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01

 夕方、人気のない公園。

 ブランコにひとり腰かけながら、おれは遠目に見える茂みの音を聴いていた。

「…………」

 それを一言で言えば、かん高い女の喘ぎ声。柔らかく言っても男女の営み。つまりは、いやらしいことをしている現場に遭遇したこと意味している。

 恐らくは中年の男女か。まだ陽も落ち切っていない時間だというのに、獣のように身体を貪り合う彼らの異臭が、遠く離れているおれの所まで漂ってくる。見ていると行きずりの関係だと分かったが、奴らにそれを考慮した振る舞いは皆無だ。避妊もせず、ただ欲望に突き動かされている。責任なんて言葉はすっかり蚊帳の外なんだろう。人の倫理に反する行いだ。

 もっとも、幾ら男と女が交わろうとも、子供ができることはもうないのだ。幾ら愛し合っても夫婦の間に子供は生まれないのだ。行きずりの関係であろうとそこに生命は誕生しない。

 それがいまの時代。人類が繁殖能力を失った時代。

 この世にコウノトリがいないというだけで、これ程醜悪に満ちるものもない。

 虚しい行為だ。そう心の中で毒づいてみても、彼らに触発されてか、おれの中の獣性が首をもたげて目覚めそうになる。

 やばいやばい。

 耳を塞ぐようにフードを目深に被り、ぼろっちいコートのポケットに両手を突っ込んで立ち上がる。しつこく纏わりついてくる音と臭いを振り切るように、その場を立ち去った。

 空腹に気付いたのは、それからすぐだった。

 人混みでごった返す繁華街に到着して、まず目指したのは安くて評判と客足の良い中華飯店。だがおれは店には入らず、きらびやかな電灯の明かりを避けるようにして裏路地に回った。薄暗いそこには、店から出された生ゴミがポリバケツに入れられて強烈な悪臭を漂わせている。

 おれは手早くバケツの蓋を開けると、ゴミ袋を開いて中身を物色しはじめる。まだ食べられそうな物はないか、ひとつひとつ、臭いを確かめていく。どれも鼻が曲がりそうな程臭かったが、それでも幾つか良さそうな物を見つけると、それを躊躇なく口に入れる。後で腹を壊しそうだが、それは考えない。おれにとって、今日の飢えは明日の死に繋がるのだ。

 そうして夢中になって残飯を漁っていると不意に、背後でガチャリと、扉が開く音がした。驚いて振り返ると、ゴミ出しにきたのか、若い女が店の裏口と思われる扉から顔を覗かせた。

「………………」

「………………」

 痛い沈黙が流れた。

 驚いたまま硬直するおれと、これまた驚いて硬直する女性。

 白い割烹着に三角巾と、どこか時代を感じさせる出で立ちながらも、ぱっちりと大きく見開かれた目が愛嬌を振りまいていて可愛らしい。店の清潔に気を使ってか、短く切り揃えられた黒髪も実におれ好み。状況も忘れてしばし魅入っていると、

「……こ、こらっ。何うちのゴミ漁ってるんだ! あっちいけ!」

 まるで野犬でも追い払うかのように「しっしっ!」と手を振ってきた。その反応は的確だがどうよ? と思う暇もなく、彼女は持っていた新しい袋をぶんぶんと振り回しておれに襲いかかってきた。

「うおっ、ちょ、ちょっとまて。おれはただ、捨てるよりは貧しき人々に分け与えた方が地球に優しいかなぁ、と思いやってこの店の残飯処理を進んで担当している善良な市民だ! そんな人情味溢れる人間に暴力はよくない!」

「うるさい、このホームレス! おまえか! 毎度毎度うちのゴミを荒らしてくれているのはっ! ええい、いつまでバケツに手を突っ込んでいる! うちの料理は冷めても美味しいけど、残飯になってまで人様に喰わせる無礼はしない主義だ! それをっ、おまえはぁぁっ!」

 ゴミを漁ったことを怒っているのか、店の主義とやらに反したことを怒っているのか、よくわからない口上を述べながらも袋を振り回す手は止まらない。ていうかおれより年上だろうに、子供っぽい女だな。

 滅茶苦茶な攻撃を避けつつ、捨てられていた酢豚をひと掴み。へんなゴミが付着していたが気にせず口へ放り込む。うん、確かに冷めてもうまい。

「いま食べた! 食べたでしょ!? そんなに喰いたきゃ金払いなさいよ!?」

「いや、金ないし……」

「だったら身体で払いなさい! 皿洗いならいつでも歓迎してあげるから!」

「あれ、そういう問題? おれを追い払うんじゃないの?」

「例え残飯漁りだろうと、うちは喰い逃げを許さない!」

 がしっと、襟首を掴まれる。

「え? え?」

 混乱するおれを余所に、彼女は店の中へと踏み込む。おれをずるずると引きずったまま……。

「…………」

 それから三時間。

 むりやりエプロンに着替えさせられたおれは、言われた通りに皿洗いをやらされていた。洗っても洗っても次々に運ばれてくる皿の量に辟易としながらも、やけくそ気味に仕事をこなしていく。そうしてやっと閉店時間が訪れるころになると、すっかり手がふやけて皺だらけになっていた。

「お疲れさま」

 呼ばれて振り向くと、先程の女性が腰に手を当てて立っていた。さっきの痴態が嘘のように落ち着いた姿はさすが年上といったところか。

「ゴミ漁りのホームレスに仕事させるなんて正気じゃないな、この店」

「ひとんちの庭を平気で踏み荒らすような奴に言われたくないわね」

「ふん……減らず口が好きな女だ」

「それよりほら、まかないで良ければ出すけど、食べる?」

「やっふーい! なんて心優しい聖女様なんだろう!」

「…………」

 変わり身の早さを軽くスルーされた後、テーブルへと案内される。……別に笑いのセンスがあるとは言わないが、もうちょっと反応してくれてもいいと思う。いくらおれでも傷付くぞ。

「わぁ……」

 テーブルに並べられていたのは色とりどりの料理。量はそれ程でもないが、それでもいまのおれには十分だった。口から涎が溢れ、思わず尻尾を振りそうになるのを堪えて席に着く。

「皿洗いしてる間ずっといい匂いがしてたけど、こりゃまたすげぇ……」

 さっそく「頂きます」と一言、箸を伸ばす。エビチリやらピーマンの炒め物やらに舌鼓を打ち、向かいの席に座った彼女と軽く雑談。まだお互いの名前すら知らないのに大した打ち解けぶりである。

 そのまま箸が進み、おれが綺麗に食事をたいらげる頃になると彼女が訊いてきた。

「あなた子供でしょ? 生活は保護されてるはずなのにどうしてホームレスなんてやってるの?」

「そりゃ両親がいないからだろ」

「私も親がいなかったけど、里親を見つけてもらってちゃんと生活してるわ。いまじゃ子供は世界の宝なんだから、あなたもそうしてもらえないはずはないでしょ?」

 子供は世界の宝……ね。確かに人間が繁殖能力を失ってから既に二十年。未だ原因は不明で新生児誕生の知らせはない。

「人間の最低年齢が二十歳といっても、立派な大人だと思うがね」

「私二十歳だけど、親からは子供扱いされてるわ」

「そりゃ親から見たら子供だろ。いまの世界を考えたら」

「まあ、そうだけどさ……でも自分より年下がいないんだから、大人って言われてもピンとこないわ。あなただってそうでしょ?」

「いや、おれは……」

 訊かれて、返答に詰まった。果たしてどう答えたものかと悩んでしまう。おれがひとり唸っていると、唐突に目の前の女は手を叩いた。

「あ、そうだ!」

「なんだ突然」

「年下で思いだしたけど、何年か前にニュースで見たことあるの。どこかの博士が試験管ベビーの製造に着手してるって」

 製造って……おい。

「いま一番可能性がある技術で、数年内に成功の見通しがあるって。私の世代にも後輩が出来るとか言ってたわ、確か。いまごろどうなってるんだろ」

「さあな……」

 ふと気になって訊いてみる。

「なあ……試験管から生まれた奴でも、仲良くなりたいと思うか?」

「それはもちろん。確かに生まれが特殊かもしれないけど、人には変わりないし、このままじゃ人類滅亡だし、それに私だって年下と触れれば大人だって自覚がでるだろうし」

「そうか……」

 それを聞いて、少し安心した。世の中にはまだ優しい人間がいるんだと実感できた。

「おれ、そろそろ帰る」

「え、こんな時間に? それより帰る場所あるの?」

 話には答えず従業員用更衣室に入る。エプロンと三角巾を脱ぎ、ロッカーからぼろいコートを取りだして羽織る。最後にフードを被ればいつものおれだ。

 フロアに戻ると困惑顔で立ちすくむ女。ああ、そういえば名前も知らないんだった。

「あてがないなら、今晩はうちに泊めてあげるけど……」

「そこまで迷惑はかけられない」

「じゃあせめて何処で寝るのか教えて。さすがに心配だから」

 よくこんな見ず知らずの他人に優しくできるものだ。

「公園だよ。夜は物騒な場所だけど、結構快適だぜ」

 最後にそれだけ言って店を出た。途端、先ほどまでの温かさは消え失せ、未だ眠らぬ繁華街のぎらぎらした輝きが、容赦なくおれの心を蝕んでくる。込み上げる吐き気を我慢して、ふらふらと道を歩いていく。どいつもこいつも獣みたいに夜を謳歌していた。

 先程までの温かさに未練を感じて、出たばかりの店を振り返った。明りは既に消えていて、夜の闇に溶け込んでいた。一抹の寂しさが胸を占め、夜の冷気が肌をざわつかせた。

 ふと、店の裏口に向かう小さな影が目に映った。見憶えのあるシルエットは、犬だ。

 気になって様子を見に行くと、先ほどのおれ同様にポリバケツをひっくり返して残飯を探しては口に運んでいた。

「なんだ、おれ以外にも漁りに来てるじゃないか」

 茶色い毛並みの野良犬はひどく汚らしい姿で、体には幾つもの怪我があった。きっと他の犬に噛まれたり、人間に暴行を加えられたのだろう。些細なことで苛立ちを募らせる者が多い現代では、よくあることだ。

 食い尽したのか、野良犬は一度だけおれに視線を向けると、ゆったりとした歩みで去って行った。

「……おれも帰るか」

 意味のない呟きに、意味もなく笑う。帰る家なんてないのに、おかしいったらない。

 野良犬の後を追うようにして、おれもまた闇へと埋れていくのだった。

 短編の予定でしたが諸事情により分けて投稿することにしました。一応、前後篇で終わる予定です。

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