第二十三話「影に差す陽」
カラン、と軽やかな音がして、扉が閉じた。
午後の陽射しが、街の喧騒を柔らかく切り取っている。
「……相変わらず、静かな店だな」
そう呟いて、篠崎亮は奥のテーブルに腰を下ろす。斜向かいには、いつものカフェラテを手にした東雲悠真。
「いや、お前がそういうの落ち着くって言ってたからさ。連れてきて正解だっただろ」
言葉の端に、どこか誇らしげな響きが混ざっている。
亮は苦笑しながら、カップに口をつけた。
この店に来るのは、これで三度目だった。
一度目は、ただ付き合いで。
二度目は、何となく気になって。
そして今日――
それはきっと、「興味」が理由だった。
悠真が時折見せる曖昧な表情。
どこか遠くを見るような目線。
そして、このカフェで働く少女――雪村遥という存在。
(あんな顔、大学じゃ見せねえくせに)
亮は心の中でそう呟いて、苦味の残るラテをもう一口すすった。
思えば、悠真のああいう表情は、自分も久しく見ていなかった気がする。
「お前、さ。あの子のこと……どう思ってんの?」
何気ない調子で聞いたつもりだった。
でも、悠真の手がほんの少し止まる。
「……どうって、別に。知り合い、かな」
「へぇ。ならさ、何であんなに気にしてんの? 今日だって、体調どうかなって、そわそわしてたじゃん」
悠真は答えなかった。
沈黙は、まるで氷が水面に落ちるように静かに広がった。
(ああ、やっぱり。気づいてないだけだな)
亮はそう確信する。
――だが、それを言葉にはしない。
悠真は、鈍いようでいて、繊細だ。
そして彼自身が、その「繊細さ」によって過去に何かを失ったのだということを、亮はうっすらと知っていた。
「……ま、いいけどな。お前がそうやって、誰かに目を向けられるなら」
カップを置いた亮は、ふと視線を上げた。
カウンター越しに、遥がこちらを見ていた。笑顔ではないが、確かにそこに「気配」はあった。
それが、妙に優しく見えた。
(……まったく。惚れたもん負けってやつか?)
自分の中に、ほんの僅かに沈殿していた疑問が、ゆるやかに輪郭を溶かしていく。
――何を心配してたんだ、俺は。
「亮」
不意に呼ばれて、顔を上げる。
悠真の声に、迷いはなかった。
「ありがとな。お前が、時々強引に引っ張ってくれるから、俺……助かってる」
その言葉に、亮は笑った。
「……そりゃどうも。けど俺はただ、お前が面白がると思ったから来てんだよ。ありがたがられても困るっての」
そして、視線をもう一度カウンターへと戻す。
遥はちょうど別の客に対応していて、こちらには気づいていない。
でも、亮は知っている。
このカフェに流れる空気の中で、少しずつ、何かが変わり始めていることを。
それは悠真の内側であり、遥の心でもあり、
そして――彼自身の中にも芽生えた、小さな「何か」。
それが何かを知るには、もう少し時間が必要だろう。
(……それでも、見届けてやるさ)
亮はそう心に決めて、もう一度コーヒーカップを口にした。




