第二十八話「秘密の輪郭」
カフェの扉が閉まると、微かな鈴の音が店内に残響した。
「ありがとうございましたー」
自動的に出た接客用の声が、思った以上に空虚に響いて、遥は自分の中にぽつりと生まれた違和感に気づく。
亮が残していった言葉――「東雲は、絶対知らないぞそれ」。
カウンターに戻ると、遥はエプロンのポケットに手を入れたまま、壁の時計をぼんやりと見つめた。
昼の忙しさが過ぎ、夕方までの束の間の静けさ。窓の外から射し込む光が、床のタイルに斜めの模様を描いている。
誰もいない時間、誰にも見られていない場所で、ようやく自分の気持ちをゆっくりと見つめられる。
「十七、はやっぱダメかぁ……」
自分の口からこぼれたその言葉に、遥は胸の奥が少し痛むのを感じた。
東雲悠真が、自分の年齢を知らないままでいてくれたら――そう思ったことがある。
けれど、知ってほしいとも思っている。
この曖昧で矛盾した想いは、一体どこから来るのだろう。
(もし、東雲さんがそれを知ったら……)
今のように話してくれるだろうか。
今のように、そばにいてくれるだろうか。
彼が誰よりも優しく、そして真っ直ぐな人間であることは、遥が一番知っている。だからこそ、彼が悩んでしまうのではないかと不安になる。
亮の言葉は、まっすぐにその核心を突いていた。
(……でも、隠していたいわけじゃない)
ただ、“知られた時にどうなるか”が怖いのだ。
関係が変わること、距離を置かれること――それは、遥にとって恐怖だった。
かつて誰にも頼れなかった自分を、初めて“見つけてくれた”人。
それが、東雲悠真だった。
ふと、ポケットの中で手が触れた小さな紙片を取り出す。亮が去るときに残していったレシートだ。何も書いていないはずのそれを、遥はなんとなく手の中で裏返す。
――そこに、ボールペンで小さく書かれた文字を見つけた。
《伝えたいことは、ちゃんと伝えないと後悔するぞ。》
思わず息をのむ。彼は、あえて残したのだ。
その優しさに触れた瞬間、遥の胸の奥にあった迷いが、少しだけほどけた。
(ちゃんと、伝えよう)
それがいつになるのかはまだ分からない。
でも、心を閉ざしたままでは――きっと、本当に大切なものまで失ってしまう。
遥は小さくうなずいた。そしてもう一度、レシートを胸ポケットにしまうと、窓の外を見やった。
今日も、空は高く、まぶしかった。




