プロローグ
辺りは、ぼやけていた。自分が何処にいるのか、咄嗟には分からないほどに。
仕方なく耳だけを澄ませていると、風によって生まれる葉擦れが聞こえてくる。それはラナにとって、聞き慣れた音だった。
(そっか。ここは森なのね)
安堵するうちに、霞みがかっていた視界も段々と開けていく。目の前にいる育て親ヴェルデの姿も目に入ってくる。
「そして、————です。太古に世界が創られたときも〈古代語〉が活躍しました。
古代語は魔力と同義であり、精霊たちや魔術師しか話せません。また強い意志を持って口にすれば、目に見える影響力となって現れる、恐ろしいものでもあります」
今は、どうやら講義中らしい、が。
(でも、おかしいわ。今更、講義だなんて……)
ラナに対する、ヴェルデの講義は数年前に終わっている。もう教えるべきことはないから、これからは自分で学べということだった。
「自然には、色々な小精霊が宿っています。例えば、そう、川や木などに。かくいう私は太古、木の小精霊でした。長生きして魔力を溜め、より魔力の高い精霊となったのです。
精霊に成長すると、魔力を補充する為の土地を支配するという能力が得られます。支配してみようか、という気持ちになるとでも言いましょうか。例えば私は、この森を治めることにしました。
それから、土地持ちとなる位に魔力が強くなると、本来の属性以外の術が使えるようになります。私の場合は木の小精霊でしたから、昔は枝を伸ばしたり、根を持ち上げたりすることしか出来ませんでした。
でも今は、森に満ちる光や風などを従わせることが出来ます」
(ああ、なんだ。これ、昔の夢だわ)
道理で、どこかで聞いたような……と思ったわけだ。十年位前、自分が幼女だったときのことを、夢の中で見ている状態らしい。
視線を下ろせば、裏付けるように自身の手はぷっくりして小さい。
さて、どうするか。夢から目覚めるべきなのか?
迷いながらヴェルデを見上げれば、生徒の考えていることには気付いていないようだった。淡々と語り続けている。
大人しく拝聴するうちにラナも、ぼんやりとしてきてしまった。次第に、これが夢だということを忘れていく。そして次の瞬間には、すっかり童心に戻っていた。
「こうやってヴェルデは見えるし触れるのに、どうして小精霊さんの姿は目に見えないの?」
ラナが尋ねる度、ヴェルデは律儀に一つ一つ答えてくれる。
「小精霊は、そういった能力をまだ持っていないからですよ。姿を持つというのは、魔力を溜めて精霊に成長しないと出来ません。
でも、それは力がないということではない。彼らは強いのです。普通の人間が武器を持って戦ったとしても、勝てる可能性は低い。小精霊は、殺傷能力の高い自然そのものだからです」
「…………小精霊さんって、こわい。わたしのことをいじめない?」
「怯えているのですか」
ほんの少し、ヴェルデの表情が和らぐ。
「大丈夫ですよ。この森には、怖い小精霊はいません。
こちらが酷いことを彼らにしなければ、穏やかなものです」
「でも……」
「平気です」
何とか宥めようとしたのだろう。白い手は戸惑うように下りてきて、最終的にはラナの頭を撫でてくれる。
小さなラナは優しい温もりに安堵して、この時間が続けばいいのにと思った。