拾弐
「失礼する。御用改めであ」
「新選組や!お客はんっ!!」
奥に向かって店主が叫んだ。
瞬間、ざわめくような空気が起こった。
どうやら、相手方は油断しきっていたようだ。
「…なるほど。大当たり、だな」
「先生」
小さく呟く斉藤に、峰岸は思わず声をかけた。
微かに、斉藤の口角が上がっている。しかし、その眼は鋭く輝いていて。
普段の稽古では見せることのない表情に、峰岸は怖じいた。
「御用改めである。各々抵抗無用!」
井上は言うが、それはそれ。抵抗しないものがいるわけがない。
すぐに何人かがこちらに斬りかかってきた。
表から入ったのは、井上・斉藤率いる組。山南の組は裏に回っている。
剣豪として知られる斉藤は勿論、新選組の幹部である井上に打ち掛かるものよりも、最も弱そうな峰岸ら、平隊士に斬りかかる浪士が多いのは、当然であった。
「新選組めぇっっ!!」
気合の声とともに、殺気をみなぎらせて斬りかかってくる。
とっさに避けたがいいが次々に斬りかかられる。
刀で受け止めるが、力勝負だと峰岸には分が悪い。
しかし、それ以前に、峰岸は初めて本当の殺気に中てられて、体が竦んでしまっていた。
思うように体が動かない。気持ちだけが焦っていた。
『怖気づいたら死ぬ』との斉藤の言葉が脳裏によぎる。
そして、『生きろよ』との言葉も。
そうだ。
自分にはやらなければならないことがある。ここで死ぬわけにはいかない。
亡き父親のため、行方知れずの妹のため。
その思いのままに剣を振るった。
受け止められ、はじかれる。
「…っ」
腕がしびれる。だが、歯を食いしばって、剣を握る。
その勢いの反動のままに、下から袈裟懸けに切り上げる。
短いうめき声と、肉を断つ感触が伝わってきた。
暖かいものが顔にかかる。
血だった。
しかし、それを気にしている余裕もないまま、斬り続ける。
辺りは血の匂いと、死の匂いがたちこめていた。
峰岸にとってはとてつもなく長く思える時間、実際には半刻ほどが過ぎたころ。
気づくと、あんなに騒々しかった室内が静まり返っていた。
「…終わ…った?」
息が上がってしまっていた。
腕も腰も、どこもかしこも重い。
思わずへたり込む。
峰岸の両手は血に塗れていた。もちろん、体全体も。
その臭いに吐き気を覚えた。
「おい、峰岸、生きているのか」
二階から降りてきて問うたのは斉藤だった。息ひとつ乱れていない。
斉藤は懐紙で刀についた血糊を拭って、鞘に収めた。
返り血で色が変わったその羽織だけが、戦闘の激しさを物語っていた。
「生きています。…なんとか」
「そうか」
「…他の皆さんは?」
「上は負傷者が二名出た。あとは捕縛者だが、まあ、死ぬほどのものではないだろう。ここはどうだ」
「あ、すみません。俺、まだ確認が…」
「…いや、動かなくていい。傷に触る」
「えっ…」
斉藤の言葉の意味が分からない。斉藤には傷なんてなさそうだが…。
斉藤が近づいて峰岸の左肩を触った。
とたんに激痛が走る。
「…っい…っっ!!」
「…少し深いな。縛るから、じっとしておけ」
そう言って、自身のたすきで峰岸の肩を固定していく。
あまりの痛みに、峰岸の目から生理的な涙がこぼれた。
「…っ斬られただなんて、気づきませんでした」
「興奮状態では、よくあることだ」
こころなしか、斉藤の言葉がやさしい。
しかし、峰岸は己の未熟さを露呈したようで、その恥ずかしさにうつむくしかなかった。
「斉藤君、峰岸君。そちらも、もう終わったようですね」
落ち着いた声が聞こえた。山南だった。
「ああ、井上さんは」
「源三郎さんなら、捕縛者を連れ出していってくれましたよ。私はこちらの後片付けを言いつかりましてね」
「…かたづけ?」
「ええ。こちらの都合でお店を荒らしてしまいましたから。可能な限りは片付けませんと。…まあ、大抵は、ある程度の金額をお渡ししているだけなのですけれど」
そう言って、微笑む山南の雰囲気は柔らかいもので、返り血の付いた羽織がなければ、人を斬った後とは到底思えない。
峰岸には、山南が新選組にいることが場違いなような気がした。
「あんたは人当たりがいいからな。適任だ」
「ふふ。そういっていただけるなんて、恐縮です。斉藤君は負傷している隊士を屯所に連れて帰ってもらえますか?ここには二人ほど残してもらえればいいので」
「分かった」
「今回は、本当に幸運でした。大当たりだったのに、こちらには死者が出ませんでしたからね」
「そうなんですか?…よかった」
「では、帰るぞ」
ひどいけがをした隊士を担架に乗せ、一行は屯所への帰路に就いた。
疲れからか、皆一様に黙ったまま歩いている。
そんな折、向かい側から町人が歩いてきた。
峰岸とぶつかりそうになる。
「あっ、えろうすんません。堪忍しとくんなはれ」
「いえ、こちらこそ」
物腰がやけに丁寧だった。
そういえば、江戸とは違い、京の人達は、表面上は丁寧だ。
だが、腹の底では何を考えているかしれない。
そういうところが、峰岸は苦手だった。
この町人も、意味ありげにこちらを見ていたような気がする。
「先生、さっきの方お知り合いですか」
「…悪い、見ていなかった」
嘘だ、と峰岸は思った。
斉藤が周囲に気を配らずに歩くなんてある訳がない。
しかし、そういってさらに問いを重ねるのも無粋だ。
「そうですか」
なにかひっかかる。だが今は、頭の片隅に置いておくことにした。