努力は己の為じゃなく
お寒い中お読み頂き有難う御座います。
家に帰ってもサッパリしませんね…。
「……起きてらしてたんですか、伯爵」
「お祖母様とお呼びなさいイゼロ。ああ、明後日お見合いなさい」
温かな気持ちで帰宅しても、イゼロの自宅は北の深海の底。本当は多少なりとも温かい地上で寮生活を送りたかった。
だが、無駄に深海の中でも高位貴族な為、自家用の高速潜水艇が有る。運転手も待機室で待ち構えているので、嫌でも毎日家に帰るしか無い。勿論、今日もだ。
しかも、今日は眼光鋭い祖母が待ち構えていた。しかも、面倒事を態々携えて。
ブクブク膨れて体の調子が悪いなら、大人しく寝込んでいればいいのに。
最早水圧に耐えられないから、買い物をしに水面にも上がれない。
偉ぶれる場所で、暇だから。要らないことしかしないのだ。
「先日、子爵家のお嬢さんと設けて頂いた席では、俺の顔を見るなり席を立たれましたばかりです。随分と早いですね」
「あの小娘は、我が優秀な孫の価値の分からない慮外者でした。
全く、異種族の見目ばかりに惑わされて最近の娘ときたら……。
高貴なる同族婚を避けるだなんて、本当に嘆かわしい」
貴女の娘は同族婚どころか、顔だけの父親にかまけきりで出奔したんだがな、とはイゼロは口に出さなかった。
図星を指してやりたいものの、祖母の金切り声は深海中に響き渡る喧しさだ。この夕方ではご近所迷惑だし、余り激昂されたくもない。
「私のように立派な雌の、賢い伴侶となるのですよ」
「……はあ」
母も嫌だったが、祖母の雌のアンコウらしい複数の同族の雄を無理矢理娶る習性も、イゼロの気に障る。
流石に、本来のアンコウの様に体内に取り込んではいないが、『祖父達』の生命力を喰らって生きている様は気持ち悪かった。
今日連れている『祖父』も顔色が悪い。一昨年ひとり亡くなった『祖父』は殆どの骨が劣化していたと聞く。長く生きている方の彼もそう長くはないだろう。
「……」
真っ黒い瞳から視線を感じて見つめると、ふい、と顔を逸らされた。
恰幅の良い祖母の影に隠れて、まるで千切れた海藻のように揺らいでいる。
因みに窓の外は景色も殺風景で、この辺の深海にあまり海藻はない。骨のように色のない珊瑚くらいだ。
「ジェームズ、イゼロは貴男によく似ているわね。賢く、妻の為に尽くせる殿方になるわ」
「……、……」
掠れた祖父の声は聴き取れなかった。誰を侍らせていても、何時もそうだ。それを祖母は満足そうに当然と受け止めている。
この家で婿に発言権など無いに等しい。
「それにしても今日は遅かったわね」
「先週休んだ際の追試を受けておりました」
「そう、満点ね」
それ以外は認めない癖に、と呟くことすら諦めて来た。意味がないからだ。
どんなに努力しても、イゼロは伯爵家を継ぐことなく、家の為に使われる。イゼロの嫁が、権力を振るう家になる。
いずれはこの冷たいばかりの深海で、何処ぞの雌の為に、家の為に朽ちていく人生に、どんどん心は冷えていった。
「お前が雌であれば良かったのに……。イゼラは本当に情けない子」
数多と聞かされた言葉は、砂よりも小さく無視して良いもの聞き流し、それでも。心を擦り、削っていく。
旅に出たい。温かい陸に上ってみたい。シャーゴンや、バッサバサはどうだろうか。ココホレハマレでもいい。他にも国は有ると聞く。
醜い自分を置いて、父親に似た妹を連れて逃げたひとでなしのように。
異世界なので北の海に珊瑚の亜種がいます。海中なので、陸で言えばその辺の木的な扱いです。
イゼロは海の森林限界手前みたいな所に住んでいるイメージでご覧頂けると有り難く。
因みに、某国のオタク王太子妃はもっと底の出身です。