第四十二話「恋という名前の影」
歩道に長く影が落ちている。
傾き始めた日差しが、並んで歩くふたりの輪郭を淡く浮かび上がらせていた。
カフェを後にし、川沿いの遊歩道に出たふたりは、歩く速度を自然と落としていた。
「いい景色ですね」
遥がぽつりと口にする。
悠真は頷き、歩調を合わせるように隣に立つ彼女の横顔を見た。
「……遥ちゃんは、恋って、どういうものだと思いますか?」
突然の問いかけに、遥は足を止めた。
「え?」
「いや、変なことを聞いてすみません。ただ、なんとなく……。こうして旅なんかしてると、ふと考えてしまって」
遥は驚いたような表情のまま、しばらく言葉を探していた。
そして、少しだけ俯いてから静かに答えた。
「……怖いもの、だと思ってました。誰かを本気で想うって、全部を委ねるようで。壊れるかもしれないって、ずっと思ってたから」
「壊れる、ですか」
「うん。小さい頃、家族のことがあって……そのとき、信じてたものがあっけなく消えるってこと、知ってしまったからかもしれません」
川面に映る光が揺れる。
その揺れが、遥の声の震えと重なった気がして、悠真は言葉を選んだ。
「僕も似たようなものです。信じるより、諦める方が楽なときがある。でも、もし……その怖さを一緒に持ってくれる誰かがいたら、違うのかもしれませんね」
遥は小さく笑った。
それはどこか照れたようで、でも、あたたかかった。
「……悠真さんって、やっぱり優しい人ですね」
「そうですかね。誤解されやすいとも言われますけど」
「誤解?」
「感情が顔に出にくいみたいで。あんまり興味なさそうとか、冷たいとか」
「ふふ、わかる気がします。でも私は……わかるようになってきましたよ。悠真さんの表情」
その言葉に、悠真はふと視線を逸らした。
照れを隠すように、軽く咳払いをする。
「遥ちゃんは、恋をしたらどうなると思います?」
「どう、って……」
「人って、恋をすると変わるって言うじゃないですか。たとえば、いつもより頑張れるとか、弱くなるとか」
遥は少しだけ歩を進めて、ふと立ち止まった。
「……私、恋をしたら、臆病になると思います」
「臆病に?」
「好きになればなるほど、その人を失うのが怖くなる。……大事に思うほど、何もできなくなってしまうんです」
その静かな告白に、悠真は答えなかった。
代わりに、そっと隣に並び、同じ景色を見た。
川の向こうで、風に吹かれて揺れる白い小さな花が咲いていた。
しばらくの沈黙。
けれどその沈黙は、どこかやわらかく、優しかった。
「……少し、歩きませんか。また」
「はい」
ふたりはまた歩き出した。
言葉は少なかったが、互いの中に何かが静かに芽吹いたような感覚だけが残った。
そして、次の角を曲がった先――
遥が不意に笑いながら口を開いた。
「ねえ、悠真さん。さっきの質問、今度は私からしますね。悠真さんは、恋をしたらどうなる人ですか?」
その問いに、悠真は少しだけ考えてから――
「……多分、すごく分かりやすくなります。たぶん、周りにもすぐバレる」
「へえ、意外ですね」
「遥ちゃんには……もう少し時間がかかっても、気づいてもらえたら嬉しいなって、思いますけど」
遥は一瞬立ち止まり、振り返る。
そして、ふっと笑った。
「……そういうところ、ずるいです」
照れ隠しのように言って、ふたりはまた歩き出した。
空には、夕暮れが静かに差し始めていた。




