3. 根岸渡は嘲笑う
「今日も、姫と一緒に帰ったんでしょ」
不意に夏海が聞いてきた。
夜のランニング中の事だ。
俺は、頷きで返した。
夏海は、弥生を『姫』と呼ぶ。
まあ、ニックネームみたいなもので、他の子達も『姫』と言っているのを聞いた事がある。
小さい頃は『弥っちん』って言っていたのに……。
いつの間にか、夏海の中でも『弥っちん』から『姫』になっていた。なぜって聞いたこともあるけど、「姫は姫だから」って、理由にもならない理由を言っていたのを覚えてる。
昔は、あんなに仲が良かったのに……。
今は仲が悪いという事じゃない。何かが違う。イヤ、何かが変わっている。
でも、確かに弥生は、『姫』って感じなんだよな。
ただ、俺の思う『姫』と、夏海の中の『姫』が違う感じがするのは、気の所為?
「あっ、悪い。いつもランニングコース変えようって言いながら忘れてた」
「あっ、ウチも忘れてた。明日から……だね」
視界の端にあるのは、黄色いテープを張り巡らされた家。根岸の家だ。
「仲良かったのか?」
「ううん、ただクラスが一緒ってだけ」
「ふうん」
こんな時、なんて返せば良いんだろう。『ご愁傷さま』も違う気がするし、『力を落とさないで』はもっと違う気がする。『大変だったね』かな?でも、もう『ふうん』って、言ってしまったしな。
「ちょっと待って!あれ、根岸くん?」
夏海が戸惑う声で、俺の手を取った。
小柄な男の子が根岸の家から出てくるのが見えた。
「間違いないよ。根岸くんだ」
夏海は根岸を追い、ランニングコースからズレ、中学校の裏手の方へ行く。
俺たちに全く気付いてない様子の根岸に、違和感を覚えながらも、俺も追走する。
「なぁ夏海、おかしくないか?」
「何が?」
「奴、歩いてないか?」
「そうだけど」
「俺たち、走ってるよな」
そう、根岸は歩いている。
俺と夏海は、走っているのに近付けない。二人共、足は早い方のはずだ。
個人的に根岸という子を知っているわけでないけど、明らかにおかしい。
中学校の裏で根岸を見失った。
人気のない路地。
こんな所があったのか?
俺もこの中学校に通っていたけど、知らない。
「あれ……何?」
夏海が指差した方向に、真っ黒い入口があった。
入口と言う表現が正しいのか分からない。
中学校の外塀に、洞窟の入口のような黒い丸があった。
ここから見ても、ちゃんと奥行きのある洞窟の入口。
「マ……マジックアート?」
んな訳あるか!自分でも突っ込みたくなる言葉に、夏海は「なるほどね」と、返してきた。
夏海に留まるよう言い、その洞窟に近付いていく。
確かに洞窟だ。奥行きがある。
その奥に、幽かな光が揺れている。
映画で観た、松明のような光。
そして、生臭いにおいが、女の喘ぎと悲鳴を伴って流れてきた。
──ギ‥‥シャ‥‥
ギ‥‥ギギ‥‥‥
シャシャ‥‥ギ‥‥
音……?
声……?
複数の何かが、ワラワラと洞窟の奥から出てくる。
「うわぁ!」
「睦兄」
幼児のサイズの生き物。
人型だけど、明らかに人ではない。
長い手、短すぎる足、大きな頭部。ギョロリとした目、頬まで裂けた口、尖った耳、額に小さな角。
ゴブリン…………?
漫画で見たゴブリンの姿。
ワラワラとこちらに歩いてくる。
「どうだい、僕の子供達だよ」
ビクッ!
不意に聞こえた背後からの声。
声は、背後から横を通り、前方、洞窟の前に立つ。
「根岸…………くん?」
「やあ、如月さん、久しぶり」
戯けたような根岸。
「君もさ、僕のお嫁さんにならないか?と、言っても、既に何人かいるんだけどね。あ、二人は食べちゃったかなぁ。死んじゃったからね」
「な、なんなんだ……お前は?」
頭の中が、まとまらない。疑問が恐怖に変わっていく。
「なんなんだって、なんだよお前は。僕の如月の男か?男なのか?」
激高。根岸は、器用に俺に向ける顔と夏海に向ける顔を切り替えている。
俺は夏海に視線を送る。
『僕の如月』というセリフを確認するためだ。
意図が伝わったのか、夏海は大きく首を横に振った。
「いや、すまない如月さん。怒ったりして怖かったね。でも、酷いよ。君は僕の物なのに、男を連れてくるなんて。さぁ、僕の手をとるんだよ。他の子達みたいに恐い思いしたくないでしょ」
「な、何を言ってんのよ、根岸。な、何があったの?」
「いやだなぁ、僕の王国に招待しようとしているだけじゃないか。って、まだ王国と言うには小さいかな?そうだ!如月さんと一緒に大きくしていけばいいんだ。僕が王様で、如月さんが女王様。民はゴブリンだけだけどさ、あっ、奴隷も居るかな」
根岸は、両手を大きく広げ、オーバーなアクションで夏海に手を差しだした。
夏海が手をとることはない。
「だから……何って言ってるの!」
「いやだなぁ、如月さん。僕は選ばれただけだよ。羽根にね」
「羽根?」
「そうさ、羽根さ!羽根が降ってきただろ。僕の中に羽根が溶け込んできたんだよ。僕は力を手に入れた。僕は選ばれた存在なんだよ」
「もしかして……家族を殺し……」
「そうさ、選ばれた僕に逆らったんだ──」
仕方ないだろうと、話す根岸の口は嘲笑っていた。
【昊ノ燈】です。
睦月と夏海が能力を得るきっかけとなった話です。
今回と次回が前後編みたいになってます。