03
教室の入り口で立ち竦む男は驚きのまま硬直していた。やつれた頬には冷汗が流れ、見るからにこちらを警戒しているようだった。
「硬くなんなよ先生。別に取って食いやしないから」
おれは手近な机に腰を落ち着けるとアルバムを開いて男に向けてやった。
「ここに映ってるの、あんただろ?」
先程見ていた教師のコメント欄に載っていた写真には、目の前の男と同じ顔が映っている。
「あ、ああ、そうだけど……そういうきみは誰だい」
「ただの宿無し。いつも寝泊りしてる公園が事件のせいで封鎖されててね、今日はここに厄介になりにきた」
短い問答。だがこちらの事情は話した通り。これ以上何を言うつもりもない。
押し黙ったままのおれを見て男はごくりと喉を鳴らす。相手にとってはここに人がいるとは思わなかったのだろう。動揺している気配がびんびん伝わってくる。
やがて拳を握り締めると、意を決したのか口を開いた。
「……僕は以前、この学校で生物を教えていた守谷と言います。何しにここへ?」
「その質問に対する答えはすでに言ったはずだ。むしろなんでお役御免になった教師が閉鎖された学校にいるのか、こっちが訊きたいね」
「それは……」
男――守谷は困ったように頭を掻く。言いたくないことなのか、視線が宙を彷徨っている。
煩わしい。こっちは早く寝たいんだ。用がないならさっさと立ち去って欲しい。
「僕は……」
何かを考えるように顔を仰向け、何度か唸り声をあげると、ようやく問いに答えた。
「僕はここに残っていた備品を整理しに来たんだ」
「備品?」
おれが訝しんだ目で睨むも、守谷は気にするふうもなく頷いた。
「そう、備品だ。きみが持ってるアルバムとか、他にも残ってる物を引き取りにね」
正直嘘かどうかは判らないが、そんなことはどうでもいい。おれを追い出すつもりがないなら、あとは勝手にしてくれれば文句はない。
が、一応は警戒しておく。
「何年も放置しといて今さら整理だぁ? しかも夜中、さすがに怪しすぎるだろ」
「嘘じゃない、本当さ。ただ、個人的に引き取りたい物があるってだけだけど……要は忘れ物みたいなものさ。今は封鎖されて誰もいないし、勝手に取りに来たって構わないだろ?」
「…………」
バレなければ平気理論かよ。まるで子供だ。
入口が封鎖されていたことを鑑みれば、許可なく立ち入りは禁止だろう。だがおれもこの男も、そんなことは無視してここにいる。どのみち守谷とかいう男の言い分を否定することもできないし、行動を邪魔する理由もない。
「好きにすればいい。ただ、手短に用件は済ませてくれ」
「……それなんだけど、出来れば手伝ってくれないかな? どうも一人だと探すの手間取りそうで」
…………なんだって?
「おれに、手伝えだと? 馬鹿か、今から寝ようとしてる人間だぞ。それをあんたは、こんな真夜中に働かせるのか」
今から体を動かすなんて面倒以外の何物でもない。日々ゴミを漁っては食糧を得るのに必死なのに、あまりエネルギーを使わせないでくれ。そう思い、提案を拒否しようと口を開ける。
しかし一歩早く守谷はこんなことを口にした。
「結構重い荷物を運ばなくちゃいけなくてね。お願いだ、手伝ってくれたら明日食事を奢るから」
「…………食事、だと?」
正直、この提案には胸が躍るものがある。
食事。今夜の労働と引き換えに明日の命を繋ぐ糧。それをこの男はくれるというのか。
「うん、無理にとは言わないけど」
「いや、やる」
「ほんとかい?」
「ああ」
面倒だが、やるしかない。ここで断って腹を空かせるよりは指示に従って得る物を得るべきだ。
何より食欲を刺激されては本能が黙っていない。誰よりも強烈な、おれの生存本能が。
「それなら手早く行こう。案内するから付いて来て。場所は視聴覚室だ」
守谷はそう言ってさっさと教室を後にする。おれも眠気を振り払って立ち上がり、後を追う。
まさかこうも簡単に手伝う破目になるとは。元教師だけあって人の扱い方でも心得ているのだろうか。宿無しと聞いて餌で釣れると思われたとか。別にそれはそれで構わない。貰えるものさえ貰えれば。
ただ、守谷という男に対して、ひとつ思うことがあった。
「あいつ、滅茶苦茶臭いな」
鼻に手を当てて、そっと呟いた。