バナナ
その日、私は長椅子で目を覚ましました。
この長椅子はスプリングが切れていて、そこで眠ると背中が痛くて仕方がありません。できる事なら、柔らかなベッドで休息したい所です。
けれど、そんな事は出来ません。
なぜなら、私は探偵だからです。
それも、ハードボイルド科の。
故に種族的宿命として、タフな生活を余儀なくされています。
今日も、スプリングの壊れた長椅子で目を覚まして、髪の毛を乱暴に掻き毟りながら、事務所の郵便受けにねじ込まれた新聞片手に、泥水のように濃い珈琲と煙草を朝食とします。
たまには、フレンチトーストが食べたいなぁ。
と、そんな事を考えながら新聞を見ていると――。
『Code1101によって発生したバナナ殺人事件。アリス・マクガフィンによって解決される』というニュースが掲載されています。
そんな記憶、私にはありません。
けれど、それは当然なのです。
何者かが無より生み出す殺人事件Code1101は、管理局によって管理されていない現実改変です。
だから、管理局は、それが発生した際には、探偵に謎解きをさせた後、再度、現実改変を重ねて、それが存在したという事実を完全に消し去ってしまいます。
現実改変できるなら、わざわざ探偵を引っ張り出さずに消してしまえと思わないでもありませんが、それをすると『因果律が捻れてノイズが残る』のだそうです。
だから、管理局は、Code1101が起こると、探偵に事件を解決させてから、その証明に従って現実改変を行い、それに関わる全てを抹消しています。
なので、そのバナナ殺人事件とやらを解決しても、私が覚えていないのは当たり前の事なのです。
そもそも、そんな事件、起こっていなかった事になるのですから当然でしょう。覚えているのは、全てを管理する管理局だけです。
けれど。管理局はできるだけ公平であろうとする機関ですから、消えてしまった私の功績を無かった事にはしません。こうして新聞に載せて、名誉を称えてくれますし、私の口座に結構な報酬を振り込んでくれます。
「しかし、バナナ殺人事件ねぇ……」
珈琲を啜りながら、私は頭を掻きました。
詳しい状況は掲載されておらず、ただ称えられているだけなので、事件の全容はまるで分かりませんが、その言葉のおかしさと、自分が関わったCode1101という事もあって、私は事件を予想してみます。
「バナナ殺人って事は……」
毒入りバナナを食べた人が死んだとかでしょうか。
あるいは、バナナを喉で詰まらせて窒息死したとか、まさか凍ったバナナで殴り殺されたなんて、まんがみたいな話だったのでしょうか。
はたまた、Code1101ですから、凄く捻って、
「…………文字通り、バナナが殺された事件だったり」
つい、素に戻って、私は呟きました。
すると、お腹の中から――。
「あたり」
小さな呟きが聞こえてきました。
ほんの小さな、ノイズのように小さな声が、私の体内から聞こえてきたのです。
「アンタさ。あのずさんな死体を見て疑問に思わなかったのか? 明らかにそれが人間じゃなく、人間を模しただけの肉の塊じゃないかって? 知性のない、ただの肉。それに対して、肉に刺さっていた俺は、一個の完全なバナナだった。ガリッと何かを噛んだだろう。アレは俺の頭蓋骨。君の歯に当たったのは凍った部分ではなくてバナナの頭蓋骨だったのさ。それに鉄の味、血の味だってしただろう。あれ、俺の血ね。アンタが解決したと思っていたものは、全部フェイクだったのさ。情報はアンタに与えられていたんだよ。少し想像力を働かせれば、何が真の被害者であるのか理解できたんだ。知性化された蛇やゴリラがいるのなら、知性を持つバナナだって存在するという事に――202号室の死体が合成された肉の塊でしかなく、本当の被害者は知性化されたバナナであり、凍らされても何とか生きていた。それにとどめを刺したのが君だったという事にさぁ」
つまり。
この物語の真相は――。
探偵役がだった私が犯人。
「それって、まったくフェアじゃねぇな!?」
「なーに、アクロイド殺し並みにはフェアだろう?」
怒声を上げると、私のお腹の中でノイズがクスクス笑います。
改変される前の私は、完全に一杯食わされていたようです。私は腹立ち紛れに「クソッタレ!」と、くたびれた長椅子を蹴っ飛ばしました。けれど、椅子は思ったよりも堅く、私は足を押さえてケンケンします。
それを見て、私のお腹に収まったバナナは、更にクスクスと笑うのです。
「ま、これからよろしくな。相棒」
「うるせぇ!」
どうやら、私はCode1101の解決に失敗したどころか、管理局の敵であるノイズを腹に抱え込んでしまったようです。
私のハードボイルドでタフガイな人生は、前途多難であるのかもしれません。