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6.ガラスの魔法

こんな状況だが図太くもぐっすりと眠れたようで、翌朝のラナの目覚めは良かった。おそらくベッドの質が良かったか、相当疲れていたのだと思うことにする。

 顔を洗っていると、馴染みになってきたノック音がした。


「どうぞ」

「お早うございます」



 昨夜のメイドが、大きな布包みと箱を抱えて入ってくる。引き続き彼女だということは、ラナの担当に任命されているのかもしれないと思った。


「お仕度をお持ちしました。本日のお召し物はこちらで宜しいでしょうか?」



 広げられたのは、空色のシンプルなドレス。清々しい朝の雰囲気にぴったりの代物で、素敵だなとは思うのだが何ぶん高そうだ。



「……お借りしてもいいのですか?」

「貸すなど、とんでもございません。身の回りの御品は、全て貴女様の物でございます。ご自由にお使い下さい」



「無理です、結構です!!」


「ふふ、ご心配には及びません。

 では、こちらのドレスですが、袖を通していただいても? 取り急ぎサイズの合いそうな物をお持ちしたのですが、合わないようでしたら他にもございますので」


「あ、はい」




 一人で着ると破いてしまいそうな、繊細なドレスなのでメイドに着せてもらう。彼女の存在は、かなりの助けだ。

 終わると、ラナは好奇心から鏡の前で検分をしてみる。




「採寸させていただいて作った物ではございませんので、肩の辺りが少し大きいですね。別の物に致しますか?」


「大丈夫です。そんなに気にならないので。変ではないですよね?」

「おかしくはございませんが」

「じゃあ、これでいいです。ありがとうございます」

「では、アクセサリーは、いかが致しましょうか」



 立派な細工の箱から、更に小さな箱がいくつも取り出される。試しに一つ開けさせてもらうと、大きなサファイアの付いたネックレスが輝いていた。

 一瞬後。何も見なかったことにして、蓋を閉じる。見ているだけでも傷を付けてしまいそうな、恐怖が湧き上がっていた。



「何か付けたほうがいいんですよね……?」

 途方に暮れて尋ねてみると、

「そうですね。付けられたほうが、正式なお仕度となりますので」

 と、はっきりとした意見が返ってくる。段々と、自分より常識のある人のアドバイスで決めたほうがいいような気がしてきた。



「何がいいと思いますか?」

「私が考えても宜しいのですか。そうですね……、この小さくて可愛らしいダイヤモンドのセットはいかがでしょう」




 少し真剣な表情に変わったメイドが黒いベルベッドの大きな箱を開けると、階段のように三段が広がる作りになっていた。上段にはイヤリング、中段にはネックレス、下段にはブレスレット。全てが銀で縁取られた、同じ型の華奢なダイヤモンドの光を輝かせていた。

 ネックレスとブレスレットのチェーンも細くて儚げだし、金の大きな鎖の連のようにゴテゴテしていないのがマシな気がする。細いのは逆に、どこかに引っ掛けたらという恐怖はあるが。



「すごく高そうですけど……、せっかく見立ててもらったので、これで」

「きっと可憐で、お似合いでございますよ。御髪をセットしてから、付けさせていただきますね」



 まずは念入りに梳いた後ろ髪の一部をねじって纏め、ピンで留めた上に一輪の赤薔薇を挿してくれる。その間、花から昨夜のことを連想して、ラナは顔を赤くした。気付かれないよう、自ら話し出す。


「綺麗。朝に摘まれた物ですか?」

「はい。やはり切り立てが一番瑞々しいですからね」



 アクセサリーを付け終え、鏡を覗くと、見知らぬ令嬢が見つめ返しているようだった。ここのところ慣れない経験ばかりで、どんどん自分が変わっていく気がする。

 ラナのことが終わるとヴェルデの仕度が始まって、ますます恐縮するばかりだ。ヴェルデが完璧に仕上がると、ラナはメイドに頭を下げた。


「手伝って下さってありがとうございました。

 名乗るのが遅れましたが、私はラナと言います。貴女のお名前を聞いてもいいでしょうか?」



「あ、はい。ご丁寧な御方でございますね。私はヴィオラと申します。宜しければ、お見知りおき下さい」

 驚いたような様子を見せながらも、彼女は礼儀を返して名乗ってくれた。そして、付け加える。


「では、お仕度も整いましたので、食堂にご案内致します」






 分厚いビロードの敷かれた廊下を、ヴィオラの後に付いて歩く。

 食堂は一階の端側にあり、ラナ達の客室は二階だったので、一階分の階段を下りてきたことになる。

「お早う。ああ今日の君は、湖のほとりに座る麗しい妖精みたいだ」

 ドアを開けて入った途端に、レヴェッロートはお世辞を飛ばしてくる。後ろにいるヴェルデの視線も考えて欲しい。


「ハハハ~、ドウモ。お早うございます」

 ラナは軽くいなして、勧められた席に着いた。

「昨晩の妖しげな情熱を、一体どこに置いてきたのだろうか。こちらの清楚な小悪魔は」



 まだ言っている。どうやって黙らせようか考え始めたところで、一皿目が運ばれてきた。新鮮な野菜サラダで、ドレッシングの味わいが絶妙だ。それをフォークで突きながら、反撃を試みる。



「貴方も格好良いですよ。具体的には……上手く言えませんけど」

 秘儀〈褒め返し〉。しかし彼のように慣れていないせいで、失敗した。

 だが、お世辞は完全に抜きにしても彼は美しかった。その顔立ちは幼さが抜け、魔力が高いせいもあってか精力に満ちている。はっきりと年齢の分からない、二十代そこらの男性に見えた。


「………………そういう手管を急に使うのは止めてくれ。いや嬉しいが、心臓に悪い」


 彼が無表情だったので失敗したと思ったのに、案外効果があったらしい。だが、少し染まった頬を見ると、原因を作った自分の発言が恥ずかしくなってくる。まさか自分がお世辞を言うなんて、これでは彼がしていることと一緒だと落ち込んだ。

 二人して赤くなりながらの二皿目は、ジャガイモの冷たいポタージュ。話さないので、スプーンの動きが進む。



「今日のご予定を聞いても?」

「特にはない。だが久しぶりに、一緒に庭にでも出てみようか?」

 まるで、ルーナに問いかけるように誘われた。この感じに、まだ付いていけない。

「はい。いいですよ」

「そうか」

 彼女が了承すると、彼の緊張した表情が柔らかくなる。断られるとでも考えていたのだろうか、と思った。




 食後の紅茶を楽しんでから、散策の為の準備に客室へとヴィオラに促される。

 白くて縁の大きい帽子を受け取ったところで、扉が叩かれた。


「出られるか?」

 レヴェッロートだ。迎えに来たらしい。

「ええ。今行くわ」

 帽子を被って、扉へ向かうとドアが外側から開かれた。




 自然に微笑む彼の姿に何故かドキリとしつつ、また開きかけたレヴェッロートの口を見て正気に返った彼女は、両手で彼の口を塞いだ。

「お世辞はもう、結構」

「……そうか。分かったから、そう怒らないで許してくれ」



 その場で両手を彼の両手で掬い取られ、手の平にキスを落とされる。


「全然分かってない! むしろ性質が悪い! しかもスキンシップは何度も言うけど、ルール違反!」



 ばっと距離を取って、睨む。だが相手は肩を竦め、意に介した様子もない。

「やったもの勝ちだ」

 大人はずるい。何に対しても手馴れているから、差を見せ付けられる。



「仕方ないじゃないか、ルーナ。十二年だぞ、お前が俺の前からいなくなってから。その間、俺の心がどんなに空虚になっていったかを…………、お前は少しも思いやってくれないのか?」



 何より一番彼の、この苦しげな視線に心乱される。

 だがラナは、すっと目を細めた。



「……でも、ルールは守って」

「ちっ。誤魔化せなかったか」

「当たり前よ。そろそろ、本当に出発しましょ」




 本当は、冗談で済ませてくれたレヴェッロートの心遣いに、そっと感謝したのは内緒だった。

 二人————と付き添いのヴェルデは、緑が整備された庭を歩き、中央の噴水までやって来た。遠くに、昨日の薔薇園が見える位置だ。



「これは女神の像ね! すごい。どんな仕組みなのかなあ」


 歓声を上げ、ラナは噴水に走り寄る。女神像の持つ壷から水が溢れているのだ。ラナは初めて見る精巧な技術に、興奮した。

 すごいすごいと、一通り騒いで鑑賞していた彼女は、レヴェッロートが黙りこくっていることに気付くのが遅れた。



「どうしたの?」

「いや。今日は暑いな」

「? そうね」

 確かに日差しは強かったので、同意した。けれど、暑いと言うわりに、彼の顔はどこか青白かった。

「この十二年は、お前にとっては、どんなものだったのだろう」



 レヴェッロートの射抜くような視線に、動けなくなる。


「お前は覚えていないのだな。昔、この噴水の前で同じように俺が暑いと言ったとき……、下を向いていたお前がいきなり俺を噴水の中に突き飛ばしたことも。

 いつも何に対しても高みの見物をしているから暑いのよと、お前はびしょ濡れになった俺に言ってのけた」



 母よ、何をしている。と、ラナは申し訳なく思いながら聞く。




「ルーナが死んだと思い込んで自暴自棄になった俺は、自分の屋敷すら破壊しかけたけれど、結局は復元した。お前との思い出があったし、ルーナが戻ってきたときに屋敷の変わり果てた様を見せたくなかったからな。

 だが、お前は何も覚えていないらしい。何を見ても初めて見たように振る舞い、この唯一無事で当時のままの噴水すらも……」



 それは。だって私はルーナじゃない。母の記憶があるはずないじゃないかと、このときばかりはラナは反論出来なかった。言ったら、魔法が解けてしまう。レヴェッロートの心が、壊れてしまう気がした。


「まあ、俺も人のことは言えない」

 レヴェッロートは苦笑して、続けた。



「十二年前、ルーナの死体を見たとき——————本物の死体ではなかったんだろうが——————、お前が死んだのだと自覚したら、たとえようもない喪失感だった。そして自分に魔術をかけたんだ、昨日思い出した。それは、お前のことを忘れる魔術だった。

 昨夜のパーティで、お前を見たとき、その魔術に大きな……亀裂が入ったのを感じた。それほど、衝撃的だった。十二年間、無意識にお前を求め続けていたのだろうな。その本能の求めに応じて、魔術に緩みが生じたらしい。

 それにしても、我ながら相当強く、魔術をかけてしまったらしい。だから細かい記憶は、まだ戻っていない気がする」




 ラナは、ようやく納得がいった。レヴェッロートがルーナとラナの顔を混同している理由が。

 考え込んで黙ってしまった彼女に対して何を思ったのか、彼は訴えかけるように言った。



「……なあルーナ。せめて名前だけは昔のように呼んでくれないか? 『貴方』ではなくて、レヴェッロートと」



 切なげに乞われ、ラナはもっと胸が苦しくなった。そして、言いたくなる。貴方だって私と一緒じゃない、私のことをきちんとラナって呼んでくれないじゃない、と。

 けれど、そもそも状況が困難だからこそ、賭けを持ちかけたことを思い出す。彼女をルーナだと信じたいレヴェッロートの目を覚ますことが、ラナに課せられた役目。

 頭では、そう分かっている。けれど——————。




「分かったわ……、レヴェッロート」



 こうやって彼の名を今、口にしている者が本当は誰なのかを、レヴェッロートに知ってほしい。そう心の片隅で願うのは、彼を心から嫌うプロフォンドへの裏切りだと、彼女は知っていた。

 辛かった。でも、だからこそ自分は彼の名前をしっかり呼ぶ。いつか、自分の真の名前を彼に呼んで欲しいから。まず行動は、自分から。自分がちゃんと呼ばないのに、相手に呼んでなんて言えないから。

 こちらが、そんな気持ちをしていることに、レヴェッロートが気付いてくれたらと思う。

 思ってから、ラナは自分の思考に固まった。

 彼に気付いてもらって、それで自分はどうしたいのだろう、と。

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