幕間~騒乱前夜~
今回幕間なのに異様に長くなってしまった…
イーシア王都イース 王城第三会議室
そこは不穏な空気に包まれていた。
「まず憲衛隊から報告してもらおうか」
その空気を破り、上座に座った人物が声を上げた。
それに応え、最も下座に座っている人物が立ち上がる。一人だけ青い制服を着ている。見た目はただの上質な服にしか見えないが、その内部には複数の装甲が仕込まれ強固な魔法防御も施されている。王都では誰もが『猟犬』の名で畏怖する憲衛隊のみ許される装備だった。
細身ながらも引き締まった体をし鋭い目つきをした男は、前置きもなく本題を切りだした。
「王城西門付近で第八衛兵隊が発見した魔方陣は、我々が確認した直後に消失しました。残念ながら写しを作る余裕がなく正確な術式は不明ですが、高度な偽装の施された遠隔操作式の術式である事が確認されています」
「効果は?」
「偽装のため確認できておりません。しかし、実際に見た物の話では地雷に近い物であるとの報告が上げられております」
「ふむ…」
「すでに箝口令は敷いております」
報告を終えた憲衛隊長が着席し、座は再び沈黙に包まれる。
会議に参加している彼らは、このイーシアにおいて『王権派』と呼ばれる派閥に属する者達である。
イーシアの政治は三つの勢力で成り立っている。
一つは王を中心に行政全般を取り仕切る『王権派』これは国家の大半の事業を受け持ち、名目上国王大権の元に強権を振るう事が出来る最高機関である王政府を牛耳っている。構成員は法服貴族(領地を持たず、国家の俸給で生活している貴族)を中心に、国王に近い大貴族やそれぞれの省庁のベテラン官僚から選ばれる事が多い大臣がそれぞれの省庁ごとの派閥を構成している。
二つ目は、議会を中心に活動する『商貿派』議会の権限は大きくないが、商人の意向が大きく反映される。貿易で生きているこの国でその意見を無視する事は難しく、勧告などの形で国政全般に大きな影響を与えている。
そして最後に、中央での権限は最も小規模でありながら、現在王権派と激しく対立している『貴族派』である。
彼らの中心は地主貴族である。基本的に自らの領地を持ちそれぞれの私兵を抱える事が許される存在であり、国土における占有面積はその六割に達する。
彼らの反発の原因は、王権派による強引な中央集権政策にあった。
僅か一年前、大陸は大規模な戦禍の予兆に震えた。イーシアの東方の大国『ローラシア』とその南方に位置する海軍王国『シア』との対立が急激に深まった。両国は緊急動員をかけ国境に戦力を集結。両軍合わせ五十万を越える戦力が睨みあい、一触即発の事態に陥ったのだ。
この両国の位置関係から見て、イーシアの南方にシアの部隊が揚陸すると国境付近のローラシア軍の退路が絶たれる。それを事前に防ぐために、ローラシアによる侵攻の恐れがあった。
実際に兵力こそ動いていないものの、国境付近の砦で兵站物資の集積が開始されたと聞きイーシア首脳部は色めきたった。たとえ兵が動いていなくとも、ローラシアの誇る空中機動旅団であれば数日中に数万の戦力を用意する事ができるだろう。そうなってから対処しても手遅れだ。大陸最大の陸軍国はシアとの二正面作戦を容易に成し遂げるだろう。
シアの側もその作戦を検討している節があり、領海の哨戒艦からはシア所属の大型艦が近海に展開しているとの報告が上がっていた。
この事態を受けたイーシアは外交ルートを通しての緊張緩和と同時に、早急に防衛計画の立案を迫られた。
そこで大問題が発生した。
全軍の指揮統帥権である。
有事において国軍の指揮は国王が執ると定められてはいる。だが、直属の兵力はまだしも諸侯軍の統制は動員した諸侯が執る事になっている。これでは指揮権が曖昧になる恐れがあり、その点をはっきりさせる必要があった。
さらに、戦闘が予想される地域が国王の直轄領でなく貴族領である事が事態を複雑にした。
地元の貴族が、自分の領地で戦うなら指揮権は自分に預けろと主張したのだ。
一見すると無茶な要望に見えるが、地主貴族とは文字通り一国一城の主であり、領内における彼らにはそれを主張するだけの権利があった。
この事態に、王が動く事になった。
普段は自ら動かずに臣下の決めた事を承認するだけという姿勢を貫くヘンリー・イーシア二世陛下は、差し迫る危機に対処するため国王大権の名において指揮権の確立と貴族領内においても全軍の指揮は国王に統一するという王命を下した。
これ事態は、危機への対処として満点といえる行動だった。普段から国内の行政において鞘当し合う仲である王権派と貴族派の感情的対立に陥っていた状況を、国王という超越的存在が仲裁する形を取ったのだ。
だが、後始末に彼は失敗した。
中央都市や北の大国『ノルシア』の働きかけにより大戦の危機が去った直後、ヘンリー・イーシア二世は再び沈黙に戻った。後は自分の意をくんだ王権派が上手くやってくれると信じたのだ。
結果は大失敗だった。
国王大権の元権限を拡大されていた王権派はこれ幸いと自らの権限と勢力の拡張に乗り出し、王の命ゆえに渋々引き下がった貴族派も『連中を肥え太らせるために引いたわけではない!』と激怒。対立が激化したのだ。
さらに、先の命令系統の確立において王が貴族派に差し出したポストも悪かった。
最近では貴族派の不可侵領域と化しつつある王城内の一角。そこには『高等法院』の名があった。
「連中は間違いなく王の罷免を目指している」
現状において最も激しく対立している内務大臣アルフレッド侯爵が厳しい表情で言った。内務省は国内における治安維持活動や交通インフラの整備を行っている。そして、貴族領内の犯罪の取り締まりや街道の建設において国家の利益を優先する内務省と自らの利益を優先する貴族派との関係で王権派の中でも貴族派に目の敵にされていた。
そのアルフレッド候から見て、貴族派の動きは明らかだった。高等法院で王の政策を妨害し続け、その混乱を理由に議会で退位勧告を出させるつもりなのだ。
「…王子の教育に失敗した、私の責任ですな…」
初老の男がやる瀬なくつぶやく。侍従長アルバート男爵である。
彼は王子の教育を一手に任されていたが、長男である皇太子はまだしも、次男であるジョージ・イーシアの教育に失敗した。
失敗といっても、一般家庭であれば気にも留めないようなことだが、王家にあってこの特質は無視できない軋轢を生みだしていた。
中途半端に有能なのだ。
もし次男が無能なら、家臣もそちらに続くようなことはなく長男の皇太子に権力が一本化される。極めて有能なら、基本的には兄を立てて自分は日陰者として一生を終える定めを受け入れるか、どうしても受け入れられないなら反乱を起こすだろう。前者はまだしも、後者のほうは問題をはらむが、それとて国家のことを考えて行動を起こすだろうから、貴族の頂点としても王族を求める立場の人間にとっては大きな不都合はない。国が亡びなければ王は王の血を引いてさえいればいい。
だが、中途半端なのは厄介だった。
国内の支持が割れてしまうのだ。
王権派は皇太子支持を固め既得権益死守を図り、劣勢の貴族派は次男を支持し今日も目指すぜ一発逆転。議会を中心とする商貿派はどちらが己の利益になるか虎視眈々とうかがっている。
ローラシアとシアの対立は、当事者も予想外のところに深刻な影響を与えたのだ。
貴族派は王が退位した場合、そのまま次男を王位につけるつもりだった。
そして貴族派の牙城たる高等法院。こちらは国政に深刻な影響を与えていた。
「…やはり組合法の改正は高等法院が通す気配がありませんな」
宰相のブラバンド侯爵が、心労で落ち窪んだ目をこすりながらつぶやいた。
近年国政において最大の焦点になっているのが、各職種ごとに結成されている組合の権限縮小である。組合はそれぞれの持つ技術を囲い込み、カルテルを結んでいた。特に、イーシア特産のワイン組合は大きな価格決定力を持ち、商人からの不満が根強かった。
議会からの圧力を受けた王政府は、数年にわたり根気強く慎重に事を進めあと少しで法制化というところまで反対派を追い詰めていた。
そこを貴族派が利用した。
高等法院が自らの手中にあることを利用し、法案の大法典への登録を拒否したのだ。
大法典とは国法のすべてが記された物であり、国王といえどそれに従わなくてはならない。その管理はかつて国王が自ら行っていたが、かつて国王の失政により国内に大きな混乱が発生した際その権限を分散させるために国王の諮問機関の一つであった高等法院に移された経緯がある。
その後国内が安定し王権派が主流になってからは、このポストも王権派の人間が務めることになり問題は発生していなかった。だが、いざその権限が貴族派に移ってみると、その大きさに誰もが愕然とした。
「しかし、いくら連中でも暗殺のような手段をとりますかな…?」
大臣の一人が呟く。
はっきり言って貴族派が王の罷免を目指しているの明白だったが、それを実行しうる権限を持つ議会はいまだに王権派の力も強く、容易に可決されるような情勢ではない。政治的暗闘は激しさを増しているが、いまだに現実政治に大きな影響を及ぼすレベルではない。
しかし、翌日に王のお忍びでの離宮訪問を控えた状態で発見された地雷術式は、彼らの認識を一変させた。
王権派は、予想以上に追い詰められているのでないか?
そう考えたために、今回の王権派の会議が開かれたのだ。
しかし、貴族派ともつながりのある彼は、貴族派がそこまで追い詰められているようには思えなかったのだ。
「実際に行動に出ているのだから疑いようがないだろう」
出席者の一人が言った。
「では、我々も…?」
「うむ。こうなれば荒療治も止むおえまい」
会議の出席者全員が、小さく首を縦に振る。
「王国に、栄光あれ」
「「「王国に、栄光あれ」」」
彼らは気が付かない。その中で、一人だけその言葉を発しなかった人物がいたことに。
イース王都貴族地区 テューダー家王都別邸
テューダー家はイーシアでも最も古い貴族の一つである。
その始まりはゴンドワナ帝国草創期までさかのぼり、このイーシア建国に当たっては旧ゴンドワナ帝国西方における大貴族として、独立の旗を揚げたイーシアで多くの武勲を立て、その後も王国の重鎮としての地位を維持してきた名門中の名門である。
また、現在では王家に次ぐ大地主であり、国土の四割を保有する国王に次ぎ、総面積の一割を占めている。動員可能なする私兵の数も三万を超えており、その勢力は王国の中でも群を抜いて強い。
そして今、現当主ジョン・テューダーは貴族派の筆頭として存在していた。
その別邸に、貴族派の面々が集まっていた。
無紋の馬車で乗り付けた面々は、一様に緊張した表情をしており、なにか重大な事態があったことをうかがわせた。
「まずは、君の話を直接聞きたい」
会議の口火を切ったのは、現在領地に戻っており不在のジョン公爵に代わり別邸を任されている次男のガストンだ。頭の方はあまり評判がよくないが、騎兵将校としては多くの魔物討伐を指揮し、かなりの評価を得ている武人である。
そのガストンが、当主代理として口火を切った。普段は荒々しい口調が多いが、立場を考えて落ち着いた声で話している。
「ハッ!かしこまりました」
答えたのは、青い制服を着た一人の将校だった。
…そう、王城の会議にも出席していた憲衛隊の別の士官だった。
そのまま、王城の会議と同じように西門付近で発見された術式に関して報告を行う。
「…ご苦労。皆様、何かご意見はありませんか?」
話が終わったところでガストンが一同に尋ねる。会議の出席者はみな年長ばかりあり、ましてガストンはあくまでも当主代理。普段の自らを抑えて、ちゃんと立てねばならなかった。
「陛下に尻尾を振るしか能のないゴミ共め…!公爵殿を亡き者にする気か…!」
葡萄酒の入ったガラスの器を粉砕せんばかりの力で握りしめるのは、ローラシアとの国境付近の一角を所領とするサムナー侯爵。ローラシアとイーシアを結ぶ四つの回廊の一つを任され、過去三百年間一度も侵入を許していない戦上手の家である。
かつてローラシアとの小競り合いがあった際、会議に次ぐ会議でまともな結論の出せない王政府を無視する形でテューダー家が出した援軍に救われた過去があり、それ以来公爵の熱狂的な信者であり続けている。地主貴族としても有力な人物である。
その彼の目から見れば、近年の王権派の行動は大恩ある公爵に対して仇で報いる行為にしか見えなかったのだ。
そこに今回の事件である。翌日に西門からお忍びで王城に赴く予定であった公爵を亡き者にしようとしか思えなかった。
「しかし、これほど早急な手を打ってくるとは、連中も思ったより追い詰められているな…」
そう呟くのは、王国西方に広大な領地をもち、特産の葡萄酒を産出しているボルドー候である。
候としては近年の組合法改正はありがたいことである。これまで高値で質に関係なくかわされていたブドウが、今までより安く手に入るからである。うまく税をかければ、これまで組合が独占していた利益をこちらが掠め取れるかもしれない。
だが、それによって地主貴族の力が削られたのでは、いざ無理難題を押し付けられたときそれに逆らう力が失われてしまう。それだけは避けたかった。つまり各論賛成総論反対の考えである。
そのため貴族派についていたが、もし貴族派が勢いを強めるなら今度は王権派に取り入るつもりである。このような生き方は嫌われると分かっていたが、どちらかが圧倒してしまったらそれは凄まじい急進政策か時代逆行のどちらかになってしまう。国の命運をかけるような事態でもないのに、そんな博打を打たせる気はなかった。
そんな彼にとって、この王権派の動きは眉をひそめる以外の何物でもなかった。これは明らかにやりすぎな手だ。これでは政争が一気に実力行使の舞台になってしまう。そうなればもうおしまいだ。どちらかが力尽きるまでやるしかなくなる。
「それだけ我らの手が痛手ということでしょう」
嫌らしい笑みを浮かべながら言ったのは、高等法院の長を務め、現在王権派の憎しみを最も強く受けているレスト伯爵である。人々が思い描く特権貴族そのものの姿であり、すでに八十を超える枯れ木のような老人だというのにいまだ矍鑠としている。サムナー候など、王権派以上にレスト伯を嫌悪している。性格の悪い糞じじいである。
「この調子では、早晩王の失政が非難の的になるのは明白。組合連中は我々の支持を固めております。王権派とはいえ好き勝手はさせませぬぞ」
そういってヒヒヒと笑う。まるっきり妖怪爺である。そんなレスト伯を忌々しげに見つめるサムナー候。いい加減くたばれと思っている。
その後、会議の他の出席者からもあまりの暴挙に怒りの声が上がる。
「では、計画を現実に行うということでよいでしょうか?」
おおむね意見を出し尽くしたと判断したガストンが、とうとう我慢できずに声を出す。まともな案を出すこともなく感想ばかり言い合う爺どもに堪忍袋の緒が切れそうだった。
「よかろう!事ここに至れば、我らも本気を見せようぞ!」
気勢を上げるサムナー候。
「…致し方ありますまい。座して死を待つのは我慢しがたい」
渋々といった様子で、それでも賛同するボルドー候。
「さて?私としては皆様の結論に乗らせていただきます」
この期に及んで自分の意見を表明しないレスト伯に、全員がぶちぎれそうになる。だが我慢する。サムナー候の手の中でガラスの器にピシリとヒビが入った。
これ以上続けると自分のお気に入りのこの部屋が破壊されかねないと感じたガストンは、その場で決定する。
「では計画通り、我々は行動を起こしましょう。すべては王国のために」
「「「すべては王国のために」」」
「…といった具合です」
数時間後、王城西門付近。
そこは、公式には存在しないはずの空間だった。西門を出入りする者たちにはいざ籠城の時に門を塞ぐための障害物が積まれているようにしか見えない。城兵の大半もそう思い込み、実際に年に二度ほど門を封鎖する訓練を行っている。
だが、実際に障害物が積まれているのはその表の一部であり、その裏には幻影魔法で隠された小さな庭園が存在していた。
城内の他の庭園とは一切かかわらない住み込みの庭師に整えられたそこは、城壁の陰ということもあり若干薄暗い印象を受けるが、明るい色の花壇の花々や瑞々しい木々のおかげで秘密の花園といった雰囲気を醸し出している。
今そこに、王都の政治事情をわずかなりとも知る人間が見れば卒倒するような光景が繰り広げられていた。
「まったく、年寄りのくせに血気ばかり盛んな馬鹿どもめ…、少しはおとなしくなればいいものを」
忌々しげに吐き捨てるのは、今のこの城の主であり、この国のすべてを背負う者。ヘンリー・イーシアその人だった。
普段玉座で静かに臣下の報告に耳を傾けている姿からは想像できないほど感情を露わにしている。
「そう言われますな陛下。それを言ったら我らもその血気盛んな馬鹿に含まれてしまいますぞ?」
そうかすかに笑いながら告げるのは、イーシアで貴族派の元締めを思われているジョン・テューダーその人だった。普段の頑固貴族の代名詞のようなしかめっ面を消し、いたずらっぽい表情を浮かべている。
「貴様もそうは思わんかね?」
「…自分にそのことを尋ねないでください…」
ため息交じりに答えるのは、先だって両者の会議に配下を送り込んでいた憲衛隊の総隊長である。青い制服が鮮やかである。
「大体、本当に馬鹿でないならこんなところで密会を開かないでください。魔道通信でも事足りるでしょうに。この警備の手間がどれだけ大変かわかっているんですか?」
相当失礼な口であり、下手をすれば無礼討ちされかねない発言だが、その苦労を知っているジョンは笑って何も言わない。実際、この密会のために憲衛隊は大変な苦労をしており、ここが視界に入りかねない部分の城壁の見回りを息のかかった者に変更し、周辺の狙撃スポットを虱潰しにして確保している。こんなことばかりやっているから、王都でもなんだか得体が知れないと嫌われるのだ。
この場にはヘンリーとジョンのそれぞれの年の近い長男も参加しており、今は庭の隅に広げた机でチェスを指している。
その時、ヘンリー王の口調が真剣なものになる。
「それより、そっちでは暴発しそうな奴は把握してるのか?」
「もちろんだ。サムナー候は怒り心頭だし、レスト伯は相変わらずの妖怪爺だ。どうせ分家の暴走とか言って失敗したら切り捨てる気だろう。うちの次男もイノシシだからな、同調している。他にも、叩くと埃がたっぷり出そうな奴らは乗り気だな」
そっちはどうだ?と聞き返すジョン。
「こちらも似たようなものだ。ただ、下級の役人の支持がどうなっているか判然とせん。下手をすれば職務放棄で対抗しかねん」
貴族派に比べ派閥が細分化している王権派は、人数ではその中心をなす下級役人の支持が判然とせず、派閥の全体像が誰にも把握できなくなっていた。
そこが懸念材料のように言うヘンリーに、ジョンがにやりと笑って言う。
「よく言う。どうせそいつらの職務放棄を見越して、平民の登用に道を開こうとしてるんだろ」
言い切られ苦笑するヘンリー。長年の陰の盟友はこちらの考えなどすべてお見通しだった。
「そうならないことを祈っているが、起こった時に備えるのもまた重要だ」
「本当によく言う」
「ただ、あの術式を設置するような度胸のある奴はいないな」
その言葉に、場の空気が凍りつく。
「…なんだと?お前のところの馬鹿じゃないのか」
「…まさか、そちらでもないのか…?」
両者の間では頻繁に秘匿通信がやり取りされている。その予告がなかったため両者ともおかしいとは思っていたが、いよいよ事態は深刻になりつつあった。
「…国内で争う分には、多少のガス抜きもかねていいとは思っていたが…」
「国外からの介入はさすがにまずいな…」
即座に王の表情をつくったヘンリーが、憲衛隊総隊長命じる。
「不穏な動きを示す国外の勢力をピックアップしろ。状況によっては密偵を送っても構わん。ただし、証拠は残すな」
「御意」
そのまま総隊長は魔法で強化された脚力で、一瞬で城壁の上まで上がり、そのまま消えた。
「…解決を速める必要があるな」
「その通りだな」
二人はうなずき、予定より早く密会を終えた。
だが、事態は二人の予想をはるかに上回る速度で進んでいた。
独立後のイーシアで最大の政治危機、王都騒乱まで一週間を切っていた。
その頃、イースから北方に伸びるドラク山脈の西側に沿って建設されている西ドラク街道を、サクヤ達は徒歩で進んでいた。本当は飛行術式で時間短縮を主張したアケミだが、数々の精神的ショックを乗り越え隊長に復帰したサクヤが、時には徒歩浸透突破の訓練も必要だと主張してこうなっていた。ただ、その目はどう見ても訓練中ではなく周囲の草原の草花に魅入られており、完全にハイキング気分である。基本的に密林地帯や極寒の冬山といった大部隊の展開が不可能な地点に派遣されていたので、この光景が珍しいのだ。なにしろ密林では目を開けていたらブヨの大群が黒目めがけて突っ込んでくるし、冬山では目の表面に氷が張りかねない。
その時、長い杖を突きつつ歩いていたサキが、クシュンと小さなくしゃみをした。
「どうしたの?サキがくしゃみなんて珍しいわね」
「…きっと誰かが噂している…」
声をかけたアケミに、冗談で答えるサキ。サキが冗談を言うなど珍しいので一瞬あっけにとられるも、すぐに笑い出すアケミ。
「きっとかわいい子がいたなって噂してるのよ」
そういいながらアケミが頭をなでると、少し嬉しそうな表情になるサキ。
一行は気が付かない。まさかその時すでに視界から消えているイースの王城内で本当にサキに関する話がされていたなど。
彼らがアケミの捕縛用に配置したトラップ群は、完全に製作者たちに忘れられながら、イーシアに大騒動を起こそうとしていた。