表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/53

第九話 「ひとりの夜に、ふたりの影を思う」

目を覚ましたのは、いつもよりも少し早い朝だった。


窓の隙間から差し込む光が、枕元を白く染めていた。


目を閉じれば、あの夜のことがすぐに蘇る。


 


──彼女が倒れた夜。

──自分が何もできなかったこと。

──それでも、そばにいたこと。


 


「……雪村さん……」


 


寝癖のついた髪をかき上げながら、悠真はベッドからゆっくりと起き上がった。


冷たい床に足をつけると、背筋に少しだけ震えが走る。


 


キッチンに立ち、湯を沸かす。


ティーバッグをマグに落として、ただぼんやりとその蒸気を見つめた。


 


部屋には、生活感がほとんどない。


参考書が整然と並ぶ本棚。必要最低限の家具。


壁にかかった時計の音だけが、時間の流れを告げていた。


 


悠真は、誰かと騒ぐのが苦手だった。


無理に笑うのも、表面だけの会話を繋ぐのも、得意じゃなかった。



 


そんな彼が、「あの人」のことを思い出す。

名前を知ったばかりの、雪村遥。


悠真の中にあった“静寂”の中に、少しずつ入り込んでくる存在。


 


──どうしてだろう。

──ただの客と店員だったはずなのに。


 


あの夜、泣きそうな声で「ここにいて」と言った彼女の姿が、何度も脳裏に浮かんだ。


そして、それに対して何もできなかった自分。


彼女の手を握って、ただ黙って座っていることしかできなかった自分。


 


「……弱いな、俺」


 


苦笑いして、紅茶を一口。


微かな渋みと温かさが、喉を通ってゆく。


 


ふと、スマホを手に取った。


カレンダーに表示された今日は、日曜日。


彼女は今日、店に立っているだろうか。


それとも──まだ、休んでいるのか。


 


気づけば、悠真の足は玄関の靴に向かっていた。


 


部屋着を脱ぎ、少しだけ整えた私服を身にまとって。


それは、誰に見せるわけでもない小さな準備だった。


 


ドアを開ける。


春の風が、頬を撫でていった。


 


まるで、どこかへ導かれるように。


悠真は、あの店へと向かって歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ