【パート1】第一章 境界線の呼び声
第三次世界大戦が世界を焼き尽くし、男性の出生率が壊滅的に低下した未来。生き残った人類は8つの都市に拠点を築き、壁の外の脅威から身を守るため鉄壁の防衛線を張る。都市の中央では近未来的な技術が秩序を支えるが、その境界線で戦う者たちには休息はない。レイナ中尉は、南門を守る防衛隊の一員として、仲間と共に過酷な任務に身を投じる。ある日、都市内で若い男性が次々と消える異常事態が発生。混乱を避けるため情報は秘され、彼女に極秘任務が下される——壁の外に運ばれた被害者を救え。信頼する仲間を率い、危険な荒野へ踏み出した彼女を待ち受けるのは、裏切りと陰謀の渦だった。都市の安全と壁の外の混沌、その狭間で彼女が見つけたのは、仲間との絆と自らの信念。戦いの果てに真相が明らかになった時、新たな脅威の影が忍び寄る。
都市中央の指揮所は、冷たい金属と埃っぽい風が混じる場所だった。壁の外から吹き込む砂塵が窓枠に積もり、監視塔の明かりが薄暗く揺れている。私はジープの助手席に腰を下ろし、窓の外を眺めながら深呼吸した。頭の中では前世の記憶と、先程指揮所での上司との会話内容。部下が運転するジープがわたしの監督する基地に近づくにつれ、頭の中で上官の声が反響する。
「特別な任務だ、レイナ中尉。貴官にしかできない仕事だ。」
そう言われたのは、ほんの30分前のことだ。
指揮所の扉をノックすると、低い声が響いた。「入れ。」
「失礼します」私は背筋を伸ばして中へ進み、入り口で敬礼した。部屋の中央に立つマリカ中佐がこちらを見据えている。40代後半のインド系女性だ。短く切り揃えられた黒髪が、鋭い目つきと相まって厳格な印象を与える。彼女は私を見返すと軽く頷き、敬礼を返した。
「座ってくれ」マリカはテーブルの向こうの椅子を指差した。
私は腰を下ろし、金髪を軽く整えながら彼女の言葉を待った。21歳の私には、この重苦しい空気がまだ慣れない。白人の血を引く私の金髪と青い目は、このスワヒリ語が響き渡る都市で少し浮いているように思える。だが、マリカはそんな私の出自を気にしたことはない。彼女は私の数少ない理解者の一人でもある。
「貴官を呼んだのはほかでもない。ある特別な任務に就いてもらうためだ。」マリカが切り出した。
私は眉を軽く上げて先を促した。
「現在、都市では若い男性の拉致事件が3件発生している。混乱を避けるため情報規制が敷かれているから、まだ公には知られていない。貴官も知らなかっただろう。」
「はい、初耳です。」私の声は平静を保っていたが、内心では驚きが広がっていた。男性が拉致されるなんて、この都市では考えられない事態だ。
「上層部はこの事態を重く見て、調査チームを立ち上げた。すると、どうやら拉致被害者たちは都市の外に運び出されているらしい。」
「杜撰な管理ですね。」私は思わず漏らした。都市は外からの侵入に対しては異常なほど厳重だが、出ていくものには無関心だ。物資中抜きが横行するのもそのせいだろう。しかし、なぜ危険な都市の外へと連れ出した?
マリカは苦笑いを浮かべた。「まぁな。今回の事件でさすがに気を引き締めるだろうが、都市内の人間が貴重な男性を外に出すなんて誰も想像できなかった。私は危機管理センターの連中に同情しているよ。…話が逸れたな。」
彼女は咳払いをして姿勢を正した。
「で、だ。貴官の指揮する南門防衛カスク中隊は、都市の境界を守る4つの部隊の中で唯一、壁の外の住人や一部のミュータントと友好的な交流を維持できている部隊だ。都市の外に運び出された男性の捜索に、君の部隊の力を必要としている。」
私は顔をしかめた。都市の外の環境は極めて危険だ。一般人が外に出て、生きている保証などないに等しい。それに、この任務は私の隊が長年かけて築いた都市の外に住むコミュニティとの信頼を壊しかねない。
「協力してくれ。男性が攫われたんだ。うまく行けば貴官も妊娠権が得られるだろう。この都市では最大の名誉だ。」マリカは少し笑みをうかべてレイナに畳み掛けてくる。「これはそのための大きなポイント稼ぎになる。」さらにマリカは目を細めながら言った。冗談めかして聞こえるが、その目には私を案じているような優しさも感じられた。彼女の言うとおり、これは数少ないチャンスでもある。
「……上官。私はそのようなことに興味はありません。それに、上で目立つのも嫌いです。都市の連中は壁の外に対して差別意識が強い。我が隊が築いた友好関係を壊すリスクがあります。都市の防衛に重要なことです。」
私の声には少し熱がこもっていた。
「君の気持ちは理解している。君が男性に好意がないことも、昇進欲求がないことも。だが私は君が適任と判断した。」
「他の隊なら喜んでやるでしょう。」私は食い下がった。
「他の隊じゃだめだ!」マリカの声が鋭くなった。「自分で言っただろう。壁の外で暮らすコミュニティと、一部のミュータントと友好的な交流ができてるのは君の隊だけなんだ。壁の外の捜索だぞ?しらみ潰しに探すわけにはいかない。確実に捜査を進め、必ず救出しなければならない。そのためには壁の外のコミュニティのボスたちにも協力してもらわなきゃならん。…わかるだろう。この任務はお前たちが一番適任なんだ。捜索隊とコミュニティのボスの間に立って上手くまとめてやってくれ。」
これ以上突っぱねるとまずい。私は渋々頷いた。「…わかりました。それで?捜索隊のリーダーは話せる奴なんですか?」
「私も会ったことはない。彼女は壁の外に対する偏見は多少あるかもしれないが、私がほかの指揮官に聞いたところ、冷静で、分析力に長けており、男性に対する思想の強さも感じられないそうだ」
「都市への貢献心は?」
「捜索隊に自ら志願したんだぞ?ま、それなりにあるだろうな…」
「はぁ…業務は間違いなく支障を来しますよ。」私はため息をついた。わたしは職業軍人だ。誰が来ようと結局はやるしかないということは変わらない。
「そうならないようこちらも最大限バックアップするつもりだ。これを無事こなせば昇進できるぞ。」
「私は今の階級で十分であります。」
「じゃあ、一体何が望みだ?男もいらない、昇進による給料も欲しくない、生きててつまらなくはないのか?」
私は少し笑った。この世界で生きる者たちにとって何よりの名誉である妊娠権の獲得に、一切の興味を示さないのはさぞ異端に見えることだろう。「壁の外は刺激が強いのです。それに私には男より、私が鍛え、同じ死線をくぐり抜けた隊の仲間たちのほうが大事であります。…とにかく、捜査には協力しますが、私の意見は尊重するように上官からも捜索隊のリーダーに言い含めてください。迅速に捜査を進めたいのであれば。」
「わかった。…協力に感謝する。データで資料を送る。わかってると思うがこの任務は極秘だ。貴官の部隊メンバー以外の誰にも漏らすな。捜索隊のメンバーには私が話をつける。下がってよし。」
「はっ、失礼します。」私は敬礼し、部屋を出た。
ジープに乗り込むと、部下のエリカが運転席から私を見た。金髪でウルフカットの白人女性で、若いが頼りになる奴だ。
「なんの用事だったんすか?」彼女が軽い調子で聞いてくる。
「喜べ、極秘任務だ。」私は投げやりに答えた。
「内容次第っすね。」
「ついたら詳しく話す。壁の外に出るぞ。武装をしっかり整備しておけ。」
「マジっすか。戦争ですか?」
私はチラリと窓の外に目をやると、出産は女性最大の幸福であり名誉だと謳う看板が目に入る。都市の上空にはドローンが飛び交い、街頭テレビからは男性を支え、男性に奉仕せよと宣伝が流れている。車窓から見る未来の都市の光景に、マリカ中佐の言葉を思い出し、それが余計に今後のことを考えてさせて、思わずため息をついた。
「そうならないように動くんだよ…はぁ……」
「なんか面倒くさそうな任務っすね。」
「主に俺だけな。お前たちは普段通りでいい。てか普段通りにしてろ。とにかく壁の外の友好を崩したくない。」
「了解っす。」エリカが笑いながらアクセルを踏んだ。
ジープの窓から見える景色には、忙しそうに働く女性の姿ばかりで、男性の姿は一人も見当たらない。それもそのはず。この車窓の外に広がる光景は、第三次世界大戦の爪痕だ。かつての大国、アメリカ、ロシア、中国は崩壊し、インドが新たな覇権を握った。未来ではスワヒリ語が公用語となり、英語や中国語、日本語なんてのはもはや忘れ去られた過去の遺物だ。戦争で使われた生体兵器が生態系を破壊し、男性の出生率は1/10000にまで落ち込んだ。今や都市は男性を保護し、政府が妊娠と出産を管理する異常な社会だ。だが、私はそんな都市の価値観に馴染めない。私の記憶の奥には、前世の科学者としての記憶がはっきりと残っている。崩壊前の世界を知るものとして、この息苦しい世界はたまらなく窮屈だ。
防壁に到着すると、私は監視塔の基地に部下たちを集めた。
「隊長。場合によっては奥深くにも行くんですか?」部下の一人、アヤが口を開いた。
「奥深くだろうな。手前で終わるわけがない。都市内部の犯罪組織とつるんでる連中となると、すぐ近くのグループはそんな事をする連中じゃない。」
「あたし達はどこまで協力すればいいんですか?」もう一人のリサが続く。
「協力の範囲は後で取り決める。…捜索隊が暴走して壁の外の連中を皆殺しにするかもしれんし、挑発して逆に皆殺しにされるかもしれん。どう転んでも鉄火場だ。命を2つ用意しとけ。」
「捜査に協力したらあたし達も妊娠のチャンスって貰えるんですか?」ミナが目を輝かせて聞いてきた。
「…あー妊娠かぁ、成功報酬として少佐に頼んでおいてやる。それでお前たちの士気が上がるなら安いもんだ。」
私は一つずつ答えた。
部下たちの反応を見ながら、私はこの隊の絆を再確認した。彼女たちは私を信じ、私は彼女たちを守る。それが私の生きる理由だ。
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パート1は24章で完結します。
現在パート2を執筆中。