11.亀裂
「何度だって言うけど、私達がレヴェッロートに会いに行く理由は恋愛絡みじゃないからね?」
ラナは念押しする。言い聞かせる相手は、日が経つにつれて、かなり仲良くなってきたルーナだ。
機嫌の悪い母は、むうっと頬を膨らませている。自分も彼のところに顔を出したいのに、ピアノの家庭教師が来るので行けない為だ。
令嬢ルーナは忙しかった。嫁入り前で、沢山の教養を身に付けることを両親から言い渡されているからだ。教養の多さは女性としての魅力を高め、良い嫁ぎ先を決定する手段になるらしい。
「じゃあ、行くね!」
埒が明かないと踏んだラナ達は、ルーナを置いてレヴェッロートの屋敷へと向かう。本当はルーナにいちいち告げずに直接、彼の元を訪れたほうが早い。しかし、習い事を終えて家を出てきたルーナと鉢合わせすると、何倍も厄介な事態になるのだった。それを一度経験したラナは、事前に母の許可を得るという安全策を取るようになった。あくまでも自分の身を守る為だ。
母をかわして出掛けると、次なる攻撃はレヴェッロートの不機嫌さである。
「お前は毎日毎日、飽きもせずによく来るな。せっかくお転婆なルーナが習い事でいないというのに」
書斎にいたレヴェッロートは報告書から顔を上げた。そこにあるのは隠そうともしない、うんざりした表情と態度。
だが気安くなった言葉や仕草は、彼と親しくなった証とも言える。
「とにかく俺は忙しいんだ。庭か、他の部屋で遊ぶがいい」
「そこを何とか、お願い! 静かに大人しくしているから、ここにいたいの」
「いい加減にしてくれ……」
彼の対応は、どこまでも素っ気ない。それはルーナに対しても同じで、ラナが想像していた姿と大違いだった。
その理由は多分、未来のレヴェッロートはルーナが傍にいない間に恋焦がれて、自分を責め続け、好きな相手への態度を改めるようになったのだろうと、ラナは察する。
そして、その誠意は全て母の為だと思った時————、ラナは何故か胸が苦しくなった。
気にかかることは、もう二つある。一つは自分の父となった人物は、どこにいるのかだ。もう一つは当然インテの居場所だ。
今のところ、ラナの父らしき人の影もインテも、ルーナや彼の身の回りに全く見えてこない。正直、不安だった。
約束通りにラナとエテルノが静かにしているので、レヴェッロートも面倒になったのか、書類を読むのに没頭し始めた。他人が部屋にいるのに、すごい集中力だった。
ラナは彼の横顔を遠くからとはいえ、不躾に眺めて邪魔をしたらいけないと思いつつ、感心してレヴェッロートを長いこと見ていた。
だから彼が、ある一枚の書類を深刻な表情で何度も読み返していることに気付く。
何を読んでいるのかが非常に気になった。
彼の邪魔をしないという宣言は守らなくてはいけない。だが今、彼が悩んでいることは何なのか。それが未来の悲惨な状況を作った元凶だとしたら、放っておけないと思う。
するとラナの心配そうな視線を感じ取ったのか、レヴェッロートは彼女のほうを見た。
「大丈夫だ。何とかなることだから」
「本当に? 嘘は付かないで」
「……どうして、お前に嘘を付く必要がある?」
「だって、…………」
(貴方はやっぱり、優しいから)
そう言いたいのに、無理だった。知り合って間もないお前に何が分かる、と言われそうだから。
だから他のことを口にした。
「私に出来ることは、何でもやらせて欲しいの」
答えると、レヴェッロートは立ち上がる。どこへ行くのかと、ラナが見ていると、何故かこちらにやって来て一気に距離が詰まった。
彼女の驚く顔の前に、レヴェッロートの顔が近付く。
「お前は、何が狙いなんだ?」
「狙いって……、大げさな言い方ね?」
「誤魔化すな。急に現れて、俺達に近付いてくる————疑わないほうが可笑しい」
彼の威圧は、殺気と同じだった。主人の危機にエテルノが動こうとしたが、レヴェッロートの一睨みで止まってしまう。
「私は貴方が心配なだけ。他には何も考えていないわ。疑う気持ちは分かるけど、私達を信じて、としか言えない」
口を引き結び、ラナはそれ以上何も言わなかった。
黙ったまま、レヴェッロートと睨み合う。時間が経つのが遅く感じられた。
先に折れたのは、レヴェッロートだった。
「お前達の出自は疑っていないさ。特にラフィ、お前のオーラはルーナのものにそっくりだ。……この容姿も作り物じゃないことは分かっている」
彼は彼女の髪を一房、優しく指先で戯れるように持ち上げる。
「ちょっ……、何?」
こんなことをされたら、心臓が持たないと思った。
顔を真っ赤にした彼女を見て、レヴェッロートはにやりと笑う。悔しいのに、一矢報いる気が起きない。それは、未来のレヴェッロートに通じるものを思い出したからだ。
呆然とするうちに、
「さ、お子様はもう帰れ」
と、気が付けば部屋の外に押し出されていた。扉は閉められ、ご丁寧に鍵まで掛けた音がする。
敗北、の一言に尽きた。
**
次の日も懲りずに、ラナはエテルノを伴ってレヴェッロートの書斎を訪ねた。彼は近頃そこにいることが多いからだ。だが今日は不在だった。
「今朝は早くに出掛けられました」
執事を捕まえると、一言だけ返ってくる。そして、それだけ言うと一礼して言ってしまう。
「珍しいね。どこ行ったんだろ」
ラナは、どうしてだか不安だった。昨日の、書類を持った彼の真剣な様子が気に掛かって、頭から離れない。
「馬で出掛けたらしいな」
「エテルノ、なんで分かるの?」
「風の跡が残っている。馬を飛ばした、彼の残像もわずかに見える」
「……ねえ、貴女って出来ないことあるの?」
「勿論」
忠実な精霊に、口元だけの笑みで済ませられた。
気持ちを切り替えて、ラナは拳を握って言う。
「このまま、じっとなんてしていられない。分かる所まででもいいから追ってみよう!」
「分かった」
エテルノが示してくれた方角は途中まで一本道だ。とにかく、そこまで走ることにする。ドレスの裾が長いので、汚れないよう持ち上げて全速力だ。両手は塞がったままだし、靴はヒールなので、動きにくいことこの上ない。
「あー、しんどい」
ぜえぜえと息を付きながら、ラナは隣の精霊を見る。エテルノのけろりとした表情に、もはや何も言う気が起きなかった。
そんなこんなで、分岐点が見えてきた。
「ここからは、どっちに行ったんだろうね?」
「悪いな。人通りが激しくて、もう彼の残像は掴めない」
自分で何とかしなければならないときが来たらしいと、ラナは思う。精霊に頼ってばかりではいけないのだ。考えるヒントはどこかにあるはずだ、と。
————場所に覚えはあった。未来で何度も通ったところだ。右に行けば、貴族の邸宅が連なる町。左に行けば、後にプロフォンド達が逃げ込む地区。
「普通に言えば、右かな。
でもまだ、プロフォンドへの差別は始まっていないみたいで、左の町も平和な状態だから足を向けても不自然じゃないし……」
悩む、悩む。これだけで日が暮れそうだ。
「思うほうに行ってみればいい。魔術ではないが、それもまた縁だろう」
見かねたエテルノの助言に、渋々頷く。あれだけ走って、レヴェッロートがここに戻ってくるまで待つ事態になったら悲しすぎる。
結局、最初の思い付きに従って、右へ走ることにした。
上半身が重く感じられ、足を引きずる感覚は久しぶりだ。ビノーの特訓を思い出す。あれを思えば今のほうが十倍は楽だと考えたら、張り詰めた気持ちが軽くなった。
「ありがと。ビノー」
「?」
「仲間のこと。散々しごかれたから、少しのことじゃ、私はへこたれないの」
「ふうん。良い縁に恵まれたから、マスターの目には曇りがないのかもな」
「そうかもね」
軽口を叩く余裕も出たところで、町の中心の広場に着いた。走り通しで来た二人の少女への視線が多いのは、あえて無視する。
「レヴェッロートぉ。どこなのよ!」
「先程のように何か感じることはないのか? ここに彼がいることは間違いなさそうだが」
「この町に、いる?」
「ああ。だが詳しくは分からない」
「充分よ。
ねえ、平気そうな顔だけど疲れてはいない? 座りながら、考えましょう」
精霊を促して、十五年後には確か無い噴水のヘリに座る。そのままラナは水面に手を伸ばして、冷たい水の感触を楽しんだ。その時、ふと思い付く。
「そうだ! この水に彼の居場所を尋ねることは出来ないかしら。花占いで、花に聞いたみたいに」
「この噴水に精霊か、或いは小精霊たちが宿っていれば可能かもしれない」
「いなそう?」
「いなくても不思議ではない。息遣いが聞こえないから。
けれど、この水はリスッレ川から引いてきたものだろう。あれは昔から在る川だ。沢山の小精霊が住んでいる」
「じゃあ、やってみる価値はあるわね。何もやらないよりは良いはずよ」
ラナは立ち上がり、息を整えた。レヴェッロートやヴェルデのような明確で、美しい古代語で水の精霊に呼びかける為に。
『初めまして、噴水に宿る精霊さん。私はラナです。
今、レヴェッロートという十五歳位の少年を探しています。今日馬を飛ばして、単身でこの町に来たのだと思うんです。だから、どの家に入ったかを見ていたら教えて欲しいんです。お願いします』
言い終えても、噴水は答えず、何の反応もない。
やはり、駄目なのだと、ラナは肩を落とした。
すると、いきなり水が盛り上がり、人型に変わる。全身が透けていて色が感じられないが三十代位の、腰より長い髪を垂らした麗しい男性の姿だ。年齢が特定できないのは、どこか憂いを感じさせる面差しだからだろうか。
しかし、ラナ達の近くを通り過ぎる人々には見えていないらしい。おそらく、魔力が無い者には、いつも通りの噴水の様子しか分からないのだろう。
『ルーナの縁の者か』
それは質問だと、遅れてラナは気付く。
『そうです。彼女を知っているのですか?』
『たまに、この辺りの店へ買い物に来ているだろう』
周囲の店を見回して、ドレスや装飾品の店のことかとラナは納得がいった。
なるほど、この精霊は想像以上に長い時間、この町を眺めているらしいと知る。
『丁寧な挨拶への義理として、一度だけ願いを叶えよう。だが手短に済ませる。レヴェッロートはあの家だ』
言い終わると、精霊は噴水の中に戻った。終わると、まるで何もなかったかのような静けさである。
『充分です。ありがとうございました』
頭を下げて、指し示された家に近付く。けれど、その足も数歩で止まった。
「簡単には入れそうにないね……」
まず、頑丈な石門の前には兵士が二人。そして屋敷全体を囲む石壁は、大男五人を縦に並べた位の高さだ。
すると、沈黙を守っていたエテルノが思わぬ提案をする。
「私に掴まれ、マスター。風の移動魔術を使って邸内に侵入する」
「えええ?」
『流れゆく風よ。気まぐれついでに、我とマスターをそこが庭まで運んでおくれ』
驚いているうちに、ひとっ飛び。次の瞬間には、目の前の景色が変わっていた。
コの字型の邸宅は見事な円柱で支えられ、中庭を内包する造りになっている。
「…………!」
「……!」
庭の大きな茂みの向こうで、誰かが言い争っている。内容は分からないが、一人はレヴェッロートの声に間違いない。
盗み聞きはいけないが、近付いてみることにした。彼の関わる問題を知る為に来たから、もう心に歯止めはほとんどない。
「————それでも、お願いしたい」
「公爵、くどいですぞ。それに関して私達は、これ以上の協力は致しかねると何度も申し上げたはず」
「しかし貴族達がこのままのやり方でいければ、国が崩壊しまう。家も食べ物もない者が更に増えることになります。
国家の財源も少なくなっているし、これから国を運営する資金をどう確保するというのですか」
レヴェッロートは国政に携わる者として、何かを訴えかけているようだった。その相手は老年の貴族。どうやら、この家の主らしい。
「金を集める、良い方法ならありますぞ」
ねっとりとした口調で、老貴族は言った。やけに勿体ぶった態度だ。
「赤の者達から、ありったけの財産を取り上げればよいのです」
「何を仰って……」
レヴェッロートも驚愕しているが、ラナの驚きも大きかった。
直感した。ここに、全ての答えがあると。
彼女が聞き耳を立てているとも知らず、会話は核心に迫っていく。
「考えてみれば当然のことではありませんか? 赤の民がのし上がってきたのは、我ら元々の貴族より後のこと。彼らは図々しくも、我々が本来得るべき富を横取りしているのです。
だから、赤の民から何もかも取り返せば、国は元通り上手くいくはず」
「フォルムラ殿! 赤の者も同じ国民ではありませんか! そのような、非道は許されません」
「同じ国民? 彼らが我々と同等の立ち位置にいると自分達のことを思い込んでいるなら、愚かな間違いです」
レヴェッロートは気力を挫かれたように、黙り込む。彼は己が手を強く握りしめていた。
勢いに乗ったフォルムラは、更に言い募る。
「私には分かっておりますよ、優しい貴方が何を躊躇しているのか。
ずばり、幼馴染のルーナ嬢のことでしょう。彼女も赤の民だ。
赤の者達を追い落とすとなれば、彼女もまた苦しむことになる。貴方は、それを危惧している。そうでしょう?
心配は要りません。貴方の権力なら、彼女だけ助けられます。————ルーナ嬢は公爵の愛妾にしてしまえばいいのですよ」
「……いくら貴公でも、そのような発言は許せません」
「ほう。貴方は彼女の命が惜しくないと。彼女が路頭に迷っても宜しいのですね?
残念ながら、赤の民の駆逐は我々の中で、ほぼ決定事項ですのに」
「私が手を染めずとも、貴族の大半が実行するということですか」
「察しが宜しいようで。
でも貴方の協力があれば、国政が円滑に執行されるということは否めません。公爵の統率力には皆、一目置いておりますので。
我らの期待を裏切らないで頂けますかな、公爵?」
レヴェッロートの無言を、フォルムラは了承と取ったらしい。
「良かった。納得していただけなかったら、貴方を監禁しなければいけないところでしたよ」
先程から青白い顔のレヴェッロートと、物騒な笑みを浮かべたままのフォルムラ。
ここで狂った歴史が始まったのだ、とラナは悟った。