5.仮面舞踏会②
「来い。こんな退屈な夜会は抜け出よう」
考え込んで大人しくなった彼女に、了承を得たと思ったのか、彼は会場の大きな扉から廊下へと移動を始めていた。行動が、早すぎる。
「違う! ルーナじゃない。私はラナよ。ルーナの娘!」
ここで大人しく連れていかれたら大変なことになりそうだと気付き、大声で釈明する。本当にルーナだと思われていたら、厄介だ。
「俺の壊れた心が反応するんだ……、幼馴染のお前にだけに。こんなことは久しく無かった。だからお前はルーナに違いない。
先程お前が俺の目の前に現れたとき、俺にはすぐに分かった。たとえ仮面で顔が見えなくとも」
「親子なんだから似ていて当然でしょ! ……もういいわ、顔を見せるから。よく見れば分かるでしょう?」
仮面を外すと、同じように仮面を取ったレヴェッロートは目線を下げた。顔が近い。彼の瞳が食い入るようにラナを見つめ、ほうっと感嘆のようなため息を漏らす。
「お前はここまで美しかったか?」
努力の甲斐も虚しく、話が通じないようであった。
「も、もっとよく見てよぉ~~! 普通、幼馴染の顔を見誤る? ありえないでしょう!!」
「こんなにルーナに似ている人物が、他にいるわけがない」
「だから、彼女の娘が私なの!」
「ルーナは男などいない。いたら、そんな男は八つ裂きにしている」
また、おかしい。ラナの父の存在をそもそも知らないかのように、レヴェッロートは言った。
そうこうするうちに、彼の目的地に着いてしまったようだ。
夜の庭園が広がっている。ただ、それでも暗いので全ては見通せない。
ラナは今の今まで、どこかの部屋に放り込まれるのだと思っていた。内心驚いていると、レヴェッロートはようやく彼女を下ろしてくれた。
『瞬け、微細な光よ』
彼が言葉を紡いだ途端、真っ暗な空に星々が生まれ出る。
「な、綺麗……」
放心してラナが呟くと、レヴェッロートは嬉しそうに笑った。まるで、悪戯を成功させた少年のように眩しい笑顔が、明るく浮かび上がる。
その表情に、彼女は一瞬目を奪われてしまう。
「お前は美しい夜空が好きだからな」
こんなに素晴らしいことが出来る人が、プロフォンド人を苦しめ、ラナの父母を殺したなんて信じたくない。苦しげに彼を見つめるラナの視線に気付き、レヴェッロートも身体ごと、彼女の方を向いた。
見詰め合ったところで、
「閣下」
と、人の声が掛けられる。見れば、兵士の一人が駆けてきた。
「何用か。無粋だな」
「申し訳ございません。報告です。……ご命令の者達を……、逃し…………ました」
よほどレヴェッロートの怒りを恐れ、緊張しているのだろう。言葉が、所どころ途切れ、身体は震えている。
その内容を一緒に聞いていたラナは、一気に夢から覚めた。
でもヴェルデたちが逃げられて良かった、と思う。犠牲はラナ一人で済んだのだ。これで計画書の情報も持ち帰られていれば、さらに上々だったところだが……。
「良い。大事なものは置いていってくれた。町への鼠狩りは任せる。失態の落とし前は、自分達で済ますがいい」
「はっ」
制裁を免れた男は、ほっとした様子で走って下がっていく。
「注意を他所に向け過ぎている間に、終わってしまったな」
言われて空を見上げると、星のようだった見事な光が確かに跡形もなく消えていた。庭は再び暗くなり、レヴェッロートの姿も影の中にあった。
「ルーナ。部屋に帰ろうか」
苦笑を浮かべた彼が、有無を言わさない口調で手を差し伸べてくる。これは帰してくれと喚いても聞き入れてくれないだろう、と彼女は冷や汗と共に確信した。
「! ヴェルデ」
そのとき、いつから見守っていてくれたのか分からないが、頼りになる精霊が離れたところに立っていることに気付く。
「憎き、森の精霊か。お前がいたから、ルーナが何度も俺からの逃亡を成功させた」
公爵は吐き捨てるように言うと、殺気を発した。
ヴェルデも迎え撃つつもりらしいのが、尚更悪い。
「二人共、止めて!」
レヴェッロートにとっては嫌な存在でも、ラナにとってヴェルデは親であり最高の友だ。この場にラナ一人じゃないと分かっただけで、どれほど心強いことか。
「お願い、公爵。私にとって、大事な人だから何もしないで」
「……分かった。久しぶりに出会えた、お前の頼みだ」
必死の懇願は受け付けられ、レヴェッロートは無表情で頷く。
冷たいと思っていた公爵が、譲歩してくれた嬉しさに思わず笑顔が零れる。
もしかしたら先程の星の光が、まだ彼の心の中で点っているのかもしれないと思った。
「ありがとう!」
「大したことじゃない。俺が我慢すれば丸く収まる話だから、そうしたまでだ」
照れ隠しのように少し顔を逸らされる。ラナは笑みを漏らした。今なら、話が通じそうな気がしてきた。
「ねえ、そうよ……。えっと、賭けをしない?」
ラナは顎を引き、しっかり立って言い放つ。
「賭け? そんなものがしたいのか?」
「ええ。私が負けたら、私は永遠にルーナとして振舞ってあげる」
「振舞うも何も……、お前はルーナ以外の何者でもないだろうが。それでは勝者への褒美にならない。
例えば永遠に俺の側にいること。それならば、どんな賭けにでも乗ろう」
「……いいわ」
心音がうるさい位に高まる。ごくりと唾を飲み、ラナは了承した。
「よし。それで、お前が勝ったら俺は何をすればいい?」
彼女は息を吸い、はっきりと思いを言葉にする。
「私をルーナではなくラナという別人だと認め、ラナと呼んで」
「おかしな望みだな。しかし分かった。受け入れよう。
それで、肝心な賭けの内容は?」
「自分の熱意を相手に伝えること、よ。賭けにぴったりでしょ。
あ、でも、度を越えた口説き文句は嫌。あと、スキンシップは止めてね、鳥肌が立つから。あくまで、普通の会話とか行動だけね。それ以外の方法は、ルール違反。
あと、ヴェルデに手は出さないで」
「……そちらに有利な禁止事項が多い気がするが、まあいいだろう。認める代わりに、俺からも一つ条件を出しても当然良いだろうな?」
「ええ」
不安を隠して頷くと、ふっと笑われた。こちらの心情は見抜かれているのだろう。
と同時に、彼女の唇に何かが落ちてきた。それは一瞬で離れていったが。
「!」
キスだった。ショックだったが、それ以上の何かのせいで、身体から力が抜けていく気がした。まさか、と思う。
「ここまで熱い気持ちになったのは初めてだ」
「~~~~」
レヴェッロートが呟いたが、ラナは気が動転していて何も話せない。
そんな彼女を彼は面白そうに眺めている。
「…………って、あれ?」
「気が付いたか? お前の魔術は、念の為に封じさせてもらった。お互い、説得するのに魔術は必要ないから構わないだろう」
「~~過剰なスキンシップは駄目って言ったじゃない!」
「まだ、開始とは言われていない。お望みなら今から始めよう」
頬を赤くして睨み上げると、笑われた。
「魔術を使って逃亡を図られたら厄介だからな。
一刻も早く魔力を取り戻したければ、同じように俺に口付けして魔力を吸い出せばいい。喜んで返上しよう。
ああ、それから俺の寝込みを襲う夜這いも可とする。
嫌なら、俺を殺しても魔術は使えるようになるが」
「前者はお断り!」
律儀なのか疑問点はあるが、レヴェッロートは魔力を取り戻す方法を教えてくれる。
ラナは精霊の方向から、ため息が聞こえたのは断じて気のせいだということにした。
彼はラナを、彼女の為に用意された部屋へと連れていった。……ちなみにスキンシップ禁止法は以後、穏便に執行されている。
部屋の中にはベッドが二つ。二人用の客室のようだ。ヴェルデのことも考慮されているようで、嬉しい。
しかし相反して、彼の態度はヴェルデをいないものとして扱うという、終始一貫したものだった。それでも傷つけられたり、切り離されたりするよりはマシだろう。
ようやく彼が去ったとき、ラナの張っていた気が緩んだのも無理はない。
「ふう。え、と、うわわっ」
白いシーツの上、寝台に座った直後。予想の上を行く柔らかな感触に驚いて後ろに転び、起き上がれずに沈んだ。ふわふわで、正直気持ちがいいけれど——————。
「はっ!! ドレスが皺になったらローダに殺される!」
もがいて必死に半身を起こし、改めて超豪華な室内を見回す。
「すごいねー。全部でどれくらい費用が掛かったんだろう」
「あまり気にしてはいませんでしたが、ルーナの家も同じような感じでしたよ」
母は、そうだったのかもしれない。
だが、自分にとっては、豪邸は無縁の代物という気持ちは変わらない。それよりも冷静になって、ここで仲間の為に何か力になれることを考えなければと思う————のだが難しい。こうなると、頭脳派のローダが恋しい。
でも甘えてはいられない。ぶんぶんと、頭を横に振って気持ちを切り替える。大事なのは取り組む姿勢だと、学んでいた。自分が馬鹿で打開策を思いつく頭はなくとも、強引に小さな突破口を見出すしか道はない。
やるべきことは、もう一つある。レヴェッロートの失われた記憶、もしくは失われたと見せかけている記憶を、どうやって自覚させるかだ。本当に忘れているなら思い出させ、ルーナとラナが別人であると認識させるのだ。そのときこそ彼に自分を『ラナ』と、呼ばせることが出来るに違いない。
よしと気合を入れたところで、扉のノック音が聞こえた。
「どうぞ?」
恐る恐る返答すると、メイドが入ってきた。
「軽食をお持ち致しましたが、お召し上がりになりますでしょうか?」
「……。せっかくなので、少し、戴きます……」
「かしこまりました」
夜会の支度の前に少し食べてきたが、万一の激しい戦闘を予想して、あまり量は摂らなかった。今の今まで空腹など気にするどころではなく、忘れていた。夜会にも食べ物はあったみたいだが、食べる選択肢も最後までなかった。
とにかく空っぽのお腹のままでは眠れそうにないので、ありがたく何か口にしようと思う。
てきぱきと台の上に乗せてくれたのは、消化の良さそうなクリームのリゾットに、小さくて柔らかそうな丸パン。他に、細かく刻まれた野菜の具沢山スープに、数種の果物が山盛り。彼女の気分に合わせて、つまむなり、どんどん食べるなり好きにしていいということらしい。
「それでは御用がございましたら、お呼び下さいませ」
「ありがとうございます」
給仕を終えたメイドが部屋を出て行くのを、目で見送る。
「すごく美味しそう。折角だし、ヴェルデも食べてみない?」
「何となく味は覚えているので、要りません」
「そっか。母様に食べさせられたんでしょうね……」
ヴェルデの相伴を諦めたラナは、大好きなパンを食べることにした。丸パンは上質のバターと小麦粉が使われているのか、すごく風味が良くて美味しい。
ついついデザートにも、手を伸ばす。見たことのない果物に、心惹かれた。
満足した頃合に、またノック音が鳴った。
「はーい」
返事をすると、同じメイドが入ってきた。
「お食事はお済みでしょうか。ご就寝のお仕度を手伝わせていただきますが」
「いいえ、それは結構ですよ。勝手を教えてもらえたら、自分達でやります」
「いいえ。お客様が快適に過ごせるよう、申し付けられておりますので」
「うーん。自分でやるのが快適ですが?」
「そうですか……。かしこまりました」
そこで、ようやく納得してもらえた。
その後、ラナが食べ終わったところに現れたメイドは、テキパキと風呂の準備をしてくれる。
「すごいー! これが貴族のお風呂か~~。贅沢だね」
ラナは心行くまで、ヴェルデと二人して好きにお湯を使わせて貰った。
就寝時は、柔らかい夜着を着込むと、すっかりお姫様になってしまった気分だ。
「明日の朝食はご一緒に、との公爵様のご伝言を承っておりますが」
去り際にメイドが言う。
レヴェッロートと朝ごはん。朝から気が張りそうなことだが、賭けにも取り組まなければならないという使命があるのも事実で。
「分かりました、とお伝え下さい」
「かしこまりました。それでは、お休みなさいませ。御用がございましたら、いつでもお声掛け下さい」
「ありがとうございます。お休みなさい」
メイドが出て行くと、すぐにベッドに横たわる。何度触っても、心地いい。
感情は複雑だったが、温まっていた身体は眠りをすぐに呼び込んでいった。