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8.精霊たちの望み

 この屋敷に来てから、一体、何度目の朝を迎えただろう。

 寝台の中で目を覚ますと、ガラス窓のほうへ向かうことがラナの日課になりつつある。というより、気が付けば窓辺から町を見やっている。でも遠方にあるプロフォンドの町は、見たところ変りがない。



「皆、無事なのかなあ。町は大丈夫かな……」


 レヴェッロートの命令により、居場所を探されているだろう仲間達の安否が何より気にかかる。

 そうこう悩む間に、ヴィオラが来た。




「お早うございます。

 本日の朝のお食事ですが公爵様はご予定があり、ご一緒出来ないかもしれませんとのことです」



 ラナはぎこちない笑みを浮かべた。もう何日も、レヴェッロートの顔すら見ていない。


 会えないのが辛いなと、ヴィオラに仕度を手伝ってもらいながら思ってから——————。

 辛い? 何故、あの人に会えないというだけで?

と、慌てて、沈みかけた心を自分で訂正し直す。賭けに勝つには、彼と接する時間が大切なのだ、と。


 それでも現実は、なかなか会えないという厳しさだ。しかも会ったら会ったで、距離が近いという難点もある。思い出したら顔が赤くなったので、自分に対する彼の態度は頭の隅に追いやった。




「……ねえ、ヴィオラさん。お願いがあるのですが」

「はい、何でしょう」

 ラナは、改めてヴィオラに向き直る。




「図書室の本、禁書でなければ部屋に持って行って読むなんて、公爵に聞いてもらうことは出来ないですか? あの人の側近さんとかを通して……。

 眠れない夜とかにも読めると嬉しいのですが。一々、図書室に通う手間も省けるし。大事な本だから許可は難しいと思いますけど。駄目だったら、潔く諦めます。

 本当は自分で頼むべきなのですが、最近中々会えないので」



「……」

 じっとラナを見つめていたヴィオラは、長いこと沈黙してから頷いた。


「分かりました。何とか聞いてみます!」


 まるで、戦場に赴く前の戦士のような一大決心に見えた。そこでようやく、レヴェッロートが周囲に恐れられていることに気付く。忘れていたのだ、彼がラナだけに——————いや、ルーナと思っている者だけに優しいから。この安全が薄氷のように脆いことを、決して忘れてはならないのに。



「……あの、無理しなくていいので! 聞けなければ大丈夫です」

「いいえ。お嬢様の初めての、大事なご要望です。ここで叶えなくて、いつ叶えましょう。何としてでも、やり遂げます!」


「後でも良いので、無理しないでと私が言ったこと、思い出して下さいね……」

 お辞儀をして意気込んで出て行くヴィオラの後姿に、ラナは言った。






「ラナ様! 先程のこと、許可が降りましたよ」

 そう言われたのは、図書室にいたラナが、昼食だと知らせに来たヴィオラの様子が、いつも以上に朗らかだと思った直後のことだった。


「わ! ありがとうございます。代わりに聞いていただいて」

「とんでもございません」

「じゃあ、この本は部屋に持っていかせてもらおうかな。ああでも、万一転んで破くと怖いな……」


「では念の為、何か本を包む布をお持ちしますね!」


 止める間もなくヴィオラは下がっていく。実は、お茶目な人らしい。

 それからラナは自室に戻って、味気ない昼食を摂り終えた。その時分になると、彼に当分会えないことにも納得出来てくる。

 しかし、食べる前は早く続きを読もうと思っていたが、お腹が満たされると、どうも本に集中出来ない。学んだことも次から次へと頭から消えていく。どうも、容量を超えてきたようだ。



 本を閉じたラナは気分転換に、外を散歩することにした。

 階段を下りていると、彼女の朝の決心も知らずに、ちょうどレヴェッロート本人が階段を上ってきたところに遭遇する。



「ルーナ」

「え、レヴェッロート? どうして、ここに。予定があるんじゃ……」

「そんなものは、さっさと済ませた。大部分がどうとでもなることだ。実質、俺がこの国の頂点なのだからな」


 つまらないことのように、レヴェッロートは言った。



「そうそう、図書室の本のこと、許可してくれてありがとう。早速読んでいるわ」

 はっと思い出してラナは直接、礼を言った。



「そうか。しかし読書もいいが、たまには俺に付き合ってくれ。散歩なら、一緒に行こう」



 返答する前に腕を引かれて、一緒に階段を下りていく。開けられた扉から、外の光が眩しく差し込んできた。

 それから広大な庭中を連れ回されて、足の疲れが出てきたところで、薔薇園のベンチに座り休憩する。

 ぼんやりしていると、ふいにレヴェッロートが呟く。



「ルーナ。お前の瞳の色は、もう少し濃くはなかったか? 気のせいかもしれないが、しかし目の色は、数年経つと変わるものなのだろうか。

 でも、どこかで見たことのある色合いだ。どこかで……」



 彼女は、ぎくりとした。彼が言う色とは、もしかしたら彼が殺したラナの父のものかもしれないと思う。

 けれど今それを言う勇気が、彼女にはなかった。







**


 ラナは、もやもやした気分のまま次の日を迎えた。今日レヴェッロートは、ある貴族に会いに町へ行くらしい。

だから、彼女は一日読書の予定を立てていた。インテが彼女の部屋に現れるまでは。

 警戒したヴェルデも、張り詰めた雰囲気でラナの隣に控える。



「御機嫌よう。姫君?」

「レヴェッロートを放って一体、何の用? こっちは、あんたと違って忙しいんだから」

 剣呑にラナは言葉を返す。


「話しかけたいと思っても、書物に君を独り占めされている俺の身になって欲しいな。他の時はマスターが君を放さないしね。

 それにしたって、ずっと本漬けだと身体に悪いよ。清涼な風でも吸って、気分を入れ替えない?」



「アンタの語彙に、清涼なんて単語があることが驚きだわ」

 インテに対しては、まるでローダみたいな言葉遣いになってしまうのも致し方ない。

「特別に、良い場所に案内してあげよう。付いてきなよ」


「人の話を聞きなさいよ!」



 どこまでも自己中心的な精霊は、くるりと身を翻して扉を出て行く。無視したいところだが、一瞬考えて止める。優先順位という天秤の皿が、インテの報復を恐れる方に傾いた。

 諦めて彼を追い、廊下を通り過ぎていく。




 清涼な風、と言ったので、てっきり外に行くものだと思い込んでいたら、階段を上っていくところからして、屋敷内の場所を目指しているらしい。

 階段を上り続け、三階の最上階に着いた。

 ずらりと並ぶ扉の一つを迷いなく開けて、インテは先導する。

 内装の可愛らしい部屋だった。鑑賞目的なら、喜べたかもしれない。

 けれど、それも掃除してあればの話。どれくらい手入れが怠られているのか、埃がすごいのだ。まさか、ここが清涼とでもいうのだろうかと、インテを睨みつける。




「掃除されてない部屋が、アンタの連れてきたかったところなわけ? 随分な扱いね。それとも、不衛生が好きなのかしら」



「埃が好きなわけではないよ。でも、この人々から忘れ去られたような雰囲気は、好きだけどね。

 それより君に注目して欲しかったのは、そこじゃないんだ。こっちだよ」



 インテはラナの腕を引っ張っていく。その手は冷たく絡みつくようで、力は逃れることを許さないというように強かった。

 けれども窓辺まで行くと、すぐに離される。少し、ほっとした。掴まれた部分をさすりながら、彼女が顔を上げると。



「あ……」

 窓からの眺めは————、本当に素晴らしかった。眼下に広がるのは一面、夢のような薔薇。



「ね? 綺麗でしょ。こーんな良い部屋、誰かが所有するなんて良くないよね。元々は代々、女主人の部屋だったらしいよ」

「ああ、それで」

 そこかしこの物に表れている女らしさ。カーテンや壁紙の柔らかい色調などは、確かに女性物と言われたほうがしっくりする。



「でもさ。どうしてレヴェッロートは、この部屋を掃除させないのか、疑問に思わない? 掃除以前に、立ち入り禁止なんだけどね。普段は図書室みたいに鍵が掛かっているんだ」


 言われて、図書室を思い浮かべる。あの部屋の床は綺麗だ。ラナの食事中に、信頼のおける使用人に掃除させているのだろう。



「って、ここの鍵も魔術で開けたわね?」

「うん、ご明察。そんなことはどうでもいいけど。

 それより、話題を戻そうよ。レヴェッロートの実の母親も使用していた部屋を、どうしてレヴェッロートが放置しているかって話」


「そんなの、知らな……!」

 答えようとしたラナは、いきなり後ろから突き飛ばされた。欄干に両手で必死にぶら下がる。下は薔薇垣だ。落ちたら確実に死ぬ。




「ラナ!」

 ヴェルデが叫んだ。


「俺達は、まだ話があるんだよ。ちんけな精霊は邪魔せず、その場で待機してもらおうか」



 森の精霊は飛び出そうとしたが、インテの敵意に満ちた一言が止める。

「結論から言おうか。こうやって『彼女』も落ちて死んだんだよ」

 ラナを見下ろすインテは、楽しそうに微笑んでいる。



「…………奥様も、あんたが殺したの? 確か、レヴェッロートと契約前でしょ。随分と長くこの家に執着しているじゃない」

「あははははは」

「予想を更に上回る最低ぶりね!」


「あはは、違う。ここで死んだのは彼の母親じゃない。というか、いつ死んだかなんて知らない。

 ここから落ちたのは、君の母親だよ。察しが悪いなあ。

ああ、後ついでに君の父親が死んだのは、その少し前。一人でいたところをむしゃくしゃしてた俺がレヴェッロートに彼の存在を見つけたことすら内緒にしたまま、ぼこぼこにしてやったら死んじゃってさ。それで隠れて見てたら君の母親が来て、彼にすがりついて泣いてて、あれは楽しかったなあ!」



 ラナは一瞬、あまりの衝撃で、口もきけなかった。


「ははは。君の母親も今の君みたいに、最期まで俺を睨み付けてた。

 だけどルーナは立派だったよ。騒ぎもせず、自力で何とかしようとして。どうにもならず、落ちちゃったけど。その後の顛末も言おうか。っと、あちち」




 ヴェルデが放った光の一線が、インテの上着を焦がした。

 その間に、ラナは引っ張り上げられ、事なきを得る。正直、辛い体勢で限界だった為、感謝の気持ちが尽きない。


「ありがとう」


 礼を言うと、ヴェルデは静かに首を横に振る。


「この精霊の始末は、私にさせて下さい。ルーナを殺した者を葬らずして、森に戻ることは出来ない」



 主を殺された彼女の怒りで、空気が熱くなり揺らぐ。ヴェルデは本気だ。

「ったく、五月蝿いよ。動くなって言ったのに」



「黙れ、痴れ者。命を奪われる痛みを、その身体で思い知るがいい!

 ——————『青雷の一線!』」


 一筋の雷光がヴェルデの手から発され、インテの方へ飛ぶ。彼は完璧には避けきれず、頬に少し怪我を負った。

 急激に空が暗くなっていく。森の方角から黒い雨雲が、雷をいながら集まってくる為だ。



「あーあ、俺は遠くの最果てから力を集めるのに、君は近くの森から魔力をすぐ集められる。こういうのをハンデって言うんでしょ?」


 ヴェルデの次の一矢は、かわされて当たらなかった。

 インテは顔の傷を撫でながら、呪文を唱え始める。



『時よ、我が身を癒せ』


 頬の傷は一言で、元通り回復してしまった。


「それ、〈時〉の魔術……」

「驚いた? 俺も長く生きているから、出来ることは沢山あるんだ」

 ラナは圧倒されてしまう。



「調子に乗るなっ」

 ヴェルデは怒鳴り返すものの、闇雲な攻撃を止めた。魔力の無駄遣いをする愚に、早くも気が付いたのだ。



「もう終わり? つまらないな」


 この挑発にも、森の精霊は乗らない。

 だが、明らかにヴェルデは苦戦を強いられていた。ということは、必然的にラナもインテの相手にはならないということだ。

 ラナが考え込んでいると、



「じゃあ、心置きなく本来の目的を果たそう。

 せっかくルーナを失って良い感じに暗くなっていたレヴェッロートを、元に戻した邪魔者の始末を」



 と言いながら、インテが再びこちらを向く。


「君達の希望を打ち砕く楽しみの為に予め言っておくけど、レヴェッロートの助けは無いよ。彼が眠っている間に魔術を掛けて、深い眠りを引き伸ばしているからね」



それは、更なる絶望を引き起こす一言だった。

 普段ならレヴェッロートに頼りたいとは思わないけれど、インテが絡んでくるともなれば、一番に顔が浮かんでしまう。


「レヴェッロート……」


 ラナは呟いた。そして考える。

 もし自分がルーナだったとしたら、レヴェッロートに自分達を守って欲しいのだろうかと思った。

 ————答えは是だ。二人して生き残らなければ、全てが意味を失う。




『レヴェッロートッ、来て! 

 風の小精霊! 誰か、彼を連れて来て。お願いっ』


 喚くように叫んだ言葉は、誰に届くというのか。

 森に属さない風の小精霊が、ラナに力を貸してくれる可能性は低い。

 けれど他に何の魔術を使えば良かったというのだろう。インテの眠りの魔術を破れるような、そんな精霊をどうやって召喚すればいいのか分からない。



「ラナ!」


 叫んだヴェルデが、ラナの前に飛び出した。インテの雷光線の攻撃から、身を挺してマスターを守ったのだ。


「ヴェル……デ…………」



 光だ。辺りが一瞬だけ極限まで明るくなり、その光が散る。元はヴェルデの身体だったものだ。——————優しい精霊は、ラナを残して、瞬く間に死んでしまった。

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