10. 弥生は俺の嫁?
気が付いたら病院のベッドの上だった。
中天に差し掛かろうとする太陽の眩しさが、瞼を叩いた。
朦朧とした意識のまま、身体を起こそうとして、左手の鈍痛に驚く。
点滴?
点滴って、前腕にするんだ。肘の裏側と思ってた……。なんて、どうでもいい事が頭を過ぎる。
「起きた?」
ベッド脇から声がした。
「弥生?」
「『?』って何?睦ちゃんが心配で、学校も休んで御見舞している幼馴染に向かって」
怒った風に笑っている。
弥生の蕩けるような微笑みに、ドキッとしながらも周囲を見回す。
一人部屋。個室。
「あ、おばさんなら買い出しに行ってるよ。私のお昼ごはん」
「あ、ああ…………」
混乱している。
昨夜…………ゴブリンに…………。
「はっ、夏海は?」
「夏海ちゃんも入院してるわよ。大丈夫、睦ちゃんより軽傷だから。って、睦ちゃんは重傷患者なんだから、ちゃんと寝ててね」
「良かった……」
「良くない。もっと自分を大事にしなさい」
安堵する俺の顔を覗き込んでくる弥生。
「それにね、睦ちゃんは、いつでも夏海ちゃん、夏海ちゃんって、夏海ちゃんの事ばかり心配してる。こんなに可愛い幼馴染もここにいるんだけどな」
「い、いや、そんな、ゴメン」
「なんで謝るのかなぁ、なんか傷つくんですけど」
「ゴメン」
「だ・か・ら、なんで謝るの」
「「クスッ、ハハハ」」
「弥生の事も心配だよ。いつも大切にしたいって思ってる──それに、弥生は可愛いってより綺麗だ。んっ、いや、可愛くて綺麗か……」
「──…………ちょちょちょ、ちょっと、急にそんなのって…………反則……だよ」
顔を真っ赤にした弥生が、胸元を手で押した。
──ツッ!
「あっ、ゴメンね、ゴメンね、痛かった?大丈夫?」
弥生の長い髪が布団の上に広がっている。
吐息と吐息が触れ合う距離。
弥生って、こんなに睫毛が長かったんだ……。
今まで、家族同然に過ごしてきた妹のような存在が、自分と違う血が流れている事に気付いてしまう。
「弥生…………」
──ガチャ
「弥生ちゃん、お昼買ってきたよ~。おにぎりで良かった?────あら!あらあら」
母さんが入ってきた。
勘違いしている。
絶対に勘違いしているハズ。
「あらあらら、兄妹みたいだと思ってたのに。あららら、もう、まったく」
やっぱり、勘違いしてた。
「あらら、弥生ちゃんも、うちの馬鹿息子で良いの?弥生ちゃん程のべっぴんさんなら、もっと良い男掴まえられるわよ。おばさん的には有り、大有りなんだけどね。勿体ないわよ。あっ、ごめんなさいね〜、気付かなかったわ、出直してくるからね」
あ〜〜〜。
「母さん。違うから。出ていくな〜!ちょっと待ってよ」
焦る俺。
助けを求めようと、再び弥生に視線を戻す。
キョトンとした弥生の口角が悪戯っぽく上がるのが見えた。
「違うの?睦月」
あ〜、コテンと首を傾けるな。あざとい、あざとすぎる。ヤベッ、可愛いし、シャンプーの良い香りがするし。だ〜〜〜。
「って、睦月。あなた、起きてるじゃない。いつ目を覚ましたのよ」
母さん、貴女、今頃何を言っているのですか?重傷の息子が目を覚ました事よりも、今の状況の方が上だったのですか?今まで話してましたよね。
「ちょっと先生呼んでくるわ」
忙しなく病室から出ていく母。
「おばさん、相変わらずだね」
「弥生、絶対に勘違いされてるぞ」
ニコニコと見送る弥生に、ジト目で言うと、頬を膨らませながら、言葉を続けた。
「勘違いじゃなかったら?」
何も言えなくなった。
◇
昼過ぎ、医者の案内で入ってきたのは、二人の刑事だった。
「君が、桐山睦月くんかな」
背の高い方の男が声をかける。
二人共、にこやかそうな顔つきであるが、確実に怒らせると怖いタイプの人とわかる。サラリーマンと同じ様なスラックスに白いカッターシャツという服装なのに、詰まった肉が全く別の存在に感じさせたからだ。
「あっ、念の為」
そう言って取り出したのは、警察手帳。
うわぁ、本物だ。それが俺の心の声。まぁ、偽物でも分からないけど。
「はい」と返事をすると、転んだままでいいよと言いながら、ベッドに近付いてきた。
「でも、大変だったね。現代日本で矢に射られるなんて」
話すのは背の高い方ばかり、背の低い方はジッとこちらを見つめている。一見にこやかな目は、笑っていない。
「でね、その事について、ちょっと話を聞きたいんだけど、いいかな?」
『いいかな?』という強制に、頷きで応える。
「できたら、三人だけで話をさせて欲しいんだけど、え〜と、お母さん、よろしいですか?」
「あっ、はい」
母さんも、なんか緊張してる。
「それでと、君は?」
刑事が、弥生に問うた時、母さんが弥生の前に手を伸ばし、自信満々で応える。
「嫁です!」
「「「「えっ?」」」」
ちょちょちょっと、母さん、何を言うの?
ほら、皆、固まってるよ。
「それで、君は?」
あっ、刑事さん、無かったことにした。
「妻です!」
おい、弥生。
「あぁ、まぁ、お母さんに奥さん、ちょっと旦那さんと私達の三人だけで話をしてもよろしいですか?」
うわぁ、奥さん認定されたよ。
意外と刑事さんて、ノリが良いの?
母さんと弥生に続き、少し刑事と言葉を交わした医者が病室を出ると、背の低い方の刑事が窓辺に移動し、俺は二人の刑事に挟まれる形になった。
「念の為、もう一度名前を聞くよ。桐山睦月くんだね」
「はい」
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
「はい」
「そんなに怖いかな、俺」
戯けるように振る舞う、背の高い方の刑事も目は笑っていない。
「君が怪我をした時の状況なんだけど──」
背の高い方の刑事は、笹山。背の低い方は、山代という名らしい。話をするのは、専ら笹山。山代は、あいも変わらず俺を見つめている。
「日課であるランニングを如月夏海さんとしている最中に襲われた。で、あってる?」
「はい」
「で、遠巻きに囲まれて投石され、矢を射られたと」
「はい」
「良かったね、普通なら殺されててもおかしくなかったよ」
「そう思います」
「ところで、いつも川沿いを走っているの?」
「いえ、あのコースは、初めてでした。あっ、コースは、たまに変えていくので」
「君の家から、結構な距離があったと思うんだけどね」
「そういう気分だったので……」
ひょっとして、この状況はヤバい?
力を使ってゴブリン狩りをしていたなんて、知られたら駄目なのではないか?
【KARin】の『人ではない存在に変えてしまう』という言葉が思い出されてきた。もしかして、ゴブリンが元々人であったなら?
──俺は人殺し?
野生動物であったなら?──鳥獣保護法?
でも、正当防衛…………。
でも、呼び集めて殺していた。
考えても知ることのできない現実。
それ以前に、刑事は夏海にも事情を聞いているのだろう。夏海の供述と食い違っていたら?
なるべく濁して回答したい。
でも、正しくありたい。
──『正しく』?
「それで、亜生物──ネットとかで『ゴブリン』と呼ばれているのかな──を、見た事は、今回が初めて?」
「あっ、はい──いいえ。中学校付近で見ました」
言い換えた。『正しく』ありたいから。
「ふ~ん、正直、警察でも亜生物について、ある程度の情報は入っていたんだよ。でもね、今回程多数のサンプル──いや、死体──が入手できたのは初めてなんだよ」
「は、はぁ」
「それにしても、格好いいね」
「えっ?」
「身を挺して、女の子を守るなんてさ」
戯けるような笹山の言葉に棘を感じる。
腹が立つ。
感情が沸き立つ。
「守れていない。俺は守れなかった。聞いています、今回の事だって、誰かが警察に通報してくれたから助かったんですよね。もしも、来てくれるのが遅れていたら、夏海は…………。夏海は大丈夫なんですか。夏海は!」
「おいおい、感情的になるなよ。夏海……ああ、如月夏海さんだね。聞いているんじゃないのかい、大丈夫だよ。投石による切創、擦過傷、打ち身はあるけど、元気そうだったよ。念の為に入院してもらっているみたいだけどね」
怒りが腹の底から湧いてくる。
沸き立つ感情が抑えられない。
「守れなかった!守れなかった!また俺は守ることができなかった!おれが守らないと駄目だったのに!悪意を討つ!絶対に守る為に!守らないと!守らないと!」
「おい、落ち着け!」
笹山の言葉が聞こえるが、胸に入ってこない。
「守る!守る!守る!守る!守る!俺が守らないといけなかった!死んでしまう!死んでしまう!守る!」
「ヤバい!山代さん止めて」
──パンッ
何かが弾けるような感じがした。
見回すが、何もない。
焦った様子の笹山と、目を見開いた山代がいただけだ。
「大丈夫かい?」
「あ、は、はい」
優しげな口調で笹山が聞いたので、答えた。
「最後に、ちょっとだけ聞いても良いかい?死んだ亜生物の中に、鋭利な刃物で切られたものと、大型の犬のようなものに噛まれたものがあったんだけど、知らないかな?」
「えっ、知りません……」
犬?なんか見たような気もするけど、はっきりしない。だから、知らないと答えた。
「そうか……、じゃあ、これで失礼しようかな。ああ、そうそう、何かあったら連絡をくれるかな?」
そう言って、二枚の名刺を差し出した。笹山と山代の二枚。
「まあ、しばらくの間は、内緒で警護の者を付けさせてもらうことになるからヨロシク」
「えっ?」
「捜査機密になるんだけど、言っておくよ。今のところ、ゴブリンと呼ばれている亜生物は、うちの管轄では三グループ確認されている。君たちが襲われた西ブロック、さっき君が見たと言った中学校付近の中ブロック、そして南ブロック。その中でも、今回の西ブロックでゴブリンに遭遇した人達、目撃者となった人が行方不明になる事件が続いているんだ。だからね」
そう言って、二人は病室から出ていった。
【昊ノ燈】と申します。
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