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1.森の門戸を叩く者たち

 モンド大陸は、分類すると横三つに分かれる。

 一番右に人の住む国があり、真ん中には森。左には〈最果て〉と呼ばれる大きな荒涼の地があった。

 森は通称〈魔の森〉といい、一本の豊かなリスッレ川が貫通している。

 リスッレの流れは町を抜け、誰も実際を知らない遠くの最果てへ通じていた。大陸のあらゆる生き物達の生命を、一手に引き受けている川だ。

 ヴェルデの森は、さほど広大ではない。けれど、リスッレ川の支流や小さな滝が幾つかあり、動物達の水場としても充実している所と言えた。

 その支流の一つ、小さなせせらぎも、早朝は大層人気がある。鳥やアライグマ達が朝一番の飲み水を求めて、やって来る。

 森に唯一つしかない家に暮らすラナも、その一人だった。彼女の場合は、洗顔も兼ねている。

 今日も少女は、いつものごとく清らかな浅瀬にしゃがみ込んだ。水面に映る、まだ眠たげな自分の顔に向かって、水を掬い上げ洗い始めた。


 ふうっ。

 誰かが、彼女の首筋に息を吹きかけていく。いや正確に言うと、どうやら犯人は複数で、誰かたちだ。

 こそばゆい感覚を少女は無視して耐えていたが、次第に我慢しきれなくなった。ついに、笑い声を上げる。

「ふふっ。ふふふふっ」

 ようやく相手にされて喜んだ、悪戯っ子たち。もとい、姿のない小精霊たちも、つられたように笑う。

 くすくすくすくす……。


 笑い声だけが広がるように響いたところで、ふとラナは我に返った。彼女の唇は、よどみない古代語を紡ぐ。


『いけないっ。貴女達、悪戯していないで、仕事にお戻り。小川の流れを滞らせて、たちに怒られても、私じゃ庇いきれないからね?』

 彼女は粗末な麻布で顔を拭いながら、小精霊たちに向かって真剣に言い聞かせる。


 くすくす。

 聞く耳を持たない小精霊たちは笑い続け、まだラナの近くを浮遊している。

 彼らは、人間に対して気安い側の、友好的な小精霊だ。たまに、こうしてラナをからかいに来る。それは、彼女に全然見向きもしない小精霊たちよりは良いかもしれないが————。ラナは、ため息を吐いた。



『仕方ないなあ、もう。どうせ、私がとばっちりを受けてヴェルデに怒られるんでしょうよ。一緒に遊んでいたから同罪です、って言われ……!』


 一瞬のことだった。森の中を、甲高い警告音が駆け抜けていく。

 それは常人には分からない、精霊たちだけが理解する古代語だ。気ままな小精霊たちも、表情が固くなっている。


「貴女達は取り敢えず、川へ」

 今度は素直に川へと待機する小精霊たちの気配を感じ取ると、ラナは森へと戻った。

 走りながら、背に下ろしてあったフードを急いで被る。彼女の、腰程の波立つ金髪は、ちょっと陽光を受けるだけでキラキラして目立ってしまうからだ。

 鬱蒼とした木の陰に身を潜める。息を殺し、その桜色の瞳で辺りの様子を窺う。

 すると目の前を、緊迫した様子でウサギが二羽、飛び跳ねていった。大きさから見て、母子だろう。

 ウサギ達は、まるで何かに怯えていたようだった。

 より一層、ラナは身体を縮めて隠し、今しがたウサギが現れ出た方角へと耳を澄ませる。――何も聞こえない。


『風の小精霊!

 私の声が聞こえるなら、侵入者たちの声をここまで運んで!!』


 風に属する精霊たちは、小精霊も含めて皆、自由気ままな性質をしている。彼らに協力してもらえる確証は無い。同じ森に住むを、彼らが考えてくれるかすら危うい。

 けれど。風の小精霊たちが吹きつける突風が、望んだ音を届けてくれた。ラナは風を身に受けながら、確かに情報を受け取る。それは、動物とは違う足音と、小声で僅かに交わされる人語の会話。


(っ。人間! 侵入者だわ。しかも、複数いるみたい。……どうしよう)


 よりによって、ヴェルデが休んでいるときに、とラナは唇を噛む。

 ラナの養い親とも言える森の長ヴェルデは特に、この森に人間が来ることを快く思っていない。だから、今は代わりにラナが侵入者を追い払うべきだ、とは思う。養い親は、一度眠りにつくと丸一日は目覚めない。

 考え込むうちに、遠くに敵の姿が見えた。


(二人か……)

 ここは、精霊ヴェルデが治める森の中間付近。ヴェルデの許しを得ずに踏み込めば、森の入り口に幾つも仕掛けられた幻術の歓迎を受けているはずだ。それなのに、彼らの歩みには乱れがないということは————。


(確実に一人は、上級の魔術師ね……。二人とも上級だったら、勝てるかしら?)


 幼いときから、この場所で育ったラナは、ほとんど森から出たことがない。だから、魔術師の上級者と戦った経験もない。最悪、彼ら二人が両方とも、上級者だったとしたら……、ラナに勝ち目はないかもしれない。

 それでも、日頃のヴェルデ達への恩返しに、自分がやれることはしたい。


『力を貸してね』


 彼女は周囲の木々に呼びかける。

 さわさわと、葉や枝が揺れた。ラナには、木の精霊達の、了承の合図だと分かる。

 自分は一人じゃない。一丸となって戦える仲間がいる。

 安心と勇気の小さな炎が、少女の胸に温かく灯ったとき、耳元で声がした。


「間違いないわ。貴女は精霊じゃない。——————人間、ね」


 驚いたラナは、勢いよく振り返る。先程まで何の気配もしなかったのに、そこには何故か二人の人間がいた。

 彼女の背後で嫣然と微笑んで立っていたのは、ラナと同じ年頃の女の子だ。肩より長い黒髪の巻き毛で、苺色の釣り目は気が強そうな印象を与えている。


「初対面で脅かしたら駄目じゃないか、ローダ。要らない警戒を招くだろ。まずは挨拶、これが基本さ」


 ローダというらしい少女の隣にいる男の子は、柔らかそうな薄い茶色の髪に、真紅の瞳をしている。それから服の上から見ても分かる、しなやかで敏捷そうな身体付き。これは、たゆみない訓練の賜物だろう。そんな彼も、ローダと同じ程の年齢に見えた。


「初めまして、俺はビノー。こっちはローダ」

 ラナは唐突に、自己紹介らしきモノを受けた。困惑しながらビノー少年を見つめると、相手は待ちの姿勢に入っている模様。


(えっと……、ここは私も名乗るところなの? もしかして、それが人間の流儀なのかしら)

 ちらりと考えてみたが、分からない。

 ラナは物心つく以前から、この森で精霊に囲まれて暮らしている。人が住む町には、時折ヴェルデと忍んで行く程度。人間社会のルールは、ほとんど知らないも同然である。


「…………」

 逡巡したものの、ラナが選んだのは沈黙だった。


(森に侵入した時点で、彼らは敵よ。名乗る必要を、私は感じないわ)

 無言を貫くと、ビノーは残念そうな顔になった。そんな反応を見てしまうと、ラナの良心は痛まないこともない。


「ふふん、彼女の方があんたより利口みたいね。

 普通、敵か味方かも分からない状態で、悠長に自己紹介なんてやらないでしょ」

 様子見をしていたらしいローダが、気まずい場を収拾した。


「でも、残念ながら私も貴女のことを知りたいのよねー。

 ねえ。貴女、何者? どうして、こんな危険に満ちた場所に、溶け込むが如く平然と無事でいるわけ? 私達が乱す前は、森は至って穏やかみたいだったし。

 この質問は、要回答よ。答える気がないなら、こっちもそれ相応の手段に出るけど」


 ローダが殺気を放つ。その物凄いオーラだけで、遠くの鳥が木から飛び立っていくのを、ラナは苦い思いで見やった。ああ、森の平穏が乱されていると。


「止めて」

「は?」

「この場を乱すなら、私は容赦しない。それは多分、森の総意」

 言い切ったところで、かつてない賛同が押し寄せてくるのを感じた。臨戦態勢の気を纏ったラナの元へ、木の小精霊たちが次々に集まってくる。皆、気持ちは同じなのだ。

 ——————〈森を守る〉。

 小精霊も、いざとなれば、こうやってラナにも力を貸してくれるのだ。

 そこに、ローダの裏返った声が響いた。


「ちょっと待ちなさいよ!」

 相手の必死な様子に、ラナは目を見開く。

「小精霊を動かす才能は認めるわ。でも、危険よ。怒りで周りが見えていない。

 森を焼いて、この地をえぐる気? それこそ森を守ることに対して、本末転倒になるわよ」

「!」

 正論だったので、ラナは言い返せない。

 するとローダの隣で、ふーっとビノーが息を漏らした。


「ローダが無駄に殺気を振りまくから、状況が悪化したんだよ。ここは、やっぱり穏便に行こうぜ。

 降参、降参。だから君も、小精霊たちを静めてくれない? 俺達の目的を言うから。そうすれば君も、俺達に敵意がないって分かるよ」


 ビノーは両手を上げて見せてくる。

 ラナとて、意味なく争おうとは思わない。話し合いで済むものなら、そうしたい。


『騒ぎ立てて、ごめんなさい。皆、少し落ち着いて。まだ戦うって決まったわけじゃないから』


 説得するように、ゆっくりとに向かって話す。すると、小精霊たちの気配が離れていった。

 張り詰めていた空気が、穏やかなものへと変わった。


「よし。了承を得たと見なして、俺達の目的を話させてもらうよ。

 まあ、つまり俺達は、プロフォンドの生活を守る為に活動する組織に所属しているんだ。でも、どうしても勢力が足りない。

 そこで、駄目元でヴェルデの協力を得られないかと、お願いに来ただけなんだ」


「……プロフォンドの生活を守る……」

「そうだよ。あ~~、そもそもプロフォンドって分かる?」

 ビノーに問われ、ラナは頷く。さすがに、それ位はヴェルデに教えられて知っている。


「プロフォンド赤系統の瞳を持つ者。そして、虐げられし者。

 要は私達三人も、まとめてプロフォンドということでしょう」

 ラナもビノーもローダも、赤に近い色味の目をしているからだ。


「良かった。それを分かっていてもらえると、話が早い。

 この国で赤の瞳をしている人間は、一様に理由ない差別を受ける。

 だから俺達は、この長年続く悪しき慣習をする為の組織を結成した」



 ようやく全てが一本に繋がった。つまり、ビノーの話を信じるなら、こういうことだ。

 ビノーやローダは虐げられた自分達、プロフォンドの権利を取り戻すことを諸願とした組織に属している。

 だが、目的を叶えるには力が足りない。それ故、ヴェルデに力を貸してほしいと思って、この森に来たらしい。


「ヴェルデに、どうしても助けてほしいのよ。……レヴェッロート公爵は、強敵すぎる」

 レヴェッロート。

 その名は、いつもラナを複雑な感情へとかき立てる。

「私の父様は、レヴェッロートに殺された。おそらく母様も」


 思わず口にした言葉は、二人に共感を持って受け入れられた。

「憎くて堪らないわね、それは」

 それは、少し違う。


(……憎むほどの感情を、私は彼に抱いているのかしら?)


 物心付いたときから、自分の傍にいなかった実の両親。

 確かに、小さいときは寂しかった。でも、それは森に来て最初だけだった気がする。

ヴェルデが古代語を教えてくれてから、小精霊たちは少しずつラナに対して警戒を解いて五月蝿いくらいに接してきた。彼らがいたから、ずっとラナの生活は賑やかだった。

 もし、ラナが人間ばかりの中で育ったとしたら。そして、一番身近であるはずの両親を殺されたとしたら、殺した相手が憎くてしょうがなかっただろう。

 でも、ラナは人間達から離れて森で育った。両親の顔も姿も、ほとんど覚えていない。

 会ったことがないレヴェッロートを、一生好きにはなれないとは思う。今のところは、それだけの感情しかない。

 だが、今後は分からない。いつか彼が森に暮らすヴェルデや小精霊に手を出してきたら、ラナは迷わず戦うと思う。明日は我が身だ。



「俺達も君と似たようなもんだよ。プロフォンドに生まれたが最後、親類や仲間や友達を、公爵達に殺される」

 ラナはビノーの暗い表情に、息を飲んだ。

「貴女もプロフォンドで、私達の気持ちが少しでも分かるなら協力して!

 勘だけど、貴女、ヴェルデを知っているんじゃないの?」

「知ってるよ。ヴェルデは私の、養い親」


 あんぐり。そう形容して間違いない様子で、ビノーとローダは口を開けている。

「ちょ、は、うっそォ」

「そんなの、ありえないわよ。精霊が人間を育てるだなんて」

「嘘じゃない! ヴェルデは、私の母様の、契約精霊だった。

 母様は自分自身を囮にして、その間に私を逃がしたの。そして、ヴェルデに私を託した」


 全ては、信頼の置けるヴェルデから直接聞いた話だ。

 すると、二人は顔を見合わせ、何やら目だけで頷き合う。

「何、その視線の交し合い。どういう意味なの?」

 ラナが真っ向から問うと、ビノーは力強く言う。

「俺もローダも、君の言葉を信じる方向で一致した。って、ことだよ。これも勘で」


 勘。勘か————。

 それでも良い。明確な根拠がなくとも、今回はラナも良い気がした。ラナだって、ただビノー達を信じたいと願い始めているから。

「で、君は協力してくれる?」

「分かった。まずはヴェルデに話だけでも……」


「じゃなくって、ヴェルデの件は取り敢えず置いといてさ。——————君自身が、組織に加入する気があるか聞きたい。どうも俺達、君に惚れ込んだみたいだ」

 このとき、物心付いて初めてラナは人から微笑みを向けられた気がした。

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