師匠、ロイヤルファミリーの仲間入りをする算段だったんですか?!」
ジンは、マリのみぞおちに膝蹴りを放った。
「お前は無礼だからって斬られても言い訳のしようがない」
マリはその場に崩れ落ちる。
「まあ行きましょうか、姫様。満足したらソウフウ隊に引き取ってもらいますからね」
「人を処理に困った家具のように言うな。ふてぶてしさだけは相変わらずだのう」
「姫様とジンがデート……」
酒場で朝食をとっていたハクアは、マリの言葉に目を丸くした。
「何か無礼を働かないかと心配で心配で……」
実際は無礼な発言をしたのは自分だが、それを棚の上に上げるマリだった。
「まあ、姫様に好かれておいて損はないんじゃないですかね」
ハクアが淡々とした表情で口にしたのは一般論だ。
「前回の剣術大会。セツナさんと引き分けた一件が、姫様はよほど気に入ったと見える」
「態度もまた認められたのかもしれないね。話す機会があったけど、少しも怯んでなかったから」
「……ガーディアンにしようという心積もりなのかも」
ハクアの言葉に、マリは戸惑う。
「ガーディアン?」
「この国特有のシステムですよ。王族は一人だけ専属の護衛を選ぶことができるのです。自らの魔力を分け与え、強化された護衛を。それがガーディアン。常日頃から傍にいなきゃならないので、気が合った相手じゃないと一緒にいるのは辛いでしょうね」
「その候補に、師匠が上がった、と」
「立場が下級剣士では、少々厳しい気もしますけどねー」
「けど、ガーディアンなんてことになったら、師匠は遠くに行っちゃうなあ……」
それはそれで、幸せなのかもしれないとマリは思う。
ジンに必要なのは、帰る場所だ。その場所が王宮であるのも悪くはない。
何より、その立場はジンの腕を活かすのにうってつけのように思えた。
「……人の胸を借りて泣いてその後に他の女とデート、か」
ハクアが、小声で呟くように言った。
「……今、何か言った?」
マリが聞き間違えかと思って訊ねると、ハクアは優雅に微笑んで見せた。
「いえ、何も」
なんだか雲行きが怪しくなってきたなと思うマリだった。
「これが噂の、一度に五人しか入れないという門か」
そう言って姫は一生懸命に走って、門の中に入ろうとした。
五人の門番達は、門の向こうでポーカーをしている。楽なものである。
不可視の壁に弾かれて、姫は尻餅をついた。
「うはは、面白いのう。先人の魔術というものも良くできているものだ」
「ご満足頂けましたか?」
「ああ、満足じゃ。ここを通って皆、遺跡の中に入っていくのじゃな」
「ええ」
不思議な人だ、とジンは思う。年の頃はもう二十歳を過ぎているだろう。なのに、表情が無邪気で、実際の歳よりも若く見える。
「中はどうなっておる」
「巨人がいたり醜い化け物がいたり、核だけ固形な不定形な生き物がいたり。まあ色々ですよ。遺跡そのものは大きいですね。中には細い道もあるが、入り口付近は王宮ぐらい広い道なのではないかな。」
「ほう。それは見てみたかったな」
「姫を護衛しながら進むというのは、少し負担が大きすぎますね」
「足手まといと言いたいらしいな」
「……否定はしません」
「直言を申す奴じゃ、気に入ったぞ。私のガーディアンともなれば、そうでなければいかん。私の護衛どもと来たら、美麗な言葉を並べ立てて上手く誤魔化そうとするからのう」
二人は小船に乗り込んだ。ジンは港に向って小船を漕ぎ始める。
「ガーディアン、ですか」
「そうじゃ。魔力によって実力は上がるし、位も与えられるしで、損はない。今日はぬしにガーディアンの適正があるか試しに来た次第じゃ」
「つまり姫様が気に入るかどうか、と」
「そういうことじゃな。精々気に入られるように苦心するが良い」
「残念ながらその話には乗れませんね、姫様」
「何故じゃ? 栄誉なことじゃぞ」
戸惑うように、姫が言う。
「俺はそのうち畑を耕して生活するような一般人に戻ります。王宮にいることはできない」
「ガーディアンより畑仕事が好ましいと申すか」
「まあ、俺は畑仕事で家計を維持してた家の出なんでね。そういう暮らしが身に染み付いているのでしょう」
「中々面白い奴じゃ。名誉がいらんと申すか」
「妹が言うのですよ。富豪になろうと、領地もちになろうと、それが幸せであることと同義ではないと」
「……まったくじゃな。空っぽの名誉など、犬にでも食わせておけば良い」
そう語った姫は、少し寂しげだった。
その表情が、すぐに笑顔になってジンに向けられる。
「気が合うな、ぬしは。ますます気に入ったぞ。王宮で行動を共にするならば、ぬしが一番じゃ」
「これ、何を言っても気に入られるパターンなんじゃないですかね」
「そうでもないぞ。例えばセクハラ発言は減点じゃ。私に手を出した時など、ぬしの首には懸賞金がかかるじゃろうな」
「……その前提なら、早朝に男の部屋に一人で上がりこんでる時点で危ういですよね」
「同じ空間におろうと男が変な気にならねば良い。その点でもぬしは合格じゃ」
ジンは背筋に冷や汗が流れるのを感じていた。
人に気に入られるというのは好ましいことだ。しかし、気に入られる相手にもよる。
このままだと、自分は気がついたら王宮で姫の護衛に人生を費やしているのではないか。そんな錯覚が、ジンを襲った。
それぐらいの強引さは、この姫にはありそうだった。
ジンは面倒臭がりで、押しには弱いのだ。
日が昇り、町が目覚め始めた。
あちこちの店が開き、往来には剣士達が歩いている。
「人が少ない町じゃのう」
「王都と比較されても困る、と皆は言うでしょう」
「王都の中心地は凄いぞ。人ごみのせいで中々前に進めんからな。このように余裕を持って往来を歩けん」
「姫様は護衛が道を作ってくださるのでは?」
「私もたまには一人で歩きたい時もあるものじゃ」
護衛は苦労しているのだろうな、とジンは思う。
「あれはぬしの弟子ではないか?」
姫が指差した方向には、確かにマリがいた。
子供達に囲まれて、どこかへ移動しようとしている。
「ああ。文字の読み書きを教えているんでるよ」
「市井のものは字が読めぬのか」
興味深げに姫が言う。
「そういう家も多いんじゃないかな」
「ならば、王家からの通達などはどうやって伝わっておるんじゃ?」
「文字を読める人が、読めない人達に伝えて回るのでしょう」
「手間がかかるのう。それなら最初から、文字教育をさせる場所を作るべきじゃな」
「子供も働く時間がありますからね。同じ時間にやってきて同じ時間に帰るというのは難しい。赴任した教師が町に合うかという問題もある」
「ぬしの弟子を見本にするとしようかの。ちょっと寄って行こう」
「まあ、良いですけどね」
そしてジン達がやっているのは、結局は文字を習っている子供の代役としての子守と花冠作りだった。
「子守をしながらも勉学に通うか。この町の子供達は国の宝じゃな」
そう言いながら、姫は無心に手を動かす。
その間に、ジンは花冠を一つ作り、子供の頭にのせてやっていた。
「器用なものじゃな」
「昔取った杵柄です。姫様は作った経験はございませんか」
「ないな。花は眺めて愛でるものだと学ばされた。このように遊びに使える品になるとは」
「普段姫様の傍にある花は高級でしょうからね。帰ってから真似しようなどとは思わぬことです」
「そうか」
姫はしばらく手を動かしていたが、そのうち諦めたように手を下ろした。
「おい、諦めた。勿体無いからこの花はどこかに飾ると良いぞ」
「……どこかって言われてもなあ」
結構この人もいい加減だな、とジンは思う。
姫の手にあるのは、複雑に絡み合った花の残骸だった。
「夕食も中々シンプルな味で美味であったぞ」
姫を連れて、ジンは自分の部屋に戻って来ていた。
姫はベッドに腰掛けて上機嫌だ。
外はすっかりと暗くなっていた。
「そろそろ帰る気にはなりませんかね」
「うーん。このままここに定住するのも悪くはないのう」
「その場合、俺は誘拐犯として指名手配されるのでしょうか」
「そうじゃの。私を連れてどこかに案内するが良い」
「勘弁してくださいよ……」
思わず頭を抑えたジンだった。
「王宮が嫌になったのですか?」
「ああ、不満じゃ」
「毎日豪勢な食事を食べれるじゃないですか」
「籠の中の鳥と変わらん」
溜息交じりに姫は言う。
「私は政略結婚に使われるだろうし、ガーディアンも父の決定に従うことになろう。人生の伴侶と友を勝手に親に決められることになるのじゃぞ。これほどつまらん人生もない」
ジンは、言葉に詰まった。
確かに、そんな人生はジンには想像がつかない。
「それにな。ただ兵の戦意を鼓舞するだけの自分が心底嫌になった。自分は王宮にいて、無責任に兵を煽り立てる。死地にいくのは兵だけなのにな。私の存在は一体なんなんだろう、と毎回思う」
「姫様も色々大変なんですねえ……」
ジンはそんな月並みの言葉しかかけることができない。
元々、知っている慰めの言葉は多くない。
姫様は、意地悪く微笑んでいる。
「口説きどころじゃぞ」
「は?」
姫の唐突な言葉に、ジンは戸惑う。
「男はこういう時に、俺が忘れさせてやる、とか適当で無責任なことを言って女を口説くのであろう。ぬし、やって見せよ」
「……嫌です」
しばし考えたジンだが、自分にそんな役割は無理だとしか思えなかった。例えそれをやって成功したとしても、ジンの側にはリスクしかない。
「不足かえ?」
「不足ではありませんが、メリットがわかりません」
「私もたまにはドキドキとしてみたい」
無茶を言う姫様である。
しかし、考えてみればまだ姫は若い。恋に恋することを忘れてはいないのかもしれない。
「読んだ本にはそんな風に書いてあったんじゃがのう。何事も本のようには行かぬか」
「偉い人達が読んでる本ってどっか問題がある気がしますよ」
男色の本を集めているリッカのことを思い出さずにはいられなかったジンだった。
「どうしても駄目か」
「姫様は美人だと思いますが、俺は色恋に興味が無いです」
どうしてか、脳裏を過ぎったのはマリの姿だった。
その理由がわからずに、ジンはマリの姿をさっさと頭から追い出した。
「ふん、理想のガーディアンじゃの。口答えをするところがますます気に入った」
何を言っても満足するのだからジンとしては楽なものだ。
しかし、姫がジンを気に入れば気に入るほど、ジンはある意味窮地に立たされているのではあるまいか。
部屋の扉がノックされたのは、そんな時のことだった。
「我々は王家の護衛です。ルリ姫様がこちらに来てはおられぬでしょうか」
「時間切れ、か」
さばさばとした表情で、姫は立ち上がって、扉に向って歩き始めた。
それを、ジンが引きとめた。
「姫様。護衛の声、聞き覚えはあるでしょうか?」
姫が、考え込むような表情になる。
「……そう言えば、ないな。父の送った増援かの」
ジンは剣を片手に持って、扉の前に立った。
「こんな時の為に、王家とサクマ領は合い言葉を用意したはずだ。言えるか」
しばし、扉の向こうで沈黙があった。
「合言葉の件、了解した。その前に、姫の姿を見せて欲しい」
「わかった」
ジンは扉を開ける。
扉の前に居た剣士三人の表情が、姫の姿を目に留めて喜色に染まる。彼らの手には、剣が握られていた。
そのうち二人の顔が、地面に落ちた。
ジンの剣が一閃し、首を切り落としたのだ。
最後の一人が片手に持った剣を振り上げようとした時、既にその心臓をジンの剣が貫いている。
三人の、人間だったものの体が地面へと倒れた。
「殺したのか……?」
戸惑うように、怯えるように、姫は言う。
周囲に、血生臭い匂いが充満しつつあった。
「殺さなきゃ殺されてたんでね。こいつらは、剣を抜いてやる気まんまんだった。それに、存在しない合言葉を知ってるなんて奴が我が国の兵であるわけがない」
ジンは淡々としている。
「それでも間違いだったらぬしはどうするつもりかえ?」
「一応、知ってる顔がいるか確認してもらえます?」
ルリは怯えたように身をすくめ、しばし迷っていたが、倒れた遺体の顔一人一人を確認して、首を横に振った。
「護衛隊にこのような顔の者達は見たことがない」
「いよいよ怪しくなってきたわけだ。こんな時はちょっとした迷いが命に関わってくる。行きますよ。敵は何人いるかわからない。間違いだった時は、弁護をお願いします」
ジンは剣を鞘に収めて、姫の手を掴んで駆け始めた。
「全てはお前の失態が元だ、ウラク」
闇の中で、男性が淡々と言う。
「王家の剣を一本取り損ねた。それを奪還しようと同士達は王都に潜っているが、警護が厳しいし旧王家の隠し通路は尽く塞がれている。そこに丁度能天気な交換材料がふらふら出歩いてきたのだ。逃したら面目が立たんぞ」
「言ってくれますね」
ウラクは何を考えているのかわからぬ微笑顔で男性に返事をする。
「遺跡に潜ったこともない貴方に責められる謂れはない」
「人には役割分担というものがある。王家の剣奪還はお前達の任だったはずだ。それに、俺はお尋ね者でな」
「まあ、そうは言いますがね。敵も中々の手練れで複数人だ。後れを取ることもある」
「ジンとマリ、だったかな。注意人物はそれぐらいか」
「そのジンと剣術大会で引き分けたというセツナ、優勝者のイッテツと言うのも中々やるでしょうね」
「……無駄に人数を揃えていないと言うことか。疎ましいな」
「まあ、こっちの精鋭の活躍に期待しようじゃないですか。我々は待ち伏せていましょう」
「塔の上の鐘だったか。俺はそっちを抑えるとしよう」
「私は出入り口を抑えていますよ。手はずは、忘れていませんね?」
「ああ。お前さんの趣向は良くわからんが、付き合ってやるよ。精々名誉挽回するが良い」
吐き捨てるように言って、男は去っていった。
ウラクはその背中をしばし眺めていたが、サクマ領剣士隊宿舎に視線を向けた。
「さて、ジン君。名は上げたようだが、腕はどうかな」
ウラクは無意識のうちに、唇の端が持ち上がっている自分に気がついた。
今回は、雪辱戦の良い機会だった。
取りこぼした勝利と、取りこぼした王家の剣を奪回する、二度とないチャンスだ。
部屋の扉をノックされて、ベッドで寝転がっていたマリはゆっくりと体を起こした。
扉は乱暴に、執拗にノックされている。
「はいはい、起きますよう……」
なんの騒ぎだと思いつつ、扉に向っていくと、扉が無理矢理蹴破られた。
マリは硬直するしかない。
「すぐに鎖帷子を着て剣を装備しろ。腕輪は二段階まで解放しておけ」
扉の前に立っていたのは、ジンだった。
その影に隠れるように、女性がいる。
「早くしろ、時間がない」
マリは混乱する頭を振り絞り、やっとのことで言葉を紡ぎだした。
「……何事で?」
「お前の脚力を活かして鐘を鳴らしてくれ。ここは人数が少ないし、客員剣士ばかりで今ひとつ不安だ。姫様が不審な集団に狙われていてな。くそ、追加がきやがった」
扉の向こうで剣と剣が重なり合う音がする。
そしてすぐに、周囲に濃厚な血の匂いが漂い始めた。
「師匠、大丈夫ですか、師匠」
マリは慌てて、扉の外に出る。
「ああ、駄目だな」
投げやりに師は言う。その足元には、三人の剣士が、地面に倒れていた。
「こう血が出たらここで何かありましたって言ってるようなもんだ。次は上手くやろうっと」
「人の部屋の前、血生臭くしないでくれませんかね。化けて出たらどうするんですか……」
「良いから、鎖帷子と腕輪。さっさと走れ。敵も鐘は抑えているだろうから、無理そうならソウフウ隊に走れ。行くなら出入り口に向わずに壁を乗り越えるんだな。お前ならできるだろう」
軽口を返す余裕も無いようだ。
「はい!」
マリは外に出る準備をし始めた。
「あと、これも忘れるな」
師が放り投げた指輪を、マリは受け止める。
遠距離に居ても、相手の感情や位置が伝わるようになる指輪だ。
マリは、躊躇うようにそれを返した。
「これは、今回は持ってないほうが良いと思います」
「どうしてだ?」
ジンは鬱陶しげに返事をする。良いから早く走れ、と言いたい気分なのだろう。
「今回、私がピンチに襲われたなら、師匠は姫様の護衛に集中できなくなる。それなら、知らないほうが良いと思うんです」
「馬鹿野郎」
ジンは苦い顔になった。
「脚力を活かせって言っただろ。ピンチにならないようにするんだよ」
「……敵が何人かも知れないのに、無茶を言ってくれるなあ」
マリは苦笑いを浮かべると、指輪を右手の小指にはめた。
ハクアの部屋の前では、クロウが直立不動で立っていた。
ジンは良くやるなと思いながら、彼に声をかける。
「よう」
「……女連れか」
胡散臭げな表情で、クロウはジンを見る。
宿舎に女を連れ込んだとでも思っているのだろう。
「変な勘ぐりをするなよ。この方はこの国のお姫様なんだからな」
「姫様、だと……?」
「しかも追っ手に追われてると来たもんだ。俺達で護衛する」
「……我々に危険を冒すメリットがあるのか?」
クロウは真顔で言った。
「ぬし、それでも我が国の剣士か!?」
姫が悲鳴のような声を上げる。
「姫、声が大きい。メリットならある。国の信頼を得てちょっとした我侭なら聞いてもらえるようになるかもしれん」
「しかし、ハクア様を危険に晒すメリットなど私には存在しない。私はハクア様の剣士だ」
何か言いたげなルリを、ジンは手で制した。
その時、扉が開いた。
「何を言っているのですか、貴方は……」
出てきたハクアの声は低かった。
「敵はどれぐらいですか」
ハクアは、話が早かった。
ジンはクロウとルリの手を引いて、ハクアの部屋の中に入った。
「わからん。とりあえず、ここに来るまでに六人は斬った。三人組で動いて、しらみつぶしに部屋を当たっているらしい」
「そう多くはないようですね。どうします? 出入り口は抑えられていると思いますが」
「……とりあえず、塔の鐘を鳴らすようにマリに頼んだ。塔が抑えられていたら、ソウフウ隊に駆け込んでもらう算段だ。ソウフウ隊とフクノ領の援軍が来ればどうにかなるだろう。敵もそうなれば、退くに違いない」
「……それしか手はないだろうな。援軍のない篭城ほど空しいものはない」
クロウが、観念したように作戦会議に加わってきた。
「幸い、この部屋は狭い。敵が窓から入ってこようと、扉から入ってこようと、一対一に持ち込める。援軍が来るまで粘ることはできるだろう」
「問題は、その援軍が来るか、だな。時間を費やせば、壁を破られんとも限らん」
剣士隊宿舎の鐘は、緊急事態を告げる時の為に設置されている。その鐘さえ鳴れば、援軍が望めるはずだった。
全ては、マリの脚力にかかっていた。
塔の前に居た剣士は五人。いずれも剣を抜いていた。
彼らの足元には、見張りの兵が二人倒れていた。
計七人。彼らは全て、今はマリの足元に転がっている。
「……実は味方でしたってオチだけはやめて欲しいな」
マリは呟くように言う。
敵も中々の手練れだった。サクマ領の下級剣士と良い勝負だ。
今回の相手が本当に敵なのか、という疑念がまだマリの中にはある。
しかし、命がけの勝負である。情けをかける余裕はない。
マリは、塔の扉を開くと、中を駆け始めた。
延々と続く螺旋階段を昇っていく。
そのうち、人影が見えてきた。
窓から入り込む月明かりで、その外見が見えてくる。
ローブを着て、フードを目深に被った男だ。
片手には、剣がある。
(さほど強くないな)
敵の構えを見て、マリはそう判断した。
敵が上段に剣を構え、振り下ろしてくる。
その速度に驚きつつも、マリは剣を回避している。
次は剣が横薙ぎに振られる。
マリはしゃがんでそれを避ける。
追加の兵が来ないことを考えると、残りはこの男が一人だ。
ならば、ここで勝負を決めるべきだった。
マリは、鎖帷子の上からさらなる腕輪の封印を解く。
三段階解放。
マリは剣を掻い潜り、相手の腹部を貫いた。
男が地面に倒れ伏す。
マリはその横を通り過ぎると、鐘を一度鳴らした。
一度だけ鳴らそうと思ったわけではない。二度も、三度も、鳴らす心積もりだった。
それを阻む者が現れたのだ。
さっき、倒したはずのローブの男だった。
フードが脱げて、頬に傷のある中年男の顔が露になっている。
それを見て、マリの思考回路は真っ白になった。
見知った、顔だったのだ。
マリは怒りを篭めて剣を振り下ろし、ローブの男にとどめを刺そうとする。
しかし、マリの予測を遥かに上回る動きで、彼はマリの背後に移動していた。
「俺とお前の敗因は同じだ」
マリの頭が、鷲づかみにされる。
「敵が自分と同等以上の速度で動くと想像してなかったこと、だ」
マリの頭が、塔の壁に叩きつけられた。
マリは、自分の意識が闇の中に落ちていくのを感じた。
「ああ、くそっ、腹がいてえ」
男の声が遠くに聞こえる。
マリの脳裏には、師と過ごした生活が浮かんでは消えて行った。
次に自分が目を覚ますことはないだろうという確信があった。
相手に、マリを生かしておく理由などないのだ。
美味しい美味しいとマリの料理を平らげた、まだ遠慮のあった時代の師の姿が思い浮かぶ。
(ごめんね、師匠)
マリの頭が、振りかぶられる。
(私のことは、忘れてくだ)
再度、マリの頭が塔の壁に叩きつけられた。
塔の鐘が響き渡る。
その音に、ハクアとクロウとルリの表情が和らぐ。
「これで援軍が来るな。うちの領の客員剣士の中にも、異常事態に気がつく者が現れるだろう」
「一先ずは安心と言うわけじゃな」
ルリは緊張しきっていたのだろう。糸が切れたように地面に座り込んだ。
その頬から、次から次に涙が零れ出ている。
殺し合いの中にいたことなんて、なかったのだろう。
その中で、ジンだけが真顔でいる。
「マリの意識が途絶えた」
その呟きで、ハクアとクロウの表情が硬直する。
「……マリさんは、生きて……?」
「生きてはいるみたいだ。門に向って移動している。させられている、と言うべきか」
ジンは淡々と立ち上がる。
「ちっと助けに行って来る。お前らは、姫様を頼む」
「一人でなんて、無謀です! 敵は何人か知れないんですよ」
ハクアがジンの服の端を握って引きとめる。
「一人が三人になったところで、何が変わる」
「敵もそう大勢ではない。マリさんの生存確率は上がるはずです」
「みすみす死にに行くこともあるまい」
クロウが言う。
そして、こう言葉を続けた。
「マリさんを死なせるつもりもないがな。要は、援軍が来るまで持ち堪えれば良いのだろう」
「……二人は、姫様の護衛に残るべきだ。窓と入り口を防ぐのに二人いる」
「ならば、私自身が移動すれば良いのじゃろう?」
姫が、涙を拭って立ち上がっていた。
その声は震えていた。
「私の為にお前達の仲間が犠牲になる。そんな後味の悪い結末は御免じゃ」
「これは破滅への道だぞ……」
呆れたようにジンは言う。
「ここにいれば安全は確実だ。援軍が来るまで、一人一人を相手取れば良い。けど、外に出ればそうもいかない。何人が襲ってくるかわからないぞ」
「けど、マリさんを見捨てるという選択肢も俺達にはない。実際に、お前は行く気だろう?」
「覚悟は、決めました。苦戦する、という覚悟ですがね」
押し問答をしている間にも、マリの生存確率は減って行く。
「……行くか」
淡々とジンが言う。
ゆっくりと、他の三人が頷いた。
ジンが窓の外へ出ると、門の方向へと向って走っていた七人が足を止めて振り返った。
「おい、あこ……」
「女だ、姫がいるぞ!」
七人は口々に言い、ジンに襲い掛かってくる。
ジンは退かず、むしろ前進して七人の中央を突破した。
その背後で、死体となった二人が崩れ落ちる。
ハクア、クロウも地面に降りて、後は混戦となった。
ジンは軽々と敵を突き殺していく。
クロウも、一人を切り伏せつつ、もう一人を蹴り飛ばして尻餅をつかせている。
二人の敵を相手に防戦一方に陥っているのが、ハクアだ。
その剣には、怯えがあった。
僅かに、萎縮しているのが見て取れた。
ハクアと一人が、剣と剣を重ねて硬直状態に陥る。
そこに、もう一人がハクアの顔に向って剣を振り下ろそうとした。
ハクアを相手取っていた一人の首が飛び、一人の胸から、剣が生えた。
自分の敵を切り倒したジンとクロウが、ハクアの敵を倒したのだ。
ハクアの顔に、血がかかり、息絶えた敵が覆いかぶさってくる。
その敵をどかしもせずに、ハクアは呆然としている。
その呼吸は、震えていた。
「呆れたもんだ」
ジンは、苦い顔で言うしかない。
「殺す覚悟もない癖に、ついてくると言い出したのか」
クロウが、ハクアの体に覆いかぶさる死体を退かし、ジンに言い返す。
「ハクア様には殺し合いの経験がない。それでも、味方を助ようとする気持ちがお前にはわからないのか」
「……私は、甘い。こと、こんな時に至ってまで、まだ……」
ハクアは俯いて、悔しげに言う。
「違うな。俺達に優しさが足りないだけだ」
ジンは、溜息混じりに言う。自らの服を見下ろすと、返り血に染まっていた。
手を見ると、あの日見た花のような、真紅の色をしていた。
門に辿り着くと、月明かりで、二人の男が立っていることが見えた。
一人は、見知らぬ男。筋骨隆々とした男だ。頬に大きな傷がある。そして、彼の隣に立っている男の顔を見て、ジンは顔が強張るのを感じた。
微笑顔のウラクが、そこに立っていた。
「やはり、来たな。君達にはお互いの危機を察知する力があると見ていた」
二人の足元には、鐘を聞いて出てきたのだろうサクマ領の剣士の死体が五人。そして、その背後には、マリが倒れている。それを見て、ジンは呼吸が止まりそうになった。
「援軍なら、すぐには来ないよ。我々の手勢が足止めしている。まあ、ここに置いていても役に立たないと思ったのでね」
ウラクが、マリの体を蹴り飛ばす。まだ息があるようだった。
「交換条件だ。姫とこの弟子君、交換でどうだ」
ジンは、剣の柄に手を伸ばす。
平静を装っていたが、心音は早鐘のように鳴り響いていた。
「そんな交換条件が成り立つとでも思ってるのか? 剣士一人と、一国の姫だぞ」
ジンは必死に思考を駆け巡らせる。
いかにして姫を守りつつ、マリを助けるか。その問題への解答は中々導き出せない。
「そうか、そうか。最愛の弟子を君は見捨てるわけか」
ウラクの剣が、マリの胴体に突き刺さった。
「じゃ、こいつはもういらんな」
シホの最後の姿が、ジンの脳裏に蘇る。
ジンは、すっぱいものが喉元まで込みあがってくるのを感じながら、弾かれたように飛び出していた。
ウラクが迎撃の剣を構える。
「クロウ、もう一人は任せた!」
クロウも心得たとばかりに、もう一人の男と剣を合わせる。
その体が、宙に浮いた。
男の怪力に、クロウの体が宙に浮いたのだ。
クロウは蹴り飛ばされ、ハクアの背後まで吹っ飛び、剣を地面に突き刺してなんとか踏みとどまった。
その口からは、血が溢れている。
まるで、マリのような怪力だった。
ハクアも、剣を構えた。
そして、ジンとウラクは対峙した。
「久しぶりだね、ジン君。腕は上げたかな。剣術大会や遺跡の中の戦いで随分名を上げたそうじゃないか」
微笑顔でウラクは言う。
しかし、ジンの声は怒りに震えていた。
「退けよ……」
「無粋だなあ。話に付き合ってくれても良いじゃないか」
「退けと言っている」
マリとの記憶が脳裏に蘇っては消えて行く。
拗ね顔のマリ、怒り顔のマリ、微笑顔のマリ。
その全てが、手の届かない過去へと消えようとしている。
「……なら、仕方ないな。死ぬのが早まるだけだ」
ウラクが地面を蹴り、ジンとの間にある距離が一瞬で詰まった。
ウラクの腕から繰り出される神速の一撃。
しかしジンはそれが、以前よりも遅く見えていた。
集中の世界に、ジンは入っていた。
避ける、避ける、避ける。
ウラクの攻撃を、軽々とジンは避けていく。
そして、反撃の一撃を肩に向って放った。
ウラクはそれを、軽々と受け止めて後方へと飛ぶ。
こうしている間にも、マリの命は失われていく。
そう思った瞬間に、集中の世界が、歪み始める。
全てを意識の外に置いて目の前の剣だけに集中しなければ、ジンは集中の世界に入れない。しかし、今のジンは、マリの安否に意識が行っていた。
以前はあった、人と死別するという覚悟。それが、今のジンには欠けていた。
ジンは強引に、前へ向って進んだ。
そして、ウラクが突き出した剣を辛うじて回避した。
そう思ったところに、ウラクの蹴りが腹部へと突き刺さった。
ジンは地面を転がり、慌てて跳ね起きる。
集中の世界から、元の世界に戻ってしまったという感触があった。
「よほど、弟子のことが気になるみたいだね。反応は前より鋭くなった。けれども、読みがどんどん機能しなくなっている。焦っているのかな。それは焦るよね。君の弟子は、こうしている間にも命を失っていくわけだ」
楽しむように、ウラクは移動して再びマリの腹部へ剣を突き刺す。
マリの口から、血が溢れた。
「ん? 死んだかな」
「お前っ……」
ジンは駆け出した。
その瞬間、ウラクは前進した。
ウラクの素早い移動により、ジンとウラクの距離は一瞬で詰まる。
ウラクの剣が、ジンの腹部を貫いていた。
「今度は、反応も鈍い。全然駄目だよ、君」
ジンは地面に膝をついた。
「将来への禍根を断てて、王家の剣も手に入る。今日は吉日だな」
ジンの頭部に向って、剣が振り下ろされた。
間抜けな人生だった、とジンは思う。
周囲を守れる強ささえあれば良い。そううそぶいて、大事なものは何一つ守れなかった。
所詮、自分の限界はここまでか。
そう思って、ジンは苦笑いを顔に浮かべた。
クロウも地面に倒れ伏している。敗北を喫したらしい。
その時、魔力を伴った白い光が周囲を包んだ。
この魔力の流れには、覚えがあった。
魔術の暴走。全身の魔力と集中力を振り絞った、奇跡の発動。
いや、これは魔術ではなく神術だ。
その白い光に包まれて、ジンは自らの傷が癒えていくのを感じた。
剣を持った片手を上げて、ウラクの攻撃を受け止める。
ウラクの背後で、起き上がるマリの姿が見えた。
ハクアが習っていたという神術が全てを癒したのだと、直感で理解する。
その瞬間、ジンは集中の世界に再び入り込んでいた。
立ち上がって、再度ウラクとジンは向かい合う。
ウラクの攻撃がゆっくりに見える。次に自分がどう動けば良いか完全にわかる。
剣と剣が重なり合って火花を散らす。
ジンの剣が、ウラクの頬に傷を作った。
ウラクの顔に、戸惑いが浮かぶ。
勝てるかはわからない。しかし、負けはしない。
そんな確信が、ジンの中にあった。
顔に傷のある男はマリと対峙している。その背後にクロウが迫る。顔に傷がある男は、腹部を押さえていた。
魔術か何かで、元々あった傷を押さえ込んでいたのかもしれない。
その時、ウラクと顔に傷のある男の体が、急に宙に浮いた。
ローブを着て、フードを目深に被った女が、ウラクともう一人の男の体を掴んで宙に浮いている。
魔術師のようだった。
「こちらの防衛ラインは破られた。貴方達の決着がつくにもまだ手間取りそうだ。ウラク。バク。今回は私達の負けです。元々少ない手駒がこれでますます少なくなった」
魔術師が溜息交じりの口調で言う。
「そうかね。君が来ていたなら、手を貸してくれれば良かったんじゃないかい」
ウラクは不満げだ。
「今来たばかりでそれを言われても困る。それに、王家の剣は手に入れ損ねたが……」
そう言って、魔術師は口元を歪めて、ある方向に視線を向けた。
その方向に視線を向けると、怯えたように身を竦めているハクアの姿があった。
魔術師はそのまま、宙を飛んで闇夜に消えて行った。
「……結局は私の気まぐれが原因だ。許せ」
ソウフウ隊の詰め所で、ジンとマリに向って姫は頭を下げた。
「まさか、国内に私を誘拐しようと企む一団が居ようとはな」
「この遺跡に関しては、何かきな臭いものが動いていると私も感じております」
ジンは片膝を地面について、そう答える。
「そうじゃな。王家の剣を手に入れ損ねた、と彼らは言った。私との交換条件に剣を所望するつもりだったんじゃろう。あの剣で、彼らは何かをしようとしているらしい」
沈黙が場を包んだ。
「……ぬしは不思議な男じゃな」
姫は不服げに言う。
「不思議、と言いますと?」
ジンは戸惑って返事をする。
「あの戦いの場所の中でこそ、ぬしは活き活きとしておった。まるで水を得た魚のようにな。平素の穏やかな表情が嘘だったかのように」
それは、ジンも感じていたことだ。
戦いの場に立ったとたんに、スイッチが切り替わったように頭が回転し始めた。
相手の血が噴出す戦場を駆け抜けることに、ジンは慣れきっていた。
弱くなった可能性を危惧していたジンだが、その腕はさらに磨きがかかっていたとも言えた。
ただし、仲間が死に瀕しなければ、だが。
「……俺の手は、血に汚れすぎたのかもしれません。私の表情が穏やかになり、弱くなったことを私の師は危惧しました。けれども、とんでもない話だった」
「ガーディアンとしてなら、いつでも採用してやるぞ。剣の腕も伸びる。損はない」
「……王宮で一生を終える気はありませんゆえ」
「自らの手が血で染まっていると思いながらも、平穏な日常に手を伸ばし続けるか。農耕に生きたのは過去のお前じゃ。もう今のお前は、別物に成り代わっておるのにのう」
姫の言葉に、ジンは反論できない。
単体としてのジンは、平穏な日常よりも、血生臭い戦場のほうが似合っている。
しかし、仲間が死に瀕して動揺するジンは、血で血を洗う戦場においては不適格な存在だ。
どっちつかずな存在になっている自分に、ジンは戸惑うしかない。
「おい、そこの優男」
急に話を振られて、マリは戸惑ったような表情で顔を上げる。
その額に、姫は接吻した。
そのまま姫は、不可思議な言語で囁き始める。
姫の体から、魔力がマリに流れ込んでいくのが感じられた。
「ぬしに力を与えよう。もう二度と、師の足を引っ張るでないぞ」
「……ありがたき幸せ」
マリはそう言って、頭を垂れた。
「あ、ちなみに父に露見した場合はすぐに契約を切るでな。その手続きをしに足を運んでもらうからの」
「……はい」
マリは苦笑顔で頷いた。
王家のガーディアン。全ての剣士の上位に位置する存在。そんなとんでもない存在にマリはなってしまったらしい。
ジンは感謝の念を篭めて、ルリに頭を下げた。
クロウは、ハクアに付きっ切りになっている。
あの白い光は、ハクアの放った神術だった。瀕死のマリすら全快させるほどの、広範囲の神術だ。その効果の凄まじさに、何かしらの反動が無いかとクロウは危惧しているのだ。
厄介事に巻き込んでしまった手前、顔を出し辛くて、二人はマリの部屋に戻って来ていた。
部屋の前の遺体は片付けられているが、血の匂いは残っている。
扉は壊れたままだ。
「あーあ。これ、直るまで何日かかるんだろう」
マリが、明るい口調を作って言う。
脳裏に浮かぶのは、師の発するだろう苦言だ。
(どうしてソウフウ隊に走らなかったって、怒られるんだろうなあ……)
今回の失態は、言い訳できるものではなかった。敵の戦力を見誤り、捕虜となってしまったのだから。
「治るまで、師匠の部屋に泊めてくださいね?」
「いいぜ」
ジンは、呟くようにして返す。意外と、怒気の感じられない口調だった。
「じゃあ、着替えとか持ってかないとなー。準備しますね」
そう言って、マリはジンから遠ざかっていく。
縋るように、ジンはその背中を抱きしめていた。
マリは一瞬、呼吸が止まった。
「どうしたんですか、師匠」
「……お前、もうこの町に残るの、辞めろ」
師は、蚊の鳴くような声だった。
「確かに今回は死にかけましたが」
マリは苦笑する。
「少し相手が悪かっただけです」
「それでも、帰れよ。この町は、何かがおかしい。何かの陰謀が渦巻いている」
「帰る場所は私にはありません。忘れましたか?」
「じゃあ、俺の里に部屋を貸してやっても良い」
マリは実感した。
師は、マリを失うのが恐ろしかったのだと。それほど、自分は大事に思われているのだと。
マリは、そう思うと、師を愛しく感じるのだった。
それはけして、恋愛感情ではなかったが。
「……師匠。二対二じゃ確かに手強い相手だったかもしれません」
マリは、決意をこめた声で言う。
「けど、私達四人が揃えば勝てない敵じゃなかった。そうでしょう?」
否定できなかったようだ。ジンは、言葉に詰まる。
「それに、私は帰れない」
ジンの腕を、マリは抱きしめるようにして握った。
「あの、顔に傷のある男……」
マリの腕に、力が篭る。
脳裏に蘇るのは、煙が立ち込める荒廃した故郷の姿だ。
「私の里を襲った連中の、生き残りです」
ジンは、言葉を失った。
「だから、師匠がいなくなっても、私はこの町に残る。あいつを倒すために、私の腕の呪いは消えなかったのかもしれない」
沈黙が流れた。
マリの決意を覆す言葉が、ジンには思いつかなかったのだろう。
ジンは、マリを振り向かせ、じっとその瞳を眺めた。
マリは戸惑いを篭めて、その視線を受け止める。
ジンがかがんで、唇と唇が触れた。
マリは、目を見開く事しか出来なかった。
「俺が忘れさせてやる」
柄にもない言葉だ。どこか他人事のように、マリは師の言葉をそう受け取っていた。
きっと、誰かの受け売りだろう。
音も、匂いも、さっき唇に走った感触も、全てのことに、現実感がなかった。
「何処へだって連れて行ってやる。何処にだってついていってやる」
「……柄にも無いですよ、師匠」
マリは苦笑して、ジンを抱きしめて、その背を撫でた。
「心配かけて、ごめんね、師匠。けど、私の覚悟は固いんだ」
ジンは何も言わず、マリの体を抱きしめ返した。
その頭の中では、必死に言葉を紡ぎだそうとしているのだろう。
しかし、その言葉は中々出てこないに違いない。
沈黙を破ったのは、思いもしない言葉だった。
「結婚しよう」
マリは驚きのあまりに硬直した。浮かんできた感情は、動揺と言うよりは呆れだ。
「師匠。今まで人にどんな台詞を吐いてきたか、覚えておられますか。やれ貧相だのやれ姑に睨まれやすい性格だの」
「結婚して、しばらく平穏な生活に身を置いてみよう。次に遺跡に入るまで、時間はある」
マリは、戸惑うしかない。
「あのー……本気なんですか?」
「本気だ」
「俺が全て忘れさせてやる、と」
マリは、半ば笑いながらそう言った。
「……あー、そうだよ」
師は、苦い顔でそう返す。
動機はどうあれ、告白されている。そう思うと、マリはなんだか気恥ずかしくなってしまって、師から目をそらした。
意外なことに、師の吐く言葉に、嫌な感情は抱かなかった。
どこか、くすぐったいような気持ちがある。
「……無駄だと思うけどなあ」
「無理でも、やらないよりは良い」
「本気、なんですね」
「ああ」
マリはしばらくジンの顔を眺めて、苦笑交じりに頷いた。
「結婚ごっこも、面白いかもしれませんね。死ぬ前の、思い出作りです」
「……死ぬって言うな」
そう言って、ジンはマリの体を強く抱きしめていた。
マリはただ、ジンの背を撫でていた。
(きっと……私達は、二人揃って生き残れない。生き残れるかもしれないけれど、私は、死んでしまう可能性が高い)
そんな実感が、マリの中にある。
呪術を利用するマリの能力はリスクも高い。一度使えば、しばらく戦闘不能になる。そんな不安定な剣士が、あの強力な敵達に対応しきれるとは思えない。
ならば、最後に思い切ったことをしてみるのも、一興だった。
それで師が、マリとの思い出に少しでも悔いを残さずにすむのなら、それで良かった。
翌日のことだ。
ジンとマリの部屋の扉に、招待状が挟まれていた。
昼食を一緒にしたいというお誘いらしい。
差出人は不明だった。
指定された店に行くと、剣士で賑わっていた。
その端の席で、一人で卓を囲んでいる小柄な優男がいた。
「ああ、君がジンでそっちの君がマリだろう。こっちだ、こっちだ」
気の良い青年のようだ。笑顔の似合う男だった。
ジンとマリは、彼の向かいに座る。
「で、なんの用だ。見たところ、あんた剣士隊の人間でもないようだが」
「勧誘に来たんだよ」
男は微笑んで言う。
「勧誘?」
ジンは、悪寒を覚えていた。
目の前の男は、何か危ない。そんな予感があった。
「ああ、勧誘さ。逆さバベルの塔を制覇する。その為の相談をね」
ジンは剣の柄に手を伸ばす。逆さバベルの塔。その固有名詞を使うのは、ウラクの仲間しかいない。
それを、柄の先を抑える事で、青年は押し留めた。
「ここには僕の兵も多数いてね。君が剣を抜けば、関係がない人間や町の人間まで死ぬ事になる。本意じゃないだろ~う? そんな結末」
何が楽しいのか、青年は微笑んだままだ。
ウラクもそう、ハルカゼもそう、顔に笑顔が張り付いた男にジンは苦戦させられてばかりだ。
嫌な、ジンクスだった。
ジンは、剣の柄から手を離した。その瞳は、青年を射抜いている。
青年も、自らの手を離す。その表情には、微笑が張り付いている。
「僕は……本当は長い名前なんだけどね、コウキって覚えて欲しい。以後お見知りおきを」
「ジンだ」
「マリです」
訝しげな表情を隠さないジンと対照的に、マリは無表情に挨拶をする。
「まず言いたいことは、僕達と君達が敵対する意味はないんだよ」
コウキの言葉に、ジンは眉間にしわを寄せる。
「我々の調査を荒らしているのはお前達だろう。俺達は遺跡調査をしているだけで、お前達は逆さバベルの塔の制覇とやらを目的に活動し、こちらの妨害をしている」
「しかし、我々の目的が地上の平和だとしたら、君はどうする?」
思いもしない言葉が出てきて、ジンは唖然とした。
口が開くが、次の言葉が出てこない。
「宗教の勧誘なら間に合ってますよ」
師に負けない毒舌を発したのは、マリだった。
その顔には、相変わらず表情が浮かんでいない。
「いや、それが本気なんだよ。あの遺跡の最下層には、それがある。地上を平和の楽園へと変える魔術式がね」
「少なくとも、お前らはそれを信じているというわけか」
「ああ、そう取ってもらっても構わない。バベルの塔、という話を知っているかな?」
ジンは首を横に振る。
青年はマリに視線を向けたが、マリもやはり首を横に振った。
「古代種の考えた作り話だよ。昔、世界は一つだった。人々は力を合わせ、天にも届く塔を建てようとした。人々の傲慢に天に居する神は怒り、塔を破壊し、人々が力を合わせないように複数の言語を与え、言語の壁を作った。さて、ここで問題だ」
青年は言葉を区切る。
「ならば、逆さバベルとはどうあるべきだろう」
「……言語を統一し、人類を一つにするとでも?」
「ご明察」
青年は嬉しげに拍手する。
「言語を統一したところで、争いは消えん」
「消えるんだな。逆さバベルの魔術にかかれば、人々の争いを好む本能も消える。この世から悲劇はなくなる。妻を奪おうとする間男もいなくなれば、金を奪おうと人を殺す強盗もいなくなる」
「夢のような話しだな」
「そう思うだろう? 我々の時代に、我らの先祖の発した逆さバベルの魔術の効力は薄れてしまっている。今こそ、もう一度あの魔術式を発動させるべき時なんだ」
ジンの投げやりな返答を聞いて、青年は腰を上げ、興奮した口調で話す。
「なら、なんでそんなものがわざわざあんな危険な遺跡に封印されている」
ジンの指摘に、マリがはっとしたような表情になる。
「そうですよ。平和の為の魔術式なら、壊そうとする人だっていないはずです」
「それは定かではないね。試練を与えようとしたのかもしれない。旧王家にだって、王家の剣を遺跡に回収しに行くという試練がかつてはあったんだよ?」
「カミトやフクノの精鋭に守られて、か」
ジンは、吐き捨てるように言う。
「部下をいかに使うかも、上に立つものの器量だからね」
「俺は話しを聞いてて思った印象は逆だな」
「と言うと?」
青年は、面白がるようにジンを見上げる。
「例えば、魔術の大断絶があったにせよ、魔術師達はあちこちに隠れて魔術を後世に伝えた。しかし、現代の魔術師にあのような遺跡を作れるだろうか? イエスかノーで良い。答えてみろ」
青年は、興味深げにジンを見た。
「ノーだね」
「なら、あの遺跡を作った人類の叡智は何処へ行ったのか。それは、廃れたとしか考えようがない。競争は人を進歩させる。それがなければ人類は衰退するだけだ。人より前へ、先人より先へという欲望が、人類に叡智を与え続けてきた」
「しかし、同様に悲劇を与えても来た」
青年の一言を、ジンは否定しない。出来なかったのだ。
無視して、ジンは言葉を続ける。
「お前の造る平和の中で、人は緩やかに衰退するんじゃないか? それは、進歩と共に地球を制覇した人類という種そのものへの冒涜と一緒だ。だからこそ、その魔術式は封じられた。遺跡の奥底にな」
「遺跡に欲を持って現れる人々の魔力を吸い上げる目的があったかもしれない。封印されたのか、あえて奥底に隠したのかは、今となってはわからないことだよ。それにね、ジン君」
男は微笑んだ。暗い闇の底を連想させるような、陰鬱な笑みだった。
「人類は地球を制覇した。今の人類の敵とはなんだい? 人類自身じゃないか。その争いの中で技術や制度は発達するだろう。幾千幾万の死者を礎にしてね。それが君の望む人類のあり方なのかな?」
「洗脳でもたらされる平和より、よほどらしいんじゃないかね。それが自然と言うことだ」
「なるほど、自然のあり方、か。便利な言葉だ。フクノ領の出身なだけあって、頭も良く回る」
「俺は他国の生まれだ」
「違うね。統一王に下ることを嫌ったフクノ領の面々が、逃げ延びた先が君の住む集落だ。覚えていないかな。君と僕は少年時代に会ったことがあるんだよ」
思いもしない事実に、ジンは戸惑うしかない。
つまりジンは、自分の先祖の生まれ故郷に帰ってきていたということになる。
「まあ、君はシホ君に首っ丈で、僕のことなんか覚えていないかも知れないな」
「無礼だとは思うがね、覚えちゃいないな」
「ねえ、ジン君。良識人ぶるのはやめなよ」
甘く囁くように、コウキは言う。
「さっきの君の発言は、良識人としての、そして魔術師としての建前だ。弟子を刺され我を失う君は、感情的には争いがこの世から消えるのを望んでいる。君は人を失うことが怖い、割り切れない。僕はそんな不安から切り離した世界を君に提供しようと言っているんだけどね? 今も戦地で命を散らしている若者がいる。彼らが君の友人だったら君はどう思うかな」
ジンは、押し黙った。
反論できなかったのだ。
人類の争いの中で犠牲になる者は現れる。それがマリやシホだったとしたら、ジンは割り切れないだろう。それが、自然の摂理だとしても。
「マリ君。君はどう思う? 君は争いの多いこの世界をどう思うかな」
「変えられるものなら、変えたいと思います」
マリは、淡々と言う。
「その為の誠意を見せて欲しい」
マリの言葉に、コウキは唸った。
「と言うと?」
「頬に傷のある男、部下にいるでしょう。彼の首を、私にください。ならば、考えましょう」
青年は微笑んだまま、しばし考え込んだ。
「部下を売れ、と言うのかな」
「あの男は、私の暮らす村を亡ぼしました。言わば、貴方がなくそうとしている争いを産む男です。その男を飼いながら地上の平和を歌われても、胡散臭いだけです」
「ウラクもそうだが、あんたの部下はこちらの味方を殺してきたよな。あんたらの嫌う争いそのものじゃないか」
ジンは、声の勢いを失ってはいたが、マリの意見をフォローする。
「……地上の平和という大事を成すためだよ。それに、将には部下を受け入れる度量というものも求められる。彼らは強い。それが全てだ」
「まあ、わかりましたよ。貴方が胡散臭くて、胡散臭いことをしようとしているってことはね」
マリが、淡々とした口調で言う。
「胡散臭い、かね」
「全人類に効果を及ぼす洗脳装置。そんなもの、放置して良いわけがない。それを任せるには、あんたの部下は胡散臭すぎる」
ジンも、マリに同調する。
「交渉は決裂か。君達を仲間に引き入れられたなら、随分と先が楽になったはずなんだけれどな。まったく、僕には将器が足りないらしい」
男は苦笑して立ち上がった。
「逆さバベルの塔は目覚めるよ。君達の頑張りに関わらず、ね。変わった世界で平和を享受すると良い」
「あんたは何者だ? 連中のリーダー格のようだが、それにしては若すぎるな」
「旧王家の、血を継ぐものさ」
そう言い残して、男は去っていった。それに続くように、店から数人の剣士が去って行く。
それを見届けると、ジンとマリは背後に壁がある席に移動した。ジンがマリに訊ねる。
「どう思う? 奴が平和を望むのなら、俺達は悪者サイドだが」
「笑って人を殺す部下を連れて平和を歌う。胡散臭い事この上ないですよ。信じるに値しません。彼は何かを隠している。それが、私の印象です」
「……ま、大体同感だ。世界平和のためにって建前の陰に、何かがある気がしてならん」
ジンは投げやりに言った。
平和の為に衰退の道を選ぶのか。
発展の為に闘争の道を選ぶのか。
どちらが正しいのかはジンにはわからない。
ただ、相手が胡散臭いことだけは理解できたのだった。
あれが、敵のボスの顔だ。コウキの顔を、ジンは脳裏に焼き付けた。
次回は思いつきネタ、彼らが現世に生まれていたら。
思いつきネタ以上でも以下でもありません。




