アパートメント
そういう事で。
私は、今回発生したCode1101の現場に入ります。
殺人現場は、二階建てのアパートの二階。202号室。入り口と窓には鍵が掛かっていて、その中で四十代の女性がバナナで腹部をひと突きされて、殺害されています。
部屋は、見事に血の海です。
本来、この部屋には、二十代前半のシステムエンジニアが住んでいるそうですが、彼はデスマーチのまっただ中で、もう何日も家に帰っていなかった、という事です。
なので、第一発見者は朝刊配達の新聞屋さん。
いつも通りに、郵便受けに溜まった朝刊を見て「ああ、まだ留守だ」と、郵便受けに朝刊をねじ込もうとしたところ、中から酷い異臭がしたので、管理局に連絡を入れたそうです。
連絡を受けた管理局は、即座に局員を派遣しました。
管理局は、森羅万象を管理するのがお仕事です。それは国家の命運から、ご家庭のトイレで流れる水の量まで幅広く。当然ながらアパートの管理も、管理局の重要な役目です。
そこで、このアパートを担当する管理局局員が一人派遣され、彼女は自分の管理権限を用いてアパートの扉を開きました。
すると、部屋一面血塗れで刺殺死体が転がっている。その状況を分析して、管理局はCode1101と認識した。
この事件発覚のあらましは、おおよそ、そんな所です。
「しかし、酷ぇ有様だな」
血の地獄のような有様に、私はブルドッグのように顔を顰めながら調べ始めました。
部屋はしっかり閉め切られ、血臭が中に籠もっています。鼻をつまむか、マスクでもしたい所ですが、ハードボイルドな探偵としては、そういう繊細な真似は避けたいところ。
なので――。
「……窓も鍵が掛かってるな。ドアもそうだったのか?」
「はい。入り口は施錠されていました」
「つまり、こいつは密室殺人って事か」
「私は専門家では無いので断定できません」
「相変わらず堅いな。アンタら、もう少しフレキシブルにできねぇのかよ」
「規定された対応以外、私達には許可されていません」
密室かどうかを確認する振りをしながら、私は窓を開きました。
これで、少しは血臭も薄まる筈です。
そうした私的状況は兎も角として――。
私は状況を整理します。
「……まあ、普通に考えて、これは密室殺人だな」
部屋には鍵が掛かっていますし、窓も施錠されています。一応は、排水溝なんてモノもありますので、犯人が知性化された蛇であるなら、そこから侵入して退出する事で、安易に密室を構築できるかもしれませんが、管理局員に聞いたところ、この地区は知性化された爬虫類は住んでいませんから、そういう心配はしなくて良いそうです。
つまり、これは、死体のお腹に刺さったバナナを除けば、ごくありふれた密室殺人という事になります。
そこで、私は、この事件を『バナナ殺人事件』と密かに名付けました。
最初は『バナナ密室殺人事件』か『密室バナナ殺人事件』にでもしようと思ったのですが、ありふれた密室なんかよりも、お腹に刺さったバナナの方が印象的だったので、あえて密室を省きました。
何となく、直感的で、この事件は『バナナ殺人事件』だと思ったのです。
それに、この方が、バナナで人が死んでいる感じが出ていて、良い感じがしませんか?
まあ。
それは、それとして。
私は『バナナ殺人事件』に着手します。
もっとも。
Code1101は、虚無より発生した被害者無き殺人事件です。
ですから、別に解決なんてしようもなく、する必要も無いわけですが、我々を管理する管理局は「それでも殺人事件が起きたのですから探偵は解決してください」と主張します。そうしないと、処理するときに因果律が捻れて、色々な不都合があるらしいのです。
けれど、これには犯人がいません。死体はその場に残されているけれど、それを殺した人はいないのです。
全ては、無より生み出された。
それがCode1101と呼ばれる現象です。
だから、我々、タンテイ目をまとめ上げる探偵連盟は『事件解決を依頼されても、犯人が居なければ我々も解決しようが無い』と、ない袖は振れぬと断ろうとしたのですが――。
存在しない筈の袖は、ありました。
無より突発的に生み出される殺人事件、Code1101には『実行可能な殺人事件しか生成されない』という基本原則が存在したのです。
殺人現場に残された証拠を拾い集め、丹念に推理を重ねていくと、それらは犯人役とでも言うべき、実在の人物を指し示す。パントマイミストの仕草から、ある筈のない壁が見えてしまうように、殺人鬼のいない殺人事件は、存在しない筈の犯人を浮かび上がらせるのです。
勿論、その人は、実際に殺人を犯していないのですから、殺人罪で逮捕はされません。けれど、それは間違いなくCode1101の犯人なのです。
なので、我々探偵は、Code1101が発生すると、無より生成された殺人現場を解析し、証拠を集め、推理を行い、犯行を行っていない犯人を見つけ出します。
そうして、犯人の行っていまい犯行を行っていたと証明終了する事によって、Code1101は、はじめて収束するのです。
まあ。
つまり。
実際のところ。
普段の仕事と大差が無いという事ですね。
違うのは、実際の犯行は行われてない点と、管理局直々の依頼という事で報酬が破格という事ぐらいでしょうか。
だから、私たち探偵は、Code1101に駆り出されると全力で事件解決に動きます。
さしあたって。
現在の私の関心事は――。
「まずは、バナナだな」
死体の腹に刺さったバナナを見つめながら、私は、低く、渋い声で呟きました。