漆
「とはいえ、あれではな…」
斉藤は縁側に座って、中庭での修練を眺めていた。
一応指南役のはずなのだが、その役目をもう一人の指南役である、藤堂平助に丸投げしているのだった。
ちなみに毎日の修練の指南役は幹部での持ち回りだ。
その日の巡察にあたっていないものが割り当てられる。
「ちょっと、斉藤さん。少しは手伝ってくださいよ。私一人じゃ見切れないですって」
「…無理だ。今立て込んでいる」
「あからさまに嘘つかないでくださいっ」
藤堂は顔を赤くして怒鳴った。だが、悲しいかな、その童顔で怒られても逆に和む。
「なんですかその生暖かい目はっ」
藤堂はさらにいきり立ってこちらによってくる。
あまり年も変わらないはずなのだが、どうも弟のようにしか思えない。
それはほかの幹部も同様のようで、特に原田などはいつも藤堂をからかっては遊んでいる。
「平助~どうだ~ちゃんと教えられてっかぁ?」
噂をすれば影。原田が帰ってきたようだ。ぐしゃぐしゃと藤堂の頭を撫でまわす。
藤堂が嫌がると知っていて、そうするのだからたちが悪い。
「何するんですかっ原田さんっ」
「いやぁ、嫌がるお前がかわいくてつい」
「変態!」
こんな会話も日常茶飯事である。
「ところで、斉藤。お前がちゃんと稽古見てるなんて珍しいな。誰かめぼしい奴でもいんのか?」
「…ああ。居るには居るが…」
原田は眼を輝かせた。
「へぇ?お前さんのお眼鏡に敵うやつたぁいったいどいつだ?」
この筋肉バカは、強い相手と戦うのが何よりの楽しみらしい。
今にも舌なめずりをし始めそうな、爛々とした目をしている。
「つい先日入隊した、峰岸という」
「えっ。あいつですか?いたって普通…というか、実戦ではまだ使い物にならない程度の腕ですよ?」
藤堂が驚いて声を上げる。
斉藤は口をつぐんだ。
藤堂の言うとおりだった。眼はいい。だが、打ち込みが全般に浅い。
防御は天性の才能でしのいではいるが、攻撃ができていない。
これでは実戦に出た時、死にはしないまでも怪我は負うだろう。それは剣士としては失格だ。
実戦で活きるのはいかに無傷で相手を仕留めるか。それに尽きる。
「平助の言うとおりだな、ありゃ」
原田は、峰岸を見て、興味を失ったようだ。
斉藤自身も、擁護の仕様がない。
内心苦笑するばかりである。
「…まぁ、入隊したばかりなんだったら、仕方ないですね」
先ほどは言い過ぎたと思ったのか、藤堂は言った。
「よし、皆、休憩してよし!」
藤堂が全体へ号令をかける。その途端、ほとんどの隊士は倒れこんだ。
藤堂の稽古のつけ方は、基本に忠実、といえば聞こえはいいが、悪く言えば、ただのしごきだった。
延々素振りをやらされることほど、精神的、身体的に苦痛なことはない、とは、ある平隊士の談だ。
峰岸は大丈夫だろうか。
ふと見ると、天を仰いで座り込んでいる。
だが、斉藤の視線に気づくと、姿勢を正して、近づいてきた。
「お見苦しいところをお見せしてしまいました…」
「いや。構わない。稽古とはそういうものだ」
「えらく礼儀正しいな。つらいだろう?寝っころがってりゃいいんだぜ?」
横から原田も口を出す。それに「いえ」と言葉少なに答え、少し笑いながら言った。
「お気遣い感謝します。…それにしても凄いですね。幹部の方々もこのような稽古を?」
「毎日するわけじゃないし、素振りよりは実戦に近い形の稽古だけれどね」
藤堂が説明する。
「凄いなぁ…特に藤堂さん」
「え?」
唐突に峰岸から名前が出て、驚いている藤堂。
「だって、藤堂さん、俺と同じくらいの年でしょう?それで新選組の幹部だなんて、本当に凄いです」
心から感嘆しているらしい。
峰岸の言葉に、藤堂は固まった。
「…えーと。君、確か17だよね?私それよりも年上なんだけれど」
「…えっ。えぇぇっっ?!」
「こいつ、かなり童顔だからなぁ。仕方ねぇよ、な、平助」
「好きで童顔なわけじゃ、ありません」
すねたような様子の藤堂。しかし、その無意識の仕草が子供っぽいことに気づいていない。
「す、すみません!俺、てっきり同い年かと…」
「いいっていいって。よくあることだし?」
「なんで左之さんが言うんですかっ?!」
「あっ、左之って呼んだ!平助、か~わ~い~い~」
「気持ち悪いっこの変態やろうっ」
刀を抜いて切りかからんばかりの藤堂。
「ぎゃ~抜き身で追いかけるのなしでしょ平助っ」
「まてぇっ!今日こそその間抜け面に一太刀浴びせてやるっ」
叫びながら走り去る二人。
「…いいんですか?放っておいて」
「気にするな。いつものことだ」
それよりも、と斉藤は続ける。
「全般に打ち込みが浅い。剣は一太刀で決するものだ」
「…はい。申し訳ありませ」
「お前はいったい何のためにここに入った」
「…え」
「お前が剣を振るう理由はなんだ」
「それは…。先生はご存じのはずでは」
峰岸は戸惑った。
「仇討だったか。…それにしては、悠長だな。そんな調子だと死んだ者も浮かばれまい」
「っ…!!」
峰岸の瞳が揺れた。唇を噛み締め、拳を握って、感情の波が過ぎ去るのを待つ。
斉藤の言うことは、正しい。
こんな風に、剣を一から学んで、それで仇を討つだなんて、ちゃんちゃらおかしいことも分かっていた。
でも、頭では分かっていても、それ以外に峰岸にはどうしようもない。
何も言わない峰岸に、斉藤は静かに続けた。
「剣は、命懸けなものにしか遣えない。相手を斬るには、自分も斬られていいという覚悟がいる」
「…覚悟は、しています」
「そうか。ならいい。励め、峰岸」
斉藤は、突き放したような物言いしかできなかった。
それでも、峰岸は何も言わず唇を噛み締めていた。
平助はマスコットキャラクター的イメージです。
皆になんやかんやとからかわれている感じ。