201号室 マッドサイエンティスト
この世には、カガクシャ目と呼ばれる種族がいます。
彼らは、科学的手法を使ったり、知識を体系化させたりと、日々、科学技術を発展させている生き物です。カガクシャ目の生き物は科学技術の発展に欠かせない、とても大切な存在なのです。
マッドサイエンティストは、そんなカガクシャ目の異端の存在として、よく知られている生き物です。
なぜなら、彼らは狂っています。
彼らの行う実験は再現性が欠けていて、体系化されておりません。中には、体系化されて再現性のある実験を行う個体もいるにはいるのですが、目的が意味不明だったり、意図不明であったりとします。属名がマッドサイエンティストとあるだけに、彼らは何処かしら狂っているのです。
その狂気に関して、こんな話が残されています。
昔々、とある大科学者が、一人の高名な狂科学者に尋ねました。
「君は、とても優れた知性と教養を持っている。それなのに、どうして狂った科学を続けるのかね」
「その言葉、そっくりそのまま返させて貰おう」
彼らにとって、狂っている事が正常なのでしょう。
正常であることが狂っていて、狂っている状態が正常であるなら、彼らは正しく狂っていて、自らの信じる科学に邁進しているに違いないのです。
そんな狂気を常とする存在に対して、私は事情聴取しなくてはいけません。
正直、少し憂鬱です。
話がちゃんと通じるといいなぁ。
そんな事を考えながら、私は『冷田氷』氏の扉を乱暴に叩きました。
「おい! 冷田さん! いるんだろ!」
玄関でやかましく騒いでいたら、すぐにマッドサイエンティストは姿を現しました。
「うるさいなぁ。そんなに騒がなくても私はいますよ……」
出てきたのは、実に陰気なマッドサイエンティストの――少女でした。
目の下には濃い隈があり、黒い髪は伸び放題で、あまり手入れがされている様子も無く、化粧っ気もありません。
徹夜明けのナード(女)。
だいたい、そんな感じです。
「悪いな」
私は、ぜんぜん悪びれず、口先だけで謝りました。そして、単刀直入に「隣でコロシがあったんだ」と、言います。
まあ、情報統制されてないので知っているかもですが、それでも会話の主導権を握っておきたいので、牽制の意味を込めての説明です。
「コロシ……って、もしかして人の死ぬやつ? 殺人事件?」
「それ以外にコロシがあるなら、こっちがご教授してもらいたいね」
「そ、そんな…… このアパートでそんな事が起こったなんて……」
冷田氷さんは、バナナ殺人事件について知らなかったようです。
強いショックを受けたようで『信じられない』という顔で、私を見ます。確かに、自分の生活圏で殺人なんて起こってしまえば、そういう反応をするのは当たり前でしょう。
マッドサイエンティストも、普通の女の子なのだなぁ。
そんな感慨を抱きつつも、デリカシー無く「アンタには、その殺人の容疑が掛かっている」と精神的優位を確保しようとした瞬間――。
「そんな面白い事が起こっていたなんて! 先に教えてよ!」
と、氷さんは、突然、興奮し始めました。
なんだろう、これ。
唐突な展開に思考停止していると、氷さんは私の襟首を掴んで、ガクガクと揺さぶりながら叫び続けます。
「せっかく、人が死ぬトコロを見るチャンスだったのにぃ!!」
どうやら。
冷田氷は狂っているようです。
種族的特性として、ごく当たり前に。
しばらくして、ようやく氷さんも落ち着いたようなので、アリバイなどを聞いてみる事にします。
「まずは…… アンタは一時間前、何をしていた?」
「ええとね。寝てた!」
「それを証明する者は?」
「一人暮らしだし……」
「居ないのか」
「いないー」
唐突に興奮する事こそありますが、冷田氷は、割と話しやすいマッドサイエンティストでした。私の質問にも、つつみ隠さず答えてくれますし、聞いていないこともペラペラと喋ってくれます。
「氷はね。フルーツで人を殺す方法を研究しているんだよ!」
「……ふ、フルーツで?」
「例えばぁ。貴方が暴漢に襲われたとします。そんな時に、ポケットにはフルーツしかない。そんな時、どうやって命を守るというの? フルーツで戦うしかないじゃない!」
「素手で戦いか、逃げるかしろよ……」
「でもでも!! フルーツで人を殺す方法が発明されてれば、相手を殺して自分は助かるでしょ?」
「……い、いや、そんな事を言われても、意味が分からねぇって」
「だからぁ! そういう時の為に私の研究はあるって言っているの! これは必要な事なのよ!!」
私から見たら、とても必要な事には見えませんが、氷さんは『フルーツによる殺人』を重要な事と捉えているようです。
意味不明な研究に対する異常な執着。これは、マッドサイエンティスト属に、よく見られる特徴と言えるでしょう。
そして、彼女の研究は、『バナナ殺人事件』にぴたりとはまり込みます。
「で、これが新作のバナナガン!」
彼女がラボから持ち出してきたのは、液体窒素によってバナナを瞬間冷凍し、圧縮空気で撃ち出すという、空気銃の一種でした。
「前はね、パイナップルに爆薬を詰めたり、リンゴに毒を仕込んだりしていたんだ。けど、ある日、師匠に言われたの。それって、別にリンゴやパイナップルじゃなくてもいいよね、って。それがとっても悔しくってね。もっとフルーツである必然性のある殺傷兵器を作りたい。その思いから、バナナという形状を生かしたバナナガンを作ったんだ!」
「そう、なのか。大変だったな……」
私は『主に頭が』という言葉を必死で飲み込みました。
そして、圧縮空気で凍らせたモノを飛ばすのなら、別にバナナである必然性は無いのではないかとも思ったのです。例えば、肉とか濡れ雑巾とか、水分を含んだモノであれば、何でも弾になるのではないか。
そう、強く思いました。
けれど――。
「人間なんか、いちころだから!」
「……いちころ、なのか」
病みきった目をキラキラ輝かせて、バナナガンの有効性を訴える氷さんを見ていると、凄く可哀想になって、何も言えなくなってしまいました。
そして、知りたいことも聞き終わったので――。
お土産にバナナを渡されて、私は201号室を退出したのでした。