~目指せ元帥下剋上!二等兵サクヤ~1
サクヤ達は、北への道をのんびり徒歩で進んでいた。サクヤは一同に新たに加わったロイドに興奮気味に周囲の景色の説明を求め、それに苦笑しながらロイドが答えている。
その時、ふとした拍子にサクヤはこれまで気になっていたことを尋ねる。
「ねえロイドさん、これから向かう『ノルシア』ってどんな国なの?」
もともとサクヤとしては、一刻も早い本土帰還のため、このまままっすぐ東方を目指すつもりだったのだ。だが、アケミやアキラがこの機に大陸の情勢を調べるべきだと強硬に主張して、それも一理あるからとサクヤも認めた経緯がある。
今は北に向かっているが、その最低限の情報も仕入れておきたかった。
「ノルシアですか…、う~ん」
悩むロイド。本当なら、ノルシアを一発で表現できる言葉がある。だが、それはアケミ達から言うなと厳しく言い含められていた。嘘か真か知らないが、そのことを口にすると体液がすべて蒸発する呪いをかけたといわれている。とても試してみる気にはなれなかった。
「そうですね…、とにかく北の地にあるので、一年の半分は雪に覆われています。険しい山も多くて、そのかなりが活火山です。食事もイモが中心で、ほとんどそれだけで生活している村も多いらしいですね」
この辺は、傭兵ギルドでそのあたり出身の人間から聞いたことだからかなり正確だろう。
だが、話を聞いたサクヤは若干嫌そうな顔をしていた。野戦食にも慣れた舌だが、どうせならおいしい食べ物が食べたかった。あのギルドの酒場での仕事のまかないはおいしかったが…黒歴史が呼びさまされそうになったので、そこで思考を止めるサクヤ。私はかわいいウェイトレス。私はかわいいウェイトレス。けっして奴隷なんかじゃない!
なんだか落ち込んでいるらしいサクヤを見て、もう少しいいことを上げなければと焦るロイド。
そして、とっておきの事を思い出した。
「そうそう、ノルシアは温泉大国ですよ!どこの街でも温泉が湧き出していて、真水より温泉の方が安いくらいだそうです。段々畑のようになった温泉は景色も絶景だとか」
「温泉!」
それを聞いて目を輝かせるサクヤ。同じく温泉大国でもある皇国でもよく温泉に行っていたのだ。任務先で自然に湧いていた天然温泉の感動は今でも忘れられない。
今から到着後の温泉の事を考えて、足取りが軽くなるサクヤ。その背中を、申し訳なさそうに見つめるロイド。
そう、ノルシアには、そんな事よりさらに有名なことがあったのだ。
翌日、一同はイーシアとノルシアの国境に設けられた関所に着いた。ここまでの旅は、北に向かうせいで、これから夏を迎える季節にもかかわらず、ほとんど気温が変わらず過ごしやすかった。
関所では、まずギルドのカードを見せた後、代表としてサクヤが詰め所の隣の練兵場に呼ばれていた。
不思議そうな表情を浮かべるサクヤ。どうして私はこんなところに連れてこられているのだろう?
そんな表情のサクヤを、逆に不思議そうに見つめる詰め所の兵達。こいつはなんで不思議がっている?あのことを知らないわけでもあるまいし。
そして、練兵場のど真ん中までサクヤを連れてくると、そこで二人の兵士は詰め所に戻っていく。わけがわからず周囲を見回すサクヤ。その時、練兵場の閲兵台にアケミ達がいるのが見えた。
「あ、アケミ!何なのこれ!?」
叫ぶサクヤ。それに対し、ごめんね、と手を合わせるアケミ。ただ、その顔は笑っており、明らかに確信犯だ。
慌てて練兵場を出ようとするサクヤに、閲兵台に上った詰め所の下士官が、大声で宣言する。
「これより、本年度第三百四十三番傭兵ギルド入国希望者、入国試験を行う!階級は随行者の希望により『三頭犬』!では、始め!」
瞬間、サクヤが入ってきたのとは反対の方から、鎖を解かれたケルベロスが練兵場に飛び込んできた。
「どういう事!?」
状況が理解できないまま、杖を手にするサクヤ。そして、目標を認識した三頭犬は、森の王者の咆哮を轟かせる。
緊迫した空気の漂う練兵場を見ながら、ロイドが申し訳なさそうに呟く。
「…ノルシアは、国民皆兵の国なんです」
大陸西部の決まり文句。最大の陸軍国はローラシア。だが、最強はノルシア。
国民皆兵制度を取り、その精強さで比肩するもののない陸軍国ノルシア。その入国試験は、実技試験というなんともわかりやすい方法で行われていたのだった。
「なんで私がケルベロスなんかと…!」
唐突に放たれた三頭犬を前に、狼狽気味にそう呟くサクヤだが、手は素早く杖を構え、態勢を整える時間を稼ぐため、杖に定型句で組み込まれている『神矢』を無詠唱で数発叩き込む。ついでに、地面に突き刺さらなかった一発は、練兵場の結界を貫通しアケミ達を直撃していたが、そんなのは些細な事である。
ケルベロスの側は、閲兵台から聞こえる悲鳴と怒号を無視して、放たれた神矢を素早くよける。かなり戦い慣れしているようで、黒い毛皮に覆われた全身には無数の切り傷が刻まれている。
相手が飛び道具を持っていることを察したケルベロスは、そのまま地面を這うような低姿勢でジグザグに走りながらサクヤに突っ込む。このクラスの魔物なら簡単な魔法を使用できるが、大型の魔物にとって、その巨体こそ最大の武器になることをそれは熟知していた。
だからこそ、ケルベロスはサクヤが避けもしないで、ただ杖を持って棒立ちになっている時点で勝利を確信したのだ。練兵場の周りで見守っている兵達も、かわいい少女のあっけない負け様を思うと悲しく、また大穴狙いでサクヤの合格に賭けていた兵士たちがやっぱり駄目かとあきらめのため息を漏らした。
しかし、
「ギャンッ!」
突っ込んだケルベロスは、サクヤのすぐ手前でまるで子犬のような悲鳴を上げながら、あっさりと弾き返された。
小柄な少女が小さな小屋ほどもある巨大なケルベロスを弾き返すという非現実的な光景に、唖然とする兵士達。酒場を破壊する姿しか見ていなかったロイドも、神矢の衝撃から立ち直りながら呆然としている。
「…サクヤさんて、あんなに強かったんですか…」
「なに、あんた聞いてなかったの?」
監視の任を果たしたことで、ようやく人並みに扱われるようになったロイドに、驚いたように返すアケミ。
あの子なら、ロイドの奴に少しぐらい自慢してると思ったのに。
「サクヤの単独戦闘能力は、私たちの中で最強よ」
飛行魔法を難なく使いこなし、高度なステルス術式で影すらも消し去るアケミ達より強いとは、一体どれほどなのか想像もつかないロイド。もはやそれでは人でない。
アケミ達小隊員を除き、みな呆気にとられる中、サクヤは『反射結界』と同時に構築していた『重力場』を起動。固く踏みしめられた練兵場にクレーターを作りながら、ケルベロスを骨が砕けそうな凄まじい重力で地面に押し付ける。
「ちょっとずれたか…」
自分の失敗を冷静に分析しながら、サクヤは杖の先に巨大な魔力刃を形成する。本当なら、さっきのグラビトンでひき肉にするつもりだったのが、すこし座標指定がずれたのだ。
そのまますたすた進み、もはや呻きも上げられないケルベロスのいるクレーターの縁に立つ。
獲物だと思った少女の手に握られた、巨大な鉈のような魔力刃を見て、絶望を感じるケルベロス。自らの生物としての直感が失われていることに計り知れない絶望を覚える。こんな化け物だと知っていたら、決して刃向わなかったのに。
その絶望の眼差しに何の感慨も抱かず、魔力刃を大きく振りかぶるサクヤ。
そして、振り下ろされた瞬間。
パァアアア―――
突然、ケルベロスが光に包まれる。予期せぬ現象に、鉈を維持したまま慌てて飛び退くサクヤ。同時にグラビトンも解除。下手に杖のリソースを消費したくない。
しかし、練兵場を見守る兵士たちは別種の動揺に包まれている。なんと、まさか!
そして、光が収まったとき、ケルベロスの姿はどこにもなかった。
先ほどの現象が理解できず、いまだ戦闘態勢を解かないサクヤに、入国審査官の男が我に返って叫ぶ。
「に、入国試験合格!サクヤ氏以下、六名の特等入国者を認定する!」
次の瞬間、周囲で観戦していた兵士達から怒号のような歓声が上がり、はずれの籤が宙を舞う。同時にアケミ達も怒りの形相で練兵場の中に飛び込んでくる。
「ちょっとサクヤ!あんたわざとこっち狙ったでしょ!?」
閲兵席を指さしながら叫ぶアケミ。ついでにそこでは防壁を展開できなかったアキラが、椅子の残骸と共にぼろぼろになって伸びている。
「そっちこそ、私に何も言わないでケルベロスの相手なんてさせて!どういう事なの!?」
「それとこれとは話が別でしょ!」
サクヤの正論に、勢いで突破を図るアケミ。あまりのアケミの勢いに、一瞬ひるむサクヤ。アケミはその隙を逃さずに話題の転換を図る。この調子でいつも丸め込まれるのである。
「それより、サクヤのおかげで私たちは特等入国者よ!」
「は?禿頭…?なんで私が禿げてるの?」
思いっきり聞き間違えるサクヤ。『以心伝心』を使わないで、本来の母国語ではない大陸共通語を使っている弊害である。
「あのね、簡単に言っちゃえば、私たちはこの国で飲み食い自由、温泉入り放題、宿泊費半額なの!」
「え!飲み食い自由!?」
アケミの後ろを見れば、サツキとサキ、そしてロイドの三人もニコニコしている。
それを見て、自分もうれしくなってくるサクヤ。これから秋の紅葉も見られるだろうから、その中で露天風呂なんて最高!
急いで本国に帰らないといけないはずなのに、すでに秋まで滞在することを決めているサクヤ。せめて自分の発言には責任を持ってもらいたい今日この頃である。
そこに、入国審査官が冷や汗を流しながら小さなブレスレットを手にやってきた。
入国審査官は、あまりにも予想外の事態に、顔を取り繕えないほど動揺していた。
実はあのケルベロス、この練兵場で飼われている捕獲された個体なのだ。特殊な魔道具で練兵場と飼育されている堅牢な小屋を行き来し、必要な時に訓練に用いるのだ。
しかし、まさかそれが虐殺されそうになるとは、小屋からの召喚を担当する審査官も夢にも思わなかった。基本的に訓練に使うときも、その圧倒的な重圧を前にして隊列を維持するという訓練に使われるのだ。まともに戦う相手ではない。この試験も、本来なら一定時間逃げ回るのが合格条件であり、少しでも挑戦者が傷つけば自動的に挑戦者を回収する転送魔法が準備されているのだ。
それがまさか斃すなど、誰も想像していなかった。もし彼が三頭犬を送り返すのが少しでも遅かったら、貴重な訓練目標が肉片にされる所だった。
「こちらが証明の品です」
そんな驚異の相手に、入国審査を通った者が身に着けるブレスレットを渡す。
「うわぁ…、きれい…」
さっそく身に着けたサクヤが、感嘆の声を漏らす。ブレスレットは貴重なミスリル銀でできており、細身のその表面に、唐草模様に擬態した精緻な魔方陣が描かれていた。
「…通信系の術式…?」
魔方陣の方を読んだサキが、小さく疑問形で尋ねる。研究家の好奇心が刺激されたのだ。
わずか一読でブレスレットの機能を推測して見せた、少女というより幼女といった方が正確な相手に戦慄を覚えながら、審査官は説明する。
「こちらのブレスレットの機能は『位置通知』『簡易通信』の二つです。『位置通知』はその通り、大気中の魔力をミスリルで集めて、微弱な魔力波で持ち主の位置をノルトベルフェンの陸軍総監部に送ります」
こっそりロイドの脇をつっつくサクヤ。「ノルトベルフェンってどこ?」「ノルシアの王都ですよ」小声で話しているが、丸聞こえの内容に頬をひくつかせる審査官。こんな奴に試験を突破されたのか…。
なんだか悲しくなる審査官。しかし、彼も仕事にプライドを持つ男。ほとんど声に出さずに説明を続ける。
「次に『簡易通信』ですが、こちらはほぼ使われることはないでしょう。もし有事が起こった場合、ブレスレットが震えると同時に国内の地名が浮かび上がりますから、そこに急行してください。たとえあなた方が旅人でも、我が国の国防に協力していただきます」
そこは毅然とした態度で言い切る審査官。ついでにこれは、国内に侵入しているかもしれない不穏分子を纏める意味がある。名目上は傭兵と同じように雇うという形をとるが、その集結場所は出身地が同じ人間が集まらないよう司令部で入念に組まれる。いずれの集結地も中規模の陸軍部隊が駐屯し、いざ内部で反乱がおこる事態に備えているのだ。
大抵の旅人は、この条件に不満を表す。なにしろ国内で有事限定とはいえ拘束されるに等しいのだ。腰の軽い傭兵連中ははっきり嫌がる。もっとも、それを知ったうえで入国を求めているのだが。
だが、それにサクヤはあっさりとうなずく。別に問題ないと考えたわけではない。ただ温泉で頭が一杯だっただけだ。
あまりにもあっけないその態度に若干の疑問を覚えながらも、その場の全員がブレスレットを取り付けたのを確認し、審査官はお決まりの笑顔を浮かべた。
「ようこそノルシアへ。尊き武技の持ち主の入国を、我々は心より歓迎します」
一行は、ついに北の地に足を踏み入れたのだった。
…背後で持ち上がりつつある大問題も知らずに。