第八章 マーマーンの湿地帯
南門の基地、執務室。私とサヴィタは地図を広げ、モルスカヤの遺体を前に作戦を練っていた。部屋には魚の生臭い匂いが漂い、窓の外では夜風が砂塵を運んでいる。私が地図の端を指で叩きながら口を開いた。
「マーマーンの『大いなる狩場』は、おそらく西門から北西に広がる湿地帯だ。そこから『ライオンが涙を流す場所』への移動経路を特定できれば、オスプレイの着陸地点が絞れる。」
サヴィタが腕を組んで頷いた。「湿地帯か…マーマーン族の縄張りだな。だが、『ライオンが涙を流す場所』とは何だ?比喩か、実在する地名か?」
私が首を振った。「マーマーン語は詩的で曖昧だ。私が知る限り、ライオンは彼らの文化に出てこない。湿地にライオンはいないしね。涙を流すってのが鍵だ。滝か泉、もしくは人工物かもしれない。」
「人工物なら西門の連中が作った何かか?」サヴィタが目を細めた。
「可能性はある。モルスカヤの遺言にあった『空から見た森』と合わせると、高台か崖の近くに人工的な水源がある場所だろう。まずはマーマーン族に会って、狩場の正確な位置とこの『ライオン』の意味を聞くしかない。」
サヴィタが地図に目を落とし、指で湿地帯をなぞった。「危険な賭けだ。マーマーン族は我々を歓迎しないだろう。特に遺体を連れて行けば。」
「遺体は敬意の証だ。モルスカヤは戦士だ。彼らの文化じゃ、死者を故郷の海に返すのは名誉な行為だ。シーニー・シェストに会えれば、交渉の足がかりになる。」私が決意を込めて言った。
「わかった。では準備を急ごう。遺体を運ぶジープと護衛をどうする?」
「私のカスク中隊からエリカとアヤを連れて行く。サヴィタは捜索隊から2人選んでくれ。軽装で機動力優先だ。武装はライフルとハンドガン、近接用にナイフも。湿地じゃ重装備は足手まといだ。」
「了解した。出発は夜明けだ。」サヴィタが頷き、無線で部下に指示を出し始めた。
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翌朝、薄暗い空の下で車列が南門を出発した。ジープ2台に分乗し、モルスカヤの遺体は防水シートに包まれて後部座席に安置されている。私は先頭ジープの助手席に座り、エリカが運転。アヤが後部でライフルを構え、周囲を警戒している。サヴィタは2台目のジープに乗っている。
インドの荒野を抜け、湿地帯に近づくにつれ、空気が湿り気を帯び、泥と腐った植物の匂いが漂い始めた。遠くで鳥の鳴き声が響き、地面はぬかるんでタイヤが滑る。エリカがハンドルを握りながら呟いた。
「隊長、この辺気持ち悪いっすね。なんか出そう。」
「出るよ。マーマーン族以外にも変なミュータントがうろついてる。両目を開けてなさい。」私が窓の外を見ながら答えた。
「でっっっかいミュータントとか出たらどうすりゃいいっすか?」エリカが冗談交じりに聞いてきた。
「簡単よ。片目をつぶって、スコープで口か目を狙いなさい。」
「じゃあ、幽霊がでたら?」エリカがニヤニヤしながら聞いてきたので、私は至って真面目な顔をして答えてやることにした。「その時は…」私は少し考える素振りをしながら「もう片方の目も閉じなさい。」エリカが堪らず笑い始めた。まったく。賢く戦いじっと耐えた者にだけ、勝利の女神は微笑むというのに。
エリカの冗談に付き合っていると、アヤが後ろから口を挟んだ。「隊長、マーマーンって襲ってくるんですか?遺体持ってくのに敵対されたらやばくないですか?」
「敵対するかはシーニー次第だ。私が話をつける。でも、襲われたら即応して。命は一つしかないんだから。」
車列が湿地帯の奥に進むと、水辺に魚のような鱗を持つ影がちらりと見えた。マーマーン族の斥候だ。私がエリカに指示した。「停まれ!周囲を警戒!私が降りる。」
ジープが止まり、私が泥に足を踏み入れた。サヴィタも降りて隣に並び、周囲を警戒しながら私を見守る。私がマーマーン語で大声を上げた。
«Я Лейна! Синий Шестойに会いに来た! この死者を返すために来たんだ!(私だ!レイナだ!青の6号に会いに来た!この死者を返すために来た!)»
しばらく静寂が続き、水面が揺れた。すると、湿地の奥から青い鱗に覆われたシーニー・シェストが姿を現した。貝殻と海藻が絡んだ体、棍棒を手に持つ姿は威圧的だ。背後に数人のマーマーン戦士が続き、弓と槍を構えている。シーニーが魚面を歪めて応じた。
«Лейна… Ты принесла мертвого воина?(レイナ…死んだ戦士を連れてきたのか?)»
「あぁ。海蘊の17号だ。彼は英雄的に死んだ。彼はロザーナを連れ去った奴らから一人、情報を持ち帰ってきた。あいにく彼は息を引き取ってしまったが、彼の死に敬意を評して故郷に連れてきた。」
シーニーが一歩近づき、私を睨んだ。
«Гьяо… Почему ты здесь? Городские хотят чего-то?(モルスカヤ…確かに我らの戦士だ。ロザーナの側にいた。それだけか?»
「協力だ。モルスカヤが死に際に言った。空飛ぶ乗り物にロザーナとプリンが攫われた。都市の男も攫われてる。共通の敵がいるんだ。」
シーニーが棍棒を地面に叩きつけ、唸った。
«Я же сказал, что это наша(我らの戦争だと言ったはずだ!)»
「知ってる。だが、敵を知る手がかりが欲しいだけだ。『ライオンが涙を流す場所』ってどこだ?モルスカヤはそこから来たと言った。」
シーニーが黙り込み、魚面が微かに震えた。
«…«Из великого охотничьего угодья прямо на северо-запад стоит каменный зверь, из глаз которого текут слёзы. Это то, что люди называют львом, — статуя. Давным-давно наши братья, что подошли слишком близко, были схвачены и сожраны чудовищем, живущим там. Сотни наших братьев. Это чудовище живёт уже сотни лет… Проклятое место.(大いなる狩場から真っ直ぐ北西に、目から水を流す石の獣が立っている。人間たちがライオンと呼ぶ像だ。昔そこに近づきすぎた同胞が、そこに住みつく化物に捕まり食われた。数百の、同胞が。その化物はもう何百年と生きている。……呪われた場所だ。»
「何か…何だ?」私が聞き返した。
«Не понимаю. Это что-то, чего боимся даже мы. Если хочешь идти — иди сам. Помогать не будем.(わからない。俺たちも恐れる何かだ。お前が行くなら勝手に行け。協力はしない。)»
私が一歩踏み込んだ。「頼むよ。協力してくれれば、敵の拠点がわかる。私達の共通の敵だよ。」
«Рейна Испытаний, мы уважаем тебя. Но это наша битва. Не вмешивайся больше.(試練のレイナ、お前には敬意を示す。だがこれは俺たちの戦だ。これ以上関わるな。)»
シーニーが背を向け、戦士たちを率いて湿地に消えた。マーマーンの気配が消え、あたりが再び静寂に包まれた。私はサヴィタに振り返った。
「北西だ。そこにあるライオンの像が目から水を流してるらしい。そこに何か住んでるって。マーマーンが恐れる何かだ。」
サヴィタが眉を寄せた。「何か、か。厄介な存在なら慎重にいかなくちゃな。オスプレイの経路を追うにはそこに行くしかない。」
「そうだね。基地に戻って準備しよう。監視カメラとドローンで動きを追うよ。」私が頷き、ジープに戻るよう指示を出した。 「あのマーマーンを襲い続ける長寿のバケモノ…か…」彼女はそう呟き、まだ見ぬバケモノの存在の脅威を再認識した。
シーニーは、私達に背を向け立ち去る時、私たちに気づかれないよう、こっそりと部下に命じていた。
«Следи за движениями Рейны и её людей. Если она и её люди приблизятся к врагу, нам нужно это знать ради нас самих.(レイナたちの動きを見張れ。敵に近づくなら、我々のためにも知っておく必要がある。)»
静かに群れから数匹のマーマーン戦士が離れ、湿地の影に潜み、私たちの車列を遠くから監視し始めた。
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