雨
VSイッテツをお送りする予定でしたが、今回は雨ということになりました。
次回VSイッテツです。
出るのだという。
前回は精霊、今回は悪霊、まったく賑やかな町だとジンは呆れながらに思う。
そうしてジンは、その悪霊が出るという建物の前に立っていた。
住宅街の中でも一際目立つ、レンガ造りで二階建ての大きな家だ。
家の前には、ソウフウ隊の制服を来た剣士が立っている。
サクマ領の者だと言うと、素直に通してくれた。
「しかし、俺に行かせてハルカゼさんはサボりか。納得いかんな」
「けど、ハルカゼさんじゃ魔術のことはわかりませんからねえ」
呟くと、背後にいたマリが答える。
「それにしても、お前はなんでついて来てるんだっけ」
ジンは面倒に思いながらも聞く。
「面白そうじゃないですか。それに師匠に危険が及べば私の出番ですよ」
「……お前もクロウ系統の人間よなあ」
「それは心外ですね」
マリは真顔で答えた。
どうやら、クロウと一緒にされるのは心の底から嫌らしい。
ジンは心の中で、クロウの女性人気のなさに少し同情した。
中にいた娘に案内されて、二階の奥の部屋に行くと、そこは寝室だった。
老人がベッドで寝ている。
窓が開いて、風が白いカーテンを揺らしていた。
日光のせいで、老人のひげが伸び始めているのが透けて見えた。
既に、四人の剣士がその場に集まっていた。
ソウフウ隊隊長のサキリと副隊長のゲッカ。
カミト領上級剣士のセツナ。
そしてもう一人は、知らない女性だった。
眼鏡をかけた、剣より本といった雰囲気の女性だ。
「遅れてすいません」
ジンは言う。
セツナは面白くなさげな表情だった。
ジンも、この前セツナと戦って決着がつかなかった記憶がまだ残っているから、面白くはない。
しかし、彼はジンを気に入らないというよりは、もう一人の女性を意識しているようだった。
「いえ、大丈夫ですよ」
サキリが淡々とした声で言う。
どうしてか、マリが怯えたようにジンの陰に隠れた。
「そちらの方は、助手ですか?」
サキリが、マリを見て言う。
「まあ、そんなようなものです」
「出来ればハルカゼさんにも来て欲しかったのですが、当人は?」
「私は魔術の素養はないから、と。まあ有体に言えば逃げました」
「そうですか。困ったな。三大領の代表者にも来ていただきたかったのですが」
「全て私に一任するとのことなので、後々文句を言ったりはしませんよ」
「出来れば、そうであって欲しいものです。ややこしいのは我々も御免被る」
この話の流れから察するに、ここにいる見知らぬ女性はフクノ領の代表的な剣士らしい。
そういえば、剣術大会でも見ない顔だった。
「で、どう言った話なんですか?」
ジンは話を進めるために、訊ねた。
「悪霊が出るんですよ」
サキリは淡々と答えた。
「この間、町長さんが倒れられた。それ以来、町長さんの部屋に悪霊が出るのだという。それの解決の為に、皆さんには集まっていただいた次第です」
「それって~、セツナ君は必要ないんじゃない?」
女性が、どこかおっとりとした口調で言う。
「セツナ君の先読みじゃあ~、悪霊はどうにもならないよねえ」
セツナの眉間に、皴がよった。
「セツナさんはカミト領の代表者です。結論を決める時に意見を言ってもらう必要がある」
サキリが、やや慌てたようにセツナをフォローする。
「まあ~、良いですけどね。私と違ってこういう方面じゃ無能なんだから、ハルカゼさんみたいに逃げれば良いのにな~って思って」
セツナが剣に手をかけた。
「剣術大会で逃げておいてその言い草。いい気なものだな」
「逃げたんじゃないですよ~。参加する意義がないと思っただけです~」
「ほう、ならばこの場で決着をつけてやろうか」
セツナは案外沸点が低いらしい。既に剣は鞘から半ば抜けている。
二人の間にサキリが入った。
「まあ、まあ、お二人とも喧嘩は辞めてください」
「そうですね。話を先に進めていただきたい」
ジンは、面倒臭げにそう言った。
セツナは、気まずげに黙りこむ。
女性は、ジンに流し目を向けてニヤリと微笑んだ。
「上級剣士相手にその言い草。ハルカゼ君も中々度胸のある子を飼ってるねえ~」
「そいつは腕もあるぞ。ちょっかいをかけようなどとは思わんことだ」
セツナが面白くなさげに言う。
「そっか~。そういやせっちゃんは勝てなかったんだったねえ~」
セツナは、ますます面白くなさげな表情になる。
話の内容は単純だった。
町長が倒れて昏睡状態に陥ってから、彼の傍に悪霊が出るようになった。
それをしばしば、彼を見舞った人々や、彼の治療に当たっている神術師が目撃した。
悪霊はどうやら、十年前に人身御供として死んだ少女のようだった。
それを解決するために、ジン達は呼ばれたらしい。
「確かに~この部屋には魔術の匂いがするな~」
フクノ領の女性が言う。
ジンも同じ思いだった。
この部屋に来た時から、魔術の気配を感じていたのだ。
「まあ、神術の匂いも魔術の匂いも一緒だから、治療の痕跡かもしれないけどさ~」
「ふん、たいして役に立たんのはお前も一緒じゃないか」
「あ、言ったな~。これから差がつくんだから、見てなよな~」
「我々としては、埋められた少女の遺体を移し変えて、きちんとした墓に入れたらどうだろうと考えております」
サキリが、二人の間に割ってはいるように言う。
「それって~、無駄だと思う」
フクノ領の女性が言う。
「埋められたことを恨んで悪霊が出るなら~、死んだ直後から出てるよ~」
「しかし、我々には他に打つ手もありません」
「なるほど~、王家の紋を背負ってる手前、大変だよね~」
仕事をしているアピールをする必要もあるということだろう。
サキリが、苦い顔になる。
「しかし、遺族の方が遺体の移動には反対されておられる。どうしたものかと考えているのです」
「それで、各領に魔術の素養を持った人を集めようとしたけれど、ゲッカちゃんと私ぐらいしか来なかった~と」
「私の先読みも魔術の一種だ」
苦々しげにセツナは言う。
「けど、魔術の制御とか察知は出来ないよね~。生まれつきのそれだけに特化した能力だから~」
女性の視線が、ふとジンに向いた。
「そこの二人はどうなのかな~。魔術の素養があって呼ばれたのかな~」
「いえ、我々は単なる代理人」
ジンは、面倒事を避けるために魔術の知識と才能があることは隠すことにしている。
「それにしては~……」
女性はそこまで言って、口を止めた。
「まあいっか~。じゃあ、遺族を説得して遺体を移動できれば一先ず仕事は終了って感じなのかな~」
「まあ、そうなりますね」
サキリは淡々と言う。
「それでも悪霊が出たら?」
「どの道、この老人は長く持ちません。そうなのだろう? ゲッカ」
ゲッカが、頷く。
「この方、よほど神術師が献身的に見ているのだと思います。神術で辛うじて体の機能を維持しているようなものです。しかし、そう長くは持たないでしょう」
「つまる所、我々に求められているのは事件の解決というよりは~、その遺族の方の説得なわけだね~?」
女性は、意地悪く微笑んで言う。
「いえ」
サキリは首を横に振った。
「解決出来るならそれに越したことはない。その為に、魔術の素養を持った方に集まっていただけるように頼んだのです。しかし、魔術が断絶した後となっては、それも難しかったのかもしれません」
サキリは少し落ち込んでいるようだった。
女性が、その肩を軽く叩いた。
「まあ~任せなよ。リッカお姉さんは魔術の素養があるからね~。それに、人には皆魔術の素質があるんだよ~。強いか、弱いかだけでね。そういう意味じゃ町中皆容疑者になっちゃうけれど」
「お姉さんって歳だったか、貴様」
セツナが苦々しげに言う。
「私がおばさんになったら貴方はおじさんだけどね~」
女性ことリッカは、楽しげにそう言った。
「生きたい……」
しわがれた声が、部屋に響いた。
「生きたい……生きたい……」
老人の声だった。
意識が戻ったわけではないらしい。ただ、その言葉だけを繰り返し呟いている。
「こんな歳になって、寿命がやってきても、生きたいって思うもんなんだね~」
リッカは、感心したように言う。
「それはそうだろう。人間はいざその時になっても潔くはなれんものだ」
セツナは、淡々とそう言った。
遺体の場所を変えるのに反対している遺族というのは、最初に家の中を案内してくれた女性だった。
彼女は、住み込みで町長の治療をしている神術師でもあるようだ。
まだ若い女性だった。
名前を、シズクと言うらしい。
「埋められて死んだ者を、掘り返してまた埋める。死者への冒涜です」
そう言って、シズクは悔しげに俯いた。
「そうは言うけどさ~。遺体には意識も何もないんだよ~」
リッカが無神経なことを言って、セツナが眉間にしわを寄せる。
「現状が打破できるかどうかが一番大事なんじゃないかな~」
「妹が埋葬された場所には、私も行ってみました。けど、魔術の気配など何も感じなかった。今回の件は、妹が原因ではありません。誰かが、町長さんを呪っているとしか思えません」
「まあ~、それが一番無難な考え方ではあるけどねえ~。呪いの媒介にされている可能性はあるよね~」
シズクは、ますます悔しげな表情になる。
「悪霊を呼ぶ時だけ、遺体に魔力を注ぐ。短時間それをしてても、魔術の匂いは時間の経過と共に消えて行く。それなら、目立つ場所に移し変えたほうが良いでしょう~? 皆が安心できるよね~」
「私は、反対です」
シズクは、逃げるように町長の部屋へと歩いて行った。
「どうしたものかな~」
リッカは右手で頭を押さえた。
「お前は無神経過ぎるのだ」
セツナは苦い顔で言う。
「セツナは感傷的過ぎるよ~。私達の仕事は、仕事をしたように見せかけること、だからね~。その条件さえ達成できれば良いのさ~」
「そんなことだから、お前の領には他領の剣士を襲うような野蛮人が出てくるのだ」
「ありゃま、こりゃ痛い所を突かれたね」
リッカは、苦い顔になった。
ジンとマリは、二人を置いて、町長の部屋へと向かった。
先ほどの女性が、町長の頭に手を置いて、神術を使っている。
人間一人の肉体を維持するほどの神術。相当の負担がかかっているはずだ。
しかし、シズクの顔には笑みさえ浮かんでいる。
「どうして、そこまで出来るんだろうな」
ジンは、思わず訊ねていた。
「人身御供ってことは、妹さんは殺されたようなもんだろう? 言ってみれば町長さんは仇だ。その仇にどうしてそこまで親切に出来るんだ」
女性は、ジンを見て驚いたような表情になった。
しかしそのうち、切なげに苦笑した。
「妹は、自ら人身御供になったと言います。神術の素質を見出され、王都で神術を学んでいた私の知らないうちに。その分、町長さんは私に良くしてくださいました。この町での生活があるのも、町長さんのおかげなのです」
ジンは、何も言い返せない。
人間が生きていく以上、金銭的な問題というのも発生する。彼女のそれを町長が解決してくれたなら、その相手は恩人と言っても間違いでは無いのだ。
「それに、妹は町の為に自ら身を捧げた。その気持ちを、尊重してあげたいのです」
「なるほど、ね。納得した」
ジンはマリを連れて、部屋を出た。
「調査を頼めるか」
ジンは、マリに言った。
「はい、なんなりと」
マリは微笑んで言った。
マリの調査は迅速だった。
当時、人身御供を捧げることにした長老会のメンバーの話をすぐに聞いて回ってきた。
この町に知り合いの多いマリでなければ、勤まらない仕事だっただろう。
「妹さんが、自ら人身御供になったことは間違いないようです」
マリは調査内容をジンに告げる。
場所は、夕方の酒場の片隅だった。二人の前には、料理がある。
「ただ、皆お年寄りですからねえ。言ってることにばらつきがある」
「ばらつき、と言うと?」
「例えば、自ら妹さんが立候補したと言う者がいれば、我々が頼み込んで人身御供になって貰ったと言う方もいる、という次第です。共通しているのが、妹さんは自分の意思で人身御供になったと言う点だけですね」
「なるほどねえ。ま、十年も経てば記憶も曖昧になるわな」
ジンは苦い顔で、肉を口に運ぶ。
「けど、変な話ですよね。自分から身を捧げたなら、悪霊になんてなるはずがない」
「俺もそこを考えてたところだ。実際、妹さんの埋められた場所に行ってみたがな。魔術の痕跡なんてなかった。まあ、時間が経って消えただけかもしれんがな」
二人の間に沈黙が漂う。
結局、二人とも明確な答えに辿り着けていないのだ。
「まあ、怪しいのはシズクさんだが」
ジンはぽつり、と呟くように言った。
「私は、そんなことないと思いますけど。あんな優しそうな人が……」
「けど、住み込みだろう? いつでもタイミングを見計らって呪えるよな。恨みも十分あるし」
マリは返事が出来ない。
「まだわかんないけどな」
ジンは、そう言って乱暴に会話を打ち切った。
二人は食事を終えて、町長の部屋へと戻った。
セツナ、リッカ、サキリ、ゲッカが部屋に散らばって座っている。
皆を照らしているのは月明かりだけだ。
ジンとマリも、お互いに座る場所を見つけて腰を下ろした。
「お前、そろそろ遺跡に入る頃合なんじゃないのか?」
セツナが、ジンに問う。
「三日後ですね」
「やはりな。トーナメントだレクリエーションだと長い間地上に出ていたようだから、そう思っていた。こんなことをしてる場合でもあるまい。帰ればどうだ」
「セツナは~、人を追い返して手柄が欲しいんだ?」
リッカが、混ぜっ返す。
「馬鹿を言え。こんなことに付き合うのは馬鹿らしいと言っているだけだ。僕も、遺跡に入る日が近いんだ」
その時だった。
「生きたい……」
老人が、呟いた。
「生きたい……生きたい……」
老人の声が、薄暗い部屋に響き渡る。
「このシチュエーションだけで、ちょっとしたホラーだな」
セツナが、苦笑いで言う。
「セツナ~怖いの? お姉さんが抱きしめてあげようか?」
「ああ、その時は腹を剣で刺してやろう」
セツナは、嫌そうな声でそう返した。
老人の声は響き続ける。
その声がいつしか、違った声音になり始めていた。
音が徐々に高くなり、それはいつしか少女の声へと変わっていた。
「生きたい……生きたい……」
皆の表情に、緊張が走っている。
老人の胸の位置に、いつしか、少女が座り込んでいた。
少女は、無表情に呟いている。
「生きたい……生きたい……」
セツナが無言で少女に切りかかる。
しかし、剣は空を切るばかりだ。
マリが立ち上がって、叫んだ。
「私、お姉さんを呼んで来ます!」
マリが部屋の外へ駆けて行く。
ジンもその後を追った。
それに、リッカが続いた。
シズクは、部屋の扉をノックするとすぐに出てきた。
普段着のままだが、目を擦っていた。
町長に神術をかけるために、仮眠を繰り返しているのだろう。
「あの、妹さんの幽霊が……」
マリが、言い辛そうに言う。
シズクは血相を変えて、町長の部屋へと駆けようとした。
その手を、リッカが掴んだ。
「案内して欲しいところがあるんだ~」
「今は、それどころじゃ」
シズクは憎々しげにリッカを睨みつける。
「大丈夫~。部屋には他にも神術師がいる。彼女が町長の命は繋ぎとめてくれるでしょう。それより、事件を解決したいとは思わない~?」
シズクは、訝しげにリッカを見つめた。
リッカが案内して欲しいと言ったのは、シズクの妹が埋まっている場所だった。
十分ほど歩き、その場所に辿り着いて、リッカは地面の匂いを嗅ぐ仕草をする。
「ちょっとそこのサクマ領のコンビ、紛らわしいから離れてくれるかな~」
ジンとマリは、言われたままに距離を取る。
呪いのことを察知されている。そう思うと、背筋に冷や汗が流れた。
リッカとシズクだけが、墓所の傍にいる。
そのうちリッカは顔を上げて、呟くように言った。
「これは、解決して良いことがある事件じゃないね~」
「わかったってことですか? リッカさん」
マリが、驚いたように言う。
「うん~。大体把握したかな~。けど、これ以上深入りしても良いことはないよ。私はこれでいちぬ~けたってサキリちゃんに伝えといて~」
そう言って、リッカは本当に歩いて去って行ってしまった。
「帰りましょうか。町長さんが、気になります」
困惑を隠せぬ表情でシズクは言う。
「まあ、そうだな……」
ジンは、頷くしかなかった。
「解決しても良いことはない、とは一体どういうことなのでしょう」
シズクが、戸惑うように言った。
「わからないよ、そんなの」
マリも、戸惑うように言う。
ジンは、黙って考え込んでいた。
シズクが町長の額に手を当てて、神術を行使している。
それを、マリはじっと見ていた。
周囲では、ジンやセツナ達が寝入っている。
「神術って良いですね」
マリは、シズクに話しかけていた。
シズクは、怪訝そうな表情になる。
「人を助けることが出来る術だもの。大元は一緒なのに、魔術とは大違い」
「そうでもありませんよ。町長だって、こんな状態で生きることを望んでいるかはわからない。自然に死にたいと思っているかもしれませんし」
「けど、怪我をした子供も助けられるよね。目の前で転んで泣いている子を笑顔に出来る。それだけで、凄い術だと思うんだ」
シズクは、苦笑した。
「私が神術を覚えようとしたきっかけも、似たようなものでした」
「そうなんですか?」
「妹が、ドジな娘だったので」
「なるほど」
マリは、微笑んで良いのかわからなくて、曖昧な表情になった。
「生きていれば、貴方と同じぐらいの歳になっていたでしょうか」
「随分若かったんですね」
「ええ。だから、たまに自分に問うんです。あの時、妹を置いて出てきたのは正しかったのだろうか、と。私が神術を習うことで国から補助金は出ていた。けれども、一人きりにしなければ、妹もまた違った判断をしたのではないのかと」
マリは、返事が出来ない。
「多分私は、一生自分に問い続けるのでしょうね」
「……そんな苦しいこと、しないほうが、良い」
マリは、呟くようにそう言っていた。
「近しい人が死んだら、そう思うのは仕方ないけれど。妹さんのことを思い出して、苦しくなるようじゃ駄目だよ。どうせなら、妹さんとの楽しかった時間を思い出さないと」
マリも、自分にそう言い聞かせて日々を生きているのだ。
「……そうかも、しれませんね」
シズクは、無表情に町長から手を離した。
「妹が生きていたら、同じことを言った気がします」
そう言って、シズクは苦笑していた。
「……やっぱ、その可能性しかないな」
ジンが唐突に呟いたのは、翌日の朝のことだった。
起きて髭を剃って、町長の顔をしばらく眺めた後、ジンはそう言ったのだった。
「すいません、俺も抜けます」
ジンの言葉に、サキリは落胆した表情になった。
「そうか。遺跡に入る日が近いんだったな」
「ええ。すいません。遺跡から出たらまた様子を見に来るので」
そう言って、ジンは部屋から出て行く。
マリは、その後を慌てて追った。
部屋を出た廊下で、マリはジンに追いついた。
「中途半端にして、放り出しちゃうんですか?」
「それが正解だからだ。この事件に関しちゃあな」
「私はそうは思いません。このままじゃ、シズクさんが苦しいだけですよ」
「お前は、どうもシズクさんに自分を重ねて同情しているらしいな。けど、そんな感情は無駄だよ」
「シズクさんが犯人だとでも言いたいんですか」
「違う。あの夜、シズクさんから魔術の匂いはしなかった」
「じゃあ、答えを言ってくださいよ」
ジンは、しばし考え込んだ。
「お前も、遺跡に入るまで後二日だぞ。準備はきちんとしておけよな」
ジンはそう言うと、マリに背を向けて再び歩き始めた。
「待ってくださいよう。私、サキリさんが怖いから、一人で残るの嫌です」
ジンが戸惑うように足を止める。
「なんでだ」
「アオバ隊だった時に、お前が悪さしたら俺が首を切ってやるって凄まれて」
「なら、大丈夫だろう。アオバ隊のお前を脅すならともかく、下級剣士のお前を脅してもなんの得もない。中身は変わるまいと勝手に他者に怯え他者を崇める。人間ってのはそういうもんだってことだよ」
ジンは、わかったようなことを言って去って行った。
後には、マリが残された。
実質的に、魔術の知識がある二人がいなくなってしまったのだ。
後に残ってしまった烏合の集に、何かが出来るわけがない。
サキリやセツナの説得に、シズクは首を縦に振らず、ただ時間だけが無為に過ぎていく。
再び悪霊が現れた時があったが、その時は神術師二人が老人の様態を必死に安定させるだけで、後の三人は黙ってみているだけだった。
「何をしているんだかなあ、俺は」
サキリは自身に呆れたように呟く。
「あんな遺跡が近くにある町です。魔術的な何かがこの町にはあるのかもしれない。人身御供なんて習慣が未だに残っているぐらいですからね」
そう答えるのは、苦い顔のセツナだ。
彼は負けず嫌いなのか、遺跡に入る日が近いと言いつつも去る気配がない。
「その習慣も、いずれ絶えていくでしょう。田舎の老人にはたまにいるのです。そういう手合いが」
ゲッカが、少し疲れた表情で言う。
「願わくば、その生贄に選ばれた人の心が穏やかであることを、悪霊として迷いでないことを祈るばかりです」
ゲッカは両手を組んで、天に祈っている。
皆、疲れていた。
マリは、この重たい空気に耐え切れずに、シズクの部屋に行った。
シズクは、丁度仮眠を終えたところだった。
「マリさんって、結構遊び慣れているのかしら」
面白がるようにシズクは言う。
「なんでですか?」
マリは、戸惑うしかない。
「女性の部屋に世間話をと堂々と一人で入ってくるから、そうなのかな、と」
そういえば今の自分は男性のふりをいているのだった。堂々と椅子に腰掛けていたマリは、慌てた。
「いえ、旅が長いからだと思います。異性と旅をしている時期があったので、つい」
「ふふ、良いんですよ。他意が無いことはわかってますから。不思議ね、マリさんと話していると、妹と話しているような気分になる時がある」
話してから、シズクはしまったと言いたげな表情になった。
「あら。妹と一緒にされたらマリさんも迷惑よね」
妹はドジだったと、そういえばシズクは語っていたのだ。
「ああ、大丈夫ですよ。俺も師匠にドジだなんだと良く言われますから。実際、似た系等の人だったのかもしれませんね」
「雰囲気が似てるの。なんだか周囲を元気にさせてくれるような。影ながら応援してくれるような雰囲気」
「そんな雰囲気、俺にあるかな」
「ありますよ」
「けど、本当に優しいのはシズクさんみたいな人ですよ。神術を習って、人を癒している。俺も、シズクさんみたいになりたいな」
シズクの顔から、表情が抜け落ちた。
「……シズクさん?」
「ああ、いやだ私ったら。ちょっとぼんやりしちゃった。いつになく褒められるからかしら」
「シズクさんなら、褒められることも多いでしょ」
「本当に褒めてほしい人から褒められることって、中々ないものなのよ」
「それって、どういう……」
部屋が激しくノックされたのは、その時だった。
また悪霊が現れたということで、マリとシズクは町長の部屋に呼ばれた。
ゲッカが、町長の状態を安定させようと神術を行使している。
セツナは、悪霊に向かって剣を振るっている。
シズクは、それを見て立ち尽くしていた。
どうしてか、町長に駆け寄ることもせず、ただ立ち尽くしていた。
「おかえり、馬鹿弟子」
サクマ領剣士隊宿舎に戻ると、マリはまずジンの部屋を訪ねていた。
ジンは剣の手入れをしている最中だった。
彼は、視線もよこさずに、マリの来訪を言い当てて見せた。
「いつから超能力を使えるようになったんです?」
「どの道、遺跡に入る準備をしに戻る頃だろう」
「ああ、なるほど。そういうことか」
「追い出されたのか?」
師匠はある程度のことをお見通しらしかった。
「追い出されました」
苦笑して、マリは答えた。
「あの姉ちゃんはお前みたいなタイプには弱いと思ってたんだよな」
「私が居ると集中できないってシズクさんに言われて。どういうことだったんでしょう」
「言葉のまんまの意味だろう。お前がいると、決意が鈍るんだろうさ」
「どういう意味です?」
「知らないほうが良いこともある」
「けど、知らないと私、遺跡で集中できませんよ」
マリは、眉間にしわをよせて言った。
「なんかミスしちゃうかも」
ジンも苦い顔をする。
「そうだな。全部吐かせようとわざとミスをする愚か者が出てきたら俺の命にも関わるな」
ジンはしばし黙り込んでいたが、そのうち溜息を吐いて、語りだした。
「思うにな」
ジンは、剣を床に置いた。
「シズクさんの妹。あれ、自分から人身御供になったってのは嘘だな」
ジンの言葉に、マリは戸惑った。
話の前提が、一言で覆されてしまったのだ。
「町に一人きりだったんだろう? 生贄にするには丁度良いよな」
「けど、皆、自分から立候補したって」
「だから、人間は集団になると厄介なんだよ。少数派の意見が漏れないように多数派の意見で事実を捻じ曲げる。いや、老人達は本当にそうだと記憶を書き換えているのかもしれない。けど、実際は嫌がったんだろう」
マリは扉を閉めると、ジンのそばに座り込んだ。
「町長だけはずっとそれを覚えていた。シズクさんの妹を殺したのを覚えていた。だから、あんなことになった」
「あんなことにって言うと?」
「悪霊を作り出していたのは、町長さん自身だったってことさ。後悔の念と、心の隅にあった罪悪感が、悪霊として具現化したんだな」
ジンの言葉で、マリは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
「そんなわけないです」
マリは、否定していた。
否定しなければならなかった。
「だって、そんな、それじゃあ……」
「そう。シズクさんが町長を延命させているのは、より長い時間苦しめる為だ、ということになる」
マリは、何も言えなかった。
場違いに穏やかな風が、部屋の中に吹いていった。
「シズクさんも、悪霊が出たことで気がついてしまったんだろうな。妹は死にたくなかった。生きたい生きたいと言いながら殺されていったって」
マリは、何も言うことが出来ない。
「だから、シズクさんは町長を生かせ続ける。復讐のためでもあるし、妹殺しに関わった人々への恐怖心を煽るために。まあ、実際のところ、悔いてるのも怯えているのも町長さんだけかもしんないんだけどな。皆平然と言ったんだろう? 妹さんは自らその身を差し出したってさ」
マリは、何も言えない。
「そういうもんなんだよ。人間は自分の感じたいようにしか感じることが出来ない。サキリさんだって、お前がアオバ隊にいた頃と剣士隊に入った後で態度を変えただろう。昔のお前は、サキリさんにとっては町を脅かす脅威に見えていた。人畜無害な中身は変わんねーのにな。町長さんにとっては、シズクさんの妹が今も怖いんだろう」
「……けど、こんなことをしていて、この先どうなるんでしょう。シズクさんは疲労するだけだし、妹さんの悪霊に堪えているのは意識のない町長さんぐらい」
「けど、解決しても意味がないんだよこれが。だから、関わるだけ損だってリッカさんも手を引いたんだろう」
ジンは、淡々と言う。
「実際、この事件、解決したって得は一つもない。長老連中の悪事が白日の下に晒されて、町は機能を失う。町に一人しかいない神術師も立場と居場所を失う。シズクさんが疲労しようが町長が苦しもうが現状を維持したまま寿命を待つのが得なのさ」
「そういう大人の計算、嫌いです」
「じゃあ、シズクさんを問い詰めるか? 呪いを得て復讐を果たしたお前が、それを言えるのか?」
マリは、返事が出来なかった。
愛する人を殺したものへ、復讐したいと言う気持ちをマリは痛いほど良く知っている。
「関わり損だ。俺もお前も損したな」
そう言って、師は話を打ち切った。
これ以上、辛気臭い話はなしとでも言いたげに。
町長が死んだのは、その日のうちだった。
「……遺跡に、行かれるのですか」
墓の前に立っている女性が、言う。
「ええ。当番ですので」
マリは、淡々と返す。
背中と腰に剣を差し、肩には食料の入った大きな皮袋がある。右手には傘があった。
周囲には雨が降っていた。
女性は、傘も刺さずにその場に立っていた。
マリは、女性の頭上に傘を差し出す。
女性の前にある真新しい墓には、女性の妹が眠っている。
「貴方は、不思議な人ですね」
女性は苦笑する。
「妹も良く言っていたのです。私のようになりたいと。神術を使う優しいお姉ちゃんになりたいと。貴方は、妹が言いそうなことをそのまま私に思い出させてくれる」
マリは、何も言えない。
「妹がどんな最後を迎えようと、私は妹の誇れる姉であるべきだった。そう思ったんです。もう、手遅れでしょうが」
「手遅れなんて、ことはない」
マリの言葉に、女性は、返事をしない。
「これから、この町には色々な病人が出る。その人達には、貴方は優しいお姉ちゃんであれば良い。妹さんが俺と同じタイプの人なら、そう言います」
「そう簡単に、切り替えは出来ません。私は、この町を去ろうかと、そう思っているんです。良い思い出も多い場所です。けれどもそれらは全て、辛い思い出になってしまった。町長さんとの間にあった思い出も、妹との間にあった思い出も」
雨は降り続ける。
マリの肩が、僅かに冷たくなり始めた。
「私……じゃなくて、俺、怪我をしたら貴女のところに行きます」
女性の肩が、小さく震えた。
「優しいお姉ちゃんに会いに、戻ってきます。それじゃあ、駄目ですか?」
女性は黙っている。
「確かに、この町には暗い部分があった。けれども、そうじゃない部分もたくさんある。その部分は、貴女のことを必要としているはずなんです。優しいお姉ちゃんを」
女性は、苦笑したようだった。
「迷わせてくれますね」
「……どうやら俺は、余計なことを言ってるみたいだ」
マリは、女性を振り向かせて傘を手に押し付けた。
「けど、遺跡から戻ったら、貴女を探してみます。きっと、優しいお姉ちゃんをしているって思いますよ。俺、子供達に文字を教えてるんだけれど、本当にわんぱくな子が一杯だから」
女性は、傘を握り締めた。
「機会があれば、また、会いましょうね。シズクさん」
女性は、微笑んだ。
苦笑のような、泣き笑いのような、複雑な表情だった。
「そうですね。貴方達みたいにすぐ怪我しそうな人、放置していったら心配になっちゃいそう。考えてみます」
マリはその答えを聞くと、苦笑してその場を去った。
雨は当分、止みそうにはなかった。
「嫌な雨だ」
ジンは海を眺めて呟く。
心には、この町であった嫌な事件が根深く残っている。
「そうかな~」
のんびりした口調の女性が、いつの間にか背後にいた。
二人とも、傘をさしている。
「リッカさん」
「やあ、君も手を引いてたって聞いてね~。私と同じ妄想に辿り着いたんじゃないか……って思ったわけさ」
「妄想、ですか」
「妄想、だよ~。例えばそれを本人達が認めたって、それが事実とは限らないのが世の中さ~」
「まあ、そうですね。多分、同じ妄想に辿り着いたんだと思います」
それを聞いて、リッカは楽しげに微笑んだ。
「町長自滅説かな~?」
この人は本当に言葉を選ばないな、とジンはいっそ感心した。
「町長自滅説ですねえ」
「関わって損したね~、お互い。本当~時間の無駄って言うかさ」
「まあ、大筋の意見は同じです」
「けど、私はもうちょっと踏み込んで調べてみたわけさ~。興味本位でね」
ジンは、意識的に二、三度まばたきを繰り返した。
「まだ、何か新しいことが見つかったと?」
「武のカミトに知のフクノって言ってね。統一王に支配されるまではそういう分担だったわけだから~ちょっと頑張ってみようかって思ってさ~」
「ええ」
「町長さんね。町長としての権利や遺産を、シズクさんに残してるみたい」
リッカは水平線を眺めて、そう言った。
ジンは彼女の横顔を見つめて沈黙した。
それは、ジンにとって予想外のことだったのだ。
「町に戻ってきたシズクさんを、熱心に援助して、傍についていたのも町長さん」
「罪悪感、ですかね」
「罪悪感、なんだろうね~。けど、こう思わないかな。シズクさんがあれだけ熱心に町長さんを看病してたのは、本当に恨みからだけだったんだろうか~って」
「どうなんでしょう」
「まあ、妄想だよね~。けど私は、恨みと感謝の間で揺れている女性の姿を思い描いちゃうんだな~」
「情もあった、という話ですか」
「そゆこと~。人間って距離が近いほど、そう簡単に、嫌ったり好いたり出来る生き物じゃないからさ~。好きの中にも嫌いがあって~嫌いの中にも好きがある。親子ってそんな感じじゃない?」
「そういう、ものですかね。俺は、思春期に入る前に親とは別れたので」
「そっか。じゃあお弟子さんでイメージしたらどうかな~」
「……まあ、好ましいと思う面もあれば、憎らしいと思う面もありますね。感謝している面もあれば、祟っている面もあります」
「でしょう~? そんな感じ~。呪いを共有してるんだから、そうなっちゃうよね~」
ジンは黙り込む。
リッカは微笑んでいる。
「あ、やっぱり?」
鎌をかけられた、と思った時には遅かった。
リッカの横顔を、ジンは苦い顔で見つめる。
「あの二人は、最後まで親子してたんじゃないかな~って私は思うんだ。妹さんのことを知ってしまっても、なおね~」
ジンは、何も言えない。
リッカは、言葉を続ける。
「死んでほしくなかったんだよ。恨むにしても、元気になった相手に口で直接言いたかったんだ」
「……ちょっとは、救われる話しな気もしますね」
「でしょ~? シズクさんが町長になったら、生贄なんて古臭い風習はすぐに改められるし~、皆が前進できる事件だったと、そう思いたいじゃないね~」
「案外、良い人なんですね、リッカさんって」
リッカは、楽しげに笑い声を上げた。
「君はお姉さんをどういう人間だと思ってたのかな?」
ジンは、言葉に詰まった。
「……そういうことを聞くのは、人が悪いんじゃないかな」
「まあ、君の言い方も悪いし、私の性分もあるね~」
リッカは楽しげに笑っている。
「まあ、無事に帰って来なよ~。君とは一度一緒に飲んでみたい気がする」
「まあ、今までの経験からしたら大過なく帰れるんじゃないんですかね」
今度のメンバーには、ウラクのような裏切り者もいないだろう。
「そうやって慣れてきた時こそ、危ないんだよ~。君には君の目的があるんだろうけれど、その為に盲目にならないことだ。深入りしすぎて食料が尽きちゃったりとかあるからね~」
「肝に銘じておきます」
「そんなに嫌な雨かな」
リッカが唐突に言う。
「嫌な雨ですね」
「残念だな~。感性は君とは合わないみたいだ」
珍しい女性上級剣士は、酷く残念そうにそう言った。
「私は、雨が好きなんだ。匂いとか、湿度とか、空の色とか、窓から見る外の雰囲気とかね~。それじゃ、また会おう」
そう言って、リッカは去って行った。
ジンは、今聞いた話を弟子にしてやろうと思いつつも、仲間の待つ港へと足を薦めた。
嫌な雨だと思っていたけれども、言われてみれば確かにそれほど不快には感じなかった。




