第十一話 「言葉にしないものを、隣で見ていた」
月曜の午後。
大学のキャンパスには、どこか緩んだ空気が流れていた。
午前の講義を終え、悠真は学食の片隅でノートPCを広げていた。
「よぉ、また一人で静かにやってるな、東雲」
そう声をかけてきたのは、同じゼミに所属する篠崎亮。
背は高く、飄々とした性格で、誰とでも自然に距離を詰められる男だった。
「課題の進み具合、見せてもらってもいい?」
「……珍しく素直だな」
「いや、珍しくないって。お前のやつ見たあとで形だけ真似して、毎回ギリ単取ってんだから。感謝してます、マジで」
そう言って向かいに座り、カップ麺の蓋を開ける。
亮は適当なようでいて、鋭いところに気づく人間だった。
「最近、なんか雰囲気変わったな。東雲」
「は?」
「いや、ちょっとだけ顔が柔らかくなったっていうか。……誰かと仲良くなったとか?」
悠真は、手を止めた。
──雪村遥のことが、ふと脳裏に浮かぶ。
「……別に」
「ふーん。じゃあ聞き方変えようか。最近、同じカフェに毎週通ってない?」
悠真の目が少しだけ見開かれたのを、亮は見逃さない。
「俺さ、ちょっと前にそのカフェ行ったんだよ。『ラ・カンパネラ』ってとこ。静かでいい感じの店だったけど──」
亮はカップをかき混ぜながら、興味深そうに続けた。
「そこの店員さん、すっごい美人だったな。なんか……ちょっと儚げな感じで。あれ、タイプだろ?」
「別に、そういうのじゃない」
即答する悠真。
しかしその反応は、亮にとっては十分な確信材料だった。
「そうかそうか。じゃあ“そういうの”になる前に、俺が行ってみようかな」
「……やめろ」
亮はニヤッと笑って、満足そうに箸を口へ運んだ。
「冗談だよ。お前、いつも他人には壁作ってるのに……そうやって誰かを本気で守ろうとしたり、気にかけてる顔するの、案外似合ってるぞ」
その言葉に、悠真は答えなかった。
けれど、彼の胸の奥には確かに何かが残っていた。
──倒れた夜、震える声で「ここにいて」と言った彼女。
──名前を呼んだとき、少し照れたように笑った彼女。
あれは、誰にでも見せる表情じゃなかったはずだ。
でも、自分がそれを受け止める資格があるのかもわからない。
「……難しいよな、他人って」
ぽつりと漏らした言葉を、亮は珍しく真面目な表情で受け止めていた。
「……でもな、東雲」
「うん?」
「誰かの隣にいようとするのって、資格とかじゃなくて、ただの“選択”だと思うぞ」
悠真は、その言葉を噛み締めながら、窓の外へ視線を移した。
春の風に揺れる木々。その向こうに、彼女の姿が浮かぶようだった。